第11話 交通事故

野球部の掛け声がグラウンドから聞こえている。中央玄関の前にある時計塔の針は二時半を指していた。

新学期の初日、部活に入っていない殆どの生徒が帰ってしまった後、良たち三人はたらたらと自転車を漕いで校門を出た。


「ああ腹減った。おまえのせいだぞ。漢字ぐらい見ておけよ」

良は体を縮めてペダルを漕ぐ新一に言った。

「面目ない」

新一はうなだれながら片手で小さく頭をかいた。

「そう言うなって。俺たち仲間じゃないか」

圭太が腕を伸ばして肩を叩いてきた。

「まったく。こんな時に仲間かよ」

良は唸った。不思議な転校生のことは、すっかり頭から抜け落ちていた。


「三人さん、ちょっと待ち」

良たちは学活を終えて教室を出る時、末本先生に呼び止められた。

冬休みの宿題の読書感想文を写し合ったことがバレてしまったのだ。掃除の時間、先生は皆が感想文を提出したかをチェックしていたのだが、そこに奇妙なものが出てきた。

二つの感想文の本の題名の漢字が、同じように間違っていたのだ。

「はてな」と内容を見てみると、まったく一緒。

「では、他に同じ題名の本は…」と探せば、もう一つ出てきた。書かれている内容は二つとほとんど同じ。

先生は太い腕をまわして三人を捕まえると、楽しそうに言った。

「選んだ本も感想も一緒のお友だち。今日は高校生の必修漢字にチャレンジしよう」と。

三人は、わら半紙の裏表を埋め尽くすほどの漢字を書かされた。それでさっき、やっと解放されたところだった。感想文はもう一度、書かされるはめになった。


「新一、前を見ないと危ないぞ」

圭太が言った。

良は、下を向いてハンドルをふらつかせている新一が少し可哀想になった。

『新一の不器用なほどの正直さを見過ごした僕も悪かった…』

気を取り直して声をかけた。

「もういいよ。気にするなって」

「そうくると思った」

新一はにこりと顔を上げ、とぼけたような寄り目にした。

「今日は反省のために、ずっとこの顔にしておくよ」

「余計に危ない。すっ転ぶぞ」

「やめとけ。そんな顔、反省どころか、町の人に迷惑だよ」

三人は笑い声をあげながら大通りに出た。


「じゃ、また明日」

「おう、バイバイ」

交差点で三人が別れてすぐのことだった。

良の耳に、車のタイヤの甲高いスリップ音が突き刺さった。重い衝突音が続く。胸騒ぎがして、ハンドルを切り返して道を戻った。

大通りの交差点から少しはずれた歩道に、白い軽自動車が乗り上げていた。民家のブロック塀にボンネットごと自転車をめり込ませている。

そこから二十メートルほど離れたところに、赤いダウンジャケットを着た人が倒れていた。


『まさかそんな』

横断歩道を渡り、自転車を捨てるようにおいて、その人の前に走り寄った。良の目の前で、頭から血を流して横たわっているのは、さっき別れたばかりの新一だった。

「新一!」

呼びかけたが返事はなかった。

「動かしちゃだめだ。誰か救急車を」

新一に手を伸ばそうとしている良に、自転車で走り込んできた圭太が厳しく言った。集まってきた大人の一人が、ふと気づいたようにスマホを取り出した。

永遠とも思えるほどの時間だった。周りにある物が全て止まって見えた。どこかでサイレンの音が聞こえる。まだずっと遠い。


『もしや、僕の力で助けられるかも』

良は新一の体になるべく近づくように、地面に横になった。傍目からは仲のよい友人が寄り添っているように見えただろう。

『お願いだ、息を吹き返してくれ!』

しかし、新一の目は閉じたままだった。圭太が押さえている頭からの出血は止まっているが、呼吸をしている様子はない。

『こんな時に駄目なのか』


ウォオーーン! 

どこからか犬の遠吠えが聞こえた。

続いて「安西君!」と若い女性の声が響いた。首を回すと、交差点の向こうに犬神蒼が立っていた。

「そっちよ」

蒼が大きく振った腕の先は、あるところを指していた。黒いタイヤ痕がついた縁石のあたり。軽自動車が乗り上げた所だ。

そこに『新一』がいた。

輪郭がかなりぼやけ、ざらついた白黒写真のようだが、間違いなく新一だ。別れた時と同じように寄り目をしている。どんどん透けていっている。

「消えちゃだめだ!」

良は、もう一人の新一の元に駆け寄り、腕をまわした。手は体を突き抜けた。触った感覚はないが、ドライアイスの煙のように冷たさを感じた。新一の魂みたいなものは、確かにここにいる。


「不思議な波動の力、僕のエネルギーを奪う力、なんでもいい。新一を助けて」

必死に祈った。と、自分の周囲に虹色に輝く霧のような物質が広がった。

液体か気体か、つかみ所のないそれは空中に伸び、意思をもったもののように新一の魂をおおっていった。

すぐにも良の膝がガクガクと震えはじめた。体の力がどんどん抜けていく。

光をまとった新一の魂が、体のある方に移動していく。

気がつくと、目の前にいた新一はいなかった。背後から歓声があがった。振り返った先に、元の新一が立っていた。

「よかった。助かったんだ」

救急車が停まるのを見た良は、両手をついて地面にへたりこんだ。


むりやり担架に乗せられて走り去った新一を見送ったあと、良は立ち上がろうとした。しかし、だめだった。体にまったく力が入らない。油断すると、このまま地面に横に崩れてしまいそうだ。

そこに一台の車が走り寄った。

「蒼、波動は、まだその子に?」

運転していた男が窓を開けて聞き、側に寄っていた蒼が頷いた。

男はそのまま車から降りると、力の抜けた良の体を軽々と抱きあげ、後部座席に運び入れた。


『誘拐?いや、男は犬神さんの名前を言った。謎の転校生の仲間。僕はどうなってしまうんだ?』

抵抗しようにも、体には力が入らず声も出なかった。すぐに蒼も横に座った。そっと腕を伸ばし、良の手を握りしめた。

男が運転席についた時だ。助手席側のドアが勢いよく開き、圭太が乗り込んできた。

「おじさん、良をどうかしようったって、そうはさせない!」

「鈴木君、今、安西君は、自分の波動のエネルギーを使い果たしてしまったの。早く助けないと、今度は安西君の命が危ないわ」

顔を上げながら蒼が言った。

「なに…」

その真剣な顔に、圭太は今にも男に殴りかかろうとしていた手を引っ込めた。

「じゃあ、どうするっていうんだ」

「この人は、私のお父さん。これから私の家にいって、エネルギーを元に戻すのよ」

「この子は?」

「クラスメートの鈴木君よ。車にひかれた子もそうだけど。二人ともこの前、山に来ていたの。少しだけど、話も聞いているみたい」

「鈴木君とやら、わしらは君の友人を救おうとしている。これから目にすることを誰にも話さないと約束できるのなら、君も連れていこう」

圭太は、ううっ!と唸りながらも頷いた。

運転席の男、蒼の父は静かにアクセルを踏み込んだ。



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