第22話 悪魔将軍の反逆

 巨剣を担いだ悪魔は瞑っていたまぶたを開き、ゆっくりと息を吐き出しました。

 周辺の茂みや岩陰からは潜んでいる者たちが向けてくる殺気が渦巻いていて、少しでも隙を見せるか、動いたならば一斉に攻撃をされる気配がします。

 並の悪魔だったら守りが堅いこの場を突破するのは諦め、迂回を選ぶところでしょうが、巨剣の悪魔はなんと、そのまま堂々と歩き出しました。


 潜んでいる者たちは想定と違う巨剣の悪魔の行動に焦り、僅かに遅れてから攻撃を繰り出しました。

 石礫や矢の魔法を敵の逃げ場がないくらいに降らせ、確実に敵を葬る予定だったのですが、攻撃を実行する判断が遅れたために疎らとなり、巨剣の悪魔が対処をする余裕を与えてしまいいました。


 戦いでは一瞬の迷いや判断の遅れが命取りになってしまいます。

 巨剣の悪魔にとっては敵の意表を突くという賭けの勝利、潜んでいる者たちにとっては巨剣の悪魔を倒す機会を逃す致命的な失敗となりました。


 あえなく、巨剣の悪魔は迫りくる攻撃を巨剣で払い落とし、大岩に飛び乗って旗を奪い、吠えました。

 勝利の宣言でした。




 風が唸る音と、どっかでけたたましく鳴いている魔界怪鳥の奇声以外、周辺は静まり返っていました。

 巨剣の悪魔は吹き荒れる風に自慢の鬣をたなびかせ、茂みや岩陰を睨みました。

 静かな時間が過ぎ去って、落ち葉が風でくるくると回り、カサカサと鳴りながら転がっていきました。


 苛立ちで巨剣の悪魔の肌は真っ赤になって、さらにしばらく時間が経ってからようやく、敵担当で潜んでいた悪魔たちがそれはそれは嫌そうに、茂みや岩陰からのろのろと出てきました。

 せいれつ〜と覇気のない号令を唱え、微妙に整いきらない列で並びます。

 そんな様子に、巨剣の悪魔はさらに苛立ち腹立ち哮り立ちしました。


「弛んどるぞォ、貴様らァッ!!! 防衛戦をするなら最後までやりきらんか! なぜ遠距離攻撃だけで諦めた? 遠距離がだめなら接近戦を挑め!」

「だって接近戦だと将軍には勝てませんし?」

「だいたい今はサバゲーの気分じゃないっていうか?」

「戦いは破壊以外は何も生み出さない感じなんで?」

「え、ええいッ、いちいち語尾をくにゃくにゃにするなァ! この軟弱者どもめッ」


 言責を曖昧にした調子でぶつくさ言う若い悪魔たちを一喝し、巨剣の悪魔――将軍は巨剣を頭上に掲げました。

 この剣は暴力と破壊の時代を共に過ごしてきた愛剣であり、戦いと血に塗れた悍ましい曰くつきの武勇の証でもあり、悪魔が嫉妬と尊敬をすべき力の象徴なのです。

 けれども若い悪魔たちの反応は鈍くて、同じように武器を掲げて将軍に応じることはありませんでした。


「いやぁ、将軍。こういうのはもう古いしダサいし野蛮ですし……」

「最近は戦うよりも畑を耕すほうが楽しいっていうか……」

「畑でいかに魔界野菜を守っていかに自然環境を破壊しないか、殺すよりも生かす数をいかに多くしていくかの戦いの方が燃えるっていうか、少しでも周りに優しくなりたいなって感じなんで……」

「……このッ、こ、これだからァ最近の悪魔はダメなのだッ!!!」


 将軍の頭の血管が怒りでブチブチと数本切れました。

 飛び出る流血を目撃したある悪魔は恐ろしさで貧血を起こし、ある悪魔は心配で大慌てで意味もなく鶏冠を上げ下げし、ある悪魔は真っ白で皺一つないお肌に柔らか低刺激なガーゼハンカチを将軍へ差し出しました。


 実に軟弱です。


 悪魔たる者、上位の悪魔が弱っていたら好機と見て、襲撃するべき時でした。

 悪魔は悪魔らしく、傷を晒している者を嘲笑い、攻撃し、甚振るべきなのです。

 こんなにも仲良しこよしで馴れ合うなんて、とんでもないこと。

 悪くない悪魔など、悪魔としての存在意義を失っているに等しいでしょう。


「やめんか貴様らァッ! 悪魔らしくなれ、悪魔らしく! 優しくなるな! 暴力を選べ! さっきのように戦いを途中で放棄して戦意喪失などもってのほかだ! 必死で戦略を練り、自分よりも強い悪魔を頼って媚び諂い契約してでも敵と戦うのが悪魔だろうがッ。力にはそれ以上の力で叩き潰すのだ! 卑怯な手を使ってでも敵を排除しろ!」

「えぇー?」

「だってねぇ?」

「行き着く先は戦いと死あるのみっての? そーいうのは今時要らないっていうか」

「……ぐ、ぐぎぎ……もういい! 貴様らァの訓練など知らん! 正しく優しく平和に暮らして堕落し、勇者や天使どもに滅ぼされてしまえ!」


 将軍は捨て台詞を怒鳴って飛び去りました。

 残された悪魔たちは顔を見合わせ、堕落した暮らしだったらそれは旧来の悪魔らしいということなのではと思わなくもなかったですが、午後の自由時間をわざわざ将軍に反論するために使う必要もないから聞き流して、それぞれの趣味に遊ぶために解散しました。




