記C4.百万回生まれ変わったとしても

「にゃ~んだよあの三人娘ってのは急にしゃしゃり出てきて親友面しゃーがって」


「んも、〆様ったらまたたびに溺れちゃダメですよー」


 喫茶店「バステト」、朝の九時。


 絶えることない強めの雨音と蓄音機の奏でる穏やかな音楽。酒類の提供は行っていないが、ここは店内で触れ合うことのできる五匹の飼い猫たちに与えるためのまたたびなら売ってくれる。


 ふらりと月桂館を出てきたものの猛烈な雨に降られた〆は、この行きつけの喫茶店に逃げ込んだ。カッコつけて家出したのに歩いて五分と掛からぬご近所に留まっている己の不甲斐なさを尻目に、〆は常連客であるタタミンになだめられていた。


「猫用タオル借りてきましたよ、ご主人さま」


 奴隷のクオラはやや粗雑な手つきでわしわしと雨に濡れた〆の身体を拭き取っていく。


 喫茶店のマスターは寡黙にその様子を見守ってくれている。必要最小限しか話さない手合だ。無類の猫好きらしく〆には何かと甘い。雨模様と時間帯もあって、来客は少なく暇そうだ。


「手のかかる駄猫なんだから。世話のかかるペットじゃないんだから自分で拭いたらどうなの?」


「うるへー」


「ホント、この場で首輪つけてるのが飼い猫とわたしだけなのはどうかと思うわ」


 【敵対種】であるクオラは『隷属の首輪』という魔術道具を首に巻いている。


 隷属の首輪は、着用者の能力を制限する。普段どおりに暮らす上では支障がないものの、魔術の行使や戦闘行為には大幅な制限が働く。また主人と一定距離を離れることも制限する。


 こうして公共の場で活動するとき、隷属の首輪を着用させることは奴隷の所有者の義務である。


 隷属の首輪をつけている【敵対種】は主人がそばにいて敵意もなく安全だとみなされる一方、首輪のない【敵対種】は猛獣や敵兵も同然であって騒ぎになる。もし敵対種側の領域で、何の束縛もなく見知らぬ【友好種】が我が物顔で歩いていれば殺されても文句はいえない。


 タタミンのように社会的地位を築き上げることができた例外を除けば、敵対種族であるエルフの生命と財産を保証してくれるのは法律と所有者に他ならない。


 喫茶店の飼い猫たちも奴隷のクオラも、所有者に庇護されて他者が傷つけることは許されず、そして格別に愛玩されているという点では大差がないわけだ。


 そして白猫の〆には首輪がない。

 自由なはずなのに、行き場がなくてここに居る。


「ねえ、ずっと不思議に思ってたんだけど、あなたここの猫達と会話しないの? ご主人さまにばっかりつまらない愚痴をさっきからこぼしてるけど」


「はぁ? 手前は猫語さえ話せりゃ飼い猫と楽しくおしゃべりできるのになとでも思ってんのか?」


「だって同じ猫でしょう?」


 不思議がるクオラと不機嫌な〆に仲立ちするようにタタミンが人差し指を立てて解説する。


「一般に、普通の猫ちゃんは人間種の二歳から三歳くらいの賢さだといわれているのですねー」


「さすがご主人さま、博識ね!」


「やいやい! 手前の露骨な主人贔屓は何なんだホント! 誇り高きエルフはどうした!」


「ああ、知らないんだ、ふーん」


 〆が食い下がるとクオラは仕返しとばかりに口許を隠してバカにしてくる。


「私も“痛い目”をみてから知ったけど、タタミン様は高貴なる森の精霊ドリアードの血を引いている貴種よ。エルフにとって信仰すべき樹神の眷属なの、精霊様の末裔なの。四半精霊クォーターだとしても切り傷つけようとしたことがバレたら罰当たりすぎて親に勘当されかねないわ……」


 クオラはわなわな手を震わせ、大げさに恐ろしがる。

 当のタタミンが困惑してきょとんとしているので彼女にとっても異文化らしい。


「人間の奴隷は死んでもイヤだけど、四半精霊の奴隷は名誉なくらいよ。飼い猫だって、貴方たちの価値観でいえば王様や大富豪に飼われていたら人間の庶民より偉いでしょ」


「こいつも元は奴隷だぞ」


「その元主人は誰ですか? 天罰が下ります、いえ与えます」


「ダメですよー? お師匠様は冷酷非道な人ですけど今の私があるのはあの人のおかげですから」


 タタミンは猛犬注意の看板が必要そうなクオラをなだめる。

 軽い酩酊状態の〆の愚痴を聞いてくれたかと思えば、今度は奴隷の機嫌をとっているとは。何度もいっしょに冒険に赴いてよくわかる。タタミンはまとめ役が向いている。


 そして〆はこうも考えていた。

 タタミン・イグサーノは自立したリーダー役であって、同じく冒険者ギルドの経営を背負って立つサヴァとは立ち位置が近すぎる。両者は協力関係にこそあるが、互いに従属する気がない。


