第30話 潜んでいた鬼1
「良、大丈夫か」
どこから上がってきたのやら、圭太が駆け寄ってきた。間近にいる竜に恐れをなして、へっぴり腰になりながらも肩に腕を回してきた。
「あっ圭太!」
良は叫んだ。圭太の体がレーザーのような波動に切断されてしまうと思ったのだ。だが、波動の糸は長身の体に押し退けられるように曲がっていた。先ほどまであったピアノ線のような硬いテンションはなくなっている。波動を巡って、良の命を奪おうとしていた竜との緊張関係はなくなっていた。
「なんだよ、急に」
泣き笑いと驚きの混じったおかしな表情を受かべた圭太に、良は「いや、大丈夫」といい、広い肩を抱き返した。
「心配かけやがって!」と、圭太は良の胸をどつどつと拳で小突いた。
「男同士の友情っていいわね」
そばにやってきていた蒼が二人を見ながらいい、「そりゃ、最高さ」と新一が胸を反り返した。
「さて、君たち。これから竜への挨拶をしようと思うが…」
四人の後ろで長老が咳ばらいをして言った。圭太と新一は良の隣に並び、蒼は長老の後ろに控える父と並んだ。
「では…」
竜の前に進んだ長老が片膝をついて手を合わせ、蒼と父もそれに続いた。
「
長老は眩しそうに目を細めて竜を見上げ、掠れ声を張り上げた。
「フウウ、波動の守り人たちよ」
低い声が発せられた。周囲に散乱している建物の破片がびりびりと震えている。
「出会いの言葉の代わりに、問いを投げよう。よいか」
「はは、いかなる問いにても」
竜の言葉に長老は臆することなく応じた。
「おまえたちは光り輝くこの体を目にした。これより先、おまえたちが守るのはどちらだ、わしか、それとも波動か?」
竜が聞いた。その雷の轟きのような低い声と鋭い視線に、圭太と新一は良の後ろに隠れようとして体をぶつけ合った。
「もちろん、波動でございます」
長老は力強く答えた
「さても興味深い。
「今こそ、あなた様は、竜の体を持たれて我らが前に現れられた。ですが、あなた様の本質は、人々の祈りによって生まれた恵みの光そのもの。そのお方を守ろうとしても、我らは目が眩むばかりでございます。元より、我らの宿命は、光の存在から湧き出でる波動をお守りすることでありますからに」
「フゥハー、なるほどの。では、いま一つ尋ねよう。もしやおまえたちは知っていたのではないか。祈りの現れであるわしが、輝く体を持って目覚めた時、若者の命を奪うことはない事を」
「確証はあらず。なれど、厚き信心は仰せの通りを
「フゥファハー、誠に賢き者たちよ」
竜は牙を剥き出して笑った。波動の守り人である三人は深々と頭を下げた。
竜が人を害するものでないことを知った圭太と新一が、良の後ろから顔を出した。
「なんだよ、ややこしい。だったら最初から、竜を呼ぶように良に頼めばよかったのに」
圭太が蒼の父を殴った手をさすりながら言った。
「二人は乱堂と僕を騙したんだよ。本当の事を言ったら、あいつはすぐに毒ガスを流し込んだ。僕も命を賭けてまで波動を返そうとしなかった。それで、ぎりぎりの所で、竜をここまで連れて来させたんだ」
良は言った。
「けど良ちゃんは、さっき二階に持ち上げられたり、まだ竜と繋がったままなんじゃない。用はなくなったし、波動とか面倒くさいもの、全部返してしまったら」
新一が呑気に言った。
「それはできない!」
低い声が響いた。
「波動を完全に返す時、それは、我が波動と一体化した宿り主の命の波動も返す時。おまえは彼に命を捨てよと勧めているのか」
「そんな、とんでもごじゃりません」
新一は舌をかみながら、亀のように首をすくめた。皆がクスッと吹き出した。滅多に笑わない蒼の父も苦笑いを浮かべて額を小突いた。
「新一、波動の用はなくなったって言ったけど、乱堂を見かけたのか?」
首をすくめたままの新一に代わって、蒼が答えた。
「彼は死んだわ。崩れた壁の下敷きになって息絶えていた」
「命って、ほんと呆気ない…」
手をさすっていた圭太が、急に凍りついた。目を細めて横手を睨んでいる。
長老たちは、いつの間にか場所を移動していた。今話したばかりの蒼が、高く跳ね上がり、良と大人たちとの間に立った。
新一が目を見開いた。
「ねえ、あれって」
新一の視線の先、壁の残骸の中に乱堂が立っていた。
「おまえは何者じゃ!」
長老が声を張り上げた。
「狼の精霊の宿した者よ。ぬしらは黙っておれ」
