記A9.エルフ遭遇戦

 針葉樹林は緊迫と沈黙に支配されていた。


 【敵対種】エルフは息を潜めて毒矢を構えて、冒険者一同を狙っている。一人を仕留めるも、隠れ潜み、飛び道具によって一方的に攻撃できる敵の優位性を崩せていない。


 膠着状態の中、〆はゆうゆうと物音ひとつ立てず、その小柄な猫の身体を活かして移動する。


 ネズミの足音を軽々と捕捉できる猫にとってエルフを見つけるのは容易いことだった。


 残りは三人。位置を少しずつ移動して、物陰に退避したタタミンとアイゼンリーゼを狙う。


 〆は一考する。


 敵は知力と俊敏さを兼ね揃えている。毒と魔術を用いた武器はいずれも殺傷性が高く、遠近両対応。防護は薄いが身軽だ。先程の近接戦で競り勝てたのはタタミンの投げつけた毒薬が功を奏したおかげであって、ひとつ間違えば負けていたやもしれない。


 正面切って戦うのは得策ではない。ここはひとつ【草】らしく搦め手でいこう。


 〆は静かにエルフのひとりに近づいて、その姿を直にじっくりと見定める。


 このエルフは優美な女の姿形をしていた。矢筒を背負い、深緑色の衣を着ている。金色の長い髪にやや長く尖った耳、体型はすらりと細やかだ。体格はやや小柄、外見年齢はサヴァとさして変わらぬ少女か。弓を手にする細やかな所作ひとつにも理知を感じる。


 ことさらエルフに恨みも敵意もない〆にしてみれば、この名も知らぬエルフに危害を加えるというのは少々心が痛む。明確な殺意。〆の仲間へと向けられた敵対行動はそうしたささやかな感傷を一蹴するに足るものだ。


 吉凶禍福を占う。


 このエルフの女が纏っている運気はまだ吉運を象っている。この戦いに勝利しうる、あるいは逃げ延びる、はたまた運命の番狂わせによって和解して戦いを回避する。いずれにせよ、死相は見えない。本来、この場では彼女の命運が尽きることはない。それは絶対のことでないにせよ、そうなる確率がとても低いということだ。


 不自然だ。


 違和感がある。その正体にすぐさま〆は気づく。なんてことはない。彼女は“幸運のお守り”の類として宝石のついた腕輪をつけていた。一見して無意味に思えるが、魔術が存在するこの世界において運気を底上げするアイテムが実在しない道理もない。


 物質的な世界において何ら意味をなさぬ運気を守る防御手段を、エルフという種族は神秘を重んじるがゆえに大切にしているのだろうか。


『……つまんねーもんつけやがって』


 吉凶禍福を喰らう。


 猫の眼差しは不運を招く。幸運を奪う。対象を凝視する。ただそれだけのことでエルフの少女が有する運気を吸い上げていく。不可視の、しかし〆には視える少女のオーラが衰微していく。


