第20話 海胡桃のおばば1



どのぐらい羽ばたいていたのだろう、空の鉛色は赤錆色あかさびいろに変わろうとしていた。

眠ったのか気を失ったのか、良の腕の中の二人の体からは、すっかり力が抜けていた。

先ほどから背中がきりきりと痛み、腕は燃えるように熱くなっていた。特殊な体にも力の限界はあるのだ。


やがて空の明るさは消え、夜が訪れた。小島の幾つかが薄青く光ってはまた消えた。

黒い海には赤い炎が点々と浮かび、人影が動いている。幻人は火をともして漁をしていた。


『あの島なら大丈夫』

良は、幻人の舟が近くには浮かんでいない小島の浜辺に降りたった。


「ふわー」

砂の上に寝かせていた新一があくびのような声を出してごそついた。隣の圭太がビクリと跳ね起きた。

「やっぱり、夢じゃなかったんだ」

「えっ、夢でないの」

新一も寝ぼけ眼を開いた。

そのまま二人とも沈黙した。海に揺れる炎をじっと目を凝らして見つめている。

おしゃべりで、いつも動き回っている友人たちの沈黙…。なんと声かけしたらよいものか…良の気持ちは沈んでいった。

『危険があることは覚悟していた。でも、少なくとも幻人まぼろしびとたちには快く受け入れられるだろうと思っていた。まさかモリを投げつけられるなんて。それに探していた人はいなかった。ああ、犬神さんは大丈夫なのだろうか』


「なあ、もしかしたら、僕について来たことを後悔しているんじゃないか?」

良は二人に問いかけた。

しばらく返事はなかったが、新一がぼそりと聞き返した。

「良ちゃん、今のって質問?」

「俺は質問なんて聞いていないぞ。良が自分に聞くってこともありえない」

圭太が続いた。

「俺たちは、良が何かできそうだっていったから、面白そうだと思ってついてきただけだ。きっと、できそうなことで頭が一杯で、変なものが口から漏れてしまったんだろう」

二人の言葉はきつくて温かかった。


『僕は、後悔という言葉を二人に押し付けようとしていた。犬神さんは大丈夫だ。なんといっても、狼の精霊の力を持っているのだから。僕らの世界にうまく戻れたかもしれないし…』


