記A11.50ウールと500万ウール

 〆が辿り着いたのはサヴァの生家。かつての冒険者ギルドの跡地だ。

 ほんの五年前まで、冒険者達が昼に夜にと集っては自らの冒険譚を朗々と語らっていた場所だ。


 かつては三階建ての立派な建物だった名残は、燃え残った残骸の一部である黒ずんだ梁の高さでわかる。地震による生き埋めに、火災による二次被害を受けたのだという。

 魔震災害の際、異界より迷い出てきた怪物によって命を落とした死者も多かったそうだ。


 サヴァはここに居た。

 玄関口を通ってすぐ正面にある、焼け残った煤まみれの受付カウンターの上に突っ伏している。

 まだ〆に気づく様子はない。


(ちっ、なんて言葉をかけりゃーいいもんか……)


 さしもの〆も第一声に悩む。




 サヴァの事業計画は暗礁に乗り上げてしまった。

 オリーブの言葉が正しければ、サヴァは今日の昼頃、市議会の予算委員会に出席していた。


 新しい冒険者ギルドを開業して市議会の認可を得て、支援を受ける。そのために事業計画書をはじめとして、できるだけのアピールは尽くした。

 事業計画書そのものはそつなくまとまっている。市議会の助成金を得るにあたって必要な基準をきちんと満たしており、書類上から読み取れる大きな問題点はなかった。


 タタミンをはじめとして、事前に協力者との打ち合わせも済み、明確な落ち度はなかった。

 オリーブは市長の依頼として密かにサヴァの身辺調査を行い、その報告書を議場では「人格、能力、交友関係ともに問題なし」と括ったと述べていた。資金の準備不足や〆のことを伏せたことには感謝してもくれてもいい、と付け加えて。


 しかし誤算が二つ。

 一つ目の誤算は、参考人として出席していた既存のギルドマスター達の発言だ。

 同業他社であり、かつ先人でもある既存の冒険者ギルド各位は新規参入があれば既得権益を脅かされる立場である一方、現実に冒険者ギルドの何たるかを一番知ってもいる。


 各々に言い分があった。

 例えば『新規開業より既存のギルドへの支援を手厚くすべきだ』という否定的な意見だ。

 我田引水もいいところだが、市政運営における予算の使い方としては一理もある。新規の立ち上げよりは既存の活用が安上がりなのは確かだ。


 その一方で『新規の開業は歓迎すべき。競争の活発化は全体の利益となる』という援護もある。

 とりわけ筆頭角のひとつ【市立レオハンズ冒険院】は、市営ゆえに利益を最重要視せず、むしろ民間業者が増えることで慢性的な業務過多を解消したい、と後押しをする。


 しかし決定的なのは発言の内容ではなくて、発言者の顔ぶれであった。


 元冒険者。


 老いにせよ、若きにせよ、ギルドマスター達は過去に冒険者として活躍を遂げている者が多数派なのである。現役を退き、築いた功績と経験と財産を以って、後進の支援にまわる。引退した著名な冒険者というのは存在感がありすぎた。

 比べて、サヴァ=バッティーラは亡くなった両親を除けば、アピールポイントに欠ける。


 若くて、金もない、実績もない、知名度もない。


 【新ギ会】の教育機関を好成績で卒業したという実力とて、所詮は人より事務仕事が得意なくらいであって、信じがたいような怪物を打ち倒した武勇伝と並べられては霞んでみえる。

 市議会議員たちの多くは、その心象は事業計画書にさして目を通すことなく決めてしまった。


 二つ目の誤算は――賄賂だ。


 サヴァが一番に心得違いをしていたのは市議会議員に対して、事前に買収工作しなかったことだ。

 “山吹色の菓子”がいかに強力かならば、〆はよく知っている。公共の事業に絡むのならば、この手の話は古今東西、枚挙に暇がない。


 サヴァが何も手を打たないということは、すでにいずれかの冒険者ギルドと癒着して囲い込まれている議員にとっては利権を脅かし、自分のパイを削る厄介ものである。そうした腐敗した議員の割合が多いにせよ少ないにせよ、それは明確な敵意がなくとも反対にまわってしまう。


