第8話 奇妙な散歩

夕食は良の好物の肉団子の鍋だった。

食べるほどに腹が空くようで、白ご飯を六杯もおかわりした。明日の分もと多めに焚いていたらしいが、釜の中はほとんど空になってしまった。

「役場に到着した時も、良の食欲ってすごかったのよね。家なら遠慮いらないわ。たーんと召し上がれ」

母が嬉しそうに言った。

「それはそうと、いつもそんなに食べていたか?」

父が首を傾げた。

「いつもは、兄ちゃんは僕より少ないくらいだ。おかしいぞ」

満がくやしそうに睨んだ。

「競争じゃないんだから、いいだろう」

良は弟の頭を軽く小突いた。

「なんだよ。ぶつなんてひどいぞ」

「軽くじゃないか」

「もう、よしなさいったら」

テーブルの上のガヤつきをよそに、父が立ち上がった。何かひらめいたように部屋を出ていくと、洗面所から体重計を持ってきた。


「ちっと、計ってみ」

良は言われるままに体重計に乗った。

「49キロ。冬休み前に計った時は54キロあった。今、あんなにたくさん食べたばかりなのに…明らかに5キロ以上減っている」

はっと気がついた。母も気づいたようだ。

「これって、僕があの力を使ったから?」

父は、そうだとばかりに唇を結んだ。

「とりあえずだ。一つの手掛かりが見つかった。力を使えば良の体重は減ってしまう。すごいカロリーを消耗しているんだ。力を使い過ぎたらどうなってしまうかわからない」

「じゃあ、たくさん食べれば、問題はないってことかしら?」

「それならいいが。いや、そういうことにしよう」

目を見開いて聞く母に、父は大きく頷き、自分の茶わんを突き出した。

「僕の足を治してくれたお礼だ」

「いいよ。まだ少しはお釜にあるんだから」

「そうよね、お父さんの箸でつつかれたご飯じゃね。待ってて。今、レトルトパックのご飯も電子レンジにかけてくるから」

母が笑いながら、台所にいった。


『力を使うと、知らぬ間にエネルギーを消費してしまう。どのくらいの量かは分からないけど、食べてエネルギーを補給すればいいんだ』

良の頭に巻きついていた物が、少し解けたようだった。


「兄ちゃんの力ってなに?僕、聞いていないよ」

父の顔をのぞき込んだ満に、台所から母が声をかけた。

「冷蔵庫にアイスケーキあったでしょう。ご飯、食べ終わったら、あれ食べてもいいわよ」

「えっ、いいの。じゃあ、ごちそうさま。アイスケーキ、お先に!」

満は台所に飛んでいった。

「単純というか、あの性格、うらやましい」

ぼやく良の前で、父は苦笑いを浮かべていた。


夜も九時をまわり、良は二階の自分の部屋に入った。大晦日の大掃除がまだ効いていて、深呼吸したくなるほどにきれいだった。

「冬休みもあと二日だけ。宿題はやってあるから安心っと」

ゴロリとベッドに横になり、目をつぶった。


昨日からのことが、スライドを見ているように頭の中を通り過ぎた。

…僕は新一の後を追った…不思議な3人の人がいて…洞窟に落ちて…誰かの言葉を耳にした…石を打ち合わせて…いつの間にか山道を歩いていた…

『あれらは本当にあったことなんだろうか。すべてが夢だったような気がする。でも、僕には不思議な力が宿ってしまった。それは事実だ。しかも、人には話さないほうがいいし、使おうとさえしないほうがいい。そんな力って、なんのためにあるんだろう』

胸の奥が苦しくなって目を開けた。


黄金色の月明かりが、窓からのびていた。優しい光に包まれ、ほんのりと気分が落ち着いた。

『そうだ。明日、新一の家に行こう。何か知っているかもしれない。ひょっとしたら、あいつも僕と同じ力を持っているかも。ああ、こんな時にスマホを持っていたら…』

良は舌打ちしながら、再び目をつぶった。新一はスマホを持っているが、良は持っていない。「電話は気軽にするもんと違う。ライン?訳のわからんものに手を出したらいかん」と言う時代遅れの父さんの考えのおかげだ。