そう言った乱堂は五メートル四方もある壁を、発泡スチロールの板のように蹴り飛ばして足を踏み出した。歩く度にその体は膨れていった。筋肉が盛り上がり、着ていた服は縦横に裂けた。顔付きも変わっていった。目は赤くぎらつき、突き出した下顎には、乱杭歯がこぼれんばかりに生え出していた。
「鬼だ」
良はつぶやいた。その言葉に長老たちの同意はいらなかった。乱堂だった者のほつれた髪の中には黄ばんだ角が見え、見る間にも、竜と同等の体格に巨大化していったのである。
「安西君、鬼の霊体は君に取り憑こうとしている。我らが時間を稼ぐ。竜の波動を動かして身にまとうんだ」
蒼の父が振り向きざまに言った。その目は青白い光を帯びていた。そして遠吠えとともに、蒼の父は狼の姿に
「波動を守る者よ。やがて、ぬしらはわしを守ることになる」
鬼はゆっくりと前に歩んだ。
足元の瓦が
「ぐずぐずしないで。鬼の霊体は命を失くした肉体には長く留まれない。あなたに宿って、波動の力をも奪うつもりなのよ」
くぐもった蒼の声が響いた。既に蒼も長老も狼の姿に変化していた。
三匹の狼たちは飛び交いながら、鋭い牙を鬼の節くれた足に突き立てていった。
「邪魔をするな。竜の波動はわしと交わり、より強い力を得る。守り甲斐があるというものだろうが」
太い腕が足元をなぎ払った。三匹の狼は宙に飛ばされた。くるりと体を捻って着地し、再び飛びかかっていく。
「竜よ、僕らを助けて下さい」
良は輝く巨体に願った。
「フーウー、わしの存在は光の核。鬼の霊体はいわば闇の核。無理に戦えば、この世に混沌が訪れる。人の肉体に宿って具現化した鬼と戦えるのは、我が波動の現れ。人の肉体に宿った我が波動が、わしを具現化したもの」
身動きしないまま竜が答えた。
『あの鬼と戦えるのは竜の波動の現れ。それは…波動を宿した僕が、竜を具現化したもの』
実感のない言葉が良の頭のなかを巡った。
「安西君、早く!」
蒼の声が細くなった。遠くに張り飛ばされた小柄な狼が足を折って倒れた。圭太と新一は床にへたり込んでしまっている。
『やるしかないんだ』
良は息を吐きながら目を見開き、竜の巨体を包んでいる輝く波動に意識を注いだ。
『波動よ。そのままに…僕の前に…』
祈りながら目を閉じた。瞼の裏に眩しさを感じるとともに目を開くと、巨大な輪郭をもった波動は目の前に移動していた。竜の巨体は眩しさを失くしている。
『僕を迎えてくれ』
良は波動の中心にある黒い空間に足を踏みだした。途端、真夏の砂浜に体を投げ出したような熱さが全身を覆った。激しい痛みの中で、良は巨大な竜へと変身していった。
『フー、我が分身…』
竜の声が聞こえたような気がした。
良は、白色の竜のネガ写真のような漆黒の竜へと変身していた。体の周囲からは虹色に輝く波動を放出している。
「ふふ、見事だ」
鬼が不気味に笑いながら近づいてきた。
「竜の波動を宿す者よ。おまえは恵みをもたらす陽の力に満ちている。だがその力は、使い方によっては、破壊をもたらす陰の力に転じることもできる。ようく考えよ。恨みと憎しみに満ちた人の世で、陽の力を持つことの孤独と虚しさを。陰の力を用いることの満ちたりた思いを。
さあ、わしと手を結ぼう。わしは、おまえが用いようとする陰の力に大いに手を貸そう」
毛むくじゃらの腕が、親しい友人のように伸びてきた。それと手を結ぶように良の片翼もゆっくりと上がっていく。
恵みの光を核に抱くものであれ、波動の力そのものには善悪の区別はない。引力が働くように、良の体は、同等の強いエネルギーを持つ鬼の体に近づこうとしていた。
『…!』
鬼の後ろに床に倒れている三匹の狼が見えた。良ははっとして翼を畳んだ。
「よくも犬神さんたちを」
胸の奥に熱い物が込み上げてきた。同時に鬼に強くひきつけられる力が体に働いた。
「良ちゃん、怒っちゃだめだ」
新一の喘ぎ声が聞こえた。
「自分を見失ったら、鬼に取り込まれるぞ」
圭太が続いた。
「小僧らは黙っておれ」
前に進んだ鬼は、若者たちを叩き飛ばした。
「怒れ、怒れ!怒れば、楽になれる。わしと一緒になれるぞ」
含んだ声で鬼は言い、良の黒い胸を激しく突いてきた。倒れた床がバリバリと割れて、良は下の階に落ち込んだ。
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