C面 招き猫とおわる開業記

記C1.大安吉日の開業初日

 大安吉日が絶対よい、とは〆の言であった。

 大安とは、六輝の一つ。先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の六種、順番に一日ずつ巡って一周する日付の縁起。大安吉日は何をするにも終日お日柄のよいめでたい日で婚姻や行事などお祝いごとには第一に大安とされている。


 この世界にはない考え方なれど、幸運を招く白猫〆のイチオシとあって開業予定日は決定した。

 そして当日――。




 夏の上旬、大安吉日――。

 天候は終日土砂降りの雨、雨、雨、真っ暗な朝を迎えていた。


 元幽霊屋敷の現冒険者ギルド施設『月桂館』は豪奢なシャンデリアの吊るされたエントランスホールに集った従業員一同、葬式のようなムードに包まれていた。


 新設した受付カウンターの上にちょこんと座った白猫の〆へと一点に責める視線が注がれる。


「ほら! ほら! 天候予報士の予報通り、大雨じゃねーですか! バーカバーカ!」


 と従業員のひとり、人狼族の接客係シンターニャが大口を開けてきゃんきゃん吠えてくる。


「てやんでえ! 天候は関係ねえ! 大安吉日が大事だつってんだろうが黙ってろい!」


 こいつを採用面接で落としておけば、等と後悔しつつ〆は開業までの二ヶ月と二週間を振り返る。




 冒険者ギルド開業にあたって最大の懸念事項である資金難と拠点は一挙に解決した。

 サヴァは『月桂館』という破格の事故物件を得るための大博打は見事成功したわけである。


 この時に救助した石化された冒険者は生還という幸運に喜ぶのも束の間、多額の救助費用を支払わされることになり、これによって得られた金額はじつに200万ウールにも及んだ。


 冒険者の救助費用は、高ランクになるほど法定請求額が大きい。九人分、準一級冒険者を含んでいたのが大金の理由のひとつ。そしてサヴァには法定請求額通りにきっちり支払わせる“手続き”を完璧にこなす手腕があった。満額を得るにもテクニックがあり、ここで一切の手抜かりなく、菜種油を絞るように一滴も余さず支払わせたのである。


 そして資金難のさらなる解決手段として、〆は“稼ぐ”ことにした。


 正式に冒険者登録を行い、二ヶ月ちまちま働いて資金集めに奔走したのである。そしてタタミンが奴隷代として支払った金貨五十枚とあわせ、約束の金貨百五十枚余り、500万ウールを出資した。


 ここまではよい。

 〆の立場は出資者、力と知恵とお金を貸す。十分に役割は果たしたといえる。


 ――逆にいえば、他のことはサヴァの領分であった。


 幽霊屋敷をどう改装するのか、どんな従業員を雇うのか、そういった諸々は相談されれば意見は述べるがあくまで経営者のサヴァが自ら判断することである。


 で、従業員の採用について。

 新大陸冒険者ギルド協会、通称【新ギ会】の公認を得ているサヴァは人材登用に課題が少ない。


 教育機関を卒業するまでの間に先んじて『開業したら私の下で働きませんか?』と学生時代の友人に声をかけていた。そうした有能な新人だけでなく、経験豊富な協会の派遣職員もしばらくの間は助力してくれる手筈になっている。事務に携わる主要スタッフは盤石だ。


 ――が、必要不可欠だった中核の事務メンバーと違い、接客係などは人材募集することになる。

 こうしてサヴァは一ヶ月間ほど人材集めに奔走することになったわけである。


 とはいえ“幽霊屋敷で働いてくれる人! 募集!”なんて求人に応募が殺到するはずもなく、限られた応募者の中から選ぶことに困ったサヴァは〆に面接の手伝いをお願いしてきた。

 シンターニャを採用しよう、と助言したのは他ならぬ〆なのだ。


「あたしの取り柄? 記憶力くらいじゃねーですかね? あ、それとかわいくてモテるっす」


 言葉遣いや育ちに難があるものの、シンターニャは人狼族の基準でなくても外見がよく、それに記憶力がよくて人の顔と名前を間違えない。運気も良しと〆が太鼓判を押したのである。なにより、少々口が悪いのは〆も同じである。


