記〆、ネコ、冒険者タチをまねく

 降雨の激しくなる中、〆はひとり路面車の駅待合所の屋根下に佇み、雨脚が弱まるのを待つ。

 ずぶ濡れになってもいいのだが、まだ心の準備ができてはいなかった。


 路面衆力車という交通機関の通った表通りに面して、この駅亭からも月桂館の正門がはっきりと見えるというのは立地条件がすこぶる良い。月桂館側からも二階や三階から見下ろせば、この駅亭をチェックすることができるので人流の動向を掴みやすい。


 冒険者ギルドの商いが軌道に乗れば、来客は市内のどこからでも市営の車両で手軽にやってくる。

 あいにくの雨模様とあって今は誰もいないが、歓楽街の表通りの駅亭なのだから本来はいつでも路面車を待つ人の姿がここにある。


 これから〆が冒険に数日出向こうという時、この駅亭で、サヴァに見送られたことも何度かある。

 サヴァは怪我をしないようにと神に祈って、離れゆく車窓の〆を見届けてくれる。


 けれど遠く見えなくなるまで留まる訳ではなくて、やがて踵を返して、仕事場の月桂館に戻っていく。名残惜しさよりも、早く次の仕事をこなしたい気持ちが勝るのだろう。


 ――そのひたむきな後ろ姿が妬ましいほど素敵で格好良くて、しょうがないのだ。


 私も、あんな風に愛されてみたい。

 もし己と優劣をつけるのならば、やはり、最後にサヴァが選ぶのは夢である。仕事である。悔しいが、それでこそ〆の恋焦がれてやまないサヴァ・バッティーラだと言えてしまうのだ。


 彼女の一番大切なものにはなれないかもしれない。

 けれど、自分の一番大切なものは彼女に他ならないのだから――その気持ちも偽りたくない。


 今日こそは本気で生きよう。

 今日こそは本気で幸せになりたいと願おう。


 この容赦ない暴雨がおだやかな涙雨に変わったら、覚悟を決めて、月桂館に帰るのだ。

 そう、〆は心に決めて、ひとときの雨宿りをしていた。


 ――ガタンゴトン、ガタンゴトン。


 遠くから聴こえてくる鉄道音、誰も降りることのない降車時間、出発の警笛が鳴った。


 路面車が無感動に去っていく。


 その過ぎ去っていった車両の向こう側をふと見やれば、彼女がそこに佇んでいた。


「〆様……!」


 ずぶ濡れのサヴァは息も絶え絶えになって、傘を閉じもせず放り捨て。

 鉄の軌条を、踏み越えて。


 〆のちいさな猫のからだを、めいっぱいに強く、痛いほどに強く、抱きしめてくれていた。

 この降雨に晒された衣服越しのサヴァの体はずいぶんと冷たくて、そう、冷たいのだけれども。


 それだけに、彼女の流している涙に触れると、とてもあたたかな匂いがした。


「〆さま、まだこんなに近くに! 私、わたし、もっと遠くに離れていったのだと思っていて!」


「……めでたい日に濡れ鼠にさせちまって、ごめんな」


 〆の視界の隅に、駅舎の柱の陰に隠れた石獣の背が映っていた。

 この雨の中、サヴァは狛犬と共に、わざわざ〆のことを探し回っていたというのだろうか。


 とても酷なことをさせてしまったというのに、嬉しくてしょうがないはた迷惑な自分に〆は気づく。

 心のうちで感謝をしつつ、深慮を汲んで〆は狛犬を見なかったことにした。


「俺様もつまんねーことを言ったもんだ。500万ウールを返さなくていいとのたまっておいてなんだが、考えてみりゃ、はいそうですかと手前が納得する訳がないと私は知ってたってのに……」


「当たり前です! 私、めんどくさい女なんですから!」


 サヴァはぐすぐす泣いていたかと思えば、今度は泣きながら怒っている。


「私が、仕事にかこつけて〆さまのことを二の次にしてきたことはとても反省しているんですよ! でも、でも! あんな風に伝言ひとつ遺して、私も貴方もひどいです!」


「んなぁ……、お互い様ならいいじゃねえか」


「ダメです、ダメに決まっています。私は今、ちゃんと伝えたいことがあるんです!」


 少々、いつになく感情が先行して会話の飛躍がみられる。

 サヴァは苦手なことになると慎重に言葉を選ぼうとする。今はそれをできず、思いついた先から気持ちを言葉にしようとするものだから理路整然とはいかない。


 必死で、一生懸命になってくれていることが〆にはそれだけで嬉しかった。


「あの子達に言われたんです……、私、〆さまと夢や仕事を、二股恋愛しているんだって!」


 今、ようやく気づいたのか。


 〆と夢は両天秤に掛かった二者択一のライバル関係だと、〆自身はずっと意識していたのだ。

 夢に恋焦がれるサヴァの純粋な気持ちを利用して近づき、力と知恵と金貨を貸すと囁いて、彼女の心の空白に自分の居場所を見つけようとしていたのが〆の邪な魂胆だ。下心ありきの、純粋な善意には程遠い見返りを求めた好意であることにずっと〆は心苦しさをおぼえていたのだ。


