記B4.吉凶禍福をまねく故の一週間


『三ヶ月後の夏だな。当初の予定通りに無事、お前たちが冒険者ギルドを開業できなければ――』


 アイゼンリーベは別れ際、条件をつけてきた。

 猶予は三ヶ月間、当初の目標通り。成功できればこれまで通りに自由にしてもいい、と。

 妨害はしない。支援もしない。家名に頼らず成し遂げたいというサヴァの意志を尊重はする。


『私と約束しろ、養子としてメイクゥーンの家に入ることを』


 そして失敗した時、その後の面倒を見る。

 すでに多くの人間を巻き込んでいる以上、開業に失敗すれば失われた信頼は負債になる。再度のチャンスを得るほどに信頼を築き直すには、多大な時間か、メイクゥーンの家名が必要になる。


 サヴァは強い反発を示すこともなく、二つ返事で約束をかわした。

 すべてを失う覚悟で一世一代の大勝負に打って出る人々が炉端の石のように転がる世の中にあって、この条件は優しすぎる。決断というに値しない。

 所詮は子供のわがまま、つまらない意地にすぎないと世間は評するだろう。素直になって義父の下で十年、二十年と研鑽を積むべきだ。それが着実な幸福への道だと。


『私も家業を継ぎいずれギルドマスターの職をやむなく選ぶことになる。がしかし、心血を注ぐお前とは天地の差だ。その熱量、……憧れるが、お前の夢は重くなりすぎている。お前がいつか理想や夢に押し潰されそうになったならば、軽くしてやるのが姉として私にできる務めだ』


 応援してくれている。アイゼはいつでもそうだとサヴァは知っている。

 五年前、哀しみに浸ることでしか生き残ってしまった自分を許せなかったサヴァのことを懸命に面倒見てくれたアイゼはまぎれもなく恩人で、敬愛する姉だ。


 けれど、絶望の淵から立ち直ることができた理由は、その姉への嫉妬と羨望にある。サヴァの失った幼き夢を、アイゼは夢とは思っていない。姉は夢を羨み、妹は現実を妬む。しかし怒りに近しい負の感情は無気力から脱する強い原動力となる。


 アイゼンリーベの愛情を素直に受け入れられる日が訪れるとしたら、この夢を叶えた時だろうか。






 

 アイゼンリーベと別れた後、〆はしばらく無言で前を歩いていく。

 やがて裏路地から抜け出した頃合いで、〆は振り返らずに語りかけてきた。


「俺様は、お前を幸福へ導こうとしてあのシスコンヤローんとこに辿り着いちまったんだ。俺様の見極める“運気”には“主観”が伴う。わかるよな? 俺様の“目”を通してみた場合、お前にとっての幸福はあんにゃろーの家の世話になることだ。だが、手前の“目”にはそう映らねーんだな?」


「……はい」


「にゃーら俺様が姉君に代わってわがままお嬢様の世話するっきゃねーな! んにゃっはっはっ」


 〆は毒づいて笑っている。

 サヴァは今更に気づいてしまった。〆は、サヴァの将来を本気で案じてはいない。刹那的で、利己的なのだ。嫌われてもいいから相手の幸せを願うだとか、そういう自己犠牲を含んだ正しさを持ち合わせていない。


 なのに、なぜか居心地がよい。


「一攫千金のチャンスを棒に振っちまったのは惜しい! 口八丁手八丁でも泣き落としでも、あの金満シスコン甲冑女はホイホイ金をくれたろうに。こーなると問題は、“幸運”の見極めだな。手前がしちめんどくせーもんだから最短ルートを選べねえでやがる」


