第27話 黒幕の野望 

時は流れた… …

コンテナの闇に包まれたのは、もはや過ぎ去った過去のことだった。

世の中には平和が戻り、竜の波動からも解放された良はすっかりくつろいでいた。


『何もないけど、平和ってこんなにいいものなんだ』

青草の香るレンゲ畑に寝転びながら良は思った。


空には太陽が穏やかに輝いている。温かい光が見えない手となり、体を優しく揉みほぐしてくれている。

「でもさ、こんなにのんびりしてていいのかな」

「いいのよ。それだけ苦労したじゃない。ほら、向こうをご覧なさい」 

良は優しい声に従って顔を横にした。


川の向こう岸で、父と母がバドミントンをしている。満はその後ろの土手に座っている。こんなに気持ちがよい天気なのに、外にまでゲームを持ち出している。

「まったく満は相変わらずだな」

良は苦笑いしながらも、ほっと息をついた。

「事件は解決したんだものね」

「そのとおりよ」

「ありがとう、色々と話を聞いてくれて…」


良が目を寄せた先に、一匹のモンシロチョウがいた。菜の花にとまって羽根を揺らしている。

「ねえ、もっとお話を聞かせて」

「どこまで話したんだっけ?」


良は先ほどから、この蝶と話をしていた。

ほとんどは良が話し、蝶は「大変だったわね」と言葉を返してくれていた。

「ほら、こちらの世界に戻ってきて、凍りついたダムを渡ったところまでよ」

「そうだったね」

良は小さくうなずき、また話し始めた。

「それでダムの水門の上を歩いていると、親切そうなおばちゃんが声をかけてきたんだ。それがおかしいんだ。おばちゃんは僕の方を見ようとしない。なんでだと思う?」


「ふふ、そこまでで結構」

笑いを含んだ返事だった。蝶の声ではない。

「どうしたの」

横を見れば、いつの間にか、隣に咲いていた菜の花は凍りつき、蝶はどこかに消えていた。向こう岸に見える父たちが、どんどん遠ざかっていく。川の上流から、巨大な氷の塊が音もなく滑ってきていた。岸を引き裂くように広げていく。

「待って!僕をおいていかないで」

叫んだ声がうつろに響いた。太陽の光が点滅しはじめている。


カチカチ カチカチ …


「安西君、協力ありがとう」

光に黒い影が浮き出て、にやりと笑った。

「うわっ!」

両手で草を握りしめた。引きちぎって影に投げようとした。が、手は動かない。

「来るな」

良は硬いクッションに背中を打ちつけた。

目の前でデスクスタンドの電球が点滅していた。両手は椅子の肘かけに縛りつけられていた。


「まことに驚くばかりだ」

天井に乳白色のライトがつき、六十才ぐらいの男が顔をのぞきこんだ。今、デスクスタンドのスイッチをいじっていた男だ。いかにも金持ちらしい仕立てのよい背広を着ている。どこかで見た顔だったが思い出せなかった。横には白衣を着た無表情な女が立っていた。

「君、もう用はすんだ。部屋を離れたまえ」

「それでは失礼いたします」

女は丁寧に頭を下げて出ていった。女の声…優しさはなくしていたが、それは今まで話していた蝶の声だった。


そこは会議室のような広間だった。

男の後ろには、透明なガラスで仕切られた小部屋があり、圭太と新一、蒼がしきりにガラスを叩いていた。かなり厚いらしく音は聞こえない。蒼の父と長老の姿もある。皆、ロープや針金をほどかれていた。


「それにしても興味深い話を聞いた。もう一つの世界の者の祈りが、この世界の自然を支えていたとはな。君からの話だけなら、単なる妄想と笑っていたかもしれないが、若者四人の話はぴったり一致しておる」

男は感嘆まじりのため息をもらした。が、すぐにも脂ぎった頬を突き出して、笑い顔を浮かべた。

良は顔をそむけた。その先の広間の入口に、大きな顔写真入りのポスターが張ってあった。


…おまかせ下さい

 美しい日本の自然、私が守ります。乱堂金茂…


『乱堂…』

良は思い出した。テレビでよく見かける政治家だった。

『確か、所属の政党内で誰も支持者がいないのに、次の総裁選で立候補するといって世間で笑い者になっていた』

良たちはこの乱堂という男にすべてを話してしまったのだ。先ほど広間を出ていった女の催眠術にかけられて…。


「あんたが、あのセコイヤをガラスで覆ったんだな。自然界が必要としている物質を奪うために」

良は乱堂を睨みつけた。

「ああそうだ。だが、最初からそんな大それたことを考えていたわけではない。仕事の成り行きでそうなっただけだ。君は、わしの政治家としての信条は知っているかの?」

怒りの感情を無視した応答ぶりだった。

「あ"ぁ」

良は返事ではなく、ただ声を吐き出した。

「それはな君、豊かな自然と健全なる心、持続する経済は三位一体さんみいったい、というものだよ」

乱堂は唇をなめ、公衆の前での演説のように大げさに腕を広げた。次いで、まるで熱心な支持者の相手をするかのように肩に片手を置いてきた。身動きのできない良は受け入れるしかなかった。


