第27話
どこをどう行ったのか意識にも記憶にもないままふらふらとしていたら、急に強い光を感じ、将軍はぎょっとして立ち尽くしました。
眩しさで何も見えなくなっています。
チカチカするのでまばたきを何度もしました。
そのうちに、少しずつ目が慣れてきました。
上の方で火の玉がいくつも浮かんで周囲を照らしていました。
満席の客も見えてきました。
将軍の隣には直立した巨大なぬいぐるみが。
何故、ぬいぐるみ。
やぼったいシルエットで、表面は起毛素材でふかふかとしていて、大きくてまん丸のボタンの目は光を反射して煌めいています。
よく見ると、背面辺りから真っ黒なオーラが揺らめいていました。
ぼへーっと眺めていた将軍は、このぬいぐるみは控室にあった一体であり、あの黒い光が取り憑いて動かしているらしいと理解しました。
でも、何故、ぬいぐるみ。
『あー、あー……拡声魔法のテスト、テス……はい。皆様、この方の登場をお待ちかねだったのではないでしょうか? 剣の腕は超一流、赤竜との戦いで有名なあの悪魔将軍の登場だー! 孤高のイメージが強い将軍ですがなんと、今日はペアでの参加だそうです! 登録名は〝勇猛なる悪魔将軍〟と……えー、〝謎のぬぃぐるみさん〟……さんを皆様、大いなる期待を込めた拍手でお迎えください! 拍手ー!』
疲れ知らずな単眼の悪魔の声量とテンションが耳を通過した後、観客の視線が将軍に集まってきました。そう思ったら急に体中から冷や汗が流れてきて、息の仕方を忘れてしまったみたいに、苦しくなってきました。
これはどうしたことでしょう。
やかましい実況と拍手の音が耳に痛いと思っていたのに、急に音が遠ざかっていくのです。けれども、目の前では観客は手や触腕や尾ひれやら道具などを叩いていますし、実況の単眼の悪魔は声に魔法を使いまくっています。
将軍は音が遠く感じるのは自分の意識が遠くなっているせいだと気づき、うろたえました。頭のどこかでは冷静なはずなのに、体はカチコチに凍っているかのようで、思うように動かせませんでした。
こんなことは初めてでした。
平和に遊ぼうとするのも、武力で脅され行動を強いられるのも、緊張で吐きそうなのも、心が傷ついていると自覚するのも、気持ちが重く暗いままなのも、とにかく初めて尽くしで、こんなに自分が弱々しく思えたことはありません。
こんな気持は知りたくありませんでした。
観客の期待に満ちた視線が刺さるようでつらく、観客の中には将軍が蔑んでいた弱い悪魔たちも居るのがわかりました。
この場を心から楽しんでいる様子です。
将軍にはできないことをしていて、将軍の敗北感を増し増しにしました。
そんな将軍の状態を意に介さず、ぬぃぐるみさんは二足歩行で愛想よく観客に手を振っていました。
黒い光が何を考えているのか、どういうつもりなのか問い質したいものですが、将軍は喉が苦しくて声も出せません。緊張に囚われたままです。
身も心も何の準備もできていないまま、音楽が奏でられ始めました。
つまり、ダンスが始まったのです。
でも、将軍は動けません。
対して、ぬぃぐるみさんの方は耳をぴくぴくと忙しなく動かし、時々黒い光を液漏れみたいに出しながらも、軽快な音楽に合わせてぬるぬると気持ち悪く踊り、一気に観客の注意をひきつけていました。
強烈な自己陶酔が緊張知らずの伸びやかで優雅な表現を作り、濃厚で胸焼けがするレベルの個性を発揮しています。近くで見るほどに不気味怖いのですが、観客にはコミカルに見えているらしく、大受けしていました。
