記A5.ティータイムにはネコを一服いかが

 宿屋を後にしてグリズリア市街地に出るとすぐに“乗り物”に乗車することになった。

 サヴァは一人分の乗車券を手にし、あたかも飼い猫のように〆を膝に乗せている。

 そう、一人分である。


「……なぁご」


 〆はネコらしい声をやむなく出しては演技を強いられている。不服この上ない。

 さて、この“乗り物”について〆は考察する。


 〆の知識に基づけば、これは路面電車である。市街地の中、枕木に線路を敷き、その上をレールに沿って滑走する箱型の大きな車両となれば路面電車に他ならない。ただ電線が見当たらなかった。発想は近いがまるで異なる技術体系の産物なのだろうか。


 乗客の顔ぶれを眺めれば、そこは街を構成する人々の縮図といった感じだ。

 買い物帰りのちんまりとしたウサ耳の老婦人。他愛ない話に興じる学生たち。そういった一般市民も多いが、そうでない人も少なくない。赤茶色のローブを纏い、重厚な本に目を通す年齢も性別もようとしれないが魔術師だということはわかる人物でさえ車両内に馴染んでいる。大きな図体を窮屈そうに押し込めて、背中に大きな剣を担ぎ、二席分を占有する厳つい竜人は疲れているのかぐぅぐぅと寝息を立てている。


 いわゆる【友好種】や【冒険者】はここでは格別に物珍しいものではなく、昼食の献立やテストの出題範囲に比べればさしたるものではないらしい。

 サヴァは22ウールを乗車賃として支払い、目的地となる郊外近くの停車駅で降りた。


 市街地を離れると、急にのどやかな光景が広がっている。青空はなんとなしに広々としていて、春先の野菜畑が気の遠くなるほどに続いているのだ。

 ここでならば飼い猫のふりも必要ないと〆はハァと一息つきつつ、言葉する。


「あの乗り物は何だ? どーやって動いてやがった?」


「【路面衆力車】ですね。車体を、乗っている人達の魔力を微量ずつ汲み上げて魔術により動いています。異界産の技術を分析して、この世界に適したものに作り変えたものです。こうした便利な発明の元型を発見できることもまた冒険者が重宝がられる理由、というわけです」


「しゅーりょく、ねぇ……」


「グリズリアでは【衆力】の利用が広く行われています。魔術の専門家でなくても魔力そのものは微量に誰でも持ち合わせているものの、個人ごとに使いこなすのは難しい。【衆力】は、そうした余剰しがちな魔力を公共の設備に役立てようというものです。設置には役所の認可が必要ですが」


「まーた役所か」


 動力源が乗客の魔力なるものであるならば、ある意味では人力車や自転車に近い。レール上を車輪で滑走する、という力の伝導効率がよい移動方式だから成り立つことで、もし車輪もレールもなく鉄の箱に大人数を乗せて引きずって移動しよう等と考えたら必要な魔力とやらも莫大なのだろう。


「老人や病人に考慮して魔力を徴収しない優先席もあるそうで」


「乗客が少ないときはどうやって動かすんだ?」


「十分な【衆力】が得られない場合は、魔力を抽出できる使い捨ての鉱石、魔石のうち特に純度の低いボタ魔石を使うそうです。日常的に使われる個人用の魔術道具もボタ魔石を使います。貴重な資源ですからね」