 サヴァも薄々と感づいて、こちらの本心を知りつつも夢のために利用していると〆は信じていた。


 だというのにこの少女は、この単純明快な構図にこれまで無自覚だったというのだ。


 サヴァという少女が大人びて聡明そうに振る舞うものだから、〆にとっても盲点だった。

 彼女は恋愛経験のひとつもない、たった十五歳の小娘でしかなかったということが。


「じゃあ何だ! あれもこれも無自覚にやってたってのか? お前なぁ……」


「今になって後悔しているんです、私だって! だって、だって、お金ほしさにですよ! この大好きだって気持ちをお金のために自分自身を騙してるんじゃないかって、ずっと悩んでて! でも、違ったんです! どっちも選べない! どっちも愛してる! それだけの幼稚なことで!」


 今、サヴァは何と叫んだのか。

 猫の耳を懸命に立てて、雨音の鳴り止まぬ中、〆は確かに聴き逃さなかった。


 ずっと不安だった。

 肌身に感じるぬくもりはあっても、仕草や表情、行動から読み取ることができても。


 大好き、愛していると言葉にしてくれたのは初めてのことだったから。

 何のことはない。これまでの彼女はまだ、恋や愛を口にできるほど大人ではなかっただけなのだ。


「……聞いてくれ、サヴァ」


 怪しくも妖しい蒼炎を伴って、九重〆はサヴァの似姿に化ける。人の姿に変じる。


 猫のままでも彼女に抱かれることはできるが、その小さな手足では、抱き返してやれないのだ。


 この姿にもずいぶん慣れたものだ。

 憑依を行い、ひとつに重なった時を境にして、サヴァのそばにいなくても〆はこの人妖態に化けることができるようになっていた。


 仮初でも借り物でも構わない。愛しい人と抱擁をかわせることに比べれば、つまらねー話だ。


「お前はそうも幼くて、俺はうんと老いているつもりでいた。お前みたいに頑張るやつを見守って、幸福に導こうとしたことも一度や二度のことじゃない。そいつらは幸福な一生を歩み、俺様だって幸せな気持ちになることができたはずだった。でも、俺様はいつだって誰かの一番になれない。考えてみりゃー当たり前のことだったんだ。そいつには一度きりの人生なのに、俺様には“次”がある。そう考えてるヤツを、誰が一生一番の相手に選んでくれる?」


「……〆様」


 切々と、本心を言葉にするのは恐ろしいことだ。

 愛しているという言葉を受け取った今でもなお、それがどの程度かまではわからない。大好きという言葉は簡潔すぎて、時と場合と人に左右されすぎるから困る。


 強大な怪綺を操ることができるからこそ、一番に弱いところを晒すのは怖い。


「人生は一度きり。長くても短くても、だとよ。どうにも俺様、まだまだ若輩者らしい」


 他人の言葉を借りてもいい。

 〆は力んで背中に爪を立ててしまいそうになる指先を、そっと和らげる。

 猫は耳がよい。サヴァの心臓が高鳴っていることがよくわかる。


「私の人生の一番になってくれ。お前の一番になれなくても、今は、まだ構わないから」


 情けない話だ。

 夢と〆とサヴァの三角恋愛という図式は結局、〆は夢に勝てないという話だ。

 なにせ、〆が恋したのは夢に恋する乙女なのであるからして、これはもう負けを認めるしかない。


「〆様、私は――」


 ひとつ、〆は忘れていたことがある。


 サヴァ・バッティーラという女は時にとても大胆で、強引だということを。


 いつしか静かな涙雨に変わる中、駅亭のベンチに押し倒されて。


 〆は唇を奪われてしまった。

 〆にとっては二度目にして本当の、一度きりの長い人生におけるファーストキスであった。


「私も、私だって……! 貴方を、幸福に導く招き猫でありたいのです」


 そしてセカンドキスは深くて、幼くて、甘くて、長くて――。

 曇天の晴れ間に、お日様が顔を覗かせていく。

 本日は雨のち晴れの大安吉日、やはり、めでたき日であるようだ。









 






 このまま忘我のうちに今日という一日が過ぎていくという錯覚を、警笛が呼び覚ます。

 ここは駅亭、人の営みが続いている以上、次の列車はやってくる。


「おーい! 列車が来るよーーーー! 早く早く!!」


「いいぞーもっとやれー」


「ふたりとも隠れて! ごまかして!」


 大声の主は月桂館の二階、応接間の窓から身を乗り出したナゴ、スズキ、ベニーシャの三人娘だ。ぷい、と背中を向けるアイゼンリーベの姿もある。


 一部始終を見られていたのだ。


 この駅亭は月桂館のすぐそばであるからには、雨の中を飛び出したサヴァの行方を案じて、誰かが窓の外を眺めようとするのは自明の理だ。


 〆の生涯最高の一時が、生涯最大のピンチに変わり果てる。


「あ、あ”あ”あ”っ! て、手前らどこから見てやがった! てやんでえちくしょうめ!!」


「か、〆様! こちらへ!」


 サヴァは己を盾代わりにして車窓から〆の裸体を隠してくれる。白猫の被毛にところどころ覆われた〆の人妖態は幻想的な鬼火で演出したりして神秘の魅力でごまかしているが、早い話が半裸というにも際どい艶めかしい痴態に他ならない。


