記B7.薬草師タタミン・イグサーノ
○
タタミンと出逢ったのは幼少期、まだ七歳の頃だった。
冒険者ギルドの地下酒場で家業の手伝いに勤しんでいたサヴァは、あまり同年代の子供との付き合いを好まなかった。昼間は学校に通い、夕方からは酒場やギルド業の手伝いをする。学校での友達がいないわけではなかったけれども、それは昼間の付き合いだけで十分だった。
冒険者の就業年齢は早い。十歳から活動をはじめる新人がいても少々驚かれる程度だ。グリズリアでは十五歳になれば成人とみなされるので十歳というのは見習いとして活動する基準となる。雑用や荷物運び、小間使いといった形で直接に生死を賭けた戦いを経験することは少なく、労働と教育を兼ねた徒弟制度のようなものとみなされている。
七歳の頃のサヴァにはそうした十代前半のちょっと上のお兄さんお姉さんが遊び相手になってくれたので退屈はしなかった。憧れに値する大人の冒険者たちにもよく可愛がられて育ったので、とにかく目上の人間と接する機会が多かった。
当時五歳のタタミンは唯一無二といっていいほどサヴァには稀有な、年下の遊び相手だった。
タタミンは高名な薬草師カルヲ・イグサーノの弟子として英才教育を受けていた。ふたりは親子ではない。【敵対種】の奴隷市場で買われてきたタタミンは、森の精霊ドリアードと人間との子孫という希少な“血統書つき”の四半精霊種として、先代のイグサーノは自慢していた。
幼少期のタタミンは寡黙でいつも他人を怖がっていた。師匠であり購入者である薬草師カルヲは丁重にタタミンを扱うが、同時にその希少価値ゆえに常に目の届くところに置きたがり、人さらい等を警戒して無闇な外出や交流を禁じていた。
タタミンが自由に接してよいと許されていたのは与えられた植物や動物、それに“心配せずともよい”相手に限られて、冒険者ギルドに赴いた際、その役割をサヴァが担うことになる。
「サヴァおねえさん、どうか、タタミンをよろしくおねがい、します」
あらかじめ命じられた挨拶を、失敗せぬよう緊張しながらこなす。
サヴァは子供心に、この幼い少女がいかに窮屈な暮らしをしてきたのかを悟っていた。
タタミンは可憐なる花の蕾として育てられている。美しく咲く日を待ち望まれて、愛情を込めて育てられている。それ以外の未来は一切、許されていなかった。
幼き日のサヴァがタタミンにできたことは、凡庸に、彼女に与えられたお友達としての役割をこなすこと。鍵の掛かった子供部屋の中、悪友とみなされぬよう大人しく、学校で習ってきた読み書きをいっしょに練習したりする。お互い、なんとつまらなそうに時間を過ごしていたことだろう。
ともすれば、まだ植物や動物と触れ合っている時の方がタタミンは楽しかったかもしれない。
お仕着せのお友達であるサヴァは、タタミンにとってきっと心を許せる相手ではなかった。お互い、相手のことを与えられた仕事や課題だとみなしてよそよそしかった。
一年が過ぎた頃、小さな転機があった。
サヴァの憧れる冒険者、栗鼠族の戦士ウーニィが酔った勢いでギルド内をうろつきまわった末、子供部屋の鍵を壊して転がり込んできたのだ。ダメな大人というか破天荒というか、林檎酒の瓶を片手に握ったまま上機嫌に笑い、鬱陶しくサヴァに絡んでくるものだから勉強どころではない。
「あ、あわわわわ……」
粗暴そうな大女の襲来に恐怖したタタミンが物陰に隠れる中、面白がってウーニィは「わっ!」と脅かしたりする。涙ぐむタタミンを守ろうとサヴァは特大の尻尾を引っ張り制止する。
「じゃま! べんきょうのじゃま!」
「そんじゃああたいが先生になればいいんだろう? あっはっはっはー」
ウーニィはそう冗談めかすと面白おかしく、無軌道に、あれやこれやと冒険譚を語りはじめた。