 そもそも論、サヴァを悩ませていた一連の資金不足だってタタミンも一蓮托生の覚悟があれば調達できない金額ではなかった。サヴァは相互に利益のある“商談”だけをタタミンに持ちかけている。常にビジネスパートナーとしての線引がある。


 友に金を貸せば、友と金を失う。

 よくあることわざだ。そうした関係性の破綻を恐れてのこともあって資金拠出に手を貸さないのだと思っていたが、やはり、そうではない。


「なぁタタミン、手前……ホントはサヴァに“勝ちたい”んじゃないのか?」


「……私、負けてます?」


 タタミンはまた不思議そうに小首を傾げ、愛想笑いを浮かべている。

 ここでしゃしゃり出てくるのがクオラだ。睨みつけて「失礼ね! あの借金まみれの野菜泥棒にご主人さまの何が負けているというのよ!」とわんわん吠えてくる。


 いっそ清々しい忠犬ぶりを〆は羨ましがりつつ神妙になって答えてやる。


「んにゃ、これまでは勝負がはじまってねーんだ。五年前の災害でいっぺんに何もかんも失っちまった時点でな。手前はサヴァを勝負のスタートラインに立たせてやりたかったんじゃねーのか? 選んだ職業は違っても、互いをライバルとみなしてな。なぁ、手前は不戦勝で満足できる手合か?」


 緑眼を丸めて、タタミンは驚く。しかしすぐに納得したように苦笑いして、ミルクたっぷりの甘いコーヒーを一口呑み、ゆったりと黙す。


「〆様はおっしゃってましたよね、親友面した三人娘が気に食わない、と」


「薄汚い嫉妬心まるだしでな。ナゴにスズキにベニーシャ、二ヶ月前に屋敷へ住み込みで引っ越してきた時は何なんだこいつら新顔のクセに! と思ったもんだ。……なんのこたぁーない、苦楽を共にした時間はあいつらとの方がずっと長いんだってな」


「それ、私も思い知らされちゃいましたねー。あはははは……」


 軽いまたたびの酩酊感のおかげか、〆は舌がよくまわる。タタミンは酔っ払ってはいないが。

 〆が店にやってきた時、垣間見た彼女の幼くて小さな背中姿はいやに大人びていた。


「サヴァお姉さん、他人の悪口は滅多に口にしないんですよー。それだけ他人に気を許してないんでしょうねー。なのにあの子達には遠慮がなくて、ああ、本当の親友ってああいうのなんですねー。私の唯一生き残ってくれていたお友達だったはずなんですけどね、サヴァお姉さんは」


「いいじゃねえか、今はっきりしたろう? 手前もあいつも“そう”じゃなかった」


「……師匠の意図がやっとわかりました。あの人がサヴァお姉さんとの時間を与えくれたのは、私に死なないお友達をくれたんじゃなくて、競い合わせる目標を与えてやりたかったんだなぁって」


 すっと手を広げるものだから、〆は仕方なくタタミンの懐中に収まってやった。


 撫でる加減はちょうどよい。タタミンとはこの二ヶ月間余り、何度となく冒険を共にしてきたのだから嫌がられない触り方のひとつくらい彼女も心得があるというものだ。


 客観的な時間という尺度でいえば、〆はサヴァよりタタミンとの方が過ごした時間は長い。

 不思議なことに、それでもタタミンの方により好意を抱くわけではないので事は単純でない。


「今日からあいつは知らない間に、手前との人生の競争を再開しちまうわけだ。月桂館に顔を出しもせず、ここで遠巻きに開店当日の様子を伺ってるのはそーゆーこったろう? サヴァの方は無自覚かもしんねーけど、生涯かけてのライバルは親友より得難いものかもしんねーぜ」


「……ですねー」


 〆にとってもひとつ心残りがすっきりした。

 義姉のアイゼンリーベと幼馴染のタタミン、ふたりの協力者にして好敵手に恵まれたサヴァは仲間以外にも恵まれている。三人の学友たちや慕ってくれる新米の部下、そうした仲間は頼りになるが切磋琢磨する相手とはいえない。


 今日の開業によってサヴァは当初の夢を叶えて、己への呪いから自らを解き放つことになる。

 夢への呪いという強大な原動力を失っても、好敵手の存在は彼女に新たな目標を与えるだろう。


「はぁ……私ってやつぁホント学ばねぇな」


 これで本当に何一つ、サヴァの将来を憂う材料がなくなってしまった。


 大妖怪九重〆の必要性はもうホントのホントにどこにも欠片たりともないのである。


 そこいらで気ままに寛ぐ喫茶店の猫を羨んで眺めてみる。〆のことを同じ猫ともみなしてはいないのか、終始無視されているのだ。あるいは猫たちには不気味な妖怪か、はたまた50ウールの陶器の置物にでも見えているのやもしれない。