 石炭のようなものか、と〆は納得する。




 そうこう話しながら歩くうちに田園地帯の一角にある、大きな石垣に囲まれた一軒家に辿り着く。

 半透明の幕に覆われた温室におだやかな緑の菜園があり、丁寧に手入れされている。


「……農家に会って野菜でも買うのか?」


「これからお会いするのは冒険者、それも一流の方です。事情は私が話しますので、それまでは普通のネコとして振る舞ってください」


「げ、また……」


「あと――モフられても耐えてください」


「は? モフ?」


「モフ、です」


 ひらひらと蝶々が舞い、青葉の薫りに胸のすくような中庭を通って、玄関へ。

 呼び鈴を鳴らせば、中庭側から「はい、少々お待ちを」と、小さく女の声が返ってきた。


 玄関先で待っているとショベルを手に、土まみれの猫車を押しながら農家の女――に見えてしょうがない野良着の、小柄な少女が現れる。


 第一印象はとにかく土と草の匂いに尽きる。ただ、それはなんともいえず薫り高く、落ち着くものがある。香草の類か。


 外見年齢はずいぶん幼くみえる。サヴァは十五歳とまだあどけなさは残るものの大人の端くれとみなされるが、この少女は明瞭に幼くみえる。十歳から十二歳ほどか。ただ見かけ通りの実年齢であるとは限らないのは〆自身が変幻自在に化ける妖怪ゆえに想像がつく。


 少女は猫車とショベルを脇に置いて、麦わら帽子を脱ぎ、タオルで額の汗を拭い、手袋を外す。


 ぴょこり、と片耳の垂れた黒いウサミミが顕になる。――作り物にみえるが。


「お久しぶりですです! サヴァお姉さん!」


「ご無沙汰してます、イグサーノさん」


「やだなぁ、私のことはタタミンと気軽に名前で呼んでくれていいのに」


 手に手を取ってぶんぶんと勢いよく握手する兎耳の少女――。


『タタミン・イグサーノ』


 という名前でいいようだ。

 二人の会話を見守るに、淡々と話しているサヴァに比べて、タタミンは時おりぴょんと跳ねたり身振り手振りをまじえて話したり落ち着きがない。まるで仲良しの友達が遊びにやってきた、とでも言わんばかりだ。やや他人行儀なサヴァとは微妙に距離感がズレている。