子供部屋で鞘つきの長剣を振り回しながら大げさに演じるウ―ニィの自由な振る舞いに、サヴァとタタミンは自然と見入ってしまった。
「ガシッ! あたいの尻尾を、牛魔人は力任せに掴んで離さず、手斧でトドメを刺そうとする!」
「し、しっぽ! しっぽが!」
タタミンは朗々と語られる痛ましい出来事に青ざめる。サヴァはこの牛魔族との死闘を語り聞かされるのは五回目だが、大好きな演目なので固唾を呑んで見守ってしまった。
「ブチッ! あたいは尻尾を自ら力ずくで千切って逃れるや否や、驚く牛魔の首を斬ったのさ!」
「ふえぇっ!?」
「しかしこの通り、あたいご自慢のふかふか尻尾は今も健在、なぜだと思う?」
尻尾をくるんと伸ばして、タタミンをもみくちゃにしながらウ―ニィは得意げに述べる。
「また生えてきた……?」
「んにゃ、こいつは手足と同じで本来自然とまた生えては来ない。栗鼠族の尾を切り離すのは、ホントは一生に一度どうしてもの窮地を脱するための伝家の宝刀さ。けどね」
タタミンが肌身離さず持たされている、薬草類のポーチを尻尾がくるんで宙に浮かべる。
「こうしてあたいの尻尾が繋がってるのは仲間の薬草師に手当てしてもらったおかげでね」
「……もふもふ」
不可思議そうに、タタミンは尻尾をちいさな身体で抱きしめて、目を閉じる。
ウ―ニィはやれ勉強はこう役立つ等とは言わず、好き勝手に冒険譚を語り聞かせる。子供の教育のため、というより単に好きなことに夢中なだけで興味がなければはた迷惑な行いである。
けれども、この日を境にしてサヴァとタタミンの関係性は少し変わっていく。
鍵の掛かった子供部屋の中には、いつしか大迷宮に金銀財宝が、危険な怪物に深き森が、勇ましい雄叫びに想像もつかない異国の料理が、到底収まりきらぬ空想が詰まっていた。
サヴァは冒険者ギルドの看板娘として。
タタミンは薬草師の見習いとして。
出逢って三年の月日が経つうちに、ふたりはそれぞれの数年後の未来図を共有していた。
そして運命の日が訪れる――。
魔震災害の後、イグサーノ家はグリズリアを離れて異国へと渡った。
サヴァが一番のどん底にあった時、タタミンは挨拶もできぬまま師匠の所有物として従順に従い、去る他なかった。サヴァは十歳、タタミンはまだ八歳の頃のことである。
やがて先代である薬草師カルヲ・イグサーノが隠居、独り立ちしたタタミンは若干十二歳にして第二級冒険者として活躍した。しかしこの頃、まだ奴隷契約は解かれていない。
グリズリアにおける奴隷制度は、最終的には開放されることが前提になっている。理由は多岐にわたるが、一番は意欲を高めるためである。終わりと見返りのない労働など、すぐに破綻する。期間や報酬を定めることで目標が立てば、懸命に働く動機ができる。グリズリアでは奴隷にも奴隷の権利を定めた法律があり、主人といえども契約の不履行は社会制度を乱すもので罪に問われる。
十三歳の頃、タタミンは稼いだ資産の半分を支払って奴隷契約の早期精算を師カルヲに願い、晴れて自由の身になる。
そして今、グリズリアに帰国したタタミンは準一級冒険者として羨望の眼差しを浴びている。
「……お久しぶりです、イグサーノさん」
ビジネスパートナーとして利用価値がある、そう打算的にみなしてサヴァは再会を選んだ。
タタミンは苦笑しつつ、握手をかわしてくれた。
「もう、そんなに他人行儀な言い方しなくたっていいのに、サヴァお姉さんったら」
明るくて眩しい、ひたむきに努力し夢を叶えた成功者――。
羨ましくて、憧れてしまう、素敵な冒険者さん。
太陽は時に眩しすぎる。
その時サヴァは、幼なじみの成功を素直に喜ぶことができぬ己の醜悪さを恥じる他なかった。
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