記B2.メイクゥーン迷宮商会の令嬢
○
白猫の〆に導かれるままにサヴァはグリズリアの街中を目的地も定まらぬまま歩きに歩く。
〆曰く、万物は“運気”を纏っている。
〆は運気を見極めることでよりよい結果を導き出せる、らしい。
サヴァにしてみると目に見えない運勢の可視化はにわかには信じがたいが、よく当たると評判の占い師くらいならば見聞きしたことがある。本物かはさておき、運勢という概念はありふれている。
「こっちだ女、値千金のチャンスを感じる!」
「……あの、せめて表通りを」
問題は猫ゆえか、〆はすぐに路地裏だとか、狭い道を平然と選ぶ。リュックを背負い、体力もあまりないサヴァは街中のあっちこっちを不規則に移動するだけでへとへとになっていた。
「い、一体どこに向かおうとして……」
「はっ! 俺様が知る訳ねぇーだろ! 運勢に訊け!」
理不尽な物言いになにか言い返したくなるが、慎重に一考する。〆はあくまでサヴァのために見知らぬ街を探し回っているのだから、助けられている側のサヴァが文句を言うのは失礼だ。
不平不満をこぼすより努力している〆を褒めたり労う方がここは正しいとサヴァは考え直す。
「あの、道に迷ったら私に聞いてください。これでも、その、生まれ育った街ですから……」
「必要なときはな。と、こっちの道はダメだ、不吉な予感がする」
とっさにサヴァは足を止める。
洗濯物が吊るしてあるような薄暗い裏路地の中、〆は前方を警戒してサヴァに回り道させる。
実際にその後で「不吉なこと」が起きたかを目撃したわけではない。例えば、不意に上から濡れた洗濯物が落ちてきたとして、道をひとつ違えてしまえば実際なにが起きたかはわからない。
〆の自称する「運気を操る」「幸福をまねく」といった能力を確固として実感したことはない。
ただ、あきらかに不可思議な存在である〆の実在している以上、ことさら能力を疑う理由もない。
「〆様、疲れはありませんか? 運にまつわる御力というのは、やはりこの世界の魔術と魔力のように心の力を酷使するのではないかと」
「たかだか運気を観測する、それだけで疲れ果てたりはしねーよ俺様は。んなことより、何だ、手前こそ無理はするなよ、弱っちいんだから」
「は、はい、お気遣いありがとうございます」
逆にこちらが心配されてしまい、サヴァは不甲斐なさに小さくなる思いだ。
そんなこんなで辿り着いてしまった場所の意外さに、サヴァのみならず〆までも驚かされた。
『メイクゥーン迷宮商会』
路地裏の奥地にひっそりとある簡素な建物は、その因縁深い看板を掲げていた。
なんだこりゃと首を傾げる〆をよそに、サヴァは今にも帰りたくて後ずさってしまった。
ここは同業他社の支店だ。
等と、ごにょごにょ〆に耳打ちすると、かえって〆は興味深そうに尻尾をゆらした。
入り口そばでもたついている合間に、迷宮ギルドを訪ねてきた数名の冒険者たちが横切っていく。鎧に剣、鞄にランタン。重い荷物を背負い、これから迷宮の奥深くへと挑戦しようという冒険者の若者たちに比べて、猫一匹と挙動不審の華奢な少女がひとり。不審がる目つきを向けられてしまった。
「はっ。異界門が見つかった場所に無理やり居を構えるもんだから、こんな辺鄙な場所にうさんくせえ掘っ立て小屋があるわけだ。そんでも金銀財宝の眠る迷宮の入り口とくれば人も集まると」
「それでも、宿ぐらしの私とは大違いですから……」
金属音。
先ほどの冒険者たちも武具を纏っていたが、それよりさらに重甲な音が近づいてくる。
「さあて、吉兆のおでましだ」
「な、何でしょう……」
重たい足取りがついに迷宮ギルドの木扉の前へ。サヴァは息を呑み、覚悟を決める。
現れたのは意外な人物だった。
それはきっと〆にとっても、サヴァにとってもだ。
「アイゼンリーベ!」
「……アイゼ」
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〆とサヴァは同一人物を、少々異なる名前で呼んでいた。
なぜか鈍色の重たげな鎧を着込んでいるが、すらりと高い背に金髪、いつも美男子に見間違われていた凛々しく整った顔立ちは他人の空似ではないだろう。
久しぶりの再会に、サヴァは困惑する。こんなところで出会うとはまったくの想定外だ。
対応を決めかねている間に、〆が親しげに金髪重装の麗人に話しかける。
「よぉ、手前だったのか幸運の兆しは。元気そうだな、アイゼンリーベ」
「なんだネコか。飼い主のイグサーノはどうした」
「飼い猫じゃねーよ喧嘩売ってんのか手前!」
「そうか、野良猫だったのか」
「だれが野良だてやんでえ! ありがたーい招き猫だぞ俺様は!」
「残念だ。かわいそうな野良猫だったら私とてホットミルクのひとつくらい恵んでやったものを」
「冷たいままでいいからよこせ!」
サヴァは不用意に発言することもできず、両者の言い合いが一段落つくのを待つ。
なぜ、この両者に接点があるのか――。
彼女の名はアイゼ。アイゼンリーベ=メイクゥーン。
冒険者ギルド三大手の一角、メイクゥーン迷宮商会の令嬢にして次期当主である。
「ところでネコ、彼女はもしや……」
「飼い主じゃねーつってんだろうが!」
「うるさいネコ。教えてくれ、お前は……サヴァ=バッティーラ、なのか?」
不服そうに絡んでくる〆を軽くあしらい、彼女――アイゼは迫ってくる。
重甲な鎧も相まって、すぐそばに詰め寄られると身長差がずいぶんとあり、サヴァは後ずさる。
「……ご無沙汰しております、アイゼ様」
サヴァは恭しく、そう、まるで臣下の礼を示すかのように屈み、頭を垂れる。
今度はアイゼが片膝をつき、慈しむように、鎧で痛い思いをさせぬようそっと抱きしめてくる。
「いつか、この街に帰ってくる日を私は心待ちにしていた。ああ、我が愛しき妹よ」
感動の再会、という気持ちには到底程遠かった。
それでも、嬉しそうに接してくるアイゼを拒むことができず、サヴァは抱擁に身を委ねる。
「……にゃぬ?」
二人は一体どういう関係なのか。
そう不思議がる順番は、どうやら今度は〆にまわってきたようだ。
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