第14話 育みの気
ストーブの上のヤカンの蓋がカタカタと震えだした。
蒼が立ち上がり、皆の前に茶腕を並べてお茶を入れてくれた。
『まったく、このかわいい
てきぱきと働く蒼を視界のうちに見つめながら良は思った。
「犬神さん、お母さんは?」
お茶をすすりながら新一が聞いた。良も気にはなっていたが、尋ねるのは失礼なことかと黙っていた。圭太がきつい目をして新一を睨んだ。
「鈴木君、気にしないで」
蒼は朗らかに言った。
「お母さんは私が小さい頃に亡くなったの。光の神を妄信する一人の修行者に殺されたのよ。こんな話、しないほうがいいかしら」
良と圭太はうつむいたままだったが、
「ううん、もっと聞きたい」と新一が答えた。圭太がその太腿をぎゅっとつねった。
「犬神さんが、嫌でないんなら」
良は顔をあげ、声を詰まらせながら言った。
「せっかく、いろいろ話したのだから」と蒼は話を続けた。
竜の波動を守る一族は、十年ほど前には、二十人ほどいたそうだ。
山の一角に大きな結界を張り、
修行者は、一族の人が狼の精霊を宿していることを見ぬき、さらに邪悪な波動を守る者と思い込み、攻撃を仕掛けてきた。
人々は狼に
最初に蒼が狙われたが、母がそれを庇って打ち倒された。二人を守ろうとした父も激しく打たれた。
まだ狼に変化する方法を知らなかった蒼は、倒れている二人の横でただ泣くしかなかった。近くにいた長老が、息も絶え絶えに訴えた。
「おまえの信じる光の神には、子どもの泣き声さえ届かないのか」と。
その言葉に「わからぬ」と答えた修行者は急に狂ったように叫び、山の奥深くに駆け込んでいった。それから修行者は姿を現してはいない。
結局、一族のなかで生き残ったのは三人だけだった。
三人は、竜の波動の眠る洞窟近くの家に住み、鍾乳石で作った装飾品を町の雑貨屋におろして生計を立てていた。
蒼は昼間は山の麓の学校にかよい、夜は一族の歴史を途絶えさせないように、様々な知識を長老から教え込まれていた。
重い話だった。
車で一時間も走れば行きつくような山の中で、そんなことがあったなどと…
竜の波動。遥か昔から、一族の人に守られてきたもの。多くの人々が犠牲になった原因。それを守るために、蒼たちは近所に引っ越してきた。
「もしや僕は、君の家を燃やし、君たちの一族の残したものまでも燃やしてしまった…?」
「それは事の流れというものよ」
良の肩に、蒼の一族の歴史がズンと置かれたようだった。
「さて、安西君、君に聞きたいことがあるのじゃが」
老人…竜の波動を守る一族の長老の声が、静まり返った部屋に響いた。
「君は、銀の衣の三郎太と名のる
長老の声に、良は我に返りながら答えた。
「それについては何も」
長老は、蒼の父に顔を向けた。
「ここ数日、わしは[
「たしかに長老のおっしゃるとおり、わしも感じております。ここ数日の異常な冷え込みは、育みの気が減少しているせいかと思っておりました。しかし、そのことと、幻人たちが口にしている禁じられた食べ物との関係については、まだ霞の中にあるとしか申せません」
今まで黙っていた蒼の父が話した。落ち着いたものの言い方だった。いつもぺらぺらしゃべり、時どき、話の要点がわからなくなる良の父とは大違いだった。
「うーむ、昼を過ぎても葉についた霜は消えず、温度は下がるばかり。木々そのものも凍り始めた。川の水さえも一部が凍っている。
一方、天気予報では、昼間は温かくなるといっておる。科学の目では、育みの気は捉えられないということか」
「そう、はずれてばっかりだよ。動物園でも凍え死んでしまった動物が出たってニュースでいっていた」
新一が口を挟んだ。黙っていろとばかりに、圭太がその膝を叩いた。
「[育みの気]って、いったいなんですか」
良の質問に、長老は深呼吸をするかのように大きく腕を広げた。
「それは、我ら一族は感じることができるが、一般にはまだ知られていないものじゃ。未発見の元素とでも言えるじゃろうか。[育みの気]は自然界が必要とする力…自然界の循環を促す物質じゃ。それにより大気は活力を得て、地上に太陽の温かさを伝える。木々や草が、春になって芽吹くのも同じ力によるもの。もしそれがなくなれば、自然は全て凍りついてしまうじゃろう」
「人間もですか」
長老は複雑な表情を浮かべた。
「人間は、純粋に自然のなかで生きているわけではない。ただ、自然界が生み出したものにちがいはない。何かきっかけがあれば、やはり他のものと同じように凍りつくじゃろう」
「長老さん、ほら、良の宿している波動の力があれば、怖いものなんてないんでしょう?」
圭太が明るく聞いた。
「たとえ強大な力をもつ竜の波動でも[育みの気]の力には及ばない。なにしろ、広大な自然界の循環を支えているのじゃからな」
長老は少し顔を歪ませて良を見つめた。その顔には、掴み所のない笑顔も混じっていた。
良の胸に不安がよぎった。
「そんな重大な話を聞かせるなんて。長老さんは僕に何かやらせようと?」
「育みの気がこのまま減ったとして、何が起こるかははっきりとはわからない。
しかし、もしもの時に動けるのは、やはり君じゃ。君は、太陽の光の信仰から生まれた竜の波動を宿している。もちろん、わしらは波動を守るために、精一杯に君を助ける」
力強く話した長老は蒼に振り返った。
「あれを出しなさい」
「はい」
長老の声に頷いた蒼は、胸に掛けていた小袋から透き通った石を取り出した。それは先ほど天井にはめ込まれた水晶だった。
「これは、太陽信仰の祭壇の台座の水晶のかけら。この石を通る光によって竜の波動は力を蓄えた。持っていても損はないものじゃ。渡しておこう」
言いながら長老は、テーブルの上に石を置き、横にあった文鎮を叩きつけた。そして二つに割れた石をもった手は、圭太と新一に伸ばされた。
「えっ、俺たちに!」
圭太が驚いた。新一は差し出された石を嬉しそうに受け取った。
「もし、安西君が行動を起こしたら、君たちの支えが必要になるかもしれない。旅は道連れ。そのお守りというやつじゃ」
長老の言葉に、圭太は唇をかみしめながら石を受け取った。新一は慌てて返そうとしたが、もはや長老の手は引っ込んでいた。
「透明な容器に入れて、首から吊しておきなさい」
二人はしずしずと頷いた。
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