 何だこいつ――。

 〆が困惑していると不意にぐっと屈んで、視線をなるべく低くしてタタミンは喋りかけてきた。


「わぁ! かわいい猫ちゃんですねぇ! お名前はなんていうんですかぁ~?」


 こっちをじっと見つめてタタミンはたずねてくる。

 まだ正体を明かしてないのに、ただの猫に名前を聞いてくる。もしや、すでに気づいているのか。


「モフモフしてもいいですか? いいですよね? しちゃいますね?」


「――ッ!」


 ひょいと抱き上げられたかと思えば、〆のカラダのあちこちを撫でさすって愛でようとする。


 白いふわふわとした猫の毛を堪能する。それをモフモフというらしい。

 なまじ抵抗もしがたく、嫌々に我慢していると。


「それでは一服、吸わせてもらいますね?」


 すぅー……。

 すぅー、すぅー。


 猫を、吸っている。

 猫を、乾きたてのおふとんを嗅ぐように、吸っている。

 猫を、高原の緑風を胸いっぱいに味わうように、吸っている。


 〆を、吸っている。


「はぁ、人生この一服のために生きているって感じです……」


 一撃を。

 〆は渾身の猫ドロップキックの一撃をぶちかまして、反動で宙を舞った。

 もろに食らったタタミンは勢いよく低木にのめり込んだ。


「死ね! 鰹節でぶん殴られて死んじまえ!!」


「すいません〆様、私も少々スキンシップが過剰な方だとは存じてましたが、ここまでとは」


 サヴァは顔を背け、目を合わせず。

 フーッ! と〆が低木を睨むと、がさ、がささ、と茂みが揺れてぴょこっとタタミンが顔を出す。


「猫ちゃんおしゃべりができるんですか! すごいです、かわいいです、くんくんしたいです!」


「ひっかくぞ!」


「いいんですか、ぜひお願いします! こう、すしゃっと! 憧れだったんです!」


 ハァハァと興奮した息遣い、熱い眼差し。

 〆はあわててサヴァの後ろに隠れては足にすがりつく。


「さ、サヴァ、出番だ!」


 ぷるぷると震える〆を見下ろして、サヴァはやれやれとばかりにため息をつく。


「ほどほどにしてあげてください。嫌がっている様子なので」


「ごめんなさい、ここのとこ猫ちゃんをキメる機会がなくってつい……。土いじりも楽しいんですけど、たまには植物さんだけでなく動物さんともふれあいたいです」


「この白い猫は列記とした【異界種】の、ダイヨーカイ。名前はココノエカンメ。要するに私のペットではないので、ひとりの人間として接してあげてください」


 サヴァは簡潔に、〆について説明する。

 金貨の件は隠しつつ――。


 『幸運を招く』と自称する〆が冒険者ギルドの起業計画に協力してやると申し出てきた。

 まずは冒険者とは何かを体験してみたがっている。

 ――という風に。


「今日ここを訪れた本題はもちろん起業にあたってのご相談です。〆……様、については、その、差し支えないのであれば、【臨時冒険者登録制度】によって冒険に同行させてもらえないものかと」


「わぁ! リンボーですか! 大! 大! 大歓迎ですよ~」


 即決された。

 細かい条件もなしに即断即決してきた。


「こーんなかわいい猫ちゃんといっしょに冒険できるなんてわたしが断るわけないです! ええ!」


「やいやいやい待ちやがれ! この緑のヤベェやつと一緒にボーケンしなきゃならねー理由はなんだってんだ!」


「ギルドカードを所持しない人であっても通称【臨冒】の申請をすれば、一時的な冒険者とみなして冒険者ギルドの利用ができるという制度です。必須条件として、一定水準を越える評価・実績のある冒険者をパーティーリーダーとする場合、これを利用できます。依頼上の責任や信用をリーダーが担保することで信用のない人物もみなし冒険者として扱えるわけです」


「ぐがっ」


 一週間を役所通いして待つか、この香草キメてるウサミミガールと二人三脚か。

 地獄の二択だと言わざるを得ない。


 うーん、うーんと〆が唸っている間に一同は屋外のテラスへ案内されて、ハーブティーとスミレの砂糖漬けを差し出された。サヴァに毒味をさせ、〆はふーふー冷ましてお茶をちろちろなめすする。


「……うみゃい」


 またサヴァに毒味させ、青白い花弁を白い粉まみれにした一見して犯罪の香りすら漂わせるスミレの砂糖漬けをおそるおそる〆は口にする。


「……あみゃい」


 〆は一口を食べてはぴたっと止まり、本当に大丈夫なのかと体の異変に気をつけつつ、またぴょいと手を伸ばしては砂糖漬けを食み、ぬるくなったハーブティーを堪能する。


 その間、サヴァはガーデンテーブルの上にリュックから資料となる紙やスケッチブックを広げて淡々と、時に早口になっては情熱的に語っていた。


 商談。


 サヴァとタタミンとのやりとりは多岐にわたり、かつ一時間あまりの長くに渡って続いた。

 曰く、サヴァは三種類の商談を提案していた。


『冒険者ギルドの内装。植物を飾りつけ、またアロマを焚く等の洒落た店内作り』

『冒険者ギルドの、依頼主としての協力』

『冒険者ギルドの販売品としての薬草や香草、調合薬等の仕入れ』


 この商談は以前にたずねてきて前向きに検討してもらっている。今回は、事業計画の進捗のほどを伝えて、交渉を進展させようという流れのようだ。

 今回すぐに正式契約に至るわけではない。しちめんどくさいことに、手順を踏んで、またここに足を運んでくるつもりらしい。


「既存の冒険者ギルドに欠けているのは“安らぎ”だと私は考えています。くつろぎ、癒やされ、おだやかに過ごせる。これは客層を絞ることにはなります。酒と賭博に興じて喧騒を好む、といった気質の冒険者は多い。けれど人の好みは千差万別です。私は、私の理想とする冒険者ギルドを営みたい。イグサーノさん、貴方の薬草師として手掛ける草花は……私の夢に必ずや美しい彩りをもたらしてくれることでしょう」