 あるいは賄賂でなくても、事前に有力な市議会議員への根回しをしていれば、まだしも違った。

 たった十五歳の少女ひとりに、それも賄賂を企むほどの“実弾”も持ち合わせないサヴァにこれを求めるのは酷だが、現実は非情であった。


 事業計画書の良し悪しを吟味して判断しようとした者が、果たして何割であったろうか。


 7対3。


 “厳正な審査”の結果、夢見る少女の理想は議決の木槌によって粛々と打ち砕かれる。

 失意のサヴァは取り乱すこともなく、静かに、聞き分けのいい子供のように議場を去った。

 これが朗々とオリーブの語ったことの顛末だ。



 しばし言葉を選びきれずにいた〆はやがてひとつの違和感に気づく。

 匂い。


 この仄かに甘い薫り、そう、林檎酒。夢の中で〆の嗅いだ林檎酒の匂いだ。


 サヴァの突っ伏しているカウンターの下を見やれば、なんたることか、開栓された林檎酒の瓶が無造作に転がっているではないか。

 絶望と悲しみに浸って己の無力と不幸を嘆いているのかと思えば、酔っ払って寝ているのだ。


 すぅすぅと呑気に。

 〆は心配して一生懸命に探し回ってようやく辿り着いたというのに、猫の気も知らずに。


 グリズリアでは十五歳は成人とみなされる。酒のひとつも呑んでもいい年ではあるが。


「こんにゃろう――!」


 〆はぶわっと尻尾を膨らませて怒る。こうなれば優しく起こしたりはするものか。

 変容する。


 サヴァの似姿に。青白い焔に彩られた少女の裸身が、宵闇の中にぼんやりと浮かび上がる。

 銀髪白毛の化け猫少女となって、〆は再び現れる。

 暗澹たる瓦礫だらけの廃墟を、妖しくも怪しいまやかしの焔が揺らめき照らす。


「どれ、悪夢でも見せてやらいでか」


 悪どい微笑を浮かべて、サヴァの顔を覗き込もうとすぐそばに寄る。

 ずいぶんと泣き腫らしたのか、目元に涙の跡が残っている――。


 林檎酒はやけ酒だったのか。貞淑で利発、おとなしい少女というサヴァの印象とは少々乖離するが、林檎酒を選んだのは思い出と憧憬あってのことか。


「ん、む」


 ぱちくりとサヴァは目を開ける。その寝顔をじっと見つめてしまっていた〆と視線が重なる。

 林檎酒の色を帯びた微かな呼気が、〆の鼻先をくすぐる。


 なぜと疑問に思うこともなく、今はただ、この距離を保つ事が大事な気がして〆はじっとする。

 サヴァの細くて白い腕がするりと首にまわって、抱き寄せてきて。


「んっ」


 そして、この女に唇を奪われてしまったのだと〆が明確に気づいたのは何秒も後のこと。


 最中、唇が離れるまでの間は、何をされてしまったのかも理解できず、流されるばかりで。


 初めて経験する。

 付喪神の妖怪ゆえに知る由もない。


 この行為がなにを意味しているのかさえ九重 〆はわかっていないというのに、ただ、何とも言えず心地よくて逆らいがたい感触とぬくもりに身を委ねてしまっていた。


「な、にゃ、にゃ」


 それが酔っ払い少女の、酒乱癖がなせる悪さだということを口の中に残った酒気が警告する。


 これはうっとりと甘酸っぱい余韻に惚けるべきものではない。

 断固として、激怒すべきことだ。


「なにしてくれてんだ手前この――」


「かんめひゃま」


 名前を呼ばれて、〆は寝ぼけて抱きついているサヴァを振りほどくのを踏みとどまる。


 華奢な身体だ。彼女に化けている〆とは瓜二つのはずだが、それでも一回り小さく、細くて、酔ったまま乱雑に突き放すだなんて到底できやしない。

 今はこうして支えてやらないと、ふらふら倒れてしまいそうで、心配になる。


「かんめひゃま、かんめひゃま」


「んだよ、そーだよ〆様だよ、何なんだよ」


「にへへ」


 ぎゅっと抱きしめてくる。ぬいぐるみ、あるいは家族に甘えるような力加減で。

 これでは会話が成立するかも怪しい。極めてめんどうなことになった。この廃墟の中、灯りのひとつもなしに放置するわけにもいかない。


 サヴァは夢をあきらめたのか。

 それを確かめないうちに去りゆくことなど〆にはできない。できても、したくない。


 夢をあきらめれば、きっとサヴァはより確実な幸福に辿り着くことができる。


 この世界にはサヴァより不幸な境遇のものはザラにいる。


 グリズリアという街に降り掛かった災害の中、為す術もないまま死んでいった者達に比べれば、五体満足、路頭に迷うこともなく、高い教育を受けることができたサヴァは恵まれている。