「え、あ、はい、すみません〆様……」


「サヴァ、もし金貨のたんまり入った財布を拾ったらどーする」


「落とし主を探して返却します」


 つい即答してしまった。

 尻尾をぶわっとふくらませた〆が足元へ駆け寄ってきて、サヴァのすねに体当たりを浴びせる。


「はぐっ」


 もふっとした毛玉でもすねに直撃は痛い。うずくまるサヴァに〆は剣幕でまくしたてる。


「手前はそーする、俺様はそーしない! この“差”が問題だってんだ! いいか、お前の不幸体質の正体はな! 幸福を選り好みすることが原因だ! その気位の高さは嫌いじゃあないが、問題は、俺様の“吉凶禍福をまねく故の怪綺”とは相性が悪い! 手軽で安全に大金が舞い込みそうな吉事の兆しは軒並み、アイテム拾うか融資の話か、どっちも手前はすんなり受け入れやしない! それが今わかったことくらいだってんだよ、半日費やしての収穫は!」


「す、すみません〆様……」


 すねの痛みに耐えながらよくわからない説教をされる。これこそ不幸ではないか。


「こーなるとめんどくせぇ事に、あえて吉事と凶事どっちも孕んだ運気を辿らにゃーならねえ。お前は“結果”より“過程”を重視しやがる。自分をごまかせない以上は、足が棒になるまで歩いて探してもらうぞ、手前の納得できる幸運の兆しをな。行くぞ、サヴァ」


「は、はい、〆様!」


 そう勢いで返事した結果、やはり物事は慎重に選ぶべきだという教訓をサヴァは得ることになる。

 “納得できる幸運の兆し”に遭遇したのは、じつに一週間も後のこと。







 

 空回りの一週間はあっという間に過ぎていった。

 好条件の物件を探す、という本題に沿って各所を回りつつ〆の気まぐれな運に導かれる。

 この運の導き、わざと吉事と凶事がどちらも伴うものを選んで辿った結果、大なり小なりトラブル続きになるのである。




 事件その一。


 冒険者パーティ内の口論に出くわしてしまった〆とサヴァは否応なく仲裁する立場になってしまう。冒険者の中に二人も、幼少期のサヴァを覚えている古参の冒険者が混じっていたせいだ。口論の原因は、報酬の分配にはじまり、役に立たないメンバーを追放する、しないという話になっていた。


 冒険者パーティは報酬の分配で揉めやすい。報酬を均一に分けると貢献度の高いメンバーと低いメンバーが同一の報酬を得ることで不公平感が生じる。逆に貢献度に応じて差をつけすぎても不満が出てしまう。リーダー役にはその裁量権があるも、当のリーダーが優柔不断だったのである。


 そこで第三者かつギルドマネージャーの資格を有するサヴァに白羽の矢が立つ。


「仕方ありません、報酬を頂けるのでしたら……」


 ギルドカードの情報と個々人の聞き取り調査を元にした分析を行い、書類として文章にまとめて資料を作成、さらに適切な解決法として二つのプランを提案する。これに一日を費やした。


 翌日は資料を各人に読んでもらいつつ、議事進行をしつつ仲裁人の役割を果たす。サヴァとしては教育の成果を実践で試してみる良い機会であった。冒険者の相談役になることはギルドマスターになれば日常茶飯事なのである。


「不和の原因は消耗したアイテムの経費計上が不適切なせいではないでしょうか。ポーションのような回復に類するアイテムの類は、所有者と被使用者が異なるケースが多くなるのです。消耗品の使用を所持者の個人負担してしまっているせいで使用をためらわせることでパフォーマンスが低下したり、報酬と出費が釣り合わなくなる。この点を以下の算定表を元に相談し――」


 事が終わってみれば、剣と魔法が飛び交いかねない争いは、筆と紙によって決着をみた。


 サヴァは正当な報酬として金貨一枚を得ることができた。庶民の一ヶ月分にあたる報酬なれど、冒険者の稼ぎを基準にして大騒動を解決せしめたのだから彼らには安いものである。実績ある固定パーティを再結成する手間を考えれば、喧嘩別れになった時の損失は金貨一枚では済まないからだ。


