記B12.商人サヴァ・バッティーラ

 憑依されていたサヴァの意識が戻った時、戦いは完全に決着がついていた。


 石像とされた冒険者はすべて紙折りの魔術師イクラグンの手によって制圧、無力化されている。


 予定通り、タタミンかクオラの手による“犬毒の三種混合カクテル”によって有角の狛犬も行動不能に陥っている様子だった。


 犬毒のカクテル。

 タタミン曰く、この三種というのは第一に生物としての犬にとって有毒な血液を溶かす成分をネギ等の食品から濃縮抽出した溶血毒。逆に犬が好みすぎて酩酊状態になるまたたびの犬版といえる犬万という乾燥ミミズの粉末による媚薬毒。さらに石をも溶かすといわれる酸の類による溶解毒。これらを配合した専用の毒液である。


 〆に言わせれば、物質的な効果そのものより“専用の毒”であることに魔術や呪術的な意味があり、呪毒性の石化には呪毒性の毒液で対抗するのだとタタミンは意気込んでいた。


 タタミンはオリーブの負傷や石化もつつがなく治療して、後顧の憂いを無くしてくれた。


 戦闘を統括すれば、どう転んでも勝利は確実だった。


 綿密な対策、十全な戦力、それに幸運を招く〆の怪綺が働いていたのだ。勝ち筋は無数、偶然にも〆の奇襲が決定打になったものの、毒と回復、あるいは妖刀が勝負を決していた可能性もあった。


 戦いが終わった今、無角の狛犬は文字通り、交渉のテーブルについている。

 前置きは〆が済ませてくれたようで、人化した女中姿の石獣はおとなしく黙ってくれている。


 ――正念場だ。


 サヴァはゆっくりと深呼吸して、傷だらけの交渉相手と見つめ合った。


「……改めまして、私はサヴァ・バッティーラと申します」


 返答はない。


「まずは先日の無礼をお詫び申し上げます。当宅への無断侵入等はこちらに非があります」


 これも返答はない。


 戦いで優位に立っておいて、今更に下手に出てこられて困惑するのは致し方ない。

 生殺与奪権はこちらにある。長々と前置きするよりも、今は意識を失ったままの有角の狛犬をどう助けるかが相手にとって一番大事なことだろう。


 単刀直入に、なるべく早く終わらせることにしよう。


「……月桂館の主、クラリス氏は五年前にもう亡くなっていることをあなた達はご存知ですね」


「嘘を申すな、小娘!」


 人の姿のまま鋭利な牙を剥き、傷ついた身体を怒りに奮い立たせて睨みつける狛犬。

 サヴァは合図を送って、オリーブの手ずから死亡届けの関連書類を並べてもらった。


「ご遺体の発見者である私が、必要でしたら後ほど証言して差し上げましょうか」


 オリーブは治療を受けたとはいえ、尋常ならざることに外傷は一切の痕跡なく消えていた。派手に破けてしまった黒いコートだけが消えた重傷を物語る。


「客観的にわかるよう、クラリス氏の死亡にまつわる資料を集めさせていただきました。死の状況に始まり、ご家族の消息、元従業員の現在、法務上の相続手続き、それにこの月桂館が人手に渡り、今この私が所有するに至った経緯――聞きたいことはすべて説明させていただく準備がございます」


「……悪魔め」


「悪魔とは、甘く優しい嘘をついて道を踏み外させる者。今、貴方が信じたい虚実こそが悪魔です」


 沈黙し、狛犬は軽く項をめくった。

 吠えわめいても現実は何も変わらないという諦観が、指を止めた。

 サヴァは二匹の今に至る経緯をすでに調べ上げている。



 

 クラリスは若くして有力な後援者を得て、雇われ娼婦でありながら二十代の頃には自らの志す高級娼館『月桂館』の経営に挑戦した。今から二十年ほど昔のことである。


 迷宮から発見された不可思議な調度品である二匹の狛犬は、幾人かの手に渡った末、開業当初のクラリスの館に飾られることになった。


 二匹にとってそれまでの所有者も、そしてクラリスのことも本来の守護すべき相手ではない。


 二匹はクラリスのことを軽んじて、ただ物言わぬ置物として飾られる日々を過ごしていた。


 しかし、いつの頃からか、二匹はクラリスに忠誠を誓い、魔除けの像として館を見守るようになっていたといわれている。その真相は当事者にしか知り得ない秘密だろう。


 クラリスは波乱の生涯を送ったとされている。その傍らに時折、人に化けた狛犬たちが寄り添っていたことが近年までの証言に残されている。


 その最後は――五年前の魔震災害の犠牲者のひとりというあっけなく突然の幕切れだった。


 『月桂館』も異獣の強襲を受けて、数名が亡くなっている。おそらく二匹が従業員や来客を守ろうとした結果、多くの人を救ってなお助けきれなかった無念の犠牲者だろう。


 経営者を失い、無人になった月桂館はいつしか幽霊屋敷と呼ばれるようになっていった。


 こうして五年間、二匹は亡き主人の帰りを待ち侘びて過ごしてきたのである。





「貴方たちは侵入者を殺すこともできたけれど、そうはせず、元に戻りうる石像にしてきた。屋敷の手入れを欠かさず、いつでも主人が帰ってきてもいいようにと守ってきた。――そうですね」


