記B3.九重 〆vsアイゼンリーベ
○
迷宮商会の第六支店から現れた意外な人物、アイゼンリーベ・メイクゥーン。
立ち話では落ち着かないだろう、と彼女に言われるがまま、サヴァは〆を連れて、支店の中へと案内される。『妹』との再会に上機嫌なアイゼに対して、サヴァは内心、複雑な思いだった。
日照の乏しい路地裏にある第六支店は薄暗さを【衆力】の照明によって補っている。さながら洞窟の入り口を彷彿とさせる店内は、木造に石材を積んで塗り合わせた粗野な作りだ。
店内はあまり広いとはいえず、二席ずつの小テーブル二つ、大テーブル一つ、受付カウンターに掲示板、それに物販窓口、また鑑定・買取を兼ねた窓口がある。店の奥には、ここだけ厳重な作りの鉄扉がある。鉄扉の先にも鉄製の部屋があって、二重の扉を越えると異界門が待っている。
従業員の数は、小さな支店といっても見えるだけで四人だ。受付カウンター、物販、鑑定の各窓口にひとりずつ、雑事をこなしている店員がひとり。それに従業員には数えないが、警備員として雇われているらしき冒険者がひとり目を光らせている。
店舗経営において防犯の備えは欠かせない。冒険者を雇うだけではなく、何かしら護身用の設備や手段を備えるのが冒険者ギルドの必須要件だ。なにせ、冒険者は武装しており腕が立つ。その存在そのものが犯罪抑止につながるが、揉め事や盗み、強盗の危険性も高い。冒険者ギルドには大金がある、と多くの人が知っているからだ。
「お嬢様、失礼ながら重ねて申し上げますが、ここの異界門を使っての冒険で怪我でもなされますと私どもとしては非常に困りまして……」
「わかっている、さっきは浅慮なことを言ってしまったな。今度はただ応接室を借りるだけだ」
敬われる、というよりは煙たがられるギルド職員の対応にアイゼは淡々と話す。
職員に連れられて応接室に通される。
必要最低限の商談ができるだけのローテーブルやソファーといった真新しいが無骨な家具があるだけの応接室は、この第六支店がいかなるものかをよく表している。サヴァの考えるに、この第六支店はかなり軽視されている。こだわりがなく、実用性のみを備えている内装は、これはこれで機能美があるもののサヴァの理想には程遠いものがある。
アイゼンリーベは鎧櫃に鈍色の鎧を抜いで収めようとするが、若干手間取ったのでサヴァはすかさず「お手伝いします、アイゼ様」と助力した。
「気が利くのは昔のままだな、サヴァ」
「いえ、褒められることでは……」
そんな両者のやりとりを、店内では黙っていた〆が他に誰もいないと見るや割って入る。
「で、そろそろ説明しやがれ。手前らふたり、どーゆー関係でありやがる」
「それは、あの……」
不機嫌そうに見上げてくる白猫の〆に、サヴァは言葉選びに迷ってしまう。
アイゼは鎧櫃に武具を収めてソファーに着席するとサヴァに隣へ着席するように促す。
ちょこんとただでさえ華奢なサヴァが小さくなる思いでおそるおそる隣に座ると、女にしては大柄なアイゼは大胆に肩へ腕をまわして抱き寄せながら言ってのける。
「サヴァ=バッティーラは私の愛しい義妹だ。見ればわかるだろう?」
「わかんねーから聞いてんだよコラ! 手ェまわすな!」
「ふむ、……イヤか?」
「いえ、私もアイゼ様のことはお慕いしておりますから、こうして頂けると嬉しい……です」
苛立つ〆を前にして、サヴァは複雑な心中を隠せそうになかった。
〆とアイゼ、両者の間には火花が散るような視線のぶつかり合いが幻視できてしまう。
「我がメイクゥーン家は同業のよしみ、母親同士の親交もあって、五年前の魔震災害の折、当時十歳だったサヴァを引き取った。当人の希望だ。当家の養子に迎えたわけではない。しかし私は姉になったつもりで二年間、サヴァに接してきた。こいつは未だに他人行儀なところは抜けないが……」
そう、二年間だ。
両親を亡くして行き場のないサヴァには幸いにも助け舟がいくつも用意されていた。こうした話にしては稀有なことに、それだけ父母は人徳があったのだろう。親交のあった人々が、サヴァの引き取り手として名乗りをあげてくれた。
災害の被害によって手一杯なはずの人でさえ頑張ればひとりくらい養える、と言うのだ。同じ境遇の孤児が他にも数えられぬほど居たであろう。グリズリアはどちらかといえば裕福な都市国家だった。被害者の救済は、情け深いほどに手厚かった。とりわけ、サヴァは不幸の真っ只中にあって、幸運にも有数の実業家であるメイクゥーン家に拾われたのだから人に羨まれるほどだ。
