記A8.5万ウールと50万ウール



「ええ、依頼の品はちゃんと受け取ったわ。依頼達成ね、おつかれさま、でいいのかしら?」


 冒険酒場『川底の御石亭』の看板娘であるアユルアーは依頼品である希少な数種類の薬草を、依頼書に記されたメモを元に確認して受領する。


 アユルアーは繊月森ではまれに見かける川魚系の人魚だという。木造建築の上に人魚というのは過ごしづらく見えるが、よくみれば店内をぐるりと一周するガラス製の水路があって、そこをアユルアーが優雅に泳いで往来することが『川底の御石亭』の見所らしい。


「いや~、ラッキーでしたねー皆さん」


 と、タタミンは依頼の報酬を手にするものの、〆も含めて他の誰も喜んではいない。


 なにせ、依頼を受けて数秒とせず、依頼は達成されてしまった。


 三つしかない依頼のうち一つは『繊月森の希少な薬草を納品してほしい』というもので、この冒険酒場にやってくる直前にがさごそとタタミンがひとりで森に入って採集してきた代物だ。はじまる前にもう終わっている。これを冒険とは断じて言わない。


「さすがに、それはイグサーノ殿ひとりの懐に納めてくれ。俺達はまだ何もしておらんぞ」


「右に同じく」


 ベルクマンとアイゼンリーベにそう言われて、タタミンは〆にも「どうします?」とたずねてくる。ここは当然、〆も「オレ様も遠慮すんぜ」と軽く流す。


 ただし、何もしてないわけでもなかった。本当は、あることを肩慣らしに試したのだ。


「このアカギ草はとくにレアですよ~、魔術で閉じられた鍵穴を開けるのに使えるアカギの鍵という魔術道具の原材料になるんですけど、純度の高い魔力を備えたものは希少なんです」


「で、今のは全部でいくらになったんだ?」


「5万ウールですよ~」


「……にゃんだって?」


 5万ウール。


 即ち、〆の置物としてのサヴァの見立て金額の1000倍である。この草どもがだ。


 いや、それをさておいても、さっき多めに頼んでいた酒場の食事はひとり150ウールという値段だったわけで、講習所の三ヶ月短期訓練コースの授業料が2万5000ウールだ。タタミンは一時間そこら森をうろついて帰ってきたかと思えば、6ヶ月分の授業料に等しい金額を稼いできたわけだ。


 もし山ほどマツタケを見つけたらと考えると〆にも理解できなくはない額面である。


「滅多に見つからないのにホント幸運をまねく〆様のおかげですかねー?」


「さぁてにゃあ」


 頬を寄せ、上機嫌のタタミンがすりすりと鬱陶しく絡んでくる。


 元々このタタミンは運が強い。それにひと目見るだけで薬草を識別できる実力がある。〆はほんのすこしだけ“運をまねく”という怪綺を使ってみせたものの、この結果は大半はタタミン本人によるものだ。ただ、5万ウールのうち1-2万程度は〆のおかげかもしれない。


 一枚の金貨と数枚の銀貨、それに更新されたギルドカードを大事そうに財布に入れて、タタミンは一枚の銀貨と数枚の銅貨を握りしめては看板娘のアユルアーに手渡して、こうお願いする。


「情報をひとつ、買いたいのですが!」


「はい、少々お待ちを」


 情報を買う。この場合、〆にとって気になるのは情報の内容ではなくて、いかなる商売として冒険情報の売買を行っているかだ。


 タタミンの体をよじのぼって、ぴょんとカウンター机に飛び移って人魚の前に白猫が躍り出る。


「なぁ、冒険情報を売るってのはホントに買った情報が正しいか、保証できんのか?」


「ひゃっ! ネコっ!」


 ざぶんとアユルアーは水中に逃げ込み、それからおそるおそる顔を出す。


「俺様が何したってんだ手前このやろー」


「な、何もしないわよね?」


「しねーから教えろぃ」


 臆病な人魚の看板娘は深呼吸して説明に入る。


「ええとね、情報の提供者にお金が渡されるのは購入者がそれが正しいものだったと報告してくれた時か、報告期限が切れた時だけなのよ。それまではお店が代金を預かるの。もし不備があれば返金することになるけれど……」