 ◇




 将軍は怒っていました。

 マジギレ激おこぷんぷん暴れん坊でした。

 憤懣やるかたない。


「……これもあの魔王のせいだ……。あんな悪魔を許す魔王など認められん……!」


 将軍は血管が切れた頭を少しでも冷やすために、滝に入りました。

 けれども全然冷めず、むかむかと怒りが沸き起こってきます。

 あの変わり者で有名な悪魔が魔王になってからというもの、何も上手くいかなくなったように思うのです。


 昔の魔界はもっと単純で簡単でした。

 敵だと決めた相手を憎んで、嘘を使ってでも罵倒して貶めて、凶暴に闘争本能に従って一昼夜ボカスカ殴り殺し合ったり、兵器を用いて第三者を巻き込んでも気にしない派手な爆発などなど、破壊と暴力に頼って争いに勝利すれば強者として認められ、やりたいことを好きなだけできました。

 他の悪魔たちに口答えなどさせず、相手の苦しみなど考えず、奪ったもので贅沢に暮らせたし、将軍の悪魔としての威厳と存在は保たれていました。


 それが今ではどうでしょう。

 新しい魔王の一声によって、悪魔たちはすっかり良い子ちゃんに変わってしまいました。


 平和という理念になんとなく賛同して、ゆるいルールを守った秩序ある言動をして、歌と踊りとおやつを愛した規則正しい健康維持に理想的な生活を送り、だらしなく笑ったり、複雑な相手の事情でもいちいち考えて思いやったり、ああそういうのもいいんじゃねとお互いを尊重して助け合い、元気を趣味や社会貢献に費やしています。


 変な悪魔が増えてしまったのです。

 魔界は変な魔王のせいで、争いを避ける退屈な世界に変わり果ててしまいました。

 この滝だって、上流で戦わなくなってからは血の色で染まらなくなり、清らかになってしまいました。


 将軍は収まらない気分のまま滝から出て、毛を逆立てました。


『はーい、魔界の皆々様、いかがお過ごしでしょうか? 今日の天気予報をお伝えいたします。刺激を求める悪魔の皆様お待ちかね、最新の天気魔法が試験運用されるデンジャラスウィークが始まります。今日、洗濯物を干すのは運試しをしたい方以外には、おすすめしませんよー。雨のち晴れのち曇りのち雪のち濃霧や毒霧に包まれたりします。ところによっては雷、竜巻、雹、獄炎、槍が降るでしょう。いやぁ、刺激的ですね!』


 魔界ラジオも退屈になっていました。

 昔だったら敵に偽情報を与えて撹乱しようとしたり、悲鳴と剣戟の最中に命がけで暗号を発信したり、噂を作り出して有力悪魔を困らせたりと、企みや挑発が常にありました。

 なのに今ではどのチャンネルも眠くなるようなBGMでゆるゆると喋り、生活に役立つ天気予報や豆知識を教えてきやがります。


 悪という伝統は捨て去られて、平和と愛を尊ぶ悪魔ばかりなのです。

 いっそ悪魔ではなく平和愛魔とでも名乗ればいいと将軍は思っています。

 とにかく奴らは悪魔失格だと思いました。


『健康はどこから?』

『お金から!』

『ですよねー。でもお金がなくても大丈夫。いわゆる魔王制度をご利用くださいね。……もしくは我社のの怪しい実験薬を飲み干せば各種治療が無料になるキャンペーン中です! 輝くきれいな牙、鰓呼吸のできる新品の肉体で新生活をしてみませんか?』


 番組の合間にこういうCMが流れるようになったのも退屈の一因でしょう。

 わざとらしい声色で共感と行動を促される不快さときたら。

 牙の磨きサービスだとか、眼球のお取り替え時期のお知らせみたいな手厚い健康サポートも、昔はありませんでした。自らの肉体をひたすら鍛え、膨大な力を注いで魔法で作り直すか、道具で補強して次の戦いに挑むのが悪魔の常でした。

 それなのに本当に近頃の悪魔ときたら。


『ビッグバンから終末まで。悪魔のみんな〜? 今日も世界に存在しているか〜い? 魔王城広報からのお知らせを聞いておくれよ〜。長らく工事中だった魔王城がそろそろ完成いたします。そこで魔王さまはリフォームを記念して、お城でイベントを開催する予定ですよ! 注目の第一回は〜、ぶ・と・う・か・い! です! 参加費はもちろん無料で、魔王さまが交通費も負担してくれて、ごちそうも奢ってくれる契約を広報部は獲得いたしました! これを聞いているあなたは記念すべき第一回大会の優勝を目指すもよし、思い出づくりに遊びに来るもよし、とにかく新しい魔王城で遊びつくそう! キミも伝説の誕生の日に立ち会うのだよ! 集え、魔王城〜♪』


「……ほう。武闘会か」


 今日、やっと将軍にいいことがありました。

 広報でこんなにも重要な情報を垂れ流すなんて、今の魔王は愚か者です。

 推察するに、またしても人間かぶれな魔王による人間界の真似ごとなのでしょう。

 くだらないイベントですが、お望み通り魔王城に乗り込んで行き、魔王一派はもちろん魔王をも倒し、集った各地の悪魔たちの前で恥をかかせてやるいい機会でした。


「フーハハハハッ! 覚悟ォするがいい、軟弱魔王めッ!」


 滝のそばで爽やかな空気、蝶がふわふわして小鳥さんが囀る自然にそぐわない不穏なセリフを轟かせて、将軍は空へ羽ばたきました。

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