第6話 帰りの車中

山火事で怪我人が出るかと診療所で待機していた医者が、役場にまわってきて良を診察した。その後、ヘトヘトの父が運転する車に乗って家路についた。


診察では異常はなかった。だが、目をショボつかせた年寄りの医者は、「むう…はてはて…」としきりに首をひねっていた。

「右耳の後ろに大量の血が流れた跡がある。鋭い物で頭を打ったはずじゃが、傷はない。それにジャージのえりはどうだ。バーナーで燃やしたように溶けておる。だのに どこにも火傷はない。背中のシャツの破れもおかしいといえばおかしい」

「先生、それは良いことなんですか、悪いことなんですか」

曖昧な言葉に、母は少しイライラして聞いた。

医者はやはり首をひねって答えた。

「異常がないのが異常というか…はは、それは良いことなんじゃが…もしや脳や内臓に傷があるかもしれん。念のために大きな病院で診てもらいなさい」と。


… … …


「良、気持ち悪くなったりしてない?」

助手席から母が首を伸ばした。

「ううん、ぜんぜんへっちゃら」

良は明るい顔をして答えた。隣では満が口を尖らせて寝ている。

役場で目覚めて良の顔を見た時は、部屋中を走り回って喜んだが、周囲の皆が良ばかりに声をかけるのでふくれてしまったのだ。


「圭太と新一は?」

良は運転席の父に言葉を投げた。

「ああ、圭太君はゴール直前で後ろの子に抜かれて二位だったよ。やっぱり、ウォーミングアップしておくべきだったと悔しがっていた。

新一君はどんじりのどんじり、ぽてぽて歩きながら帰ってきた。てっきり、おまえも一緒に帰ってくると思っていたんだが…まさかな」

父はハンドルを回しながらフッと吹き出した。大変なことがあった後、人は変なところで笑うものだ。良も顔をほころばせた。


「それで、どうしたの?」

「当然、僕は新一君にたずねたよ、おまえのことを知らないかいって。すると、彼はおかしなものを見たっていうんだ。着物姿の人が祈っている所に迷い込んで、そこにおまえが助けに来てくれたって。それでおまえは突然消え、気づいたら彼は元のコースを歩いていたらしい」

「それからが大変だったのよ」

母が割り込んできた。

「コースに立っていた係員は帰ってきたのに、良はこない。大会に参加していた人が皆で探しに行ったの。熱血漢の圭太君は、赤い顔をしてすぐに駆け出していったわ。

さっき役場で、穴に落ちたとか言っていたけど、怪我はないみたいだし、どうしてたの」


良は返事に困った。穴に落ちてからのこともだが、その前後の出来事を整理しようとしても、うまくいかなかった。でも、父が聞いた新一の言葉に、はっきりしたことがあった。


「確かに僕も三人の人を見た。おじいさんと父さんぐらいの歳の男の人、それと女の子。穴に落ちる時に、その子の叫び声まで聞こえたんだ。それで真っ暗な洞窟の中にいて、落ちていた石をかち合わせて…それからのことは覚えていない。気がつくと道路を歩いていた。あとは洞窟の中で、わけのわからない声が聞こえていたぐらいかな」

「ふーん、新一君とあなたが消えてしまったという場所を探したけど、なにも見つからなかったわ。それにあなたたちが見たという三人は どうしてしまったの。なぜ、穴に落ちた良を助けようとしなかったのかしら」

母は首をひねった。


「きっと良は神隠しにあったんだよ。何しろ佐那河内村には、大昔に天照大神アマテラスオオミカミが隠れたという天岩戸あめのいわとに関わる伝説があるからな」

思いついたように父が言った

「それでな、二人が見た人たちは、神に仕える神官たちの霊なんだ。ランニングで頭がへろへろになってしまって、普通では目に映らないものが見えたのに違いない。良が落ちた穴は、この世ではない世界への入口だったというわけだ」

良は半分頷き、半分首を傾げた。

「なんとなくごまかされているみたい。でも、そんな感じもする。けど、神隠しってなんで起こるの」

「そいつはわからんよ。何しろ神様の考えることだからな」

「ずるいよ。そんなら、なんでもありってことじゃないか」

「そうそう」

父のガラガラ笑いに、良もつられて笑った。


車は町に戻ってきていた。

時間は朝の八時前。通勤の車で、道が混みはじめたところだった

「あーよく寝た。これからどこか遊びに行くの?」

起きだした満が聞いた。

「会社には休みの連絡をしてあるが、そいつは勘弁だ。今日は家でのんびり昼寝でもしよう。良もゆっくり休まんとな」

父の言葉に母が首を振った。

「だめよ。少し休憩したら、大学病院か県立病院に行かないと」

「つまらん」

満は口を尖らし、父さんは肩を落として頷いた。


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