「けれど?」


「冒険者側もしっかり情報に不備があった証拠や説明をしてくれないと返金には応じられないわ。要するに、売る側も買う側も不正がないようにギルドが仲介するの。利用者は安心取引ができ、ギルドは手数料をいただくわ」


「なるほど、依頼もそーゆー仕組みでやがるのか」


「依頼人からは報酬金を預かり、冒険者からは結果を受けて報酬金を支払うの。大金が動くこともあって直接交渉はトラブルになりやすいけど面倒事はギルドにおまかせって話よ」


「めんどう、ねぇ」


 想像しよう。情報を買うために提供者をたずね、そいつにお金を渡して情報を買い、現地に赴いて実際に確かめ、そこに不備があったとする。また提供者をたずね、不備を問い質そうとする。提供者はとうに雲隠れしてるか、あるいは言い逃れをするか。こじれたら流血沙汰にもなりうる。逆に冒険者側が正しい情報であるにも関わらず、難癖をつけることも考えられる。


 ここでもまた“面倒なこと”を冒険者ギルドは肩代わりして対価を得ているわけだ。


 〆はサヴァの物言いを思い出す。

 きっと今この場にいれば、夢中になって楽しげに聞いてないことまで教えてくるのだろうか。


 〆は初めての冒険にこれから繰り出すという時に、そんなことを考えてしまっていた。




 繊月森の針葉樹林を歩くこと一時間が過ぎつつある。


 出立にあたって各自、それぞれに革製のリュックやポーチに必要となる道具を選別してある。使わない道具を冒険者ギルドで預かるサービスがあり、これも若干の金銭は掛かるが【準一級】のタタミンは待遇が違うらしく全員分を無料で預けることができた。


 興味深いのは、各人のリュックの大きさだ。軽装かつ大柄なベルクマンは大きなリュックに予備のポシェットも腰につけている。戦利品を持ち帰るにあたって力強い大男は頼りになる。


 タタミンは軽めのリュックにショベルが突き出ている。薬品や薬草をいつでも扱えるようにポケットの多いコートに複数の小さなポーチを腰に帯びている。


 重装士のアイゼンリーベは鎧櫃という、防具を収納運搬するための箱を背負っている。重量のある鎧を長時間、装着したまま行軍するのは負担が大きい。下地になる朱塗りの皮衣だけでも防刃性があり、必要に応じて重く頑丈な鎧を装着する。いずれにせよ総重量は変わらず、過酷な移動だ。


「はい、ここで一旦休憩ですよ」


「……わかった」


「俺が見張ろう。こういう時には俺のような獣人種が重宝がられるものだ」


 木漏れ日の差す、倒木の上に腰をおろしてアイゼンリーベは額の汗を拭った。タタミンは周囲だけでなく仲間の体調も気にかけ、休息しながらも購入した情報や地図を頼りに独り言をつぶやく。


 リュックを背負ったままに軽々と木の枝や樹皮を掴んで、ベルクマンは高所から一帯を見下ろす。


 各々にきっちりと長短を補い、足並みは揃っている。


 例外はひとつ、〆だ。


 なにせ白猫である。猫の手では道具を使いこなせないし動きの邪魔にもなる。巾着をひとつ首に下げるのみ。獣人であるベルクマンと比べても、見かけ単なる猫でしかない〆は森の中をうろつくのは快適この上なく、ひとりだけ冒険どころか退屈さえしていた。


「な~。ずっと歩いてたまに草むしってるだけじゃねーか。敵は出てこねーのか?」


「素敵な薬草は貴重な収入源ですよ~。敵さんはですね~、繊月森は【敵対種】は“もう”居ませんから野生動物か、【異獣】くらいですね~」


「もう? なんでいそりゃ」


「講習所では習っていない話だ。ここには【敵対種】が暮らしていたのか?」


「数十年も昔の頃は、この繊月森に住んでいる皆さんがいわゆる【敵対種】とみなされていたそうです。特に人狼族は恐ろしい敵だったとか。今では和解してるのですが」


「ああ、昔の話だ。それと【敵対種】が居ないという知識は古い。最近、帰ってきた連中がいる。俺達の先祖が手を組んだ理由のひとつは、森の覇権を争っていたアイツラを追い出す為だった」


