記A3.金貨食らいの化け猫
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くぁ、と白猫はあくびを噛む。
「ふうん、幸せだった頃の夢ってやつかね」
白猫は枕元で尾をくねらせ、月影に濡れたサヴァの寝顔を見下ろしていた。
挿絵(By みてみん)
乱雑に例えるならば、籠の中で愛でられる白無垢の小鳥――。地下室ではあれだけ煤まみれになっていたのに、宿屋に帰って身を清めれば、指先は白く細やかで。牙を立て、噛みつきたくなる気持ちは猫でなくても理解者はいる。悲鳴でさえ気品は伴う。
夜空の銀月を砕いて散りばめたような髪も艶やかだ。
一晩中といわずまでも、数分はつぶさに眺めているだけでも面白かろうが、そうもいかない。
「ん……むぅ」
サヴァは目を擦り、うろんな眼差しで半身を起こしながら白猫のことを見ようとする。
白猫は後ろ足で体を掻きつつ、少々面倒くさがって言葉する。
「まず、静かにだ。金貨を永遠に失いたくなければ、お互いのために」
「……は、はい」
サヴァは口に手をあてて、それなりに困惑の色を見せつつも利発なことに大人しく黙している。
言葉や行動を選ぶに際して、慎重に、臆病に、まず一考してから動くタイプらしい。
白猫はひょいと窓辺に飛び移って、月夜を背にして少々芝居じみて語ることにする。
「遠からんものは音に聞け、近くば寄って目にも見よ」
陰影がぼやける。
万華鏡越しに目にするように白猫は散乱し、渦巻き、新たな形を織り成していく。
禍々しいとも、神々しいともいえない。
それはそれは妖しく、怪しいものであった。
青白い焔がひとつ、ふたつ。冷たい輝きを湛えて、うすぼんやりと月明かりと溶け合っている。
それは人に似せて形作られる、人ならざる者として顕現する。
「“千両万客の白描”九重
驚嘆すべきは二つ。
人と猫のないまぜになった歪なれど幽微ないでたち。
一糸まとわぬ裸身を気まぐれに白毛が覆い、青白い焔と月明かりに彩られたさまは絵画の如し。
そして何より、その素体は眼前のサヴァを写し取ったかのように似通っていた。
挿絵(By みてみん)
言葉もない、という様子のサヴァを見下ろしては白猫――〆は得意げに笑ってみる。
「どうだ、恐れ入ったか! これが“大妖怪”〆様の業前よ!」
「ダイヨーカイ……」
ぽかーんとしている。
サヴァは言葉もなく、呆気にとられている。思考が止まっているようだ。
「……おどろきました」
「期待通りで大変よろしい」
サヴァは従順かつ素直に応える。なぜ自らと同じ姿になったのか、等のあって然るべきことを聞いてこないのは饒舌に語っている〆の言葉を遮り、機嫌を損ねてはならないとの考えだろう。
一も二もなく、この場の優劣をわきまえている。少々面白みに欠ける処世術をサヴァが若くして身につけてしまったのはいかな生い立ちによるものか。
ただ、発言の許可をそれとなく示さないと応えようとしないのも張り合いがないなと〆は思う。
「理解が及んでいないのはいい、じきにわかるこった。大事なのは……」
〆は窓辺から降りて、ベッドに座り、サヴァの手首を掴んで丁寧に引き寄せる。
手にとっているのだから、緊張が、触れてみればよくわかる。
恐怖と困惑と、それに好奇心もあるだろうか。目をそらさぬサヴァの表情はそう読み取れた。
「良い子には褒美をくれてやらねえと、なぁ」
掌を開かせ、つつ……と〆は舌で舐め上げた。
ぬめった感触に「ん」と小さな嗚咽をあげる。掌の上に残った冷たく硬いモノが残されている。
金貨だ。
地下室で消えてしまったはずの、あの金貨と同じであろうものが一枚、掌の上にある。
「やっぱり、あの時に……」