「もう十年も前のこと。あのダムの建設がはじまった時、地元の住民がセコイヤの木の保護を国に訴えた。『自然の神が宿る御神木だ』とな。ところが肝心の四国の政治家や役人たちは、訴えが遅すぎると知らぬふり。それでわしに陳情の声がかかった。選挙区ではなかったが、わしは仕方なく真冬の現地に視察に出かけた。

驚いたよ。セコイヤの木の根元には、食事もとらずに薄着で祈り続ける修行者、天照がいたじゃないか。それにわしも含めた視察団の体調は、視察に行く前よりもよくなった。わしはピーンときた。あのセコイヤの木は、ただならぬ力を秘めているとな」

良は再び顔をそむけた。鼻の先でグフグフと笑う男の生臭い息に気分が悪くなったのだ。

が、声は耳元で発せられ続けた。


「わしはセコイヤの木を保護すると宣言した。地元の住民は大賛成。あの頭のかたい天照も手を叩いてくれた。そこでわしの本格的な仕事がはじまったわけだ。

セコイヤの木を工事で傷つけないように、ダムの設計に手を加えることから始まって、水門には監視用の部屋を設置したり…ガラスの塔の建設に至っては、まったく予想外の金を遣ったよ。周囲をおおえば、すぐに木は成長してガラスを突き破ってしまう。高く伸びて伸びて、ようやくこの正月に完成したが、まあ、今となっては安い投資だったわ。セコイヤの木の力を手にいれるための工事が、はは、完成してみれば、この国の人々の健全な心を実現するための偉大な事業になっていたのだからな」


「健全な心を実現する?あんたは人々を不安に陥らせ、苦しめているだけだ」

良は低く言った。乱堂は嘲笑うように目を細めた。

「はは、思慮が浅いのう。それが若者の特権というものかもしれないが…。よいか、わしは人々に、命と真剣に向き合う大切さを、人は自然の中で生かされているということを再認識させているのだ。今、人々は、いつ凍りついてしまうかもわからない不安の中で、この瞬間に生きているというありがたさを実感している。そして、自分を支えてくれるものへの祈りも捧げるようになった。また他人と手を取り合い、日々を真剣に生きはじめた。

ほれ、地蔵さんへの祈りだとて、復活しているにちがいないぞ。幻人まぼろしびとといったかの、やがて彼らの世界にも青い空が復活するだろう」


口の中に血の味がした。

いつの間にか、良は唇を強くかんでいた。

幻人の世界で、輝きの島は薄く光りはじめていた。確かにこの男が言うことは当たっているのだ。

「あんたは、何をしようとしているんだ」

「言ったはずだ、日本国民の健全な心の実現だよ。わしが人々の祈りの中心に座ってな。

君は知らんかもしれんが、全国には、冬になっても葉を落とさない奇妙な落葉樹が数本ある。『育みの気』の吹き出し口は、まだ幾つかあるんだ。それらをすべてガラスの塔で覆えば、わしの計画は完成する。世界にも目を向けたいところだが、まあ取りあえずは日本でな。

わしは人々を導く偉大な父となる。かつての総理大臣になる夢など、比べるほどもない小さなものだったわい」


乱堂は太った体を揺すりながら、背広のポケットに手を突っ込んだ。開いた手には、薬のカプセルが十数個握られていた。

「この中には、あのセコイヤの木の周囲の空気が入っている。それを吸わせれば、凍りついた人々は元に戻る。だからな、今の四国の人々にとっては、どんな物より貴重ってわけだ。それをわしはこの手に握りしめている」

