第4話 探訪魔王
魔王さまは魔獣にマジュルンと名付けました。
ルンルンと上機嫌で魔王城を闊歩する魔獣だからだそうです。
名前の安直さに悪魔たちは微妙な気持ちになりましたが、魔獣も魔王さまも満足そうなのでそっとしておきました。
マジュルンはとても気立てのいい魔獣だったので、すぐにみんなから可愛がられるようになりました。魔王さま印の棘のついた首輪を自慢気に光らせて、魔王城の広い庭園で穴を掘って迷宮を新設したり、ごろごろとだらしなくお昼寝したり、魔王への挑戦者を代理で受けて骨ガムみたいに噛み砕いたりしつつ、安定した生活を満喫しています。
そんな感じに、マジュルンが魔王城にすっかり馴染んだ頃でした。
ある日、マジュルンは――マジュルンというよりは主である魔王さまは恐ろしい宣告を受けてしまったのです。
「魔王さま、マジュルン殿の健康に大きな懸念がございます!」
白髭の悪魔は胸を張り、低い身長を補う厚底靴の先を揃えてこう言い張りました。
曰く、マジュルン殿の現在の体形は腰のくびれが見えず、腹部が脂肪により垂れ下がっていて、どう好意的に評価しようとしても肥満の状態を表しており、心臓などの臓器はもちろん、骨や関節に大きな負荷が掛かって、このままの状態が続けば命が危ういとかなんとかかんとか。
魔王さまはちょっとびっくりしましたが、軽く聞き流しました。
横目で確認したマジュルンは寝そべってだらんと舌を垂らし、のんびりと寛ぎきっています。最近、散歩を嫌がったりはしていますがマジュルンは元気なのです。
魔獣医師さんにも定期的にかかっていますし、検査によって病気ではないと確かめてあるから、まぁ、大丈夫でしょう。
「大げさだぞ、爺。魔獣の命は九つ以上あるほどに丈夫なのに」
「……その大切なお命を一つ失ってもよろしいのですか?」
白髭の悪魔は昔の悪魔らしい怖い顔で脅しをたたみ掛けてきました。
年長者による説教と薀蓄と助言というものは耳に痛くて鬱陶しいものですし、魔王さまは突っぱねようとしました。
「だから大げさだと……」
「心配をするよりも、大丈夫だと無根拠に信じて何もしない方が楽でしょうな」
「む」
魔王さまは不安を刺激され続けて口ごもりました。
白髭の悪魔はさらに不安になる情報を追加してきます。
「いいですか、魔王さま。この魔王城、ひっきりなしに悪魔たちが出入りしますよね? するとどうなると思われますか?」
「どうと言われても。賑わってよいではないか」
「すれ違った悪魔たちがマジュルン殿におやつを与えているのですよ。常にカロリーが供給されているのです!」
「そ、そうだったのか?」
魔王さまはマジュルンと目を合わせました。
マジュルンは首を傾げています。
「マジュルンはわからないと言ってるぞ。爺の気のせいではないのか? それに、おやつくらい食べてもよいではないか」
「魔王さま! 魔王たる者、まだ私ごはん貰っていませんなどというピュア魔獣顔に騙されてはいけませんぞ! もう見れば触ればわかることではありませんか! マジュルン殿は太ってしまわれたのです! ぷくぷくと!」
「な、何を言う。体重はいつもと同じだ」
「マジュルン殿は魔法で体を浮かせているだけです。爺は知っていますとも。魔王城の台所から怨念団子やドラゴンステーキを盗んだのも、マジュルン殿の仕業でありましょう? 爺は知っているのですよ!」
いつになく真剣に、白髭の悪魔は騒ぎ立てていました。
その剣幕に魔王さまの正常性バイアスは働かなくなり、現実を正しく認識する努力を始めました。
「さぁ、今一度ご覧ください。マジュルン殿は見るからにふくよかになっておられます。……いいえ、この際はっきりと申し上げましょう。マジュルン殿はもはや球体です! 限りなく真円な球体! どうしてお気づきになられないのか!」
「こ、これは冬毛だからだ。実体より膨張して見えるだけで」
「いいえ。いいえ。それは肉です。脂肪です。まごうことなき肥満です!」
「なんと……!」
魔王さまはついに認めました。
ええ。そうですね。
マジュルンはちょびっとだけ、いえだいぶ太ましくなってきております。
「そんな……給餌量を少ししか上回っていないというに」
「少しと言いますと?」
「飛びつく美味しさな総合栄養食缶詰と、毛艶がよくなるという最高級フードと、健康によさそうな究極厳選素材シリーズの伝説級魔界野菜と、頑張った世界へのご褒美おやつと、明日も生き残るためのケーキセットくらいか……?」
「推奨給餌量の何倍なのですかそれは!? ダメですよ、魔王さま! そんなに食べ物をあげすぎたら! さもありなん!」
「だ、だってな、物欲しそうにじっと我を見つめてくるから」
「あげるとしたらですよ、運動量を増やすなどの対策をしませんと!」
「だって、散歩に行くよりも我にブラッシングされるほうが好きだと寝そべるから」
「ダメダメですよ、魔王さま! 魔獣を厳しく育てると言っていたではありませんか! それなのに今ではただの堕落魔王になるなんて! 爺は悲しくて情けなくて心弱さで涙がとまりません。魔獣の健康管理をしてこそ魔獣の主なのに!」
普段、自分を褒めそやしてくれる相手からダメダメと言われるのは、わりとショックなことでした。魔王さまは白髭の悪魔の苦言にしおしおになりました。