「ふ。たまには受肉するのも悪くなぃゎね、、、。視線と歓声を浴びるコトでアタシの芸術はワンランク上に至る、、、。ぃーぇ、こんなもンじゃなぃゎ、ぁたしの限界はココぢゃなぃ。でも、限界を凌駕したさらなる高みへと行くには踏み台、、、もとい、引き立て役、、、じゃなくて、協力者が要るわね、、、!」
将軍は自らの存在意義を失い、世界の全てが敵のようで、危うく感じて突っ立ったままでしたが、凄まじい殺気を察知して瞬時にその場を転がりました。
その反応は最良でした。
ぬぃぐるみさんの豪腕が、さっきまで将軍が居た場所を貫いていたのです。
「な、何をッ……!?」
「ぃーコト、短ぃ命がだらだらとお悩みできると思ってる? 悪魔とて迷ってる暇なんか無ぃゎ! 生きたければ踊りなさぃ! 生にしがみつぃてこそ、命は燃え上がり、苦しみは美しさに昇華されるのだカラ、、、!」
丸い前腕に鋭利でカラフルな鉤爪がアクセントなぬぃぐるみさんは、観客の視線と期待を充分に集め、焦らしてから、もう一度凄まじい攻撃を将軍へと振り下ろしました。
低反発クッション素材とは思えない圧で迫るぬいぐるみさんの腕。
将軍の体は硬いままでしたが、既のところで身を躱すことに成功しました。
砕け散る床材の破片の中で、転がった将軍は体勢を整えます。
弱いと見捨てたくなった自分でしたがちゃんと動けました。
今までの、昔からずっと戦ってきて、休まず訓練をしてきたからでしょう。
自分は黒い光よりも弱いけれど、自分の全部が無価値ではないとわかった瞬間、将軍の感覚は研ぎ澄まされました。
敵の動きをすべて把握するべく、睨むように目を見開き、どんな動きにも対応できるように構え、幾多の戦いを共に駆け抜けた巨剣の柄を握り直します。
ぬぃぐるみさんは軽くジャンプしてから、将軍への攻撃を再開してきました。
将軍は身を捩り、次に屈み、次の攻撃は飛び上がって難を逃れました。
冷静になった将軍の耳に、観客の歓声が聞こえてきました。
ぬぃぐるみさんは音楽の強弱に合わせて殴ってきていました。
激しい攻撃に合わせて将軍の動きもダイナミックになっているから、観客からは派手で目に楽しく映っているのでしょう。いつもだったら将軍が武器を持って戦っていたら非難されるのに、観客はぬいぐるみさんの恐ろしい攻撃に息を呑みつつも、逃れた将軍の鮮やかな動きに喜んでいます。
誰の体も傷つけず、かといって手加減されてもいない極限の攻防は新しい戦い方でした。闘争心は敵を倒すためではなく、観客を喜ばせるために燃え、観客を盛り上げるためには無駄な動きも入れて、ギリギリの危うさを演出するという技術も求められます。
気づけば将軍は、この新しい戦いを楽しんでいました。
「ふふン。お客さんの声が聞こぇたかしら? 、、、でもここで演者が満足してしまったら、観客に良ぃように消費されるだけの存在で終わるゎ。一流のヒロインはね、客に虚構を信じさせて、永遠を生きるモノなのょ!」
「クッ……まだまだァッ!」
「その調子ょ! アゲてぃきなさぃ!」
ぬぃぐるみさんの言うヒロイン談義が、今この状況と何の関係があるのか不明でしたが、将軍は自分を励まして、攻撃からどうにか逃れ続けました。
しかし、逃れるだけでは終わりません。終われません。
将軍の負けず嫌いで不屈な闘志の炎に応えて、折れた巨剣が炎を噴き上げ、刀身を蘇らせました。弱い自分を認めて、弱い自分を否定せずに戦えるようになった将軍と同じく、巨剣もまた新しい力を手に入れたのです。
ピンチに強くなる主人公っぽさに観客は声援を送り、それを糧に将軍は気合の雄叫びを上げて、炎の巨剣をぬぃぐるみさんに斬りつけました。