「そうさ、この腹ン中に“貯金”してあるわけだ。どれ、触れてみろ」
手首を引き寄せ、今度は〆の細やかな腹部をサヴァに触らせる。ふにふにとして柔らかなうら若い人肌の向こう側に、ちょんと指先を押し当てれば、金属の擦れる音がする。奇っ怪なれど、夢現のことではない。数十枚という大量の金貨が確かに、〆の胴中にはあるのだと実感させてやる。
「あれだけの金貨を、このおなかに……」
サヴァは信じがたいことに直に触れて、気圧されつつも、ぐい、ぐいと感触を再確認する。
ぐい、ぐい。
ぐい、ぐい、ぐい。
「おい」
ぐい、ぐい、なで、なで、さわ、ぐい、ぐい。
「おい!?」
「……このおなかに、私の大事な……」
あろうことか、サヴァは〆のおなかにぴたと耳を押し当てて、金貨の音を聴こうとしてきたのだ。
一転して、悪戯にからかっていた立場が覆ってしまい、かといって大慌てでサヴァを引き剥がそうものなら威厳が失われかねない。こみあげてくる気恥ずかしさを押し殺して、やんわり「それくらいでいいだろう」と手で押しやって離れさせる。
「失礼しました、つい」
「ふん、わかればいいってことよ」
こほんと咳払いし。
「女、この金貨を預かっている以上、手前は俺様に逆らえる立場じゃあねえ。それはよおく理解できてるとみた。しかしまだ、俺様に感謝すべき立場だってことは理解できてねえときたもんだ」
押し倒す。
ベッドが軋む。肩を押さえられたサヴァは軽く痛がるが、声を抑えて耐えた。
獲物を踏み捕まえた〆は愉しげに言葉する。
「この腹ン中にある金貨、こいつぁー手前のモンじゃねえンだろう?」
睨みつける〆の視線に対して、サヴァは苦しげに顔を背ける。図星なのだろう。
弱みを握ったからには抉ってやるのが世の習いだ。
「なぜ、そう考えるので」
「悪いが盗み見させてもらったぜ、今宵の夢をちっとばかしなぁ。この金貨は夢にでてきた栗鼠女のモノ。大金を盗まれて誰に相談するでもなく泣き寝入りってのが証拠だ。違うか?」
「……夢を」
サヴァは驚嘆を軽く示すも、それは今更のこと、すでにこれだけ〆の特異な能力を見せつけられたのだから夢を覗き見るということは重大ではない。サヴァにとっての問題は見られてしまった夢の、その意味するところだろう。
下手な隠し立てはできないと観念してのことか、サヴァは従順に答える。
「――金貨の隠し場所を教えてもらったのはずっと前のことです。あの人は――、ウーニィは皆に慕われる立派な冒険者でした。一財を築いた冒険者の多くはその資産を、銀行や信頼できる相手に預ける、あるいは隠しておくことが常です。いつ死ぬともわからない冒険に挑むときに、必要以上の財貨を持ち歩いてもしようがない。ウーニィもまた、信頼できる相手に預けたのです」
「すっ転んで涙ぐむお子様に、か?」
「いえ、預けた相手は父でした。酒場の店主であれば店内の床下ならいつでも目が届くし、預かるだけの信頼もされていた……と、記憶しているのですが」
「それまで、それまで」
言い淀んだサヴァを制す。
あの地下室の様子を見れば、自ずと察しがつく。父親は死んだ。母親も死んだ。
五年前の震災が根こそぎ、あの幼き夢のつづきを奪い去った。
それを切々と語らせたところでお互いに意味がない。今してるのは悲しい過去のはなしではない。サヴァとて、哀れんでほしがっているわけでもないだろう。
今してるのは後ろ暗い金貨をめぐる、現在のはなしだ。
「つまりはサヴァ、おめェは父親に代わって預かった金貨を管理する立場なわけだとして、その栗鼠女が公に死んでいりゃあ遺産の処遇は、お天道様の下で決着がつく。暗闇でこそこそ掘り返してた手前にとってそいつぁー不都合なわけだ。その金貨を、この〆様が“奪ってやった”おかげであの場あの時には隠し通せたンだから感謝しろってのはそーゆーこった」
