第22話 四角入り江島
良は空の高みを羽ばたき続けた。下方には赤い炎が点々と浮かんでいる。
『長老さんたちの波動がモリに刺されないように…』と、後を追っているはずの二匹の黒い魚が、漁をしている幻人たちの小舟に近寄らないようにジグザグに飛んだ。その度に腕の中の二人は大きく揺さぶられ、「ワーオゥ」「ホーヒャーー」と歓声とも悲鳴ともつかない声を漏らした。
やがて前方に、海上を突き進む一つの炎が見えた。櫓で漕いでいるわりにはかなり速い。その上空を飛んだ時、力強い吠え声が響いた。蒼を乗せた小舟だった。
「犬神さん、俺たちに気づいたんだ」
圭太が喜びの声をあげた。
小舟はまっすぐ前に進んでいる。そのずっと先には高く
「四角入り江島!」
良は一際大きく羽ばたいた。
炎の熱気が立ち登る入り江を斜めに過ぎ、良は山の中腹の林の中に降り立った。
黒い木々を透かして、入り江の一部が見えている。数十隻もの舟が桟橋に並び、幾つもの人影が舟の中で動いていた。重い物を打ちつける鈍い音が響いてくる。
「あれって舟の手入れをしてるんだよね。夜なのに、幻人って働き者だね」
感心したように言う新一の横で、良は首を回した。
「でと、すぐにでもお坊さんの寺を探さなくては。犬神さんが到着する前に、僕らへの誤解を解いてもらわないと」
「そこに銀の衣の三郎太という人がいるんだな」
「おそらく…たぶんな」
圭太が「はっきり言え」とばかりに良の頭を小突いたが、あまりの石頭にヒィと息を吸った。
林を少し下り、土の剥き出した小道に出た。
コの字の入り江が一望でき、篝火の赤みが、それぞれの顔に映っている。こちらから見えるということは、入り江からもこちらが見えるということ。三人は道端の木々に隠れるようにして坂を下りていった。
と、すぐ先で小さな炎が揺れた。
一人の幻人が蝋燭を片手に坂を登ってきていた。取ってのついた銀色の深鍋をぶら下げている。
三人は慌てて横に折れた。目の前には、茅葺きの小屋がたっている。壁の横にそっと並んだ。
炎は追いかけるように曲がってきた。良たちは押し合いながら小屋の裏側に回った。
板壁の隙間から、室内がのぞけていた。
蝋燭を持った幻人の男は、板間に上がってきた。厚く敷いた藁の上にそっと座ると、そこに寝ていた人がムクリと起き上がった。大きな乳房を持った女だった。生まれたばかりのような赤ん坊を胸に抱いている。
「ほうれ、採りたてで活きがいいぞ」
男はそう言って深鍋から魚を掴み出すと、女の口の中にツルリと落とした。魚を飲み込んだ女はにこりと微笑み、男は赤ん坊の頭をそっと撫でた。そのまま二人は横になった。
黒い魚を食べていることを気にしなければ、まったく幸せそうな家族の風景だった。
「これは素敵な悪夢だよ」
圭太が息を漏らした。新一は頭を振りながら後ずさったが、その足元で小枝が折れた。
男ががばりと跳ね起きた。
「今の音はなんじゃ!」
太い声を出し、あちこちに目を配っている。
「裏の方から聞こえたわ」
危険なものから守るように赤ん坊を抱きしめた女が、こちらを睨みつけた。
「さては山の獣か…見てくる」
男が立ち上がった。
三人は思わず顔を見合わせた。良はいつでも飛び立てるように二人に腕をまわした。
「こいつで追っ払ってやるわな」と、男が太い棍棒を手にしたその時、入り江からヴォーーンという低い音が響いてきた。
「何事だ、知らせ貝を吹き鳴らすなど…。ただごとではないぞ。おまえも一緒にこい」
幻人の夫婦はそのまま小屋を出ていった。
「ふう、危ないところだった」
良は胸騒ぎを覚えながらも、ほっと息を漏らして掴んでいた二人の腕を放した。
