第33話 二匹の巨竜2
「まだ一人残っている」
良は、ダムの管理室への降り口に目を向けた。頭を剃りあげた男が首を伸ばして、こちらの様子を窺っていた。
「天照さん、こちらに来て下さい」
丁寧に呼んだ。
天照への怒りや恨みはなかった。彼はただ乱堂に利用されていただけだ。過去の悲しい出来事は、光の神を信じる
そそと走り寄った天照は、輝く竜の前にひれ伏した。
「
「天照さん、これから光の神の行いをします。この水門から離れた所にいって見守っていて下さい」
少し大袈裟に伝えた良に、天照は肩を震わせながら話した。
「わしは
やつれた男は悲しそうな視線をダムの端、おそらく蒼に注ぎ、コンクリートに額を擦りつけた。
「天照さん、すべて誤解だったんです」
良の声に天照はゆっくりと顔を上げた。そしていきなり懐から小刀を取り出して鞘を抜くと、自分の胸に突き立てた。
それは、良から取り上げた三郎太の新生の刀だった。
「ぁぁ」
良は驚き、また、言葉をなくした。
突き立ったはずの小刀は、跡形もなく、柄ごとに骨ばった胸の奥に消えていったのだ。
「光の神よ。あなた様にお目にかかれたこと、我が生涯の最高の幸せと存じます。そしてお連れの方々へのご無礼、わしが過去にしでかした大罪、命を賭けてお詫びいたします」
喘ぎながら突っ伏した天照は、そのまま死んでしまったかのように動かなくなった。
「修行者よ」
竜が厳かに言葉を発した。
「わしの前にいる修行者よ。おまえは死んではいない。さあ、顔を上げ、この若者の言った通りにするのだ」
声に引かれるように、天照が顔を上げた。
「ああ、御神よ。あなた様は、わしに新しい命をお授け下さったのか」
天照は片手を胸に当てて、再び深くひれ伏すと、はじけるように立ち上がり岸辺に走っていった。
「三郎太さん…」
良はつぶやいた。
地蔵様に供えて、幻人の世界に送り返すはずだった小刀は、こちらの世界の人間に刺さり、体内に消えてしまった。大切な約束は、まったく予想ができない形でふいになってしまった。
だが良は、何故か悲しくはなかった。視界の片隅に『それでよいのです』と頷く三郎太の笑顔を見たような気がした。
『三郎太さん、見ていて下さい。僕はあなたが手伝ってくれたことをやり遂げます』
「ようし!」
良は大きく息を吐きながら、頭を切りかえた。
『竜よ。それではいきます』
『いつでもよろしい』
良は、乱堂の屋敷でしたように、竜の波動を目の前に移動させ、体を重ねて変身した。
翼を羽ばたかせて空に舞い上がると、そのままゆっくりと降りてきて、水門の谷側でホバリングした。巨大な竜の姿での初めての飛翔とホバリングだったが、竜と結ばれた細い波動が、無意識の内にスムーズな羽ばたきを教えてくれていた。
一方、ガラスの塔の上空にまいあがった竜は、獲物を捕らえる大鷲のように足の爪を鉄骨に食い込ませ、力強く翼を打ち下ろしはじめた。
周囲に生えている木々が激しく揺れ、ダムの水が大波を立てて騒ぎはじめた。
ゴズンッ!
地震が突き上げたような短い音が轟いた。ガラスの塔が僅かに浮きあがった
同時に、塔の土台の一つが埋め込まれた水門の端にひびが入り、細い水が吹き上げはじめた。
ズズズズ…
ひび割れを引き裂かんとする数万トンもの水圧に、コンクリートの壁が震えるような悲鳴をあげている。
『もうすぐだ』
良は赤く燃えさかる太陽を心に描いた。
上空から吹き下ろす風が激しさを増すとともに、ガラスの塔が上昇しはじめた。
スローモーションの映像のように、ひび割れが水門に斜めに走っていった。吹き上げる水は激しさを増し、ひび割れにそって広がっていった。
そして突然、爆音とともに、水門は砕けながら前に倒れてきた。ダムが決壊したのだ。
『今だ!』
良は胸の底からゴボゴボと沸き上がってくるものを吐き出した。
マグマである。それも気化する直前の温度のように
稲妻のシャワーのように放出され、急に冷やされたマグマは、灼熱の石つぶてとなって激流を貫いていった。まるで無数の魚が川を登っていくようだ。
谷に落ちようとするダムの水は、その勢いを遙かに超える莫大なエネルギーと出会い、たちまちに白い水蒸気と化した。空には巨大な傘雲ができ、辺りは厚い霧におおわれた。
やがてダムの浅瀬が見えてきた。
目の前には、水底に流れたマグマが、堰を造りながら飴色の泡を立てている。
上空からガラスの塔が降りてきた。数千度のマグマに触れ、蝋細工のようにひしゃげながら溶けていく。
『では、次に参ろう』
ガラスの塔から爪を外した竜がななめ前で羽ばたき、良は『はい』と返事をした。
良は竜とともに息もできないような濃霧の中を、円を描きながら羽ばたきはじめた。徐々に速度を増しながら小さな竜巻を作り、辺り一面の水蒸気を吸収しながら空高く上昇していった。
… … … … …
「ふーう…」
長い吐息をついた時、良はダムの横の広場に竜と並んで立っていた。すでに胸の中の熱さは消えて、人間の姿に戻っていた。
ダムの水の大部分は水蒸気となって空に散っていき、残りは新たにできた堰の向こうに留まっていた。
下流の谷には大量の水が流れ落ちたが、洪水を引き起こすほどではなかった。
静かにそよぐ風に、辺りに薄く残っていた霧が流れていく。
やがて明るい日差しのもと、艶やかに青く光る木々が、ダムの周囲に見えはじめた。激しく焼け焦げて剥き出しになった土には、緑の草が芽吹きはじめた。
下流の山肌は灰色のヴェールを脱ぎ去り、新緑の衣に着替えはじめた。鳥たちのさえずりが、あちこちから聞こえている。
育みの気に満ちた世界に、セコイヤの木が天高く伸びていた。マグマの熱に茶色く変色した地表近くの大枝には、既に若葉の緑が混じっている。
さらさらと味気のなかった空気は、森の香りに溢れていた。
「やったな良。俺なんか、天地がひっくり返ってもできなかったよ」
いつの間にか、圭太が後ろに立っていた。新一と蒼もいる。皆、晴れやかな笑顔を浮かべていた。
良は笑いながら首を振った。
「ああ、やったよ。けど一人でじゃない。僕を支えてくれたみんなとやったんだ」
言いながら、三人と熱い握手を交わした。
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