こくん、とサヴァは首肯した。
地下室の男がもし殺して奪おうという悪漢でも、あるいは善良な市民であったとしても、サヴァは金貨袋のことを知られてしまえば一巻の終わりだった。
もし、九重 〆という得体のしれない怪物にとって金貨が何より大事ならば、そのまま逃げ切ってしまえば事は済む。金貨を交渉材料として何かを提案――いや、要求しようとしている。早いうちにサヴァはそれを理解して、喚き散らしたりもせずにおとなしくしている。
なかなかどうして度胸があるものだと〆は面白がる。
「やっこさん遺族は?」
「天涯孤独、だと聞いています。あの人は父や私に常々言っていたのです。たしか、そう……『冒険者の一生は宝箱と心得る。先達のお宝に一喜一憂させてもらい、死ねば次の宝箱と成り果てる。生きてるうちに死んだ後のことまで楽しめるってのは面白い』……と、そんなことを」
「命拾いの法ってやつだな」
「……道半ばで亡くなった冒険者のことを“宝箱”と呼ぶこともあるとよく聞かされていました」
「で、そのウーニィってのはつまり自分が死んだ時には預けた金をくれてやる、とでも言い残してたってんだな。するてーと、問題は何だ? ああいや、そーゆーことか」
〆は馬乗りになって軽く押さえつけていたサヴァの肩を、ようやく離してやる。
ニタリ、と悪どい顔で笑ってみせて。
「死体のひとつもまだ見つかってやいねえのに“遺産”を手前のモノにはできねえってんだな」
サヴァは黙って首肯する。
が、どこか苦々しそうな表情を見せる。
「早く遺体になって見つかってほしい、そう微かにも思わなかったかといえば嘘になります。純朴に生きていてほしいと願っていられたのは何歳の頃までだったんでしょうね……」
「ここにきて綺麗事をいわれるよりは悪かぁーねえよ」
自分と瓜二つ、鏡合わせの怪物にそういわれてサヴァはいかな心境か、表情からは読みきれない。
自らの醜悪を恥じつつも冷酷さもやむないと納得しているのだろうか。
父も母も慕っていた人も失っている身の上で、まだあの人は死んだと限らない等と根拠のない希望を抱いているよりはまともではある。
「何年かかる?」
「失踪宣告は七年後、あと二年は……」
再開発が行われる都合上、隠されていた冒険者の遺産を回収するのは今のうち。建物の取り壊し以前でなくてはならない。
しかし二年後には正当に自分の所有権を主張できる遺産を、今すぐに自分のモノにしたい。サヴァには二年後であってはならない理由があるのだ。
〆は自らの手首をぺろりと舐め、白い猫の耳をピンと立ててはくつくつと笑った。
「貸してやる」
白っぽい、サヴァの似姿にしては少々膨らんだ金貨入りの腹をさすって。
「お前は“預かった金貨”には手をつけず、代わりに“オレ様の金貨”を借りるンんだよ」
「借り、る? でも、それは何の意味が……」
「この腹ン中に入っちまった以上こいつぁーオレ様の金貨だろうよ? ってこたぁーそのオレ様から借りた金は出処はさておき、もはや“ウ―ニィの遺産”とやらではねーってこった」
またサヴァは唖然とする。サンドイッチを海鳥にかっさらわれたかのように。
そして熟考する。
この取引はまずもって対等ではない。〆はいつでも金貨を持ち逃げでき、サヴァに奪還の術はない。金貨の行方という一点に限れば、貸し借りであれ何であれ、サヴァの手元に戻るのは彼女にとって望ましい。対外的にはほとんど意味がなくても、サヴァ自身にとって、ウ―ニィの遺産に手をつけるよりは〆の盗んだ金貨を借りる方がまだ、自分に言い訳ができる。
憂慮すべきは〆にとっての利点がよくわからない、ということだろう。サヴァに有利すぎるのだ。
「利子や、付随した条件は……?」