 冒険者ギルドに携わるだけならば職員としての働き口はいくらでもある。

 経営者に、それもこの若さでなろうというのは高望みに他ならず、理想や夢をあきらめさえすれば月並みでも幸せに暮すことができるはずだ。


 〆のような妖怪になど頼らなくてもいい。本当は、〆は不必要なのだ。


 誰にも必要とされず、埃をかぶった物として眠りについていた〆が寂しさと退屈をまぎらわすために一方的にサヴァに取り憑いているに過ぎない。

 この世界を理解し、彼女の力になることで多少なりとも助けになればと試みてみたが、それとて〆の勝手に言い出したことでサヴァに求められたことではない。


 偶然だ。

 ほんの偶然に、都合よく、お互いに欠けたモノを補えるふたりが出会ってしまったのだ。

 その欠けたモノを代替できてしまうのならば、他のだれかであってもよい。


 目的のない〆を。

 手段のないサヴァを。


 ひとつの夢は繋いでいた。ほんの数日間だけ、希薄ながらも繋いでいてくれた。


 この夢を捨てる。


 たったそれだけのことで問題は解決する。新しい夢を見つけることだって彼女にはできる。

 このままそっと立ち去ればいい。

 ひとりの少女の幸福を願うのならば、そうすればいい。


 だのに離れがたい。


 呪い呪われるサヴァの不幸に心惹かれる。〆にはない夢への想いに興味を抱く。それに、うまく〆には自分で言い表わせないが、説明しがたい引力がある。

 彼女がそう望むのならば、茨の道を歩ませるようとも、まだこれからだと〆は感じている。


 あくまで利己的に、どこまでも己が為に。

 この青くて幼き果実を手放したくなくて、〆はただただ、サヴァの言葉を待ちわびていた。


「ひゃんめさま、わたし」


「お、おう、なんでい」


 胸が高鳴る。主導権がこちらにないことがもどかしい。

 とろんと眠たげな眼差しがかえって怖い。

 こくんと頭を垂れて、サヴァはぽわぽわとした酔いどれ調子でお願いしてくる。


「おかねかしてくだしゃい」


 金を、貸せ。

 本来これは怒ってもいいのか。冷静に考えれば酔って、唇を奪い、金よこせ、だ。


 しかし〆は嬉しくてたまらず、上機嫌に尻尾をくねらせてしまう。

 金を無心するということはサヴァはまだ夢をあきらめていないことを意味する。


 一縷の望みが繋がった。


「ちっ、しゃーねえなー!」


 この世話の焼ける女との約束を〆は果たさねばならない。大層めんどくさいことに。


「てやんでえ! 今度は金貨が何枚ほしい? 二十枚か、三十枚か!」


 〆の赤い舌を出して、腹の中の金貨をひとつ取り出してみせびらかす。ここぞとばかりにだ。

 サヴァはひーふーみー、とは言わないが指を折って数える。

 そして彼女なりに計算があるのか、こくんと頷いて五本指を立ててこう言ってきた。


「約500万ウール……」


「……は?」


「金貨百五十枚くだひゃいませ」


 50ウールの白猫。

 500万ウールの借金。


 今ここにある三倍の金貨を貸せと、この怖いもの知らずは言ったのである。

 途方もない大金を、たった三ヶ月という刻限つきで〆に稼ぎ集めてこさせた上で貸してくれ、と。