メイクゥーン家で過ごした日々もけして不当な扱いはなく、それこそ実の妹も同然だった。
その大恩あるメイクゥーン家を半ば飛び出して、三年前、サヴァは【新ギ会】の本部がある異国へ留学した。そして今、独り立ちしようという矢先での再会というわけである。気まずくもなる。
「ネコ、貴様こそ何者だ? 我が妹といかなる関係だ」
「はっ! そりゃーお前……」
〆は威勢よく啖呵を切ろうとして言葉に詰まる。サヴァの方を見て、助けを求めてくる。
――不用意な説明ができない。
慎重に考えよう。〆が異界種という点はアイゼも知っている様子。どうもこれまでの仲は良いようだ。しかしサヴァの回答ひとつで爆弾の導火線に火がつきかねない。
なにせ下手を打てば、盗んだ他人の金貨を貸し借りしている、という説明になりかねない。
かといって安易なウソをつくことも得策ではない。
「俺様は出資者をしてやろうってんだ、こいつの目標! 冒険者ギルドの新規事業のな!」
そう、〆は大見得を切った。
ウソは言わず、本当のことを話せてはいる。サヴァは安堵するが、まだアイゼの追求が続く。
「出資者か。ネコ、バカなことを言ってくれる。まず貸せるだけの金がどこにあるか説明しろ」
「俺様と一緒に冒険してみてわかってるだろう? 冒険者として稼いでくる分にゃお前より俺様の方がずっと優秀だってことをよ」
「……戦利品を売って利益を分配する時、確かに貴様とイグサーノに任せてみたら私の見立ての三倍額にもなっていた。あの時は何をした?」
「んなもん、買い叩きそうな買取先を避けて、欲しがりそうな相手に直接、売ったんだよ。翡翠の短剣、アレは上等なもんで軽く金貨十枚は稼げた。タタミンもそう言っていただろ?」
「理屈はわかる。買取業は安く仕入れて、高く売る。売却者と購入者の間に立つことで利益をあげる。その中間を省いてしまえばいい。――というのは買いたい者を見つけて交渉する手間や苦労を度外視している。なぜ半日もせずにそう都合のいい買い手が見つかる?」
「俺様には幸運をまねく霊験あらたかな力があってなぁ~。偶然にも繊月森に休暇にきてた金持ちに売りつけるチャンスが巡ってきた。直接やりとりしたのはタタミンだけどな」
「そんな不確実すぎる理由にたやすく納得できるものか、ココノエ」
「うるせーな! 分前としてタタミンが渡した金貨銀貨はウソついちゃいねーだろう!」
サヴァは一考させられた。
タタミン・イグサーノは準一級冒険者としての社会的信用がある。もし第三級冒険者が同じことをやろうとしても不審がられるか、買い叩かれる。金貨十枚は金持ちであっても大金だ。一家族を一年養える。購入者は大金を払う資産力、価値を見極める審美眼、そして何より買いたくなる動機を持ち合わせており、そこに売り手の信用や観光休暇という環境と気分がうまく一致している。この好条件を、“偶然”に揃えてみせたというのだ。一度や二度は起こりうる幸運だが、好都合すぎる。
ずるい。
そう、言いしれぬ罪悪感のようなものにサヴァは襲われた。
メイクゥーン家に拾われての二年間、以前よりも裕福で快適な暮らしがサヴァには苦痛だった。
無作為に降り注いだ災害という不幸に等しくさらされて、非業の死を遂げた人々が数え切れないほどにいたというのに、自分だけが何の代価も苦労もなく、他人に与えられた幸福を謳歌することなど許されることなのだろうか。
ずるい。
こんなことが許されていいはずがない。無力な子供のうちはまだ甘んじよう。けれども、大人の仲間入りを果たそうという年頃になった時、このままメイクゥーン家の養女になっては胸を張って生きられないとサヴァは意地を張ってしまった。留学も開業も、分不相応に恵まれすぎた環境を脱して、苦労して、努力という代価を費やして自分で成し遂げたかったゆえのことだ。
サヴァ=バッティーラは不幸でなくてはならない。
不幸であってこそ、自分の手にすべき幸福にいつか辿り着くことができる。
つまらない強がり。
贅沢な悩み。
メイクゥーン家の令嬢たるアイゼンリーベとのすれ違いは、このサヴァの屈折した信条のせいだ。
「ネコ、理解はしてやる。出資者として資金を用意できる理由はもういい」
「じゃあ文句ねーんだな」