マジュルンを厳しく育て上げるつもりだったのに、気づけば可愛さに服従してしまい、魔王の財力と権力を行使して何でも買い与えるようになっていました。
「魔獣と愛情を育みたいなら、おねだりを叶えるだけではいけませんぞ。魔獣使いだった爺の祖母はよく言っておりました。可愛がるとは、死なせないように守り慈しむことだと。できうる限りの自由と健康を保てる環境を作ってやることだと。爺もそう思っております。魔王さまは愛が足りませんぞ!」
「愛が……足りない……?」
魔王さまは衝撃を受けました。
そして自らの過ちを認めるしかなくなりました。
自分ではマジュルンを可愛がっていると思っていたのに、ちっとも健康を守ってやれていませんでした。白髭の悪魔の言うように、魔王さまは愛し方を間違えていたようです。
「……よく言ってくれた。感謝する、爺よ」
マジュルンの今の姿はコロコロとしていて、ぷにぷにとして大変可愛らしいのですが、いささかわがままボディが過ぎます。健康的な野性味あるスポーティースレンダービューティーボディを、前の状態を取り戻さなければいけません。
魔王さまは一大決心をしました。
「我はマジュルンのダイエットを決行する! 魔王による情け容赦のない冷徹な食事量の管理と、体力限界までの過酷な運動メニューを与えよう。マジュルンよ、覚悟するがいい! ……明日から」
「今からではないんです?」
魔王さま手ずから午後のおやつを与えられたマジュルンは、ご機嫌にもぐもぐしていました。
◇
さぁ、マジュルンのダイエット計画が開始されました。
魔王さまは今度こそ、びしばし厳しくマジュルンを育て上げるつもりです。
マジュルンを魔界で最も気高く美美しい魔獣にしてみせましょう。
「よし、まずは運動訓練からだ。走るぞマジュルン!」
「キュ」
魔王さまがリードを引っ張って催促しても、マジュルンは嫌がりました。
むっちりしたマジュルンの体にハーネスをつけるのも大変でしたし、超重量級の体を引っ張るのもこれまた大変なことでしたが、魔王さまは頑張りました。
精一杯の力を込めて引っ張ります。
けれども、マジュルンは動きません。
魔法まで使って体を押してみましたが、マジュルンのお肉がぷよんと揺れるばかりでマジュルン自体はびくともしませんでした。
体を傷つけないように加減をしている魔王さまvs全力魔法抵抗マジュルンではあまりに不利でした。
それでも、魔王さまはどうにかマジュルンを動かそうとしました。
うんとこしょ、どっこいしょ。
ところがマジュルンは微動だにしません。
マジュルンは動かないという意思を明確にして踏ん張り、鉄壁の要塞の如く聳え立っていました。
「ええい、走るのだマジュルンッ! わがままはめっ、だぞ。闘志を燃やせ! 脂肪を燃やせ! 野生を取り戻すのだ!」
「キュッキュ」
お散歩は拒否されました。
これでは魔王さまが運動するばかりです。
「キュワワファン?」
「む。ブラッシングはお散歩の後だぞ」
「クゥ、ワワン?」
「……う、うぅむ。そんなに言うなら仕方ないな。ちょっとだけだぞ」
マジュルンにじっと見つめられて、魔王さまは陥落してしまいました。
ちょっとだけ、そう、ひと撫でだけのつもりでしたが、マジュルンがあまりにも気持ちよさそうにくつろいだので、魔王さまはブラッシングを続けました。
マジュルンはご機嫌でブラッシングをされていました。
◇
大丈夫です。
何事も最初は上手くいかないものです。ダイエット挑戦を仕切り直しましょう。
厳しくスパルタな教育方針にと決めたのです。
魔王さまは気合を入れ直しました。
強キャラ闇オーラをゆらめかせて魔王さまは腕組みをし、マジュルンと向かい合いました。
マジュルンは空っぽのごはん皿を前にして悲しげにしています。
「今日のごはんは終わりだ、マジュルン」
「キューン?」
「そ、そんな顔をしてもごはんは終わりなの! ダイエットするの!」
「キュー……」
「くっ」
マジュルンは今日もごはんをいっぱい貰えると信じていました。
たくさん食べたら元気がいいと魔王さまが喜んでくれるので、もっといっぱい食べたいのです。おいしいものが大好きなのです。キラキラした瞳で魔王さまに訴えかけました。
こうかはばつぐんでした。
魔王さまはオーラも弱まり、心が揺らいでしまいました。
けれどもなんとかこらえねばと、そう何度も魔王が簡単に魅了されるわけにはいかないでしょう。
「ダイエットとは過酷なのだ! 空腹が苦しくても根性で耐えるしかないのだ! 今までの怠惰で堕落した生活とは決別しなさい、マジュルン!」
「ガルルルルッ! バウッ!」
「お、怒ってもダメだぞ、マジュルン! ……マ、マジュルン?」
マジュルンは魔王さまの無茶振りと、侮辱の数々に心を痛めていました。
いつでも頑張っているのに怠けていると言われるし、いつもの生活のままで楽しいのに、どうして変わらなければいけないのかと。
魔王さまもマジュルンが悪くないのに、マジュルンを責めてしまい自己嫌悪していました。
「キュウ、クゥーン……」
「う、うむ? ……そ、そうだな。何事もいきなり完璧にするのは難しいからな、ちょっとしたデザートくらいはよかろう」
マジュルンはご機嫌でデザートをもぐもぐしました。
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