第32話 二匹の巨竜1

バサッ… 

    バサッ… 

         バサッ…


朝の光を後ろに竜は羽ばたいていた。

すでに太陽は地平線を離れ、空の色はライトブルーに変わっていた。下方には緑あふれる淡路島が広がり、その中央を広い道が突き抜けていた。


「神戸・淡路・鳴門・自動車道」

良はうろ覚えだった名まえをつぶやいた。

大阪方面への学校行事や家族旅行の時に通ったことがある。本来なら、朝方でもバスやトラックが行き交っているはずだが、今は片付け忘れた玩具おもちゃの道路のように物寂しかった。

育みの気の密度の違いからか、竜の頭越しに見える前方の景色はぼんやりと揺らめいていた。やがて、島の端の道を閉鎖する自衛隊の車列が見えてきた。


「お疲れさま。ウイルスは見つかったのかな」

後ろから圭太の声が聞こえた。

良は「こらこら」と笑いながら振り返ろうとしたが、風がびょうびょうと頬を殴りつけ、慌てて前に向き直った。激しい気流は、竜の尖った頭部にぶつかり、斜め側面に切り分けられているようだった。


淡路島と四国を結ぶ大鳴門橋を越えたあたりから、風がサラサラと薄くなった。海岸線は白く凍りついている。

目の前には、灰色の巨島が横たわっている。五月の太陽が光を注いでいるのに、四国の大地は冬の景色のままだった。

四国の一級河川の一つ、吉野川の両岸には住宅地や商業地が開けていたが、外を歩いている人は見えず、時に車がぽつぽつと走っているだけ…まるでゴーストタウンのようだった。途中、四人の家がある町がちらりと見えた。


『父さんたちは、元気なのだろうか。僕のこと、どう思っているのだろう?』

良は思った。本音の所、静かに凍りついていてほしかった。

『安らぎのないままに、数ヶ月も過ごすなんて辛すぎる…』

後ろに座る圭太と新一も、同じことを考えているような気がした。


前方に何かが飛んでくるのが見えた。見る間にも接近し、こちらを避けるようにぐらりと傾いて、横を掠めて飛んでいった。二枚のローターのついた深緑色の大型ヘリコプターだった。おそらくは自衛隊のヘリコプター…、早朝の時間帯だが、本州と分断されている四国に、生活に必要な物資を運んでいるのだろう。


それにしても、今、防衛省本部や内閣、いや、世界中で大騒ぎになっているに違いない。

『なにせ、日本の上空に竜が出現したのだから』

良は我知らず微笑んだ。


竜は四国の上空を一直線に飛んでいった。雪を冠した峰を次々と越えていく。

「目指すガラスの塔は、四国山地の中央です。その場所を知っていますか」

『わしの波動を育てた水晶のかけらの光。おまえが心に描いた塔の下に見つけた。それがわしを導いている』

良の問いかけに、竜が心の声で答えた。


山々のひだのうち、桟橋のような遊歩道をおいた頂き、おそらく西日本で二番目に高い山、剣山つるぎさんだろう。それを過ぎて間もなく、深く切れ込んだ谷の向こうに巨大なダムが見えてきた。吉野川の水のコントローラー、早明浦さめうらダムだ。さらにその少し先に一回り小さいダムがあり、その岸辺には、水門にはみ出すようにガラスの塔がたっていた。

それはもう十年以上も前の夏、早明浦ダムの水が干上がってから、その予備タンクとして作られた井野川ダムだった。 

竜は煌めく塔の上空を旋回しはじめた。


『あれは!?』

良は目を見張った。

竜が羽ばたいた空の道に、飛行機雲のような白い筋が残っていた。その下の灰色の大地は、瑞々しい緑色に変わっていた。

『竜の羽ばたきは、育みの気と同じ力を放出しているんだ』

『だがそれは、わしが羽ばたいた狭い範囲で生じる一時的な現象。自然は広大に拡がっていくエネルギーを必要とする』

良の心に竜が答えた。

『では下に降りよう』

竜は小刻みに羽ばたきながら、ダムの水門の上に降り立った。


ダム湖の水面は、さざ波を立てて煌めいていた。竜が上空を旋回したことで、厚く張っていた氷が溶けたのだ。緑の芽を伸ばしはじめた周囲の木々が、水面に映って揺らめいている。

氷解の薬を求めてだろう、ダムの横に一台の車が走り込んできた。運転手はこちらをのぞくなり、タイヤを軋ませてバックしていった。四人は竜の背を降りた。


「ひゃー最高だった。なあ」

圭太がこわばった腕を大きく振った。新一は小さな目をぱちくりさせている。

「安西君、これからどうするの?」

蒼が、何事もなかったかのように冷静に聞いた。

「その問題をこれから解くんだ」

良はガラスにおおわれたセコイヤの巨木を見つめ、竜に向き直った。

「育みの気という物質は、あの木に吸い上げられ、大気中に放出されています。あなたなら木を傷つけずにガラスを取り去ることができますか」

「フーそれはできない。わしの鉤爪でガラスを引き裂けば、落ちた破片はナタのごとく枝を断つだろう。炎やマグマを吐けば全てが灰になる」

竜は低く唸った。

「人々の祈りの現れのくせに、大したことないじゃん」

圭太がそっぽを向いて言った。蒼が青い顔をして、ひょろ長い足を蹴り上げた。


「あんなの引っこ抜いてしまえば。鉄骨の組み合わせを見るとかなり頑丈そうだし、ズボッていけそうだよ」

新一が軽く言った。圭太が論外だとばかりに唇を鳴らした。

「いや、意外といいアイデアかも。どうです?」

良は竜に聞いた。

「確かにあの大樹には大きな損傷は及ばないだろう。だが、塔の土台を見よ。鉄の柱の一つはダムの水門に埋め込まれている」

なるほどその通りだった。

ガラスの塔を引き抜けば、水門に大きなダメージを与えることになる。なみなみと湛えられた水の圧力はダムを破壊し、下流に洪水を引き起こしてしまう。育みの気が放出されているのだから、その水が凍ることはない。

ここからしばらく離れ、ダムの水が凍りつくのを待ってから仕事を始めたとしても、竜が羽ばたけば、また溶けてしまう。


「ここまで来て、なにもできないのかよ」

圭太が怒りの声をあげた。

「怒ってもだめだ。冷静に考えないと」

良の声に圭太は口を結んで睨み返した。


「そう、怒ってはだめだ。怒りは破壊をもたらす。でも、ちょっと待てよ」

良は閃いた。

「できそうな気がする。非常に危険だけど」

思ったことを、細く伸びた波動を通じて竜に伝えた。

「ガハー、それは面白い。小さな体で大それたことを思いつく」

竜は牙を剥き出して笑った。ダムの谷間に雷のような轟きが響いた。

「なにを話しているんだよ。俺たちにも教えろ」

圭太がじれったそうに足を踏み鳴らした。

「みんな、危険がないように水門から離れた所に避難してくれ。車で乗りつける人にも、ダムに近寄らないように伝えてくれ」

良の真剣な顔に圭太は引き下がった。蒼は黙っていた。

「良ちゃんは、大丈夫なんだよね」

「ああ、もちろんさ」

良の答えに、新一はくるりと向こうをむいた。

「僕は、良ちゃんを信じるよ」

言いながらダムの端によたよたと駆けだした。圭太と蒼も、良の肩にそっと手を置いてから新一の後を追った。


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