記B8.奴隷と調教、エルフの犬
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「〆様のえっち~」
タタミンの挑戦的なにやけ笑いに邪魔されて、寝ているサヴァの額に額をくっつけて夢を盗み見ていた〆はバツが悪そうに離れた。
ここはタタミンの邸宅、空き部屋のひとつである。他の部屋は彼女の趣味によって愛らしい意匠が多いというのに、この部屋はいやに殺風景で飾り気がなかった。
「……ああ、ここが先代とやらの部屋だったわけだ」
「ホントに夢を盗み見ることができてしまうんですねー、〆様ってば。ハレンチですよ?」
「手前にだけは言われたかぁーねえ!」
白毛を逆立ててみせるが、タタミンがベッドの端に腰掛けると〆は自ら膝上に乗った。
「おや、おやおや、撫でちゃいますよ?」
「やさしくなら許す。これも礼のひとつだと思っておけよ」
「では、お言葉に甘えてーうっへっへっへー」
頭上からよだれがこぼれてくるのではないか、という汚い声をこぼしながら丹念に撫でてくるタタミンの手つきに〆はすこし安堵して、脱力する。
幽霊屋敷から逃げ遂せた後、タタミンの邸宅に転がり込んだサヴァと〆は事情を説明、治療を受ける。石化の解除や手傷の回復はいかにタタミンが凄腕といっても一瞬とはいかず、〆は回復するまで寝ることにした。サヴァは看病の手伝いをするうちに疲れて寝てしまい、すっかり完治した〆の方は先に目覚めてしまったという流れだ。
タタミンは“助手”とふたりで卓越した手腕を発揮してみせた。〆はてっきり『私? 312歳ですよ』等といわれると思っていたが、ホントにまだ十三歳だったとは……。どうにも〆は見る目がないらしいと自分に苦笑させられた。
「〆様、頼まれた石化の分析ですけどね、呪毒性のものとみていいようです」
「じゅどくせー……?」
「いわゆる状態異常……毒なり麻痺なりのありがちなやつは大きく分けて二種類あります。物毒性と呪毒性です。物毒性のものは天然自然の理に沿っているもので毒蛇に咬まれたら毒にかかる、という至極当然の異常。呪毒性は物理の理に則らず、魔術のような超常の異常。原因が違えば、対処法も違うわけですね。毒消しひとつとっても両方の準備が必要なのです」
「あー、んなこったろうと思って石化を“自力”で治さずにおいたんだ。研究材料がなきゃ、あいつらの石化に対処する薬なり草なり用意できねーと思ってな」
そう強がっても、まだ両脚に違和感がある。狛犬たちが瞬時に与えてくる石化を治すのに一夜がかりでは勝負にならない。
タタミンは愉しげに〆の喉元をくりくりと撫でさすりつつ、不思議そうにたずねる。
「自力で、とは一体どうやって?」
「俺様は招き猫――ホントは“陶器”が正体だ。粘土や石英を焼き上げて作られた“物”は最初っから石みてーなもんだろう。正体に変じて、またこの姿に化け直せば石化の呪毒は打ち消せる」
「と、陶器……信じられません、こんなにふかふかなのに」
興味深いのか、タタミンの手つきがねちっこくなってくるも渋々と〆は我慢してやって。
「もしかして〆様、まだ隠し玉があります? サヴァお姉さんが助けに来なくてもひとりでどーにかできたんだー、って言いたげでしたけど。ねーねータタミンに教えてくださーい」
「あーのーなー……」
鬱陶しいウザ絡みに耐えかねて、〆は答えてやることにする。どうせ語るならばと得意げに。
「“敵の運気を喰らう”んだ。たちまち、相手の運気は底を尽きる」
「黒猫が横切ると不吉だ、みたいなものですかー。でも、その隠し玉を使えなかった理由は?」
「十中八九、狛犬どもの“不運”は俺様にとっても“不運”な出来事だと直感しちまったんだよ」
「敵の不幸が、自分の不幸?」
不思議がるタタミンに〆はまだ感覚が鈍い前脚を舐めながら答える。
「敵は幽霊屋敷を大切そうに守ってる。下手すりゃ命より大事そうに。そいつらの最大の不運といえば当然、あの幽霊屋敷を失うこった。もし不運を誘発させた結果、大火事なり崩落なり、とにかく幽霊屋敷がしっちゃかめっちゃかになってみろ! 幽霊屋敷を欲しがってる俺様たちにとっても大損失ってことになりやがる! ああもうホントしちめんどくせえ!」
「なーるほどう、お互いに戦いの舞台を傷つけらんないというのは、とてもやりづらいですねー」
「次やるときゃー互角の死闘を演じるつもりはねえ! 徹底的に完封してやる!」
闘志を滾らせる〆をよそに、タタミンは構わず愛撫の手を休めない。
もふもふ、もふもふもふるん。