 そうやってサヴァは時に熱く口説いては冷静に書面をかわし、筆を走らせるさまを眺めていて。

 その横顔はなんとも凛々しく、晴れやかで。


 いつしか、ぬるいハーブティーは冷たくなっていた。はたと気づき、〆は見惚れてしまっていたのだということをごまかすように猫らしからず薬草茶の残りを一気飲みした。


 これだけ冷たいお茶を飲んだばかりなのに、なぜだか体が火照り、ぽかぽかする。

 頭の奥でビリビリと電流の走る、しかし心地よい――。


 馬鹿げている。くらくらしてきた。〆はその微熱がこみ上げてくるような感覚に困惑する。


「〆様、その、大丈夫……?」


 商談を止めて、サヴァが不安げに手を伸ばしてきた。ちいさな猫の姿では、その繊細そうな細くて白い指先さえも大きい思えてならず。


「やめろ、こりゃーは手前、ただの……」


 ただの、何だ。

 〆はうすぼんやりとする意識の中、その答えを耳にした。


「安心してください、ただのマタタビ茶です」


 あっけらかんと一言。

 タタミンは天真爛漫そうに微笑み、マタタビの陶酔効果で深いリラックス状態に陥った〆を。


「ほーら〆様ぁ、お体に触っちゃいますよぉ~」


 その魔手で。


「ここですか? ここが気持ちいいんですねー? ねっへへへへ」


 モフる。

 モフりにモフる。もふもふる。されども〆はえもいわれぬ心地よさに体をくねくねいじっては「うなな~ん」と鳴き声をあげ、身悶えはするも反撃はできない。

 くやしい、でもカラダが言うことを聞かない。なんてことだ。


「おやぁ~? サヴァお姉さん、もしかしていっしょに〆様をさわってみたいご様子で~?」


「えひゃ! え、いえ、そんな……」


 不意を突かれて、サヴァは上擦った声をもらす。おずおずと伸ばされる手。誘惑と理性がせめぎ合い、サヴァの瞳は渦巻いてみえた。

 最悪だ。タタミンの異常な猫好きに触発されて、その属性を持ち合わせていなかったはずのサヴァまでもが堕落しようとしている。


「な、なんだその手は! 目は! 今はやめろ! ホントやめねーか! な!」


「ちょっとだけ、ちょっとだけですから……」


「うなぁ~!」


 もふ。

 もふもふのもふ。


 おめでとう、新たなモフリストの誕生だよ。等と祝ってやれる立場の〆ではない。

 この窮地を脱すべく、起死回生の一手に打って出る。

 もふられるのはネコゆえに。であるならば、変化してネコそのままでなくなれば――。


「変化!」


 白煙が立ち昇る。たちまちに〆の姿は艶やかにして妖しく怪しい妖怪変化、サヴァの似姿を模した人と猫のないまぜになった面妖なる少女へと一変する。

 一変するが――、それは昨夜と同じくして、青白い焔を侍らせて一糸まとわぬ艶姿なわけで。


「ん、ななな」


「あ」


「わぁ、これはこれは」


 直前まで、猫のあちこちをモフっていたサヴァやタタミンの指先がどこを触ってしまっているかといえば、お察しである。


 サヴァの左手にはもにゅっと柔らかで豊かな胸の感触があり、右手はぷにりとしつつも奥底にゴリゴリと金貨を蓄えたおなかを撫でている。サヴァの似姿であるはずの変身体、さりげなくサヴァ当人よりも盛られている。妖艶さを醸せるかもと増量した胸を、本人に鷲掴みされてしまっている。


 タタミンに至っては背中に顔を埋めて、すぅー……と猫吸いの真っ只中での変化である。


 ――本来、〆にとって人間態は仮の姿、羞恥心を抱く道理はない。が、しかし。〆自身よくわからない心中の変化か、あるいはまたたび茶のせいか。


 それはそれはもう、今後は赤猫を名乗らねばならなくなるのではないかというほどに。

 互いに重なり見つめあっていた視線をサヴァがそっとそらした瞬間、〆の羞恥心は大炎上した。


「ふかーぁぁぁぁぁぁ!!」


 赤い三本線が二度、白昼に閃く。

 念願叶い、猫のひっかき傷はくっきりタタミンとサヴァの顔に刻まれたのであった。

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