 特定の相手や状況ならいざしらず、これから降車してくる一般人に見せるのはまずい。

 しかしこれがまた一瞬にして猫の姿に戻れるわけでもなくて、隠れる場所もないときた。


 緊急事態にぐるぐると目をまわし混乱する〆に、サヴァが妙案をささやく。


「そ、それならば!」


 やがて路面衆力車が停まって、ふたりの、冒険者と思わしき少年と少女が降り立った。

 初々しい新米冒険者であることは新品の革鎧や剣の鞘が物語っている。年齢は十二歳くらい、駆け出し冒険者としてはよくみる年齢だ。


 新米冒険者たちはサヴァを見るなり、雨に濡れてこそいるが白を基調とした洒脱な制服、とくに新ギ会公認のギルドマスターである証左となる記章バッジに気づいたようだ。


 そしてサヴァの後ろに隠れていた〆がおずおずと姿を見せれば、反応を鑑みるに、サヴァと同じギルドマスターの制服に化けて着替えることには成功したようである。


「あの、もしかしてここのギルドのマスターさん、ですか……?」


 冒険者の少女は杖をぎゅっと握るだけでなく、少年の袖をつまんでいる。

 サヴァは深呼吸して、切り替えの早いことに自分の夢描く理想のギルドマスターを演じてみせる。


 優しくて、賢くて、美しくて、気高くて、強かであらんとする。


「ええ、ギルドマスターのサヴァ・バッティーラです。どうぞお見知りおきを」


 おどおどとした新人相手に、サヴァは丁寧に軽く頭を下げて挨拶する。つられて〆もだ。 


「じつは冒険者講習所の案内を見て、こいつが、初めてはここじゃなきゃイヤだ、て聞かなくて」


「……だって、だってさぁ」


 もじもじとする少女に対して、少年の接し方は微妙な塩梅だ。優しいのか乱雑なのかわからない不器用なやりとりを見るに、これからの行方を見守るのが楽しみになる。――と、冒険者の人間観察が好きな少々変わった趣味の持ち主であるサヴァは考えていそうである。


 あの澄ました顔しつつ、若干にやけた横顔は間違いなくそうだ。


「……! サヴァ、数軒先からだ。この鉄の擦れ合う音……冒険者の足音だろうな。おい小僧に小娘、早くしないと来客第一号はベテランのオッサンどもにかっさらわれるぞ!」


「え! それはやだ! どうせなら一番乗りが良い!」


「やった! なにか特典あるかな?」


 お客様第一号の特典なんて用意のあるはずがない。そう〆が言おうとしたら、サヴァはポンと平手を打って、ちいさな人形を少女に手渡していた。


 スーパーカンメくん人形である。


「ちっちゃな、私……!」


「それじゃあ特別に、私の持ち歩いていたものでよかったら、これをあげるわ。幸運を招く猫のおまもりです、大事にしてくれる?」


 少女は愛らしい猫の人形にパッと笑顔になった。


「いいの? 幸運のおまもりなのに?」


「ええ、大丈夫です。私には、とっても素敵な幸運を招く猫さんがいつも隣に居てくれますから」


 ふっと微笑んで「ね?」とサヴァはウィンクする。


 かわいい。

 ずるい。


 得意げになって、不思議がる少年少女をダシにして、こんな不意打ちを掛けてくるなんて。


「さぁこちらです、従業員一同、皆さんを歓迎いたします」


 月桂館の豪奢な四階建ての建物に気圧されて、新米冒険者ふたりは感嘆の吐息を漏らす。


 見上げるほどのお屋敷の上には雨上がりの虹が一条、きらめいていた。


 玄関に飾られる名は『月桂館』、そして冒険者ギルドとしての名を刻んだ真新しい看板――。それは創業者の名を刻む、安直で伝統ある命名法に基づいていた。


「いいか砂利石ども、靴の泥はここで払っておけよ、この“幽霊屋敷”にゃ怖い妖怪もいるからな」


 鏡合わせ、左右に分かれてサヴァと〆は観音開きの少々重たい玄関扉を開いてやる。

 きっと待ち侘びた従業員達のおもてなしが待っている。


 胸ときめかせるがいい、少年少女よ。

 おいでなさいませ、冒険者諸君よ。


「さぁ来いよ、私達がめくるめく冒険の世界へ誘って差し上げようじゃねーか」


「ようこそ、冒険者ギルド『〆サヴァ』へ」




                    ――〆――

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〆サヴァ ~招き猫とはじめる冒険者ギルド開業記~ @kagerouwan

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