「いや、助かったよ。冒険酒場の小さな看板娘が立派になったものだね……」


「生前は父母がお世話になりました。おじさまにはぜひ、ギルド開業の折にはぜひご贔屓に……」


 こうしてトラブルを解決するのに二日間を費やし、サヴァが得たのは金貨一枚のみ。

 楽しい仕事ができた一方、〆は終始「こいつらめんどくせぇ!」と言っては不満げだった。






 事件その二。


 サヴァと〆は、迷子のこどもを見つけてしまった。親御さんを半日かけて探して、無事に親子は再会できた。そこで謝礼になにか貰えるやもしれないという流れになる。


 が、ついサヴァは断ってしまった。


「私は、両親を亡くして無力に泣いている私に手を差し伸べてくれた優しい人々のように、彼らに恥じることない生き方をしたいだけなのです。どうか、お気持ちだけでおねがいします」


 もし謝礼金を受け取ったりしたらサヴァは根っから善意で良いことをしたのだと胸を張れない気がしてしまい、かといって何のお礼を受けないのも相手の気が済まない、と一宿一飯の世話になる。


「偽善者、かっこつけ、ばーか」


 等と、寝る直前、ふたりきりになった時に〆はしこたま文句をつけてきた。


「清貧を気取るクセに無駄に金のかかる夢を掲げやがって」


 不機嫌そうに振る舞っているが、サヴァよりもずっと親子の再会に貢献してくれたのが〆だ。猫らしい耳と鼻のよさは情報収集に長ける【草】だけあって探偵顔負けの仕事ぶりを披露する。


「心得違いはするなよ、俺様は見ず知らずのガキなんざどうでもいいんだ! 第一この街はそう冷たい人間ばかりでもねえ、運気を見りゃわかる。俺様たちが探さなくたって……」


「ありがとうございます〆様、わがままな私のために一緒に探してくれて」


「……許してやるから、せめてもっと労いやがれ」


 猫にしては甘え下手な〆をたんまり撫でつけながらサヴァは眠りにつく。収支でいえば、夕食と朝食、一日分の宿泊費が浮いたといっても1000ウールにも満たない節約だ。


 これはこれで飽きない一週間ではあった。


 悠長だと〆には怒られるが、好条件の物件を探してまわって街中を巡ることは良い経験になった。

 異なる着眼点を持つ相手と四六時中、あーだこーだと言いながら歩くことで自分では気づけなかったアイディアを得るきっかけになっている。即座に、そして多くは役立つことがなくとも、スケッチブックに書き留めたい事柄はじつに多かった。


 そしてついに遭遇した“納得できる幸運の兆し”はまさに盲点の極致だった。






 真夜中の歓楽街――。


 不徳と淫蕩、享楽の渦巻く夜の街は灯火に彩られて夜闇にぼんやりと浮かび上がっていた。

 表通り、路面衆力車沿いにある四階建ての豪奢なその建物だけが暗がりになっている。


 かつては退廃と快楽の象徴として一番に輝いていたはずの娼館『月桂館』跡地である。


 五年前の災害によって“何か”があったという噂はあったものの、それが未だに手つかずのまま、建物の外観は綺麗なままに、死んだように眠っている。


「特大の吉兆と凶兆がここにゃーあるが、それ以上にどうにも匂いやがる、これは――」


 月桂樹の葉をあしらった繊細な装飾の散りばめられた月桂館の優美な外観、歓楽街の一等地にして路面衆力車の停車駅がほど近いという立地、かつて娼館であった大きく広い四階建ての建物はいくらでも業務上欲しいスペースを確保できる。


 かつての資産価値はサヴァの試算では、ともすれば約3000万ウール、金貨千枚に値する。

 文字通りの『値千金』である。


 この素晴らしい物件が未だ手つかずでの放置とは、単なる事故物件では説明できない。


「この幽霊屋敷にゃー“妖怪”が棲んでやがる」


「ゆ、幽霊……!?」


「俺様が探ってくる、待ってな」


 〆は悪巧み顔でそう言って、猫が通れるわずかな壁の隙間を見つけては幽霊屋敷に潜入する。


「ど、どうか神様、私と私の善き隣人にご加護を……」


 薄気味悪い館の門前に放置されたサヴァはひとり、聖印を握って神に祈りを捧げる他なかった。

 留学先にて見習い神官として修練を積んだのは一年と少々、途中で才能がないと諦らめてしまった信心の薄いサヴァには悲しいかな、神の奇跡や加護は微々たるものしかないというのに。

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