三人はそうっと軒先を回った。どこから出てきたのやら、幻人たちがぞくぞくと小道を駆け下りていった。なかには幼い子どもの姿もあった。
入り江を見下ろすと、その先の海にぐいぐいと近づく炎があった。
小舟だった。舳先につるした松明の炎をいっそう大きく燃やして、まっしぐらに進んでくる。それを迎える桟橋の周囲に新しい篝火が次々と燃え立った。
入り江は、あたかも山火事のまっただ中のように赤く染めあがった。
「犬神さんを乗せた舟がやってくる。この様子では、銀の衣の三郎太を探している余裕はない。行こう!」
三人は土の坂を下りていった。
… … …
港には息苦しいほどの熱気が渦巻いていた。赤い炎に照らされて、千人を超える幻人たちがうごめいている。その中心で、首に縄を巻かれた狼の姿の蒼がずいずいと引きずられていた。
良たちは人気のなくなった桟橋の陰に回り込み、身を伏せて様子を窺った。
「こやつは邪悪な者の使いだ。獣の姿をしているが言葉をしゃべった」
縄を握りしめた男が野太くどなった。
周囲に寄った幻人たちが、長い棒でしなやかな背中を叩いた。その度に蒼は牙を剥き出して唸った。
…この魔物め…
…我らの空を返せ…
…豊かな漁を返せ…
…祓え。燃やして、この世から消し去ってしまえ…
どなり声と痛々しい唸り声、篝火の燃えるパリパリという音が無数に重なって、三人の耳の奥をえぐった。
『くるしい…』
感情の高ぶりを抑えている良の胸の内側で、いつしか、破裂しそうな脈打ちがはじまっていた。
やがて、蒼は入り江の中央に引き出された。首に回された縄は太い木の杭に
「丸太を運べ、囲い木を組むんだ!」
舟作りの材料か、入り江の中央に高く積まれていた丸太が次々と運ばれ、蒼の周囲に縦に横にと組まれていった。
「犬神さん、焼き殺されちゃうよ」
新一が泣きべそをかきながらいった。
「火をつけようとする直前に幻人たちは犬神さんから離れる。その時がチャンスだ。今なら幻人はモリを持っていない」
良は言った。
「突撃して囲い木を壊して、犬神さんを救出するんだな。脱出する時には、新一と犬神さんを抱いて羽ばたいてくれ、俺は足にしがみつく。三人分の重さになるけど、いけるか?」
圭太の問いに、良は力強く頷いた。
「もうすぐだ。準備してよ」
良は、震える新一と、体に力を込めた圭太に腕を回した。二人の手には、桟橋に転がっていた石を結わえた棒が握られている。
ついに、蒼の姿が丸太の間に見えなくなった。幻人たちは周囲に下がって輪になって座った。祈るように手を合わせている。そのうちの一人が立ち上がった。炎を吹きあげる長い棒が、その前に用意されている。
「いくぞ!!」
嵐のような風を巻き上げて、良は一気に入り江の中央へと舞い上がった。
突如、空中に現れた黒い影だったが、一斉に見上げた幻人たちが驚くことはなかった。海胡桃のお婆も持っていた小刀を懐から取り出して、その切っ先を空に向けた。
「邪悪な者が現れた!仲間を奪い返しにやってきた」
「祓いの儀式で、一緒に燃やしてしまえ!」
幻人たちは口々に叫んで立ち上がった。小刀の切っ先を上に向けて、良が降りるのを待ち構えた。
「祓え…」
「祓え…」
炎を吹き上げる棒の前に、先ほど立ち上がった幻人の男が足を進めた。
「やめろ!!」
良は叫んだ。男の後ろの女が、銀色の羽織を差し出そうとしているのがちらりと見えたようだった。だが、もはや何も考えられなかった。良は、胸の内から喉を駆け昇った灼熱の炎を吐き出した。
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