 接客係として二名、事務方三名、受付嬢二名、営業担当一名、物販担当一名、鑑定買取担当一名、厨房担当二名、この十二名がサヴァの直接雇用する従業員である。


 ここに『月桂館』の保全業務や警備担当を兼ねる業務委託先という扱いの狛犬コンビが加わる。


 合計十五名という人員は地上四階地下一階からなる『月桂館』の広さからいえば、むしろ最小限の従業員といったところだろう。

 これら従業員のうち半数は士気が高い即戦力、半数が要教育、残す一ヶ月は教育に費やされた。


 サヴァの才覚はここでも発揮される。

 無闇に厳しく接することはなく、柔和に、慎重に言葉を選んで従業員に接する。立場上は雇用主であっても年若く地位も権力も名声もないサヴァは誠心誠意、対等な人間として向き合うしかない。


 彼女なりに選んだ優秀な人材はこれにしっかりと応えてくれる。そうでない人材もサヴァの熱意と丁寧な指導によって見違えるように良くなっていった。


 狛犬たちでさえ、最初は距離を置いていたが少しずつサヴァのことを認め、あくまで元の主には見劣るなんて言いつつ時おり、せずともよいことまで手伝うようになっていく。


 サヴァは着実に一歩、一歩と経営者の才能を開花させる――。


 そうしてたくさんの人に慕われて、囲まれて、苦楽を共にする姿を遠巻きに眺めて。


 冒険者として資金稼ぎに奔走する〆と、経営者として開業準備に邁進するサヴァと。


 ……ふたりの時間が、重ならない。


 日が経つにつれて、夢が叶うにつれて、ふたりは遠ざかっていく。


 〆のさびしがる気持ちを察してか、サヴァは何度か、休みをとって一日遊んでくれたりもした。


 その気遣いが〆はうれしくて、心苦しくて、忘れかけていた自分の醜さに気付かされる。


(……ああ、そっか、そうだよなぁ)


 サヴァは夢の階を駆け上っていく。

 今はまだ〆がそばにいてやらねばならない。しかしいずれサヴァは〆を必要としなくなる。


 はじめて出逢った時にはもう、知っていたはずだ。

 サヴァは夢に呪われていた。自らを呪い、夢に縛りつけてきた。


 夢が叶えば、呪いは解ける。


 ――死相ともいえる不運のオーラはとうに消え失せていた。幽霊屋敷での戦いを乗り越えた時を境に、死相は薄らいでいた。〆は本来あるべき死の運命を覆してしまった。

 月の輝きは夜闇がうんと暗くてこそ、美しい。


 今の気分はそう、昼間の月を探すかのようだ。

 



 響いてくる雨音の激しさ、日の光の差さぬ暗雲――。


 最悪の雨模様、最高の大安吉日、これは自分がサヴァの不幸を望んでしまった結果なのか。

 順風満帆といかぬ前途多難な初日にどこか安堵する自分の醜さに、〆は自嘲するしかなかった。


「……悪いなぁ、シンターニャ。こいつぁー俺様のせいかもしれねぇ」


 人狼族のシンターニャは湿った鼻をすんと鳴らして、やけに素直な〆を訝しむ。


「はぁ? あたしは騙されねーですよ? 今更猫かぶっても無駄っすよ!」


「なぁお前、サヴァのこたぁー好きか」


 カウンター席からひょいと降りて、〆は背を向けてゆらゆら歩きながら聞いてみる。


「姉御のことはギルドマスターと呼べ! そりゃあサヴァの姉御のことは大好きに決まってるじゃねーですかね、皆そうっすよ。他に理由あります? ここすんごい給料いいわけでもねーですし!」


「一言多いんだよ手前は……」


 シンターニャに限った話ではない。従業員に対して、サヴァの接する態度は愛情深い。そこには失った家族との過去がある。父親や母親と過ごした時間が、冒険者ギルドという仕事を通して蘇るのかもしれない。今はまだ時が浅い。しかしいずれ彼彼女らは家族同然になっていくだろう。


 窓の外ではドス黒い雨雲が渦巻いている。


 〆は誰かの一番に大切なものになったことがない。

 他人を幸福にできても、自分が本当に幸福だったといえた頃がない。


 これまでも、これからも。


「伝言しといてくれ。私の500万ウールは返さなくてもいいってな」


「はぁ? ギルマスなら応接間で接客中! 後で自分で言いにいきやがれってんですよ!」


 狼少女に吠えられながら〆はふらりと暗がりに姿を溶かしていく。

 ああ、これから暇になりそうだ。

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