第25話
将軍が案内された参加者用の控室は広々としていました。
壁には大きな鏡もあるため、本番前に最後の練習ができるようになっています。
他にも魔法を贅沢に使えるようになっていて、照明の調節から冷暖房完備で水位も気圧も自由自在に思いのまま、台の上には各種お茶からジュースにお弁当、おやつまで取り揃えられて置かれ、部屋の隅の棚には暇つぶし用の知恵の輪などの玩具から禁忌の魔術書まで並んでいました。
まぁ、それはいいとして。
「将軍、曲は何にされますか? 地獄の環境音から人間界の流行り歌までありますよ。古代からよくある求愛ソングなんかどうです? それとも個体同士の極狭い範囲の愛じゃない人類愛、世界愛みたいな広義のラブソングにします? 賛美歌?」
最近の流行りなどわからない将軍は選曲を任せて、係員を退出させました。
悪魔が愛や賛美歌を勧めてくるのはいかがなものかと思いましたが、悪魔が真面目に働いているというのは、強い悪魔の支配を表すものでもあるので、少しは評価できることです。
だから、それもいいとして。
『えー、えー、開始前に重要なお知らせがございます。呪いや死のダンスが得意な先生に総合審査員として来て頂く予定でしたが、一緒に暮らしている魔界大蛇が脱皮に苦戦しているのを見守るため、急遽欠席となりました。運営一同、無事な脱皮をお祈りしています。……で、えー、そのため、審査員は魔王さま、白髭の悪魔殿、骨の悪魔殿、ジャリュー殿が努めることになりました。ダンス未経験者ばかりですが魂の感受性だけで採点を頑張ります。いやぁ、元々フリースタイル形式で観客の票も加える予定だったとはいえ、これだと一概にダンス経験者が有利とは言えない展開になりそうですね、魔王さま。番狂わせが審査員席で起こってしまいました』
『うむ。技術点という名称や基準を変更して採点を行うことにした。〝全力だよ激しく燃えるよ情熱度〟、運動不足解消をコンセプトにした健康意識や演技中の楽しさを見る〝丁寧な日常度〟、娯楽を重視して魅力を競う〝自分勝手見せつけ自由度〟の三軸で評価をする。参加者の皆さんは予想外のことに戸惑われるかもしれないが、勝負の場とは常に想像を超えるものだ。闘志を燃やし、挑んで貰いたい』
『戦いはすでに始まっているということですね! ハイ、ではでは観客の皆様も張り切っていきましょう!』
せっかく本番前の最後の集中ができるように作られている個室なのに、会場のアナウンスが丸聞こえで、集中しにくい環境になっていました。
悪魔に優しく楽しいというふわっとした方針のせいか、配慮がされているのかされていないのか、参加者の集中力を試したいのか、運営のやりたいことがさっぱり伝わってきません。
とはいえ、魔王の言うように勝負というものには予想外な出来事はつきものですし、こんなくだらないダンス大会といえども、敵をねじ伏せて自らの能力を示すのが強い悪魔というものですし、勝負をするからには勝利あるのみです。
将軍は入念に準備体操をしながら、控室にまで聞こえてくるやかましい拍手と歓声の雑音をどうにか気にしないようにしようとしまして。
『イエェーーーイ! 素晴らしかったですね! 絡まりそうで絡まらない何本もの足がくねくねと動き、音楽に合わせて不規則に、時に一致させるという見事な足さばきでした! 観客を不安と心地よさという矛盾した世界へと誘う表現力! 観客の皆様も本気で鑑賞し、応援していきましょうね! ……さて、審査員のみなさんのコメントを聞いてみましょう。白髭の悪魔殿?』
『足の数が演技中に増えたり減ったりという大胆な演出で、観客をざわつかせました。素晴らしい発想でした。足先の角度、吸盤の収縮具合まで繊細な技術があってこそでしょう。情熱度、自由度は高得点ですが、ちょっと激しく蠢くので見ていると目が回るのと、会場に豪快に撒かれた墨の掃除が大変なので、丁寧な暮らし度は減点になりますなぁ』
『なるほど。ご参加ありがとうございましたー! 優勝争いは始まったばかり! ハイ、次の参加者の方どうぞー』
将軍は自分の運動能力には自信がありました。
演武の型を基礎に、素早い動きからゆったりとした重心の運びなど、技を応用してダンスすれば高得点が狙えると思っていたのです。
思っていたのですが。
『……ハー……。アアー……。よかったですねー。よかった! 幻想的な曲に合わせた素敵ダンスでした! 中盤の不穏な場面から主人公が開放された場面への転換には物語性があり、見終えた観客の満足感と濁った後味の悪さは格別ですね! これは高得点間違いなしかも。それとも好き嫌いがはっきり分かれてしまうでしょうか? ……どうでしょう、骨の悪魔殿?』