「完全試合のための秘策その一が私! というわけですねー? ふっふっふー」
「……しかし良いのか、散々サヴァも今回は強敵だと説明したってーのに即答しちまって」
するとタタミンは手を止め、少々物悲しげな表情を垣間見せた。
五年前の離別を悔いているのだと〆には察しがついた。
「恩返しと埋め合わせですかね。私にとって一番つらかった時にそばにいてくれた大切な人なのに、あの人にとって一番つらい時にそばにいなかったのが私ですから」
底抜けに明るいバカみたいなやつ、という第一印象からはずいぶんと遠い顔つきで。
少し、〆にも彼女の胸の苦しさが伝搬してくるような気がした。
「あいつは潔癖症なとこあるからなー、負い目があるからだなんて言うと遠慮するぞ?」
「でーすから! ちゃーんと報酬はいただきますし、サヴァお姉さんの冒険者ギルドがうまくいったら私にとっても大きなビジネスチャンスですからねー!」
指先で硬貨を象って、ぺろっと舌を出しておどけるタタミン。
こちらは心配いらないとして、問題は“助手”の方だ。
タタミンは元々、菜園と家事の手伝いに三人ほど使用人を雇っている。冒険者であるタタミンは家を留守にすることの方が多いので、自分ひとりでは生活もままならない。使用人との関係は良好とのことだが、長くて一年前、短いものでは雇って二ヶ月ということで長年の付き合いではない。
そして助手というのは今、牛乳と香草のリゾットを抱えて、扉の裏で聞き耳を立てているエルフのことだ。扉越しにでも〆には匂いでわかる。
タタミンの肩までよじ登って、〆は小声で問い質す。
「俺様との約束じゃあ、治療して準備できたら奴隷市にあの耳ピンひょろ女を売りにいく手筈だったよなぁ、なぁ? ベルクマンとアイゼンリーベにゃ先払いで見込み収益として金貨を二十枚ずつ支払ってあるし、実際に売りさばく手間をとるお前と俺様はうまくいきゃー商談次第で五十枚ずつ稼げるかもしれねえという大事な商品だったはずだよなぁ、あいつは?」
「いやーあはははは……」
〆の物言いは悪党めいているが、奴隷の売買はグリズリアでは合法だ。とくに敵対種の場合、捕虜にするか、奴隷にするか、捕殺するかの三択を迫られる。敵性種族を正当な理由なく自由にするのは、猛獣を檻から出してやるのと同じで危険行為だ。捕虜にして交換材料に使うか、奴隷にして労働力にするか、潔く死なせるか。
このエルフの場合、同じくして命と金品を狙って襲ってきた以上は同情する理由はない。
悪辣に不機嫌そうにする〆をなだめつつ、タタミンは苦笑いして。
「クオラ、おいでおいで」
と呼びかけ、室内にエルフ――クオラを招き入れた。
金髪緑眼にすらりとした長身のクオラは猫背になって警戒と恐怖の眼差しを〆に向けつつ、まるで母親におびえてすがりつくように自分よりずっと小さなタタミンの後ろに隠れている。
「大丈夫ですよー、怖くないですよー、ほら噛んだりしませんから、ね?」
「ご主人様、わたし、こいつ苦手……」
「よーしよーし」
姉や母のようにタタミンはつま先立ちして頭に手を伸ばすと、クオラは少し屈んで撫で受けた。
クオラは服の袖をつまみ、口をもごもごさせて気恥ずかしさと安心感と嬉しさがごちゃまぜになった業の深い甘え方をしながら、〆のことを敵視してくる。
「どーしてこうなった!? 一週間で何があったらこう従順つーか子猫みてえになりやがる!?」
剣幕で問い詰める〆に、タタミンは一言のほほんと。
「調教、し過ぎちゃいました」
と告白した。
きゅ、とクオラの袖を掴む力が増して、赤らめた顔を背ける恥じらいの仕草がいやに可憐だ。
「にゃ! にゃにゃにゃ!」
この童女、やりやがった――。
「座敷牢に閉じ込めておいてなんですけど、怪我の治療をやさしくしてあげたり、食事も両腕が使えないから私が手ずから食べさせてあげないといけなくて。仲良くなれたかなーって思ってたら油断したところを逆に襲われて、大ピンチになっちゃったんですけど、ほら」
照れ笑いして、タタミンは慈しむように甘い手つきでクオラの頬を擦ってみせる。
途端にクオラはびくりと背筋を震わせ、一瞬だけ青ざめた表情を垣間見せると、タタミンの細く幼くそれでいて土仕事に痛んだ指先に忠誠と隷属を誓うように口づけてみせた。
「かわいいあなたのご主人様は私ですよ、とわからせてあげたんです。はじめての経験でしたけど、道具は菜園や薬品棚に揃っていて、やり方はいっぱい師匠に“教えて”もらっていましたから」
氷解した。
