第34話 明日への飛翔
「いやはや、素晴らしい眺めじゃないか」
のんきな声が聞こえた。
見れば、杉林の陰に男が立っていた。やたらに背が高く、着ている白い着物は子供服のように小さく見える。頭は剃り上げたばかりのように青々としていて、大人だが「お兄さん」と呼べるほどに若々しい。
男は、白く輝く竜を感嘆するように見上げながら近寄り、四人に「やあ!」と陽気に声をかけてきた。
「あなたは誰?」
良は男に聞いた。
元は誰だったか、うすうす気付いていた。蒼もそのようだ。戸惑うように唇を噛んでいる。圭太と新一は気付かない様子で、いぶかしむように見つめている。
光の神を信仰し続けた修行者、天照。
顔付きは似ているが、鼻は高く、背もずいぶん高くなっている。開いた口の中には、以前には目立たなかった長めの犬歯がのぞき、その目は光の加減によって紫がかって見える。しかし、衣の汚れや破れ方は変わってはいない。
「僕が誰かって?さあ、おかしなことさ。僕は自分が誰かを知らないんだ。この格好からすると、仕事はお坊さんか何かかな。君たちは神様の友だちで、目の前に輝くこの竜の姿をした方が、これから僕が信仰する光の神ってことかな。あちゃ、いかん」
男は自分の発した言葉にはっと気付いたかのように、竜の前にひざまずいた。
「おお、畏れ多き光の神よ…と」
まるでセリフを覚えたばかりの役者のように、ぎこちない言葉だった。
四人はいきなり始まった下手な即興劇を前にしたように、ポカーンとして見守っていたが、
「ホーウ、若い男よ」
竜が男の前に、丸太のような脚を一歩踏み出した。
「おまえが信仰するのはわしではない。見よ」
低く話した竜は、翼を広げながら、その巨体から発する輝きを強めていった。輝きは、その体があることさえわからないほどに眩しさに満ちていく。
「どうだ、わしはおまえの信仰する神か」
「いや、眩しくて、なにがなんだか、さっぱりわかりません…」
男は唇を尖らせて答えた。酸っぱい物でも食べたように顔はシワシワになっている。
「このお兄さん、変だぞ。お坊さんにしては軽すぎる」
圭太が気兼ねすることもなくいった。
「ふっ」
小さな笑い声が漏れた。顔を綻ばせた蒼が良の目を見て小さく頷いた。
「彼は生まれ変わったのね。三郎太さんと共に…」
過去のわだかまりを、今に溶かして消化しようとしている蒼に、良はそっと頷きを返した。
ググッフ…
竜が咳ばらいをするような音を立てた。眩しい輝きは徐々に弱まっていった。
「わしは神というものではない。わしの本質は光の核。それは大地と命の豊かさを願う人々の心が生み出したもの。光の主を神として信仰するならば、それを生み出そうとする力を信仰せよ。それはおまえ自身も含め、人々の心の内に既に『光』として存在する」
「はぁ、僕らの心の内に既にある光を信仰する…?何か、身近すぎてありがたみがないような…でも全然気づいていない凄いものような…。はい神様、いや、竜様。お言葉をしっかり承りました」
手を合わせた男は顔を上げた。
「それでは竜様、事のついでにお聞きします。僕は自分の名前を忘れてしまったようなのです。かといって思い出す気にはならないし。どうしたらよいでしょう」
「名は大切なもの、思い出さねばならない。ならば、おまえを知るこの若者に尋ねてみよ」
竜は良に顔を向けた。
「えっ」
急に振られ、良は言葉に詰まった。
「知り合いか?」
圭太と新一がぐるりと目玉を回した。
「安西君が新しい名前を付けるのよ」
蒼がささやいた。
「なんだ。人が悪いな坊やは。知っているなら、誰かなんて聞かないでおくれよ」
若い男は眉を上げた。
「あなたの名前は、天照…
良はつい思い付いた名前を言ってしまった。ただ二人の名前をくっつけただけだ。蒼がブッと吹き出した。
「天照って、あのほら」
「それに三郎太って」
圭太と新一が目玉を白黒させるなか、男は立ち上がった。
「その様子からすると、君たちも知っていたな。まあいいや。古臭いけど、天照三郎太、素敵な名前じゃないか」
笑いながら跳ね回り、四人に次々とキスをしてきた。
「良ちゃん、どうにかして」
最後に抱き締められている新一が叫んだ
「彼は、いや彼らは、生まれ変わって嬉しくてたまらないんだ」
良は、諦めろとばかりに小さく手を振った。
「安西君、ちゃんと考えたの?」
「二人とも名字がなくて変な名前だったけど、これでぴたっときたよ。でもキスしまくる修行者なんて聞いたこともない」
蒼のつっこみを圭太がフォローしてくれた。
新一から離れた天照三郎太は、小躍りしながら竜の前に戻った。
「竜様、これから僕はどうしましょう」