 酔っ払った勢いで言っているにしても具体的金額だ。どうも本当に必要な予算、らしい。


「わーったよ、ここで貸さなきゃ女が廃るぜ」


 はて、勢い任せの無計画に百五十枚もの金貨を貸す約束をしてしまったが、どう金策したものか。

 等と、〆が心当たりについて思い巡らせている合間に、いつの間にか、サヴァの細やかな指先は〆の白毛に覆われた猫の手を、指の股まで絡ませてきて。


「約束、でふよ」


「ふぇ!」


 この距離感、すぅと身を乗り出して迫るサヴァ。先ほどの接吻を思い出して〆は動けなくなってしまう。いや、密接に手と手を絡められているせいで逃げようがない。

 〆は目を瞑り、覚悟を決める。


(ああもう、どうとでもなれ!)


 額に、ふわりと柔らかい感触が。おでこに口づけされた。


(あ、そっち)


 少々残念、いやホッと安堵したのもつかの間に。

 目を開けば、サヴァは今まさに〆の銀髪にまぎれた白い猫耳、そのふさふさの耳毛に口づけて。


 すぅー……。

 すぅー、すぅー。


 〆を、吸っている。

 あろうことか猫吸いを、今ここで。こんな時に。酔った勢いでしてくる。


「ん、な、にゃ」


 本来ならば、爪や蹴りを見舞っているところだ。他の誰かならば、絶対そうしていた。

 そうやっていかにすべきか迷う間に、すぅすぅとサヴァは抱きついた寝息を立てはじめる。


 徹底的に翻弄されてしまった〆はしかし今夜だけはサヴァを許してやることにした。

 こうも子猫のように眠っていると型なしだ。


「……こいつ、私のことをちったぁ好いてくれてるのかね」


 誰も聴いちゃいないのに芝居がかることもない、と“俺様”なしに〆は独り言をこぼす。


 他人の夢や運気を盗み見ることはできたとて、心の内まで〆は知ることができない。もしできたとしても知るのが怖くて、きっと覗ける勇気がない。


 大妖怪を名乗ったとて、所詮、付喪神である。元居た世界では、縁起物として大切に扱われた記憶はあっても、たかが道具、誰かの一番になったことはない。幸福を招き、家人に感謝されることはあっても、その幸福を分かち合う相手はいつでもその者の大切な人々であって、〆ではない。


 だれかに幸福を招くことができても、自分が真に幸福であった頃など、〆には一時もないのだ。


 こうして考えてみると〆は己がいかに醜悪な怪物であるかをまざまざと思い知らされる。


 サヴァの大切な人々はもうこの世に居ない。

 こうして必然もなく人の形を象り、夢への助力を口実に近づいたのは――。

 大切な人を失い、心に空白のあるサヴァであれば、彼女の大切な存在になれるかもしれない等と。その浅ましくありきたりな誰かに愛されたいという願望を、都合よく満たせそうだったからなのではないか。


 人と猫の混じり合った〆の歪な手を、今はむじゃきに、サヴァが掴んでくれている。

 今一時、許されるうちは離すまい。

 〆はいつまでも絡まった指先を解けずに、しばし、穏やかな夜を過ごすことにした。


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