良は襲いかかる不安を押さえて明るく答えた。

「そうさ、やれることはある。今は、ちょっと翼を休めていただけ。二人が重すぎてね」

「あーお腹減った。今日は昼も夜もご飯ぬきだよ。幻人、あの捕まえていた魚をくれないかな」

新一が辛そうに話した。

「ちょっと待てよ。あれはな…」

良は、黒い魚の正体を二人に説明した。


「うげー新一、それでも魚を食べたいなんて思うか?もし、それが末本先生のものだったらどうする?」

「それは勘弁だよ。いや、意外に美味しいかも」

カラカラと笑う二人につられて良も吹き出した。が、急に息が詰まった。暗闇にぽつりと炎が浮かんでいたのだ。

「どうしたの良ちゃん?」

「誰かいる」

良のこわばった声に、新一も圭太も体を硬くした。

炎はゆっくりと近づいてきて、三人の目の前で止まった。


「ひいー、や、山姥やまんば―」

新一が引きつった声を出した。

無理もなかった。髪をざんざんと伸ばし、紫色の目を光らせた恐ろしげな老婆の顔が、手にした蝋燭の炎に照らされて宙に浮かんで見えたのだ。

「迷いわらべたちや、そんなところにおらんと、こっちゃ、おいで」

老婆は掠れ声で話し、骨ばった指をコリコリと曲げて招いた。


良は身震いした。

老婆は、昔話の挿し絵とそっくりだった。森の中で迷った人を優しく誘っては、むしゃむしゃと食べる山姥やまんば

「だ、や、山姥、こら、ろれたちを食べようったって、そ、そうはいかんぞ」

圭太が舌をかみながら言った。

「この婆が迷い童を食べるとな。ヒャッヒャッ、時間はいくらでもあるでの、来たくなったら、おいでませえ」

老婆はそのまま踵を返し、木々の間の暗闇に戻っていった。奥の方にちんまりとたつ小屋がほのかに見えた。

三人は拍子抜けした。老婆がもっとしつこく誘い、それに応じなかったら、本性を現して襲いかかってくると思っていたのだ。


「誰だよ。山姥だ、なんて言ったのは!」

急に怒ったように圭太がどなった。

「良ちゃんが、変な声で脅かすからだよ」

「なんだよ、人のせいにするなよ」

良はコツリと新一の頭を小突いた。新一は大袈裟なぐらいに痛がった。ハッと気づいた。

『僕は今、二人を抱きかかえて飛べるほどの怪力を持っているんだった…』。

「ごめん、力加減をまちがえた」

「誤るのなら、さっきのお婆さんに食べ物をもらってきてよ」

新一が弱みにつけこんでおねだりした。良はもう一度、今度は指で軽く小突いてやった。

「いででで!」

新一は、さらに大袈裟に痛がった。

「二人とも遊んでいないで考えろよ。あのお婆さんが敵か、味方か」

圭太が冷静に言った。

良は『言い合いの口火を切ったくせに』と言いたいのを我慢して、「そうだな」と頷いた。


「考えてみれば、山姥なんて、すごく失礼なことを言ってしまったよ。良の見かけを悪くとることもないし、普通に考えれば、親切そうなお婆ちゃんだよな」

圭太が言い、

「うん、確かに。それに言うなら、山姥でなくて、なんて言うんだろう。島んばか、海んばかな」

妙なところに首を傾げながら新一も同意した。

「ここは疑念を捨てて、素直になろう」

立ち上がった良に二人も続いた。


足元に気をつけながら歩き、すぐに老婆の小屋に行きついた。大きさはキャンプの大型テントぐらいで、六、七人が入るのがやっとぐらいだ。葦簀よしずの下がった入口の前には蝋燭が燃えていた。肉の腐ったような臭いが漂っている。

小屋の周囲には、太い木がぞろぞろと生えていて、ゴルフボール大の丸い物が、あちこちに転がっていた。手に取ってみると、シワシワした皮の中に、硬い種のような実が入っていた。臭いの正体はこれだった。

「これ、銀杏ぎんなんかな?」

「どれどれ」

良の声に圭太も手に取ったが、「くっさー」と投げ捨てた。


他にとりたてて奇妙な物はなかった。もし、人肉を食べる山姥ならば、高く積まれた骨の山や、それを埋める怪しげな穴があるはずである。

『こら!まだ疑がっている』

良は一人、苦笑いした。


小屋の横板は隙間だらけだった。中をのぞいても暗闇の他は何も見えない。ただ、スースーという息づかいが聞こえるだけだ。

「お婆さん、寝ているよ。さっき、おいでって言ったばかりなのに」

圭太がぼやいた。

三人はそのまま、その場に寝ころんだ。これから、どこに行ったらよいかわからなかったし、とりあえず老婆が起きるのを待つことにしたのだ。ひょっとしたら銀の衣の三郎太のことを知っているかもしれない。

最初に到着した島と同じく、地面には厚い苔が生えていた。柔らかな感触は毛布のように、優しく三人の体を迎えてくれた。


「なあ、俺たちの家族、どうしてるかな」

圭太がぼそりと言った。

『いつもは家族なんていらないといっているくせに』

良は小さく微笑んだ。


…圭太は八人家族。弟が二人いて、曾祖父までいる。農業をしているので家族はいつも近くにいる。皆がおしゃべりらしく、夕食の時はうるさくて、TVなど観られたものではないらしい。おまけにチャンネル争いも激しい。「また、あのバラエティが観られなかった」と、いつも文句を言っている。


「今、時間は夜中かな、母さんが起きてたら、夜食のお裾分けがもらえるよ。あっ、お祖母ちゃんに新作ソフトを買っといてっていうのを忘れてた」

新一が舌打ちした。甘えん坊の新一。父親は出張ばかりしていて、ほとんど家にいない。母親も仕事をしていて、帰ってくるのは夜。兄弟はいない。新一の面倒をみているのは祖母で、母親が帰宅すると、同じ敷地にある離れに帰っていく。

「家がいいよ。のんびりしほうだい」いつも、新一は言っている…


「みんなカンカンさ。よりによって、こんな大事件の時に、僕らがいないんだもの」

良は頭から角を生やす仕草をした。

父と母が眠りもせずにおろおろしている姿が目に見えるようだった。その横では、満が声も出さずにゲームをしている。

『皆、僕の帰りを待っている』

考えると辛くなってきた。

「待てよ。長老さんが、うまく嘘の連絡をしてるかもしれない」

良は付け足した。

「えっ、どんな?」圭太が聞き返した

「うん、例えば…」

答えに詰まった。うまい嘘はなかなか思いつかなかった。

「僕らはさ、旅に出たんだよ」

新一がフォローしてくれた。

「偉大な旅だよ。僕らは凍りついた世界を救うために、遥か地の底に住む賢者に会いに行ったんだ。もちろん道中では、戦いがあったり仲間とはぐれたりもするけど、最後は賢者から太陽のつえを授かって、皆でいっしょに地上に帰るんだ」

「まるでゲームじゃん。けど、それ、すごくいいや」 

圭太が満足そうに息を漏らした。

「親たちが信じてくれるように、うまく脚色しなくちゃな」

「きっと大人は信じないよ。でも、僕は信じる!」

良のつぶやきに、新一がつけ加えた。

三人はそれから黙り込んだ。


『自分を信じる!』

新一の言葉は、良の胸を強く叩いた。

心に光を放つ灯台が浮かんだようだった。進むべき道は必ずある。


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