「それはおまえが決めることだ。わからないなら、その若者たちと一緒に歩んでみてはどうだ」
天照三郎太は四人に振り返った。
「そうだってさ。で、君たち、どうするんだい?」
「どうするっていったって…」
良たちは視線を交わしあった。こちらの世界で起こった問題は解決された。とりあえずは、家に帰ることぐらいしか思いつかなかった。
「僕らはいいけど、竜はどうするのかな?」
新一がキスされた頬を、ゴシゴシとこすりながら首を傾げた。
良は輝く巨体に 問いかけの目を向けた。
「わしの果たす役割はもはやないらしい。そして波動を宿した者の命は消えそうにない」
牙の生えた口が、笑うように弓形に反った。
「ならば元の石像に戻るのみ。我が波動を宿した者よ、この体を元の場所に戻されよ。わしは岩々を身にまとって再び眠りにつく。わしと結ばれた波動はそこで切れて、おまえに返る」
「では、僕はあなたの波動を宿し続けなければならないのですね」
良は唇を結んだ。
嬉しいような悲しいような複雑な気持ちだった。
『竜の波動を宿し続ければ、また大事件に巻き込まれるかもしれない。もしかしたら鬼が襲ってくるかもしれない。それにいつの間にか、波動の力を使ってしまう。付き合い方はわかってきたけど、それを持ち続けるのは肩の荷が重すぎる』
「良、なに考えてるんだよ」
圭太が朗らかに言った。
「俺たちがいるじゃないか。あんまり役に立たないけど、とことん付き合うぜ。なあ」
肩を小突かれた新一が「怖いことは勘弁だけど」と言いながら、にんまり頷いた。
「私もいるわ」と蒼。頬を赤くして「波動を守る者だし」と付け足した。
胸に生じた詰まりを溶かしてくれるような友人たちの言葉だった。
「そうだったね」
良は微笑んだ。
『これまでのことは一人でやったんじゃない。仲間と一緒にやったんだ。これからだってそうだ。重い荷物でも、一緒に持ってくれる仲間がいれば軽くなる』
「みんな、家に帰ろう!」
背筋を伸ばして声を大きく言った。
「おう!」
三人が力強く答えた。
「じゃあ、僕も家に帰るってことだね。はて、僕の家は何処だったかな」
輪に入っていなかった天照三郎太が途方に暮れた。
「よかったら
蒼が救いの手を差し伸べた。
「さあ、波動の宿り主よ、そして仲間たちよ」
竜が首を低く下げた。
良たちは滑らかな白い背に跨った。天照三郎太も当然のように続いた。
「では、出発いたそう」
翼が振り下ろされ、五人を乗せた竜は空に舞い上がった。まばゆい陽の光が注ぐなか、緑色に染め上がっていく四国の大地が見えた。
… … …
「家に帰る。そして…」
頬に風を受けながら、良はつぶやいた。
『幻人たちは、まだ青い空を見ていない。こちらの世界の事件は解決されたけど、根っこの所では問題は解決されてはいない。人々は、凍りつき事件が過ぎた後でも、命の大切さや自然の恵みのありがたさを覚えているだろうか。疑ってはいけないが、かなり怪しい。今回の事件の真相を知っているのは、僕ら四人の高校生と大人二人のたった六人だけ。それで何ができる?』
「違う!」
『たったじゃなくて、とびきり素敵な人たちが五人もいる。僕も入れて六人で、ちっぽけなことからでも何かができるに違いない』
「うへー、すんごいな」
後ろから声が響いた。激しい気流に当たらないように振り返ると、天照三郎太が竜の背からずり落ちそうなくらい身を乗り出して、下の景色を眺めていた。吹き飛ばれそうな風を浴びているはずなのに、無邪気に笑っている。
良は目を細めながら頷いた。
『六人じゃない、七人だ。三郎太さんの魂がこの世界で生まれ変わったのは、大切な意味があったからに違いない。天照の一途さを残しているならなおさらだ。この人は、二つの世界を豊かにする大切な役割を果たしてくれる!』
『ホーイ、わしは仲間の数には入らんのだろうか』
心に言葉が響いた。
『必要があらば、またこの体に波動を伸ばせ』
白い竜が眩しく輝きはじめた。それは今、良の心の中に見えた、未来へと広がる光そのものだった。
「この体、すぐに眠らせるのは惜しい。古き人々が望んだ光の現れを、今に生きる人々にもしばし見せようぞ。波動の宿り主よ、よろしいか」
「もちろん!」
良の言葉に、竜はひときわ大きく羽ばたき、さらに高く舞い上がっていった。
「忘れてた。俺たち、もう高二だ」「もしかしたら留年しちゃったかも」
遥か上空で、引きつった声が漏れた。
了
竜の波動の宿りし者〜「君よ 羽ばたけ、輝く竜と共に」 @tnozu
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