記B11.キャッ飛べ!
●
不夜の歓楽街も欠伸ひと噛み、眠りにつかんとする夜明け前のこと。
長き銀髪、朝風に躍らせ。
黒地の一張羅、大一番に相応しく
少女は赴く。
目指したるは幽霊屋敷『月桂館』。
待ち受けるのは石くれの獣が二匹、譲れぬ矜持に頑として。
少女は赴く。
四人と一匹、錚々たる輩を携えて。
百花繚乱の薬草師。
一発必中の弓取り。
枯木死灰の骨拾い。
千軍万馬の紙折り。
吉凶禍福の招き猫。
五人五色の心胆、五人一色の金貨を懐に。
少女は赴く。
夢の階をまずは一歩と踏みしめるべく。
○
黎明の朝靄漂う月桂館、正面玄関を通る。
この屋敷の見取り図上、一番広々とした空間である一階エントランスホールを舞台とする。
サヴァは向かって右側にある、来客用の円台に書類を積みあげて、上等なクッション椅子に腰掛けては悠然と“商談相手”がやってくるのを待ち構えることにした。
傍らには薬草師のタタミン、弓兵のクオラ、草のオリーブ、そして第一級冒険者である指揮者のイクラグンの“四人”が控えている。一般人に等しいサヴァ自身を除いて、十全な布陣だ。
この場にサヴァが留まるのは危険すぎる、とタタミンに反対されたものの、これからはじめるのは殺し合いではない以上、最終的に必要な話し合いの役目を他人には委ねることができない。
一歩間違えば、速やかな死が待っている。
そうした覚悟が本当にできているのかと自分に問う余裕もなく、サヴァは来賓をもてなすための快適な椅子と机にゆっくりと深呼吸して身を預けて、石獣の妖怪たちを待つ。
やがて九体の哀れな冒険者の石像を従えて、守護獣らは階段を降りてやってきた。
抜剣した石像たちの様子を見るに、当然ながら、無断侵入に小火騒ぎを起こして逃げ去った無礼千万なる狼藉者とみなされたサヴァ達への警戒と敵意は壮絶であった。
それでも名乗りもなく襲いかかってこないのは理知的だ。堂々と待ち構えている以上、逃げ隠れしていた前回とは違ってこちらにも戦う準備があると察せられたのだろう。
二対の狛犬は間合いを計りつつ、神妙に問いかけてくる。
『狼藉者よ、何を望む?』
『落花狼藉を働く者よ、我らの望みは汝の死なり』
いつ牙を剥き襲いかかってくるともしれぬ強大な敵の穏やかならぬ殺意を向けられて、本音をいえば、サヴァは生きた心地がしなかった。可能な限りの戦力に守られているとはいえ、所詮は非力な一般人なのだから無理もない。純粋な戦闘に終始することになれば、何の役にも立てないだろう。
しかしこの一世一代の大勝負、自分らしい戦いをはじめる心構えならばできている。
サヴァは心と裏腹に、慇懃無礼にして大胆不敵に、そして悪どく。
「どうぞお座りくださいお二方、今日は私ども“商談”のために参りましたので」
笑って、手招きした。
『万死』
『値す』
残念ながら不可避と目された開戦の火蓋は早々に切って落とされることになる。
想定通りだ。こちらが優位だと示せずうちは交渉のテーブルに座ってくれる理由が敵にはない。
十一対五。
いや、武力で戦うつもりのないサヴァを戦力の頭数に含めねば、十一対四だ。
こちらの出方を警戒してか、二対の狛犬は後ろに控えて、石像と化した冒険者たちを先行させる。
冒険者は九名、サヴァはそのギルドカードを入手して詳細を把握、分析して事前に注意点を伝えてある。実戦での立ち回りは冒険者たちに委ねるが、依頼者として最善は尽くしたはずだ。
開戦の直後、イクラグンが動く。
“千軍万馬”の紙折りであるイクラグンその第一手は、伏兵の展開であった。
一、十、百、千。
文字通り、千体の“駒”が一斉に出現したのだ。ただし、それは驚くほどに小さい。掌ほどの大きさしかない、人間や動物の形をした“紙”だ。紙を折って作られた兵隊を、先んじて物陰に忍ばせて隠したイクラグンの初手は見事に、敵の虚を突いた。
背面や横合い、四方八方から無数の小さな兵隊が湧いて出てくるのだ。警戒すれば容易に身動きできず、無警戒に無視すれば知らぬ間に詰むことになる。
十一対千と四。