「……それも今日で終わる」


 わずかな希望に縋って、信じて、ひたむきに生きてきたのだろう。

 五年前の災禍によってすべてを失い、過去に縛られて生きているという点において、サヴァは二匹の境遇に自分を重ねずにはいられなかった。


 けれども、なればこそ、サヴァは夢への道のりに立ち塞がる大敵に同情を示さないことにした。


 ましてや悲しき過去を背負った者同士、助け合いましょう等と情に訴えても嘘になる。


 心囚われるほどに大切な過去がある。


 その不運と幸運に感謝するならば、サヴァは一滴も流すべきでないと強く心する。


「……私が望むのは、このままお二方に死んでいただくという“薄利”な結末ではありません」


 そう、利得だ。

 損得勘定を忘れてはならない。そう、何も金勘定に限った話ではない。


 サヴァは今、命の取引に臨んでいる。その重みの苦しさに心臓が早鐘を打って訴える。


 彼らに利得を掲示せねばならない。


 気高き忠義の果てに死する、尊さ。今ここで劇的に自ら終止符を打つことができるという“利得”に対して、サヴァは生き恥を晒すという“大損”を上回るほどの“利得”を示さねばならない。


 我が為に。夢が為に。


「私はここで商いをはじめます。冒険者ギルドという商売です。貴方が死のうと生きようと、亡きクラリス氏が望もうと望むまいと、私は正統な権利者としてこの屋敷を使わせていただきます。これは決して譲ることができません。――私の提案は、生きて、ここで商いをいっしょに手伝っていただけないか、ということです」


「我々に心変わりをしろというのか」


 冷めた眼差し。

 他者の心を動かす言葉を紡ぐ術など、たった十五年の人生でいかに学んでこれたものか。


 必勝法のない駆け引き。サヴァは慎重に、言葉を選んだ。


「いいえ。――私は、貴方たちにこの屋敷の“保全業務”を委託します。管理、監視、改修、整備。これから屋敷は冒険者ギルドに適した形に補修と改装を行い、従業員を雇い、いずれは客を招きます。今ここで死んで終わりということであれば、それら一切は看過される。しかし生きて業務の委託を引き受けるというのであれば、私の好き勝手というわけにもいかなくなります」


「……詭弁だな、主の帰らぬ館に今更なんの意味が……」


 下らない、と言いたげに無角の狛犬は視線をそらそうとする。


 サヴァは少々ぎこちなく「なあご」と猫の声真似をして、爪研ぎの仕草を演じてみせつけた。


「おや、私の大事なパートナーをお忘れですか? 猫の悪戯や粗相がいかに悪質か知ってます?」


「やめろ! 柱が痛む!!」


 ガタッと席を立ってつい怒鳴ってしまったことに狛犬は我に返る。


 サヴァは勝機を、そして商機を逃すまいと言葉する。


「この大きく立派な屋敷には管理者が必要不可欠です。私は冒険者ギルドの経営に専念でき、貴方がたは大事な屋敷の守護を続けることができる。両者両得の取引です。こちらも出費が厳しくて、特にそこの眼鏡のお姉さんを雇ったせいで懐事情が厳しいのです。朝食にサラダを頼むことさえ惜しくて、野菜不足を誰かさんの家庭菜園でこっそり補っているくらいですよ」


 と、余裕ぶって冗談めかす。すると外野のクオラが「はぁ!? あなた野菜泥棒だったの!?」と食いついて、タタミンが「静かに静かに、もー真面目さんなんですからー」と制す。


 不意に振られた眼鏡のお姉さんことイクラグンも「……野菜泥棒」と復唱して、高額報酬を受け取ることが少々気まずいのか申し訳無さそうにする。当然、満額請求するだろうが。


「ふっ、ふふっ」


 あの狛犬が、初めて笑ってみせた。


「負けた。完敗だ」


 穏やかに告げ、狛犬はゆっくりと目を閉じる。


「貴様はクラリス様には似ても似つかぬ。生意気。青臭い。胸が小さい。しかし」


「ん」


 これから良いことを言おうとしているのはわかる。だが、今のは言いすぎでは。


「……否、気のせいだな、忘れろ」


「は、はい」


 屈辱と暴言しかないまま終わった。うっすらとした笑顔から察するに、主人クラリスとの思い出や在りし日の姿を思い起こしたのだろう。だが、そこは言葉にしてほしかったサヴァであった。


 ……ほろ苦くも幸せそうな笑顔を垣間見て、サヴァは己の内に今は潜んでいる〆に感謝する。


 吉凶禍福をまねく故の怪綺。


 運命の歯車がひとつ狂えば、この戦いは互いに不幸な結果に終わっていたかもしれない。

 いかにしてかはわからずも、敵も味方も幸福に導いてくれたのは〆に他ならない。


「それでは、商談成立でよろしいですね」


「――相違ない」


 調印をかわした時、ふと机に差す朝陽の眩しさにサヴァは目が眩んだ。

 ああも薄暗かった夜明けの空がいつしか、署名のために走る筆先を見失わせるほどに輝いている。


 これから忙しくなる。


 手初めに命拾いの法に基づき、石像を解かれた九人の冒険者たちに救助費用を請求しよう。

 なけなしの開業資金が底を尽きかけている以上、請求書を綴る筆はさぞ軽快に躍ることだろう。


 書類の再作成、関係各所への挨拶、屋敷の改装、従業員の教育、依頼元への営業――。


 大好きな“めんどくさい”が次から次に待っている。

 夢見る心はじれったくて、じれったくて、朝陽の向こう側へ羽ばたいてゆく――。

 




                           B-part end

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る