乱堂は、カプセルの一つを鼻の横でカチリと割り、大きく息を吸った。

「君たちを捕らえ、すべてを知った今、時は満ちた。謎の光の大使が名前を公表してもよい時がやってきた。もはや天照に用はなくなった」

良は目を見開いた。

『天照の用?』

「まったくあの男を抱き込んでおいてよかったよ。彼は君たちが神聖な場所を破壊するためにやってくると信じていた。そして見事的中した。おまけに妙な術を使って君たちを捕らえてくれた。遊び半分で山の修行者に耳を傾けていたが、思わぬ拾いものをしたってわけだ。さてさて、用済みになった小汚ない修行者はどう始末したらいいかね。貢献者として持ち上げて、暴走されても困るしね」

やはり天照は、この男に利用されているだけだった。一途に光の神を信じる痩せた男が哀れに思えてきた。


「ちくしょう」

目前の太った顔がにじんで見えた。目から涙がこぼれていた。

『なんで、こんな奴に話をしてしまったんだ』

催眠にかけられていたとはいえ、良は、権勢欲にまみれた男の描いたシナリオに、裏付けを与えてしまったのだ。自分が情けなくて仕方なかった。

「うぅ…」

良は唸った。

「気持ちを押さえたまえ。波動の力を使って炎を吐けば、大切な友だちも黒焦げだよ。さあ、最後の時を有効に使いたまえ。君がもてあましている竜の波動とやらは、後で、わしがもらい受けよう。神秘の力は、人々を導く偉大な父にこそ相応ふさわしい」


乱堂は高らかに笑いながら部屋を出ていった。入れ代わりに黒服の男たちが入ってきた。良の縛られている椅子をガラガラと転がし、蒼たちのいる部屋の前に運んだ。鍵をはずして小さくドアを開けると、何も言わずに押しこみ、また鍵をかけた。

「良ちゃん!」

皆が駆けより、硬く縛られたロープをほどいた。

「催眠すごく長かったけど、頭は大丈夫?」

新一が聞いた。

「ああ。でも中身は全部ひき出されてしまった」

良は答え、唇を噛んだ。


皆の顔色はすこぶるよかった。針金で縛られていた長老たちも元気そうだった。

「あの乱堂って奴、いやみにもほどがある」

圭太の指さす床の上に、たくさんの薬のカプセルが割れて落ちていた。部屋の中は、育みの気で満ちていた。

「くそ!」

良は椅子を高くかかげ、思い切りガラスにぶち当てた。わずかにたわんだかのように見えたが、ガラスは無傷で椅子を弾き返した。

「特殊プラスチックだ。とてもではないが割ることはできない」

蒼の父が静かに言った。

「あの男は育みの気だけではなく、僕の宿している竜の波動も手に入れようとしています」

良は訴えた。

「じゃあ、安西君の命は…」

力のない蒼のつぶやきを横に、良は大人たちの言葉を待ったが、二人は黙ったままだった。


赤い顔をした新一が口を開いた。

「良ちゃん、何をしてもかまわないよ。あいつの秘密を知っている僕たちだって、どうせ殺されてしまうんだ。それなら良ちゃんと一緒に戦いたいよ」

「新一、最後に格好つけるなよ。俺だって同じ気持ちさ。良、竜の波動の力を使って変身して、この建物ごと、あの悪者を燃やしてやってくれ!」

圭太がまっすぐに背筋を伸ばした。

「最後なんて言うなよ。まだ終わってはいないんだ」

良は小さく言った。

いつになるかはわからない。しかし、最後の時は確実にやってくる。天井の片隅に備えつけられたカメラの横には、細い管が突き出ている。そこから毒ガスの流れる音が聞こえはじめたら、すべてが終わりなのだ。


「安西君、あきらめよう」

長老が肩を落として言った。

「こうなることがわかっておったら、やはり洞窟で君の息の根をとめておくんじゃった。乱堂の住まいは淡路島の東の端、まさかこんな所で命を落とすことになるなんぞ」

「長老さん、そんなこと言ってはだめだよ」

新一が半べそをかきながら言った。

「くそっ!」

怒りの声を出した蒼の父が、椅子を良に向けて投げつけた。脚の車輪の一つが良の頬を掠り、ガラスに当たって空しく床に落ちた。

「長老のおっしゃるとおりだ。君が波動を伸ばしたり、余計なことをしたから、話がこんがらかっちまったんだ。自由の身なら、竜の像の元に連れていって命を奪ってやるのに」

横にあった椅子を奥に蹴り込むと、そのまま良の腕を掴み、Tシャツを荒々しく引っ張った。


これまで冷静そのものだった人の行動とは考えられなかった。良が思わずよろめくと、今度は頬を強く叩いてきた。良は床に崩れた。

「良は、悪いことなんかしていない」

圭太が、蒼の父に掴みかかっていった。



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