出鼻をくじかれた妖怪たちは対応策を即座に求められるが、二の足を踏んだ。
『焼き払うか!』
『ならぬ、殿中ぞ!』
お互い、この幽霊屋敷を傷つけることができない制約がある。紙の兵隊は軽くて燃えやすい。風や火の魔術を心得る魔術師の冒険者が敵陣にはいるが、千の紙兵を薙ぎ払おうとすれば否応なくエントランスホールの家財に甚大な被害が出てしまう。
ならば、と狛犬は二匹揃って石化の石礫をこれでもかと術者であるイクラグン本体へ撃つ。
「守りを」
石礫を防いだのは、割って入った数羽の鳥型の折り紙である。それは石礫に触れて損壊した瞬間、小さな光の明滅と衝撃を放って、炸裂した。小爆発の連続が、石礫を遮断する。
「攻めを」
石像の拳闘士は拳を振るって応戦するも、襲いかかってくる紙の群体に為す術もない。獰猛な毒蜂の群れが如く。打撃が当たれば小爆発を起こし、本体にひっつけば紙が張り付いて剥がれなくなる。十体、二十体と紙の兵士に張りつかれた拳闘士はやがて沈黙した。
『何!』
原理は単純だ。石像を操るには命令が必要だ。石像は自律思考はしていない。狛犬の命令を遮断、そして停止するよう別の命令を与える。紙に仕込んだ魔術によって、遮断と命令の上書きを行えば、石像にさしたる傷を与えることもなく無力化できる。
――この尋常ならざる芸当ができるからこそ、大金を払ってまでもイクラグンを雇ったのだ。
金貨四枚に重ねて、必要経費全負担。紙の兵士ひとつの消耗につき、約100ウールの請求をするとイクラグン女史は要求してきた。10万ウールの紙吹雪の暴威を眺めて、サヴァは銅貨銀貨をばらまいている感覚に襲われる。
千軍万馬の紙兵隊を意のままに操る紙折りの魔術師イクラグンは、石獣の目にはいかに映るか。
眼鏡の下に隠された紅玉の瞳――この一点を除けば、イクラグンの外見は没個性的でさえある。人間という種族、三十代の女性、魔術師としては飾り気のない黒と暗褐色のローブもよくある市販品、これという特徴のない地味な装いは名もなき野花のようである。
狛犬の概要を伝えた時、彼女はこう述べていた。
「古来、
当人曰く、イクラグンは凡才であった。若き頃、その才能が花開くことはなく二流であり続けた。苦節二十年、遅咲きの魔術師はいつしか第一級冒険者として列せられていた。
自分は弱くて臆病である。勝てる戦いだけを慎重に選ぶことで生き残ってきた。それが秘訣だと。
「……もっと情報が少なければ、断っていたのですけれど……これは勝てる仕事のようですね」
――無論、ひとりで勝てるという話ではない。
石像の薬草師が動く。
石化したポーションを投げる刹那、それは元の状態に戻る。石像の拳闘士に張りついた折り紙を何かしらの薬効によって剥がして戦線復帰させようというのだ。
弦がキリキリと鳴り、弾かれる。
一発必中、矢弾がポーションの薬瓶を撃ち落としていた。エルフの弓兵、クオラの一射だ。
「ご主人さま、やりました!」
「喜ぶにはまだ早いですよー! それ!」
白兵戦を仕掛けようという石像の重装士その足元に目掛けて、タタミンは透明な水泡に包まれた蔦状の植物を投げやった。弾けた水泡から生じた蔦はあっという間に伸びて足に絡み、石像を絡め取って身動きを封じてしまった。
『小癪な』
『猪口才な』
二対の妖怪がついに動いた。ホールの広さ程度など獰猛な肉食獣が猛然と駆け寄れば、クオラが次の矢を番えて構える間も与えずに、接近を許すことになる。
紙の兵隊に止められるのは石像のみ、自らの意志で動く妖獣には搦め手は通じない。鳥型の折り紙をぶつけ、小爆発を浴びせても傷一つ与えられず、一瞬目くらましになるだけだった。
石化の爪が、肉を裂く。
灰色の人ならざる異様な“血”を流したのはクオラやタタミンではない。オリーブだ。
「痛いですね」
深々と横っ腹を切り裂かれて、急速に石化する灰色の血が床に落ちるまでの間に。
オリーブの手にした“日本刀”が、有角の狛犬の後ろ脚を切り落としていた。硬質な石材に等しい妖怪の肉体を、なめらかに切断してしまったのだ。