タタミンの微笑みはどこか嘘くさいと、〆はずっと不思議でならなかった。これで年齢を見誤った理由も合点がいった。齢十三歳にして成功を遂げた彼女が歩んできた人生の“経験”が、その愛想笑い癖に繋がり、過剰な老練さに繋がっている。
高名な薬草師の、幼き弟子にして奴隷。タタミンはその寵愛を受け、育った。なぜ“一番つらい時”が五歳から八歳の頃だったのか、なぜその幼少期にサヴァが心の支えだったのか。〆には十分に察することができた。
タタミンは少々意地悪な顔して〆のことをねめつけた。
「痛い、甘い、苦しい、酸っぱい、心地よい、苦い。一流の薬草師にとって人の心と身体を自由に操ることはひとつの目標です。私は先代のイグサーノの薬草術をすべて継承しました。遊び相手として買い与えた鼠やウサギに親しんだ後、あの人は毒を処方するんです。友達を失いたくなければ救ってみせなさい、と。山ほど墓ができた頃には、今度は直に私へ毒や傷を与えては自力で治させるという修行をさせられて。――そうやって私を痛めつけておいて、上手にできたら飽きるほど愛してる、よくできたと褒めてくれて」
「……で、つい奴隷のクオラに手ぇ出しちまった、師弟の宿命にゃ抗いがたいつーわけだ」
凄絶な人生に〆は言葉を失いかけたが、冷淡に振る舞って我を保つ。不幸自慢大会をやるならば優勝の座はサヴァとタタミン甲乙つけがたい。同情に値はするが、本題は『金貨百枚』と同義であるエルフのクオラをどう換金するか、だ。
むしろ今のは重く暗い過去をあえて語ることで、勢いで商談をごまかす気でいたに違いない。
「おい耳ピン! 手前はどーなんだ!」
怒鳴られて、エルフのクオラは伏目がちに〆のことを見つめ返した。
繊月森での出来事が多かれ少なかれ心の傷になっているのだろう。〆の凶悪な運気を操る力を、その身を以って体感したことでクオラは本能的に恐怖する。直接の外傷を与えたのは狼男だが。
「……仲間には見捨てられてしまいました。五十年も苦楽を共にしてきた幼なじみ達だけど、共倒れになってもいいから助けてくれ、なんて言えません。私は誇り高きエルフの戦士。……敵に捕まった時、とうに死んだも同然なのよ。せめて潔く、気高くありたいわ」
「脱走に失敗してんのに?」
「うるさいわね! あと一歩だったのに急にネズミが飛び出してきて不意を突かれたのよ!」
「そりゃー俺様の仕業だな、手前の“運気”は奪いっぱなし。暴れるだけ不運が待ってんぞ」
「くっ、殺す! この熱々リゾットをぶっかけて殺すわ!」
口だけは威勢のいいことを言って吠えるが、クオラは鎖に繋がれた犬のようにタタミンの背後から微動だにしていない。猛犬注意の張り紙があれば事足りそうなエルフ畜生だ。
「ダメですよークオラ、おすわり!」
「わ、わん!」
器用に湯気の揺らめくリゾットの乗った盆を手にしたまま、クオラは犬の真似事をさせられる。
よくできました、とタタミンは褒めてわしゃわしゃ愛撫する。〆は素で引きつつ茶化す。
「誇り高きエルフの犬」
「うるさいうるさいうるさーい!! 私が屈したのはご主人様のみ! あんたには負けてない!」
「けっ、負け犬の遠吠えじゃねーか」
「クオラ、おとなしくしないとまた一日わんこに変身させちゃいますからねー?」
「わ、わふ」
タタミンが無手でフラスコを振る仕草を真似るとクオラは意気消沈、叱られた犬みたいに黙る。
最低でも一日間、薬によって犬に変身させられて猫可愛がりされたとしたら想像するだに地獄だ。本当に犬そのものか、はたまた犬の特徴や性質を付与したのか、比喩としての犬であって姿形はそのままに愛犬を演じさせられたか。猫の〆には少々ピンと来ないが、長命で賢くてプライドの高そうなエルフの尊厳をアメとムチで粉々に砕いて甘く煮詰めてジャムに瓶詰めしてしまったようだ。
野生(?)のかけらもないクオラの調教ぶりを見るに、他人に売るのは困難か。
「わーったよ、こいつを売らずに飼うことを許可してやる。ずいぶんなついてるようだしな」
「猫がそれ言っちゃうの! 猫が!」
「わーいわーい!」
不服な点がズレてるクオラとぴょんぴょん跳ねて喜ぶタタミン。妙な主従ができたものだ。
ふーふーあちち、とリゾットを食べさせっこするバカ主従をよそに〆は一考し。
「俺様の分前になるはずだった金貨五十枚はきっちり払ってもらうが、文句ねえな?」と釘刺せば。
タタミンは得意げに「はい、たとえ我が家を質に入れようとも! です!」と槌を打った。
こりゃー捨てられた犬猫を拾ってきた家庭の会話みてーだな、と〆は猫ながらに思った。
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