『ヒロインが呪いを受けてしまった時の不安な気持ち、私だけ呪われるなんておかしい、ならばこの世界も道連れにしてくれるわという決意、復讐の達成感までを見事に表現されていて、よい感情の疑似体験ができました。ただ、幽霊だから足のステップがよく見えないのと、序盤に緊張されたのでしょうか? 数秒間姿が消えてしまった部分は丁寧な暮らし度と情熱度が少し減点ですね』
『なるほど、なるほど。ご参加ありがとうございましたー! 熾烈な順位争いになりそうです。ハイ、次の参加者の方どうぞー』
魔王と愉快な仲間たちは陽気でした。
底抜けの陽気だけで中身がスカスカでした。
「な……ッにがフリースタイルだ! 自由という名の無責任ではないかッ!!!」
将軍は雄叫びました。
審査員の感想からして、どうやって点をつけようか悩んでいる気配がしますし、ここまで自由だともう、真面目に頑張ってダンスをしようとしている自分の方が間違っているような気がしてきて、将軍の心はかき乱されていました。
魔界商会正規品認証マーク付き無敵サンドバッグをびしばし殴り続けてみても、将軍は少しも気分が晴れず、またしても血管が数本切れてしまいました。
気分はずっとプッチン憤怒しています。
『おおぉーー! これは新星の登場です! ダンスを競う場なのに直立不動で一曲、美声で歌い上げました! 見習いたい、その度胸と反骨心! 芸術とはやりきることだと教えてくれます。やりたいことだけをやるという強い意思を審査員と観客に叩きつけました! 観客はこの表現を受け入れられるのでしょうか? 審査員の反応は? はたして時代は追いついているのか!? ……いかがでしょう、ジャリュー殿?』
『竜の鼓膜でなければ耐えられなかったっすね。時代の先取りすぎるリズムで審査員を戦闘不能に追い込もうとする歌声には迫力があり、心臓をマジで鷲掴みされたっす。でもダンスじゃないっす。それはもうどうしようもないっすが、このイベントはフリースタイルという名のフリーダムっすから、情熱度はぶっちぎり高得点でマイナスを補っているかもっす』
無心でサンドバッグを殴り続けている間にも、参加者たちが謎のパフォーマンスを終えて、審査員が謎の点数を発表し、観客が拍手と歓声でなんとなく進行させるという、馴れ合いお楽しみ空間が形成されて揺るぎません。
ダンス大会という名目はいったい何だったんでしょうか。
音楽や踊りの歴史へのリスペクトもなく、雰囲気だけでゴリ押しされているのに誰も疑問を抱いていません。こんなところだけは、悪事に勤しんでその他の文化を軽んじてきた悪魔らしい浅慮さ、軽薄さでした。
あの魔王は基本的に不勉強だから詰めが甘いイマイチなことをするし、人間を真似るなら真似るでちゃんとやれよと思うところです。
「え、ええい……! このままだとあの軟弱魔王の軟弱さに染まってしまう……!」
そもそも、平和なんてものを自分でもやってみようとしたのが間違いでした。
売り言葉に買い言葉、勝負事に飛びつく自分の軽率さにも腹が立ってきました。
将軍は気分と勢いのまま控室の窓を蹴破ろうとして、異様な気配を感じ取りました。
「ぁらン? 逃げる気なの?」
声が、しました。
その声は背後からしました。
さっきまでは何もなかったはずなのに、ぞっとするような強力で邪悪な気配が唐突に出現したのです。ぬるま湯のようにだらけきった最近の魔界に、まだこれほどの存在が居るのかと思うほどの、異様な気配でした。
何者かの気配と力に圧倒されているせいで息が苦しく、体が竦みます。
それでも将軍は一瞬、一瞬が経過するごとに状況を掴んでいきました。
戦いに慣れている将軍は、気持ちが弱ったら敗北に繋がってしまうと知っています。こわばる体を根性で解いて将軍は振り向きました。
見たものは、おぼろげな黒い光。
それは控室の椅子の上にぼんやりと浮かんでいて、おそらくは将軍に話しかけてきました。
「ハロー。アタシょ。懐かしぃ気配がしたカラ来ちゃった☆」
「な、何奴!?」
「ン? ゥフン、、、さすがにこんなに遠くまで幽体離脱すると、体がすけすけセクシーになってしまぃ、誰だかゎかってもらぇなぃょぅね。ミステリアスが追加されてさらに魅力の能力値が上がっちゃぅ、、、さっそく熱心熱烈に見つめられちゃってるし、照れるゎ。ねぇ、将軍。ご機嫌はぃかがかしらん?」
「グ……ッ……こ……この圧はいったい……?」
黒い光の強圧に押し潰されるように視界が狭くなってきて、控室の空間そのものまでひしゃげていくように魔法が奪われていき、対峙する将軍に屈服することを強いてきています。
根性も虚しく、将軍は恐ろしい力を前にして、立っているのがやっとでした。