『まあ、持っていたら、圭太みたいにゲームで課金して取り上げられる可能性が高いけれど…』

息をつくと同時に疲れがとろとろと流れ出した。心に張り詰めていたものも解れていく。全身でベッドの柔らかさを感じ、小さいけれど落ち着く部屋の広さを実感した。

目をつぶって慣れ親しんだ周囲の感触を味わってみた。とても新鮮だった。本当は触れていないのに、想像の世界では、床に敷かれた絨毯の毛立ちまで感じられるようだった。


『こりゃいいや。もっとやってみよう』

月光の下で、自分がまとったオーラが自由自在に伸びていく、そんなことを想像した。

部屋の外に出たオーラが、スルリスルリと階段を降りていく。玄関に凸凹でこぼこと並んでいる靴の上を通り、ドアの下のわずかな隙間から外に這い出す。

『まるで、オーラというか、引き伸ばした影の散歩…。こんな遊びができるなんて』

体はベッドの上に置いたまま、良の想像は町中に広がっていった。時にジワーッと踏みつけられ、時に様々なリズムでコツコツと叩かれた。

『これは、車や人が、僕の影の上を通っているんだ』

あれこれ考えるのが面倒になり、想像された感覚の味わいに任かせていた。


と、急に影は何かに強く引き寄せられ、深い縦穴に落ち込んだようだった。その先はまた広がっている様子。

『僕はどこかの井戸を考えているのか…ずっと底には、もう一つの世界があったりして』

良はそっと微笑んだ。


「光をもたらすお方よ」

不意に声が聞こえた。ぐーんと伸ばした影に糸電話のように音声が伝わったとでもいうのか?


『ははあ、井戸の底の世界の住人だね。声は聞こえても、見ることはできない』

良はゆとりに溢れていた。

「今のあなたは虹色に輝く霧のよう。これではお話ができませぬ。わが祈りとともに姿を現し下さい」

また声が聞こえた。念仏を唱えるような歌が続く。

『何故、こんな想像を?不思議な力を持った自分のことを考えているからか』

「とうとう、あなたは姿を現して下さいました」


目の前に男が見えた。偉い人物に会った時のように、地面にひれ伏している。

大昔の人のような、すぽんと被って腰紐を結ぶ服の上に、鈍い光を放つ羽織を着ている。短い髪の毛は銀色に光っている。

男はゆっくりと顔を上げた。高い鷲鼻にけた頬、ろくな食物を摂っていないように顔は青白い。が、その目は、紫色に生き生きと輝いていた。歳は取っているらしいが、どのくらいかはわからなかった。

「あなたは、わが世界に豊かさを与えて下さる方」

低い声が響いた。

良は驚いた。真っ赤な口の中に、吸血鬼のような長い犬歯がのぞいたのだ。

「まるで鬼だ」

思わず漏らした。

「鬼!それは邪悪な者の呼び名。あなたは、我らに警告を与えるために現れたのか」

男は悲しそうな表情を浮かべた。

「確かに、我らは禁じられた食べ物を口にしています。しかし、豊かな食べ物がなくなった以上、他に方法はなかったのです。食べなければ、すでに滅びていたでしょう。光をもたらすお方よ、教えて下され。我らはどうしたらよいのか」


なぜこんな展開になるのか、よくわからなかった。

『もしや、これは想像ではなく、実際に起こっていることなのか…』

目の前に座る男の悲しく光る紫色の瞳、赤い唇の輪郭、髪の毛の一本一本、あまりにもはっきり見えている。想像などではない!

「そんなことって」

「では、あなたはどうしろとおっしゃるのか」

男の顔が歪んだ。気味が悪かったが、必死に尋ねる男が気の毒に思えてきた。

「禁じられていてもいいでないですか。滅びてしまうよりはましでしょ」

良はあまり考えずに答えた。

「おお確かに。まずは生きなければ。わしは考え過ぎていたのかもしれん。あなたの言葉で、胸に重く抱いていた不安は消えうせた」

男は節くれだった腕を伸ばして良の手?を握った。氷のような冷たさが引き伸ばされた影に伝わった。

「わしは、銀の衣の三郎太。お言葉をお聞きしたこと、決して忘れることはございません。いつぞやに、またお目にかかれますように」

男は地面にひれ伏した。


『早く戻りたい』

良は願った。

一瞬というわけではないが、数秒とかからぬうちに、背中にベッドの柔らかさを感じた。

目を開けると、元の月明かりがさしていた。いつの間にか、時間が経っていたらしく、月は窓の縁にさしかかっていた。

ほっと息をついて目をつぶった。今度は余計な想像を膨らませなかった。自分を包んでいる布団の感触だけに意識を向けた。

やがて良は眠った。


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