「、、、ょく、やったゎ、、、己を葬るのも、再起させることができるのも己のみ、、、。現在の最大に到達した者ダケが、、、次の舞台を目指せるのょ、、、」
ぬぃぐるみさんの語りはやっぱりよくわからないままでしたが、黒い光が成仏するのにふさわしい豪炎に飲み込まれていきました。頭部だけになっても踊り続けるという壮絶な最後を迎え、始終観客の視線を釘付けにしています。
火の粉が弾け舞い、終焉へ向かう音楽とドラマチックに演出する照明は、ぬぃぐるみさんが燃え尽きるまでを美しく、恐ろしく彩りました。
将軍とぬぃぐるみさんのダンスは終わり、観客の拍手喝采を浴びました。
『……う……うぉぉおおお! 熱い展開でした! 温度的にも! 激しくも美しい魂と魂のぶつかり合いで、一瞬の妥協も許さず、共鳴してより高みを目指す愛と友情と戦いの記録! 惑う弟子を導く先生のぬぃぐるみさんさんの覚悟は、観客の心に深く刻まれたことでしょう!』
将軍は昔の高い地位だった頃以上の歓声を浴びて、昔の戦い以上の高揚と達成感を覚えている自分に驚いていました。
あと、燃え尽きたと思ったぬぃぐるみさんが演技終了後、審査員の評価待ちの椅子に普通に座って来たのにも驚きました。
「なぁにその驚きに見開いたまなこは? このアタシがぬいぐるみを燃やすなんてヒドイこと、するワケないじゃなぃ」
「でもさっき燃えて」
「安心しなさぃ。アレは残像ょ」
「…………」
将軍は釈然としない気持ちでしたが、実況が聞こえてきたのでそちらに注意を向けました。
『第一回にも関わらず参加者のレベルが高く、誰が勝ってもおかしくありません。実況のわたくしは自分の業務も忘れて楽しんでおります。……さて、将軍とぬぃぐるみさんペアの評価はどうなるのか? 魔王さま、お願いいたします』
「うむ。最初、動きまくる魔け――ぬぃぐるみさんと、微動だにしない将軍というバランスの悪さから始まり、床材を叩き割ったのは丁寧な日常度において大きなマイナス要素だったが、破砕音と飛び散る破片の派手さで一気に観客を魅了した。減点を覚悟した上での大胆な構成だった。我としては中盤の暴力的で物騒な応酬は単調な攻撃だし、動きの無駄も多く、音楽と合わない部分もあり、中だるみして情熱度は上がりきらなかった。しかし、終盤にかけて将軍の緊張が解けてきたのか、洗練された動きになり、健康的で理想のような肉体美だった。炎による最後は古典のようでもあり、陽気に踊りながら燃え尽きるという斬新さと怖さもあった。自由度では高評価をつけたい。ただ、全体を通して照明が生み出す雰囲気に頼っていたように思う」
他の審査員に比べて魔王さまはやたらと辛口コメントをしてきましたが、観客は一番盛り上がっていたのですから、将軍とぬぃぐるみさんが優勝候補でしょう。
魔界式でダンスバトルとかいう平和の余興なんて、愚にもつかないと思っていましたけれど、最初に思っていたほど悪くないようですし、少しだけ、ちょっとだけ、極小の一欠片の雀さんの涙分くらいは認めてやってもいいかもしれないと思い直して、将軍は胸を張りました。
気を良くして観客席の方に移動し、他の参加者のダンスを見ることにします。
客席から見る舞台は、舞台に立っていた時とは違う印象になりました。
拍手と応援を叫ぶ観客の中に居ると、観客も力が込もっているのだとわかります。
観客も、この遊び場を共に作る参加者なのです。
将軍は観客と共に次の参加者を迎えました。
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