記A10.妖怪たちの宵闇
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そして帰り着いてみれば宿屋はもぬけの殻なわけである。
置き手紙のひとつもない。
繊月森のカナサ村に〆が出向いていた二日間のうちに何があったのか。
金貨を人質同然にしてる以上、〆のことを早々に切り捨てる理由はない、はずだ。
猫一匹、夕刻の街を駆ける。
猫は聴覚、嗅覚、視覚の順に頼る。嗅覚とて犬には劣るが、人間よりはずっと優れている。大妖怪たる〆であれば尚更だ。
行方知れずのサヴァを追い、路地裏を抜けて、また表通りへ。
行き着く先に待っていたのはやはり、あの廃墟郡――。
グリズリア市街を襲った魔震災害の、その中心地一帯である。
人通りなどあろうはずもなく、瓦礫まみれの街の残骸には人の営みの灯りひとつありはしない。
道路だけは通れるよう最低限は整備されているが、それも撤去作業を進めるために必要だからだ。
幾人の人が亡くなったのか。
幾人の人が出ていったのか。
この魔震の爪痕に誘われるかのようにサヴァの匂いは、彼女の生家へと続いている。
「おや、なにをお探しですか」
その途上に、夕闇に立つ男がひとり。
忘れもしない、黒い革靴に黒いコート、案山子のように薄気味悪い男、オリーブだ。
“グリズリアの骨数え”
行政の依頼に基づいて治安維持のために見回り活動をしているこの男が、その管轄下である再開発指定地区の巡回をしていることには何ら疑問はない。
その正体についても〆には少々心当たりがある。この男は、白猫の置物であった〆のことを――。
『なんとも愛くるしい“招き猫”ですね』
そう、あたかも馴染み深いもののように言ってのけた。
この世界にとって既知の存在ではない“招き猫”という概念を知る者がいる、違和感。
実際に見聞きしてまわることでようやく、その正体がはっきりとしてきた。
同郷だ。
【異界種】として異界の存在にも市民権を与えるグリズリアにおいては当然、〆の他にも同じ魔震災害によって、あるいはそれ以前に同郷の異界種がいることは想定できる。
そして直感的に、こう感じていた。
「手前、同じ“妖怪”にしては馴染んでやがるじゃねーか」
〆の言葉に対して、オリーブはその端正に整った、あるいは整いすぎて嘘くさい顔で薄く笑った。
「そう、私はここでは先輩です。先輩を足蹴にするとは、後輩らしからぬ挨拶でしたね」
妖怪。
そう、妖怪の何たるかを〆はよく心得ている。少なくとも、妖怪に日銭は要らない。幽冥の徒、幽霊と非なるが近しい妖怪はある意味、死んでいるに等しい。生活は生者のすることだ。金銭を得るべくして冒険者を名乗っているのでなければ、目的は他にある。
〆は尻尾をピンと反らして凄む。
「やいやいやいこの唐変木! 人間の真似なんざして、なに企んでやがる!」
「企むも何も、私はこうして市長のお手伝いをしているだけ、私自身には何の展望も無いのです」
オリーブは夕闇に沈みゆく瓦礫の山を、その遠くにある街明かりを見やる。
未だ復興ままならぬ震源地に比べて、復旧が進み、元の営みを取り戻しつつあるグリズリアの街明かりは日没の夜空の星々よりも明るかった。
「市長はグリズリアの発展を望んでいらっしゃる――。私には夢がない。あの方には夢がある」
夢とは、黒ずくめの狐面のやさ男には到底似合いもしない言葉が出てきたものだ。
「夢は呪いに通じる。遠いほどに夢は甘く、近づくほどに夢は苦い。呪い呪われて夢に囚われた者に心惹かれるのはじつに妖怪らしい自然なことではないでしょうか、そう、貴方もです」
オリーブは踊る。
いや、オリーブの影法師のみが踊っていた。夕陽を背にしたオリーブの影が、蠢いていた。
人影ではない。
得体のしれぬ、不気味に揺らめく妖の影である。
「サヴァ=バッティーラ。彼女は呪われている。彼女は呪っている。彼女は彼女を呪っている」
「知ってる」
不幸、不運の根源。
魔震災害によってサヴァは家族を、家を、憧れの人を失った。
この上ない不運、限りない不幸。
それは見方を変えるならば、大災害を生き延びたという事実は不幸中の幸い、強運でさえある。
もし過去を忘れて、新しい人生を歩んだならば、サヴァは夢に縛られずとも生きていけたはずだ。
しかし選んだのは過去を想い、己に夢という呪いを掛けて生きることだ。
いつか夢が叶わうその日まで、サヴァは止まりたくても止まれない。夢を叶えねばならないという呪いを原動力として生きる限りには、幸福は夢の果てにあり、その道のりは不幸の連続である。
サヴァと離れて、タタミン達と冒険してみたことでわかったことでもある。彼女らは〆を必要とはしていない。まっすぐに日向の道を歩んでいる。
何がそこまで〆をサヴァに執着させてしまうのか。
己の夢に呪われたサヴァであってこそ。
月の輝きは夜闇がうんと暗くてこそ。
〆は今ようやく自覚する。癪に障ることに、この薄気味悪い先輩のせいで。
「夢見る呪人に恋い焦がれるのはお互い様というわけでございます」
「ホント気色悪ぃんだよ、手前は」
オリーブは不敵に笑う。悪意があるようで、ただのお節介焼きでもあるように。
〆は苛立たしさに猫の尾をくねらせる。
「ここからは手短に、彼女の身に何が起きたかを教えてあげましょう」
「長ぇ、早くしゃーがれ!」
〆が威嚇するとオリーブは形ばかりに「おー怖い怖い」と怖がる素振りを見せる。
陽が沈み、瓦礫の山は夜の闇に呑まれていく。
「グリズリア市議会は厳正な審議の結果、彼女の冒険者ギルド新規開業の議案を否決しました」
猫の瞳は爛々と輝いてた。
夜の闇が深いほどに、猫の眼は明るく光る――。
それゆえか、いつしか人は猫を妖怪にした。
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