 〆は猫のまがいものである。猫でも、物でも、人でもなく、妖怪なのである。

 妖怪はいかにして生きるべきかということを、〆は長く生きる中でまだ悟ってはいないのだ。


「わたし、気持ち悪くてしょうがないんですけどこいつ何をずっとうだうだ愚痴ってるんですか?」


 辛辣、敵意に近いクオラの物言いも今はかえって清々しい。


「うるせーな、長生きしなきゃわかんねー悩みってのがあるんだよ」


「え、何歳?」


「だいたい二百五十歳くらいだが」


 ぷはっ、とクオラはツボにハマったようにくつくつ笑った。


「なんだ年下じゃないの! わたしの方が十年は人生の先輩ね、クオラ姉さんと呼んでいいのよ」


「……まさか」


「ええ! 私の十倍も生きてたんですねー……これはでっかいおどろきです」


 エルフが長命な種族とは知っていても、まさか〆の齢を越えていたとは。二百六十歳で、十三歳の幼い少女の犬に成り下がっている哀れな残念生物がいたとは。

 十倍の年齢差があって、命令されれば幼女の足を喜んでぺろぺろ舐めるほど堕ちるお姉さんとは。


「エルフの基準では、わたしはまだ若者なの。妖怪とやらはよくわかんないけど、あなた自分が思ってるほどに長生きはしてないんじゃない?」


「うるせーな、俺様は人間の何倍も生きてるんだよ、もう何回も同じ失敗を……」


「人生は一度きり。長くても短くてもよ」


 意外。想定外。


 〆は先読みに長けている。大抵の物事は予兆や予測ありきで本気で驚かされることは少ない。

 クオラとの遭遇こそは〆が導いた幸運の結果だ。それは大金を得るためでしかなくて、金貨にも勝りうる金言を得るだなんて思ってもみなかった。


 何の変哲もない、考えてみれば当たり前のことながら。それを口にするのは大抵、〆よりは長生きのできない人間たちが短くも尊い一生を後悔しないように言うものだ。しかしより長命な種族のクオラが物語るのは意味が異なる。長くとも一度きりの人生なのだと〆は忘れ去っていた。


 衝撃を受ける〆をよそに、クオラ当人は何の感慨もなく続ける。


「あの憎き鎧の薙刀使いに討たれた私の仲間のエルフだって、何百年も生きてたしまだ死ぬつもりもなかったんだもの。長生きできるからと晩婚化が進みがちで、ここ百年は“命短し恋せよエルフ”なんて標語があるくらいよ。人生は長い、何度でもやり直せるってのは前向きに生きる方便であって後ろ向きに投げ出すためのもんじゃないわよ、あんたバカなの?」


 〆は何も言い返せなかった。

 振り返ってみれば、そう、最初からそうだった。


 幸運を招く妖怪として、何人もの人生を見届けては離れていった。その繰り返しをするうちに、まるで自分が何回もの人生を歩んでいるかのように錯覚してしまっていた。


 サヴァと相対した時、若くして冒険者ギルドを開業するという壮大で無謀な夢を物語る彼女を、〆は十年待てばいいだけと軽く見積もった。事実には相違ないだろう。しかしそれは他人の人生に何度となく寄り添ってきた〆のズレた感覚に他ならず、一度の大災害によって根こそぎ何もかもを失ったサヴァには十年後も遠く不確かなもので、そして何より――。


 じれったい。


 過去が長くて、未来が視えすぎてしまうせいで、〆は現在を本気では生きてこれなかった。

 これまでもこれからも、無根拠に次のチャンスがあると信じていた。


 こんなことでは百万回生まれ変わったとしても、己が望む幸福な一生は手に入らない。


 そんな、小さくて大切なことに〆は気付かされたのである。


「……クオラ、タタミン、例えば俺様がこれから冒険者として生きるとしたらどうなる?」


「サメに食われて死ぬ」


「そうですね、既にこの二ヶ月間だけで準二級に昇格ですからねー」


「ご主人さまをかばって死ぬ」


「第一級の冒険者として後世に名を残すことも現実的な目標にできると思います、けど――」


「痴情のもつれで死ね!」


「新しい出逢い、また違った運命の人に巡り会えたとしても、何も言わずにあの人から逃げ出してしまった後悔までは無かったことにできないと、私は、私なりに思いますかね」


「とにかく死ぬ! だから告るなら告っておきなさいよイライラさせるわね!」


 剛柔きれいに分かれても、主従の言いたいことはどうやら同じようだ。

 ――玉砕覚悟、素直な気持ちを伝えるべきだ、と。

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