ふんすと鼻息を荒げる〆はソファーの上で尻尾を逆立てるのをやめ、一旦落ち着いて丸くなる。
アイゼも矛を収めたように装うが、サヴァの肩にまわした手はまだ少々力がこもっている。
「ネコの立場はわかった。しかしココノエ、貴様は出資者だと名乗るのならば要らない存在だ」
「んなっ……」
剣呑な空気が漂っている。
〆もアイゼも舌戦をこれから繰り広げるつもりだ。サヴァは制止したいが、揉め事ではつい言葉を選んでいるうちに事が進み、入る間をなくしてしまいがちだ。
「サヴァはメイクゥーン家の令嬢だ。公に出資を募れば、冒険者ギルドの一つや二つ、開業資金を集めることはそう困難なことではない。我が家が後ろ盾になっていると知っていれば、貸せば確実に利益を生む金の卵だとわかる。もしも事業が失敗しても、当家がその補填を行うことはなる。成功すれば当家との繋がりが強いサヴァに恩を売り、金利も得られる。誰に金を借りるか等、こうなればこちらが選ぶ側だ」
「アイゼ様、それは……」
誤算ではない、市議会の認可を得られなかった想定範囲内の一因である。
正規の手続きに沿って助成金を得ての開業にサヴァはこだわっていたが、メイクゥーン家の私財、それでなくても家名を用いての資金調達は容易である。その“必要がない”サヴァに助成金を払うのは税金の無駄遣いだ。そう、当のメイクゥーン家現当主であるアイゼンリーベの父親、アルフォート・メイクゥーンは議場で言外にちらつかせた。
明言したわけではない。しかし義理の父親が議会の席上に立っているというだけで、事情を知っている一部の者には茶番に見えたことだろう。逆に心象として有利に働いた点も考慮できるので、これを直接の敗因だとサヴァは思わないことにしている。
「はっ! 元はといえば手前ん家が市議会であーだこーだ反対したせいだろ!」
「……確かに、私の父は過保護なところがある。サヴァのことを心配して、独り立ちには早すぎると判断したのだろうが。私も父の気質は窮屈でならん。たまに会えばいつまでも小さい頃のように髭を擦りつけてくるのも気に食わんし、冒険者時代の自慢話が長いのも鬱陶しい」
「私は、アルフォート様にお髭をこすりつけられたことはありませんが……」
「やったら髭ごと顎を真っ二つに斬る、と釘を差してあるからな」
「仲良いのか悪いのかわかんねーなお前ん家……」
呆れた様子の〆をよそに、アイゼは凛然と言葉する。
「我が妹はいつでも開業資金を集めることができる。揺らぐことない事実だ。もし当家の正式な養子になるというのならば、今すぐ支店のひとつやふたつ任せてもいいと父君ならば言うだろう。出資金なんて希薄なつながりは無価値だ。お前がサヴァのそばにいる必然性など、どこにもない」
重い沈黙が場に横たわった。
あの〆が押し黙るほどにアイゼの指摘は痛いところを突いていたらしい。
〆とサヴァの関係はウーニィの金貨袋にはじまる。サヴァにとって、メイクゥーンの家に頼って得た資金には手を出せない理由がある。それに頼れば、サヴァはもう一生メイクゥーンの家の人間として生きねばならない。心ひとつ整理をつければ、すぐそこに幸福な人生が用意されている。それを選べないのは、つまらないこだわりのせいだとはサヴァも自覚している。
〆にはまだ、そうしたサヴァの真意を話したことはない。列挙された事実を元に、〆がいかなる返事をするのか今は待つしかない。
己が不要だといわれてもし〆が退けば、自分に引き止める資格がない。そうサヴァは考えていた。
〆はすっと目を瞑って、しばし黙考してからゆっくりと答える。
「不要必要、必然性……つまんねーこと言いやる、ちっせぇ損得勘定の話をしゃーがって」
あくびを噛む。
〆はバカバカしいとばかりに前足をひらひらさせつつ言ってのける。
「俺様こいつにゃー惚れてんだ。サヴァの隣にいる理由は、俺様にゃーそれで十分だろうが」
「……なんだと?」
惚れている。言い回しとしては、たぶん『人となりが気に入っている』という意味合いだろう。
サヴァは少々気恥ずかしくなった。薄々とは、個人的好意ありきの関係性なのはわかっていた。元より〆には金銭的メリットがない。面白がっての興味本位もあるだろう。理解していたが、第三者の前で公然と言われてしまうことは想定外だった。
「サヴァ、お前はどうだ? あ、あのネコと一緒にいる理由はなんだ?」
