第28話 竜の召喚1


『犬神さんの父さんは僕に何かをさせようとしている。長老さんも…』

派手な音を立て椅子を蹴飛ばして掴みかかってきた時、良は耳元で聞いた。

「一か八かだ、安西君」

蒼の父はそうささやいたのだ。

圭太の怒りの声を聞き流しながら良は考えた。


『洞窟の竜の石像の元に行け』

二人から聞いたのは、そういう内容だったが…


…乱堂に奪われる前に、波動を伸ばして竜の石像に返せ!…

電撃のように閃いた。二人はそう言っていたのだ。

今、二人は、良の体が天井のビデオカメラの陰になるように立っていた。蒼の父は掴みかかりながら、良の体をその位置にくるように移動させたのだ。


『竜の石像に波動を返す…果たしてそんなことが可能なのか。そして何が起こるのか。とにかく、やってみなければわからない!』

良は冷やかな床に頬をつけたまま意識を集中した。心に光を思い浮かべながら、波動が体の外に流れ出てくるのを待った。


「安西君、大丈夫?」

蒼が顔をのぞきこんだ。その目は、お地蔵さんの中に入り込む時のように青白く光っていた。

と、床に触れる圧迫感が消えた。竜の波動が、淡く光りながら蜜のように体から流れはじめた。


『この感覚だ』

良は波動を意に沿わせて前に進めた。空気さえ通れないドアゴムの分子レベルの隙間を抜け、室外へと伸ばした。

『乱堂の住まいは淡路島の東の端。長老さんは言っていた。でも、どちらがどの方角なんだ?』

思案した良は波動を薄く広げた。

広い屋敷を出たところに砂浜の感触があった。そのまま浜辺にそって波動を伸ばした。すぐにも空中に長く伸びる道を見つけた。


『海岸線から伸びていく大橋は、淡路島には二つしかない。鳴門大橋と明石海峡大橋…ここは淡路島の東だから、これは明石海峡大橋だ。ということは…』

近畿圏の地図を頭に描いた。波動を伸ばす方角がわかった。

『よし!』

良は、捕鯨船から撃ち出されるもりのように波動を突き出した。狙った鯨に向かい、ロープのついた銛が一直線に飛んでいく、そんな感じだ。ただし、もっと細くもっと早く。


凹凸の激しい地面を、波動はまっすぐに南西に伸びていった。途中、波動から伝わる感覚がなくなった。

『海上か海中を走っている』

蒼の瞳から発せられる青白い光が強くなった。不安定になった波動に勢いが戻った。加速しながらぐんぐん伸びていく。

地を走るザラザラとした感触が蘇った。アップダウンが激しくなる。凍りついた木々の生い茂る山に入った。いったん止まって、先端の感触を強め、歌舞伎の蜘蛛糸投げのように触手を前に広げた。


一本の触手が、山麓の煉瓦調の建物に触れた。ステップの前の大きな石をそろりと撫でる。

『佐・那・河・内・村・役・場・・・読めた』

他の触手を縮めて一本にまとめ、舗装された道をうねりながら登っていく。やがて砂利の敷きつめられた広場についた。


『トレイルラン大会のやり直しだ、ゴールはまた違うけれど…』

記憶に刻まれた瓢箪ひょうたん型のコースのくびれの地点で触手を再び広げた。今度は小さな魚も逃さない投網のように。


『あった』

周囲とは明らかに感触の異なる場所があった。凍りついた木々の茂みに、ぽっかりと空間が開き、人の手が入った角ばった岩が転がっている。良が落ちこんだ穴があったところだ。

波動に重みを持たせた。大岩の下に一ミリほどもない隙間が開いていて、タラリと流れていく。


『とうとう見つけた』

穴の下に広がる洞窟の壁を伝い、突き出している巨大な塊を包み込んだ。


『竜の像よ。僕はあなたに波動を返しにきた』

波動の先端に、良は心の言葉をこめた。


沈黙…

そして岩が震えた。


『おまえの肉体は未だ命を保っている。おまえはわしに波動を返せない』

竜の形をした石像が話した。


『でも、僕は返さなければならない。さもなければ、あなたの波動は他人に取られてしまう』


『それはわしの関知しないこと』


『では、あなたの波動は穢されることになる。新しい宿り主は、人々の祈りとはかけ離れた自分の欲のためだけに、波動の力を使おうとする』


『おまえはわしを脅しているのか』

岩の微震動がわずかに大きくなった。


『僕は波動を返したいだけです』


『ならば、命を捨てろ!』


『それができないのです。僕は今、自分の体をどうすることもできない』

竜の石像がぐらりと揺れた。ガラガラと岩のかけらが落ちていく。


『よかろう。おまえの命、奪いに参ろう』


大音響が轟き、石像の感触が少し滑らかになった。良の体から伸びた波動の先端が、鍾乳石の石像の中に溶け込んだ。

次の瞬間、波動は一気に縮みはじめた。まるで長く伸ばされたゴムの端が放たれたかのように。


「安西君、目を覚ませ」

目を開くと、かがみ込んだ蒼の父が、良の頬を平手打ちしていた。圭太は何かしらを察したらしく、長老の隣に立って心配そうに見つめていた。


「竜がこちらにやってきます。僕の命を奪いに。もう海上に出ています!」

良は叫びながら飛び起きた。

足下を見れば、細い糸のような波動が部屋の外に伸びていた。もはや、それは良の思うようにはならなかった。


「聞いたじゃろう、乱堂。もはやおまえはこの若者の命を奪えない。おまえが代わって波動を宿せば、さてどうなるか。今度はおまえの命が、竜の標的となるだろう」

長老が振り返りながら、天井のビデオカメラに向かって話した。

「くっ、謀りおったか。話の真偽はわからぬが…。くそぅ、わしは一旦ここを離れる。貴様らは竜の餌食となれ!」

壁に埋め込まれたスピーカーから声が流れた。


天井の管から、かすかな通気音が聞こえはじめたのだ。

「毒ガスだ。皆、床に伏せろ!息を止めるんだ」

蒼の父がどなった。


次の瞬間だった。ガラガラと凄まじい音が響き、巨大地震の訪れのように建物が激しく揺れた。急速に縮む波動の糸に乗って轟音は、すぐ間近にやってきている。最後に重いきしみが聞こえ…


バリバリバリッ!!


死をもたらすガスの管もろともに天井が引き裂かれた。部屋を仕切っていたガラスが枠から外れ、外側にゆっくりと倒れた。





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