第7話 病院での実験
天井の蛍光灯がワックスで磨かれた床に映っていた。
その上をひっきりなしに人が行き交っている。正月休み明けのせいか、病院は患者たちでごった返していた。
咳をしている子ども、腰を曲げて目をつぶっているお年寄り、腕に包帯を巻いた男性…
病院など滅多に来ることがない良は、新年早々、これほど具合の悪い人が多いことに驚いた。でも、それ以上に驚くことがあった。
「座っていなさい」
ソファーでうたた寝をしていた母が顔を上げて言った。
「さっきからフラフラして…高校生なんだから、少しはじっとしていなさい」
「今、ちょっと実験しているんだ」
良はしかめ面の母にこそりと伝えた。
「え?」
「いい、今からあちこち歩くから、僕の周りで起こること、よく見ててよ」
「ここは病院なのよ」
「文句は後から」
うんざり顔の母を
良は再度、実験結果を確かめようと思い、泣きそうな顔をして赤ん坊を抱いている女性の横に立った。
「あら、変」
女性は、赤ん坊の額や頬を触りながらつぶやいた。今までゼーゼーと苦しそうに息をしていた赤ん坊が、ぱちりと目を開いて愛らしく笑っていた。
『間違いない。僕が
良は確信した。
最初、ソファーで静かに待っていた時に、このことを発見した。隣には辛そうな顔をした患者たちが入れかわり立ちかわり座った。良が「大変だなぁ」とちらっと見ていると、間もなく患者たちは病院には相応しくない
「こんなに待たせるのなら、もういい」と、帰ってしまった人も多い。
「見たでしょう?」
「ええ見たわ。でもね」
ソファーに戻った良を、母は首をひねりながら迎えた。
「疑がっているでしょう。僕が近づくと病気が治ってしまうなんて」
「そりゃそうよ。だっておかしいじゃない」
母は良の額やら体にペタペタと手を当てた。
「何してるの?」
「いや、あなたが変な病気になったんじゃないかと思って」
「病気を治す病気なんてあるかい。まっ、あるかもしれないけど」
良は笑いながら、また立ち上がった。
「おもしろいから、もうちょっとやってくる」
「はい、どうぞ、いってらっしゃい」
さっきまでのしかめ面はどこへやら、母はよその人に話すように返事をした。頭が混乱してしまったらしい。
それから二時間も経って、良は診察室に呼ばれた。聴診器を当てられたり、MRIをとられたが異常はなかった。
「僕、わかったよ。人の病気を治してしまうぐらいなんだから、自分の怪我なんて、すぐに治ってしまうんだ」
駐車場に歩いていく途中で良は言った。母は相変わらず首をひねっている。
「ほらもう一人、患者さんがいる。その人を治したら母さんも信じてくれる?もう一度、確認したいこともあるし」
言いながら車のドアを開けた。中では、父がシートを倒して居眠りしていた。
「おっ、遅かったな。おかげで、じっくり休ませてもらった」
「ねえ、ちょっと車から出て」
良は、寝ぼけ眼の父を車から引きずり出し、周りをくるりと歩いた。
「いったいなんだい?それより、お医者さん、なんて言っていたんだ」
「なんにも異常はないって。さあ、父さん、体操の時みたいにジャンプして」
父は訳が分からんと首をひねりながら、ジャンプしはじめた。家に帰って着替えをして、今は黒い革靴を履いている。
「この靴で運動すると、すぐに足が痛くなるんだ…ほらきた」
良は、父さんの渋い顔に笑いながら、「もう一回やって」と願った。
「もう、なんなんだよ」とジャンプを再開した父は、目を見開いて笑いはじめた。
「ありゃ、ぜんぜん痛くないぞ。山中を歩き回って、あんなに痛みが強まっていたのに」
「ほらね」
振り返ると母は深く頷いていた。
父は子どもみたいにはしゃいで跳ね続けた。通り過ぎる人は、見てはいけないもののように目を背けた。
「もういいよ」
「なんだよ。おまえがやれっていったんじゃないか。良も、それ母さんも一緒に」
「あなた、いいかげんにしなさい」
とうとう母の鋭い声が飛び出した。
「僕、なにも悪いことしてないよ」
父は肩をすくめ、良や満の口真似をした。
… … …
「ってことは、良は、僕の足も治してくれたってわけか」
車を運転しながら、父は感心したように息を漏らした。
「そういや、山から下りて、良の近くに寄ってから、痛みが軽くなったような気がする」
「うん。だけど、ただ近寄るだけではだめなんだ。僕が『治ったらいいなぁ』と考えると効果があるんだ」
良は言った。病院で何十人もの患者に実験してわかったことだった。
「あなたが言っていた神隠しと、何か関係があるのかしら」
母が首を捻った。
「たぶんな」
その後、父はしばらく黙っていたが、やがて真面目な声で言った。
「良、その不思議な力のこと、誰にも話しちゃダメだぞ」
「どうしてだい?」
良は首をかしげた。自分が近寄って回復を願うだけで、病気や怪我を治してしまう。すごく素敵なことだし、友人や知人、皆に話してもいいことなのに。
「いいかい。人というものは、不思議な力をもつことに憧れるけど、身近にそんな人がいると、妙に
「そんなに考えなくてもいいんじゃない。もったいない気がするわ。重い病気で、今にも死にそうな人を助けられるかもしれないのよ」
母が口をはさんだ。
『たぶん母さんは、去年、癌でなくなった
良は思った。
病院のベッドで、体の痛みを我慢しながら笑いかけてくれた祖父ちゃん。そんな人たちを救えるかもしれないのに…
「苦しんでいる人を助ける。それは素敵なことだと思う。でも、僕が本当に心配しているのは良自身のことなんだ。力というものには必ず源がある。不思議な力を使うってことは、その度にどこからか何かがさっぴかれていると思うんだ。それがはっきりしないと、力は使ってはいけない気がする」
「もしそうだとしたら、どうしたらいいんだい。僕の近くに病気の人が寄ってきて、治ったらいいなあと考えれば、自分でも知らないうちに力を使ってしまうんだよ。これじゃ、どこにもいけないよ。それとも、人間らしい感情をなくせってこと」
「そんなことは言っていないさ。うん、きっと、解決する方法があるはずだ。そいつを探そう」
父は力強くいったが、母は黙ったままだった。
家に着いたのは、夕方の五時を過ぎ、空の色が薄黄色に変わりはじめた頃だった。
留守番をしていた満は、テレビの前にかじりついてゲームをしていた。三人が家を出たのは十時ごろで、その時からしていたらしい。スナック菓子の空袋が床に散らばっていた。
「おかえり。早かったねー」
真っ赤に充血した目で振り返った。三人は呆れて満の顔を見つめた。
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