「ちょっと聞ぃてンの? ったく、悪魔ってのはレディの話を聞かなぃ無礼者が多ぃのょね。ゃーね。、、、でも、イイゎ! 退屈してるのょ、アタシ。その剣が飾りじゃなぃなら、戦ぃましょう?」
好意的に言えば奇妙、率直に言うと耳障りな口調で黒い光は喋り、不気味に点滅しました。
将軍は震えかける腕を深呼吸で抑え、勝機を求めて何者かの様子を改めて窺います。黒い光は将軍の巨剣に反応しているようでもなく、攻撃をしてくる気配もありません。世界の全てを強圧で潰そうとするかのような、魔王に似た力は嘘のように消えていました。黒い光が突然現れた時と同じように、突然消えたのです。
将軍は自分の勘違いだったのかと疑いかけましたが、緊張の名残で激しく心臓が脈打っていて、警戒するべきだと知らせていました。
戦いにおいて情報は重要です。
ですが、将軍は目の前の黒い光が何者なのか、どれほどの力を秘めているのかを計り知れないままです。かつて魔王と戦った時の記憶と似ているというくらいで、自分は不利だということしか、わからないのです。
この状況で、この強敵に勝てる道があるとすれば、不意打ちを成功させるしかないでしょう。将軍は長年の戦いで培った経験と直感で決意し、鍛え抜いた体だけが可能にする動きで黒い光へ攻撃をしました。
全身全霊、対魔王を想定して編み出した必殺技であり、この上なく上手く言った渾身の一撃は黒い光を確実に捉えました。
「……ムッ……!?」
「遅ぃ。弱ぃ。まだまだ甘ぃゎね!」
将軍の巨剣は黒い光に受け止められて、半ばから砕けてしまいました。
だというのに、黒い光の方は何ら変わらず、対抗用に力の片鱗すら表しませんでした。簡単に攻撃を防がれて、しかも無防備になった将軍に反撃してくる気配すらもないのです。将軍なんか弱い相手に大きな力を使う必要はなく、殺す価値もないという意味なのでしょう。
将軍は魔王振りの敗北を認めるしかありませんでした。
「ぐ……何故だ……それほどの力をいったいどうやって……?」
「聞かれても困るんだケド、、、ぁぇて言ぅなら、今のアタシは常に最高潮を更新してぃる、、、。そう、、、これは恋の力ょ!」
「……恋の力……だと……?」
道理で邪悪で凶暴なわけです。
魔王に敗北してからというもの、将軍は修行に明け暮れてきましたが、恋をしようなどとは思いませんでした。
それは、将軍には辿り着けない境地でした。
「、、、さて、将軍。どぅせ未だに古いゃり方に拘ってぃるんでしょぅ? 敗北したからには勝者の命令に従ぅ覚悟がぉぁり?」
黒い光が膨張して炎のように揺らめきながら、将軍を見下していました。
戦いに負けた者は勝者に服従し、命も財産も失うのが古い掟であり、魔王が作った新しいお約束事よりも将軍に馴染みがあるものです。
「わかっている……」
将軍は覚悟して目を瞑り、下される命令を待ちました。
「じゃ、命令ょ。恋バナをしなさぃ!」
「 」
「早く」
「…………え? こ、え?」
「恋バナょ。恋のお話。渦巻く手前勝手な欲望と虚像に満ち満ちて理想化した偶像を、可憐な純情やロマンスといぅ名のオブラートで美化戯画ふんわりラッピングして、キャッキャウフフとつまびらかに語りなさぃ! アタシが楽しぃカラ!」
「いや、え?」
将軍は黒い光が異様に恋に執着していることを察して困惑し、そして困りました。
しもべとしてこき使われるだとか、他の悪魔に襲撃を仕掛ける使い捨ての尖兵にされるだとか、武器と甲冑コレクションを献上するだとか、そういう覚悟はしていましたが、面白トークを求められるとなると、どうすればいいのかちんぷんかんぷんです。
「、、、ちょっと何? 恥ずかしがってるでもなぃし、、、もしかして、魔王みたぃに恋はしなぃタイプの悪魔だったりするの?」
「……はぁ。する必要がなかったので」
「チッ、、、まぁね。ゎかるゎょ。恋よりも楽しぃことなんてぃくらでもぁるからね、、、じゃぁ、代わりに何か悩みを話しなさぃな。、、、そぅ。悩みぁるトコロにァタシ在り。平和な世界で斬り捨てるべきは悩みだけ! アタシと出会ぇた幸運なぁなた専用の悩み相談室を開いてぁげるゎ! さぁさぁ、眉間から血を流すほどのつらみを話すのょ!」
「そ、相談というのは命令して聞き出すものではないと思うのだが……」
「正論を言うのはゃめてくれる? ぃいカラ、敗者は語るのよ生い立ちから! 聞いてるアタシがエンタメ消費しやすいようにエモく、できるだけドラマチックに脚色して話しなさぃな!」
「おぉ、おおぅ…………」
黒い雷のようにバチバチと光って、将軍に再度命令してきました。
将軍はマジで困り果てましたが勝者の命令は絶対ですから、なんとか喋ろうとしました。
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