「無利子。条件は――“面白いこと”だ」
〆は妖しげに尻尾をくねらせて囁く。
「“千両万客の白猫”と名乗ったようにオレ様は幸運を招く猫様よ。憑いた相手に幸運をもたらせるとして、つまらないヤツを見守ってるのは退屈だ。毎日を過ごす上での一番大事な娯楽がほしい、っていうのは理由にならねえか?」
本心のつもりだ。
五年間も〆は瓦礫に埋もれて退屈この上なかった。そこにサヴァという面白そうなヤツが現れた。
今こうして話してる分には陰気で大人しくて地味だ。少々見てくれはよかろうと魅力に溢れているとか、個性的とは言い難い。少々、〆も迷うところはある。
ゆえに確かめねばならない。
「ここが肝心要の観艦式! 女、手前の魂胆、この腹ン中の金貨が欲しくば語って魅せろい」
迫る〆。
黙すサヴァ。
ベッドを降りて、リュックの中身を改めると、サヴァは一冊のスケッチブックを開いてみせた。
夜闇の中、青白い妖焔と月明かりによって記された一枚の画が浮かび上がる。
ソレは――。
極彩色の、稚拙な、幼気で、才能のかけらも感じさせぬ――。
いつの日にか描いたであろう、憧れ。
「冒険者ギルドを――」
存外つまらない話のようだ。と、〆は落胆の色を示す。
亡くなった両親の跡目を継ぎ、失われた過去を思い描いてのことであるならば、冒険者ギルドをやり直そうだなんて安直でつまらなそうだ。絵空事、夢物語というほど不可能でもなく、それなりの歳月と資金、真っ当な努力と才覚があればサヴァには順当に可能だろう。
それが何年先のことになるものか、下積みから開業まで何十年と付き合うのでは退屈がすぎる。
このまま金貨をそっくりそのまま吐き出して、次の候補を当て所なく探してみるべきか。
そう、〆は自らの見る目のなさを――。
「冒険者ギルドを開業するにあたっての事業計画に欠かせないのは失効間近に迫っている新大陸冒険者ギルド協会の公認許可証の更新であり本年度を過ぎると公認の取り消しにより再取得を余儀なくされ必要コストと時間の増大は看過しがたい損失になりますからして早期の開業を見送るべきではないと確信しますし機運をみても冒険者ギルドの需要の高まりは新規参入の大いなるチャンスと言えるでしょう二年後では遅いという他になくグリズリアのギルド大手三社がいずれもトラブルを抱えている今こそ好機とみますが勿論それら三社とりわけ市立レオハンズ冒険院の行政直轄という優位性を正面から切り崩すのは容易でなく質と量どちらも正攻法で太刀打ちしがたいことは事実であり反面その市立機関ではできない長所を確立させることこそが突破口となり私の理想とする冒険者ギルドはその差別化を以って独自の顧客層を獲得しえると確信しこの資金を元手に三ヶ月以内の開業を目指して目下関係各位と商談を進めている次第でたとえ今この場で資金が得られずとも私は手を尽くしてできるだけのことをしようと心に決めているのであって二年後を待つというのはですからそして何より」
見る目のなさを、〆は思い知らされた。
「じれったくて待ちきれない、です」
サヴァは息も絶え絶えになりながら言い終わる。これでも落ち着いたつもりで、されとて勢い任せに精一杯を言葉にしてみせたサヴァはまっすぐに、硝子のような瞳で〆のことを見据えて黙す。
「しゃーねえ、約束してやんよ」
〆は淡い月明かりにその姿を溶かして消えゆく。
「手前に幸運のチャンスを招いてやる、活かすも殺すも手前次第だがよぉ、にゃはは」
遺されたのは金貨。数えてみれば八、九、いや十枚ある。
さあて、これからが見ものだと〆はどこかで妖しく笑うのであった。
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