 腕輪についた守りの宝石がパキンッと音を立ててひび割れるまでに十秒と過ぎてはいなかった。


「誰……!?」


 “不吉な予感”にエルフの少女が振り返った時、そこに〆は悠然と佇んでいた。


 仲間を手に掛けた憎き侵入者との戦いの最中に、忽然と、白い猫がこちらをじっと見ている。


 ぞわりと背筋を震わせ、戦慄の色が瞳に映ってみえた。


「なあお」


 じっと見つめる。


 自分よりもずっと小さな一匹の猫に見つめられて、エルフの少女は瞳が揺らいでいた。弓をそっと置き、翡翠の短剣に手を伸ばす。意識は完全に〆に釘付けになっていた。


「後ろだ! クオラ!」


「えっ!?」


 時既に遅し。


 強襲。地面に叩きつけられたクオラは絶叫した。


 狼が、ベルクマンが、樹上から飛び掛かっていた。とっさに短剣を振りかざしたエルフの少女の右腕を掴み、あらぬ形に圧し折っていたのだ。


 彼女の命運が尽きようとしていることは〆が見定めるまでもないことだった。


 注意を引きつけ、鳴き声をあげて居場所を知らしめる。〆の目にみえる行動はほんのそれだけだ。索敵と撹乱という【草】としての仕事は最低限だけ果たしておいた。


「うぁ……あああぁっ」


 激痛に戦意を失い、地面を這いつくばるエルフの背を踏みつけ、ベルクマンは吠える。


「降参しろ! 武器を捨て、姿を見せろ!」


 意外な行動だ。


 〆は目を丸くしてベルクマンの降伏勧告が通じるものかを見守った。


 敵は全滅覚悟で戦えば、まだこちらを一人二人は仕留められる可能性だってある。犠牲をいとわず、死物狂いで戦うことを選ぶかもしれない。

 反対に、降伏して生殺与奪の権利をこちらに委ねる理由はあるだろうか。今のは完全に殺し合いだ。死人も出ている。白旗を上げれば解決とはいかない。


「早くしろ、この娘を食い殺されたいか」


 返答はない。


 声を上げれば居場所を告げることになる。それこそ降参するつもりがなければ返答は難しい。

 しかし即座にも襲いかかってもこない。判断に迷うところがあるのだろう。


 やがて少しずつ、エルフ達の足音が遠ざかっていった。追撃を警戒しつつ、着実に遠ざかる。


 エルフ達の回答は『見捨てて逃げる』だ。


 無難な選択だと〆は冷淡に考える。優劣は決している。降伏よりは逃走した方が、より多くの人員をより多く生還させられる。捕まってしまった仲間のことは死んだも同然と考えればいい。


「てやんでえ、あいつら逃げていきやがる。どうするタタミン?」


「撤退です。村に戻りましょう。地の利はあちらにあり、深追いは得策ではありませんし、増援を呼ばれる可能性も捨てきれません。ただ――」


 苦痛に悶えるエルフを見やって、タタミンは言葉に詰まる。


「殺して得るものと生かして得るものを天秤にかけて、どちらが多いかを比べるだけでいい」


 アイゼンリーベは冷徹に、殺害したエルフの死体を、所持品を確認する。


 【宝箱】というやつだ。


 冒険者にとって【友好種】であれ【敵対種】であれ死体はお宝同然だ。肉食獣が仕留めた獲物を食らって血肉にするのに等しく、有益な物品を回収することは冒険者の生態らしい。


 残酷に思えるが、もし冒険者が死んでいればエルフは同じく死体からアイテムを剥ぎ取るだろう。あるいは死体を放置したとして、次の発見者の手に渡るだけだ。


 アイゼンリーベは翡翠の短剣に毒矢と弓、それに宝飾品も外す。遺体の無残さに動じることなく。


「こいつらは盗賊か、【敵対種】側の冒険者の類だ。所持品を見ればわかる。殺して奪うという点についてはお互い様のようだ。タタミン、殺すのに躊躇いがあるのなら私がやる」


「……生け捕りにしましょう。得られる情報もあるでしょうし、それに……」


「エルフは【敵対種】としては希少で高値がつくと聞き及んでいる。決まりだ」


 タタミンが言い淀んだのは“値段”だったのかはわからない。アイゼンリーベは本音や言いづらいことを躊躇なく口にする。


 〆はエルフの少女が宿している運気を再確認する。弱々しく、ほとんど尽きかけている。しかし〆が吸い尽くした時に比べれば、むしろ微増している。死の末路だけは回避できたらしい。


「くっ、卑劣な侵略者どもめ」


「睡眠薬ですよ。応急処置をしますから、大人しく寝ていてくださいね」


「もがっ!」


 タタミンはエルフの口を布で塞いだ。少々の抵抗を示すが、すぐに眠りに落ちる。これも薬草師のなせる技なのだから〆の想像以上に彼女は多彩な知識と技術とアイテムを有している。〆が【準一級】の冒険者がいかに優れているかを実感するのはここからだ。


「患部を止血して固定します。重症ですから治癒の薬草類ではすぐには治りませんが……遅効性の、再生負担の少ないもので着実に回復させますね」


 ポーションや薬草の効能は強力なようだ。しかし万能には程遠いとみえる。必要な処置を正しく行い、その上での回復をせねばならない。それでも疲労や出血、軽い肉体の損耗を治癒できるというだけでも大したもの。重宝がられるのも理解できる。


「長居は無用だ。帰るぞ」


 ベルクマンは応急処置の済んだエルフをロープ等で背にくくりつけて背負い歩く。


「愛娘への土産話に困るな、今回は」


「ベルクマン、我が初陣の武勇でも聴かせておけ。あとネコ、サボるな」


「うるせーな! 俺様はちゃんと草やったぞ、草!」


「そーですねー、立派な草でしたねー。あとでご褒美にいっぱいもふもふしてあげますねー?」


「お前にとってのご褒美じゃねえか手前このヤロー!」


 〆は大きな吉事と小さな凶事は確かに起こったとみて、はじめての冒険を、これでよしとする。


 冒険者とは何たるか、いかにして生きるのか。


 多少なりとも理解できた。


 サヴァに聴かせてやる冒険譚としては少々心許ないが、さても楽しみである。

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