 ベルクマンが意味深に、低く唸りながら言葉する。


「気配がする。ここからは連中の領域だ。戦うしかない」


「連中とは何だ」


 鎧櫃を開き、アイゼンリーベは鈍色の重鎧を朱塗りの皮衣の上に着装しつつ問いかける。


 ベルクマンは樹上から針葉樹樹林の一点を指差す。


「エルフだ」


 風切り音。


 黒曜石の鏃の矢が掠める。


 ベルクマンは余裕をもって回避せしめるが、射手の位置を捉えていても徒手空拳では迎撃のしようもない。ベルクマンは次の一射をかわして、樹皮に刺さった矢を抜いて地表に投げ落とす。


 すかさずタタミンは拾って物陰に転がり込み、分析する。


「この臭い、毒矢だ!」


「解毒の準備は万全ですが、一方的に射掛けられては不利ですので炙り出しますよ」


「頼む」


 投擲する。タタミンは敵の潜んでいる木陰に向けてガラス玉を投げつける。


 砕け、濃い赤紫の気体が噴出する。咳き込みながら“敵”のひとりが赤紫の気体から逃れ出してきた次の瞬間、猛然と、アイゼンリーベは重鎧を纏ったまま全力疾走で迫る。


 エルフは弓を捨て、紋様が刻まれた翡翠色の短刀を手に構える。薄っすらと緑に発光する刃は何らかの魔術が施されているのか、到底鈍らには見えない。所作も洗練されており、〆の見立てが正しければ、十分な訓練を積んでいる。


「薄汚い侵略者どもめ!」


 憤激するエルフに対して、アイゼンリーベは言葉もなく勢い任せに大上段に薙刀を振り下ろす。


 かわした。


 エルフは懐に入り、流麗な動きで翡翠の刃を堅牢な鎧の隙間に滑り込ませようとする。が、ごほっと咳き込み、ほんの少し、動きが鈍る。


 鉄の篭手が刃を打ち払い、エルフの面長で整った顔面を打ち砕いた。


「ぐがっ」


 圧倒的に重い質量を伴い、硬い金属鎧はどこであろうと素早く叩きつければ殺傷性がある。


「訓練の範囲内だ」


 よろめき、苦悶の呻きをあげたエルフに対して、さらに反撃の暇を与えず、アイゼンリーベは追撃しようと踏み込んだ。


 一射。

 二射。

 エルフの仲間による毒矢がアイゼンリーベの背面を襲う。心臓へ一直線という軌道の一矢は重甲に弾かれ、もう一矢は鎧の隙間を射抜いて皮衣を貫き、浅く刺さった。


 が、それでは止まらない。


 エルフの胴体を、薙刀は斜め一文字に深々と切り裂く。


 骨も臓腑も断ち切る一撃によってエルフの戦士はあっけなく絶命した。


 短期訓練コース三ヶ月2万5000ウールに通っただけの準三級冒険者とは、とても思えぬ勇姿だ。


「くっ」


 毒矢を抜き捨てて、アイゼンリーベは苦痛に表情を歪めつつも勇ましく次なる敵へと身構えて。


「本当だったようだな、たった50万ウールの鎧でも店一番の品だというのは」


 そう不敵に笑った。


 ここに至ってようやく〆はあるひとつの事実に気づく。


 タタミンは薬草ひとつで5万ウールを稼いでいた。そしてアイゼンリーベは50万ウールの金属鎧を安いとぬかす。


 もしや、冒険者の収入と支出は庶民とは桁外れに違うのでは、と。


 その冒険者から事あるごとに仕事を請け負い、金銭を対価として得る冒険者ギルドなる商売は当たればとんでもなく大きな商売なのでは、と。


 そしてこの冒険を終えた時、大きな吉兆と小さな凶兆を乗り越えた時、なかなかに面白いものが待っているのではないか。


「ココノエ、お前、いつまで高みの見物をしている」


「重装士の戦いぶりはよーくわかった、俺様が褒めてやる、はじめてにしちゃーよくやったぜ」


「【草】と侮られたくなければ、時間くらい稼いでみせろ」


 木陰に後退したアイゼンリーベはタタミンに応急処置されている。樹上ではベルクマンが警戒する中、敵はまだ複数が身を潜めて、針葉樹林の中を蠢いている。


 ここはひとつ出番だと〆は観念することにした。

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