続けざま、無角の狛犬の胴体にも小振りの刀が深々と傷を与えていた。
『日本刀だと、莫迦な!』
『これはまさか、妖刀か……!』
動揺したのは二対の石獣だけではない。サヴァもだ。
日本刀。
異世界の資源を求めて異界の探索を行う冒険者たちの中には、稀にこの異質な刀剣を持ち帰るものがいる。グリズリアでは再現不能の、希少で別格の刀剣。サヴァは実物を目にしたといっても数回のみ。〆は自分の故郷ではありふれた品だと言っていた。同郷らしきオリーブの得物だとして不思議はないが、予想だにしない隠し玉、そして殺傷力だった。
二匹の妖怪は流血していた。
明確な負傷を負ったのは初めてだ。防戦に徹して逃げ回っていたとはいえ、〆がいかに反撃しても傷つかなかった二匹の堅牢な肉体に深刻な一撃を与えたのだ。
しかし代償は大きい。
一撃でも浴びれば石化させられる。それは妖怪たるオリーブも例外ではなかった。
「なるほど、この怪綺……厄介なおいぬさまです、ねぇ」
石化の侵攻が早い。
腹部をごっそりと爪に抉る外傷の大きさに比例して、抵抗力の働く妖怪の肉体であっても瞬時に石化が全身を蝕み、首まで達するのに十秒も掛からなかった。
『見よ、咎人の末路を』
『聞け、末期の言葉を』
石獣の勝ち誇って吠える。その口腔を狙って――。
一矢、的を射る。
クオラの放った白羽の矢は正確に有角の狛犬の口を撃ち抜いた。が、その威力は舌すら貫けない。
無駄な抵抗に見えたのだろう。二匹の妖怪が意にも介さず、次なる獲物としてテーブルに座る大将首のサヴァへとまっしぐらに突進した。
十分に獣の姿で加速をつけて、飛びかかる一瞬のうちに人化して左右から迫撃する。
白刃が二重、閃く。
――サヴァに防ぐ術はない。いかに策を講じたとて、二匹の妖怪に狙われてサヴァを守ることは不可能に近い。しかし最上の結果は得るには、このやり方しかなかった。
サヴァは目を閉じて、命運を委ねた。
『その命』
『貰い受ける!』
守護獣の王手が届いた時、サヴァの意識は眠るように途絶えた――。
●
そして大妖怪――九重 〆が目を覚ます。
サヴァに“憑依”した〆へと肉体の主導権が移る。
〆は椅子に座ったまま机を蹴り、その反動によって椅子ごと身体をずらし傾けることで凶刃をかわしてみせた。愉快痛快、これにはさしもの石獣も驚愕、思考の空白を生んだ。
『猫、貴様なぜ!』
『其処に居る……!?』
にやりと悪辣に〆は笑い、両の手を二匹にかざす。この瞬間がために、内に潜んで集束させた妖力の焔は絶大なまでに膨れ上がっていた。
猫の手に滾らせた青白き焔を、極大の鬼火を、ぐっと握り、圧縮、ぱっと放す――。
炸裂する焔。
「キャッ飛べぇっ!!」
一切の物理的破壊を伴わず、二条の光流が迸る。妖気と凶運の爆炎は幽霊屋敷をハの字に貫いた。
壮絶な霊的衝撃に〆自身もビリビリと獣耳が震える。
その直撃を浴びてしまった石獣は激しく壁に叩きつけられて、外的損耗が目立って見えないというのに苦悶に呻き、立ち上がることもままならず、人化の維持も乱れていた。
吉凶禍福をまねく程度の怪綺、その『凶』と『禍』を余すことなく攻撃に転用した無名の必殺技を浴びて存在が保てるだけでもやはりこの妖怪たちは尋常でない。
二匹がよろめきながら立ち上がるさまに一抹、〆は憧れに近い感情すら抱いた。
『朽ちて壊れて、なお退かぬ』
『我らは……』
有角の狛犬がぐらりと倒れて、意識を失った。
無角の狛犬――まだ人型を保っている白と黒のエプロンドレスを着た――は唖然とする。
「こっちに来い。早くしねーと毒がまわって手前の大事な番いが死んじまうじゃねーか」
〆は椅子の上にあぐらをかいて座り、手招きする。
『貴様、何の冗談のつもりだ?』
交互に相方とこちらを見やり、決心がつかぬ無角の狛犬に〆は怒鳴って吠える。
「“冗談“じゃねえ! “商談”に決まってんだろうがてやんでえ!!」
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