個人の好き嫌いの話になってしまえば、商家の威光もさしたる意味がない。こうなってしまえば、アイゼンリーベと〆、どちらをサヴァは気に入っているのか、等という単純な話になってしまう。それがここまでの舌戦の本質だとサヴァは今更に理解する。
アイゼンリーベは甘い。強硬手段に打って出ることもなく、三年間の留学も喜んで認めてくれた。長期休校のたびに帰ってくる。手紙を定期的に出す。もし恋人ができたら殺さないので会わせろ、等の条件つきで譲歩してきた。実の姉ではないので父親譲りの過保護を、過干渉で嫌われないよう自制しているようにみえる。
〆との関係を断ち切られたくはないが、優しい義姉を傷つける訳にもいかない。
サヴァはいざ言葉にするまで迷いに迷いつつ、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「〆様は、私を必ずや幸せにすると約束してくれた……た、大切な……パートナー、です」
静まり返る応接室。
うまく言葉にできたかサヴァは不安になる。〆は得意げに、少々照れ臭そうにしている。
大切な“ビジネス”パートナーだとサヴァに言われたことがくすぐったいらしい。
「ん、んえへへ、ウソは言ってねーんだけどもにゃー……」
「バカな! 我が妹がこんなどこの馬の骨とも知れんやつに……」
「いやどうみても猫の骨だろ」
「うるさい、泥棒馬め!」
「猫な!」
反対に、アイゼンリーベは衝撃を受け、ソファーからよろよろ立ち上がって薙刀に手を伸ばす。
サヴァはすぐさま部屋隅に退避するが、〆は悠然とソファーに座ったままだ。
「ネコ、事と次第によっては斬り殺す」
「はっ。金が通じないとみるや刃に訴えようたぁー無粋だとは思わねーか」
「無粋で構わんさ。妹が、異界の化け猫の子猫を産まされるのだぞ。今すぐ去勢してやる!」
ぎらりと艶めく薙刀の白刃を前にして、〆は笑った。
くつくつと笑って、次第ににゃははと大笑いして目端に涙を浮かべる。
サヴァも両者の決定的な食い違いに気づき、思わずくすりと笑ってしまった。
「な、なにを笑っている! サヴァ、お前もだ」
横一文字、薙刀が振り抜かれる。
実際に当たる軌道でないと体捌きから察知していたのか、〆は微動だにせず、白刃は空を切る。
「俺様が言っても信じやしねーなこいつ……、教えてやれサヴァ」
「え、えと、その、アイゼ様、よ、よくご覧ください」
ぱかっと〆は金貨で少々膨らんだおなかを見せ、仰向けになって無防備な姿勢をとる。
今の〆は白猫であるからして一糸まとわぬケモノ姿、ふわふわした白い体毛で分かりづらいが。
「〆様は……メス猫です」
「……なん、だと?」
薙刀を手から落とすほどに、アイゼンリーベは呆気にとられていた。
無理もない。猫の雄雌を一目で見分けるのは人間には少々難しい。〆の俺様口調は、性別を誤解させるには十分な要素だ。当人も男装の麗人といった装いのせいで誤解させることが多いので、まぎらわしい格好や言動をするなとも言いづらい。
アイゼンリーベの妙に攻撃的な物言いの原因は、〆を素行の悪い異性だと思っていたからか。
無いものを切り落として去勢してやると息巻いていたわけだからアイゼンリーベは怒りに赤々としていた顔を今度は羞恥の赤に染める他なかった。
「……許せ。講習所での三ヶ月間では、猫のオスメスを見極める術までは訓練範囲になかったのだ」
「アイゼ様はひよこ鑑定士にでもなりたいのですか……?」
アイゼンリーベは無言で何事もなかったかのように薙刀をまた鎧櫃に備えつける。
サヴァは一考する。この姉は、〆という雄猫に手篭めにされて、たくさんの子猫を産んで幸せな家庭を築く、等といった未来図を想像たくましく思い描いていたのだろうか。異種族間の婚姻や出産はそれなりに見聞きすることだから無理はない。ただ、それは人間種と亜人種であって、まるっきりの猫と人で想像するのは心配がすぎる。
ただ――しかしである。
姉君は〆の変身能力を、それがサヴァと瓜二つとも知らない。ああも見事に種族の壁を越えて化けるのだから性別の壁を越えて化けられぬとも限らない。実際はできないとしてもアイゼンリーベの疑いの目は避けられない。いつかバレる日が訪れる。
その時はまた、修羅場が待っている――。
サヴァは一難去ってまた一難の予感に気が遠くなる思いだった。
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