第29話 竜の召喚2


大きく引き裂かれた天井の先には濃紺色の空があった。夜明け前の赤いにじみが混じっている。

その一角に竜の巨体が立っていた。非常灯の淡い光の中で、翼を広げ、長い首を曲げて良たちを見下ろしている。


「翼竜…ケツァルコアトルス」

新一が呻いた。


確かにその姿は図鑑オタクの新一が知っている翼竜に似ているのかもしれない。だが、頭上から見下ろしている竜は、それを遥かに超えた重厚な威圧感に満ちていた。体長は優に二十メートルを超えている。体全体に余分な岩や土が付着しているためか、荒削りの彫像のようにも見える。


「約束の通り、命を奪いに参った」

風の唸りのような低い声が流れた。同時に良は、竜と繋がっているロープのような光る波動に引きずられ、宙に登っていった。


「良、いっちゃだめだ!」

圭太が叫びながら、良にしがみつこうと飛び付いた。だが、すでに良の体は一階の天井の高さにあり、伸ばした手の先がTシャツの裾にわずかに触れただけだった。

「いいんだ。これしか方法はなかった。後のことは任せたよ」

良は静かにいった。恐怖はなかった。重い荷物をおいて、ベッドに横たわる時のようにほっとする感じがした。

竜は、大木の根のような足元から、二メートルほどのところに良を引きずって近寄せた。


二階建ての大きな屋敷だったのだろう、良が手膝をついている二階のフロアの周囲には、ひしゃげた壁と太い柱がいくつか残り、瓦やガラスが散乱していた。外には、剪定された松の木の頭が並んでいるのが見えた。


良が膝をついている床には、薄い刃が通過したような細い筋が入っていた。波動は、レーザーナイフのように良と竜との間にある障害物を切っていた。

空の赤い滲みはさらに広がり、黄色が混じりはじめていた。闇の中で溶鉱炉の蓋を開けたかのように、太陽が黄金色の顔の一部をのぞかせていた。


「オーフ、我が波動よ、宿りし者を離れ、我が元に」

竜が唸り、刃物のように鋭い鉤爪のついた翼を振り上げた。


「待たれい!おそれ多き光の竜よ」

下の階から、長老が声高くいった。

「古来からの積年により付着した土石を落とされよ。ご自身の誠の姿をごらんあれ」

長老の声に、良を見据えていた恐ろしい顔が、ゆっくりと傾いた。振り下ろそうとしていた翼の動きは止まった。


「安西君、波動を竜を覆う輪郭にするのよ!」

蒼の叫びが響いた。


「波動を竜を覆う輪郭に…」

そうする理由はわからなかったが、良は蒼の言葉を繰り返し、胸元から竜へと伸びている気体とも固体とも判別がつかない光る波動を見つめた。

頭の片隅に青白い光が思い浮かぶのと同時に、竜との間にある波動は巨大なアメーバのように拡がり、その輪郭が脈打ちはじめた。


「竜の輪郭に」

良はさらに言葉を繰り返し、目の前の竜の巨体に波動を重ねるように描いた。


波動の輪郭に翼が現れた。首や脚の形も生まれている。

「そんなに小さくはない。もっと大きくたくましく」

良のつぶやきに応じて、波動は幾倍にも広がり竜の体全体を覆った。

夜明け直後の薄い光の中で、本来の波動をまとった竜の巨体が淡く輝き始めている。


「さようなら、みんな」

力なく言葉を漏らした良は、鉤爪に引き裂かれる最後の時を待った。

バラバラ バラバラ・・ひょうが降るような音が続いている。

『何の音?』

良が顔をあげると、目の前の巨体から大小の石のかけらが剥がれ落ちていた。竜が太い首を回し、体を震わせるたびに石のかけらが落ち、その一方で、巨体の輝きは増していった。

竜は、体の外部や内部にあった不純物を排出していた。


「フーウ」

ぐるりと首を回して自分の体を眺めた竜は、刻々と昇る太陽に向き直って大きく震えた。表面に残っていた細かなかけらが、そよぐ風に流されていった。


「美しい…」

良は我知れず声をもらしていた。

一点の汚れもない白い巨体が、朝日を反射して眩しくきらめいていた。動かなければ、乳白色の彫像のように見える。内側から放射される光、さらに周囲に七色に広がる波動との相乗効果で、なおさらに眩しく見えた。

洞窟の中で眠っていた鍾乳石の竜の石像は、波動をまとい、滑らかさをもった生ける存在となっていた。


「フーウゥ、わしはこの体に相応しい波動をもって目覚めた」

緑色の目が良を見つめた。体と同じく内側から輝いている。大きく裂けた口は笑っているように見えた。いつの間にか翼は下ろされていた。


「若者よ、残念ながら、おまえと交わした二つの言葉は意味を失った。波動を得たわしはおまえの命を奪わない。命あるおまえはわしに波動を返せない」


良は輝く巨体との間の空間に目を凝らした。

竜と良の胸は、糸のように細い虹色の波動で繋がっていた。

「おまえは波動を宿す者であり、波動を共有する者ともなった」

竜が低くいった。


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