第3話
はてさて。
魔王というのは忙しいものです。
別に王座でふんぞり返って魔界を恐怖で支配し、悪魔たちにあれこれそれやれ全部やれと世話を焼いてもらったりしながら、たまに遊びに来る勇者と死闘を繰り広げるみたいに好き勝手に暮らすこともできますが、今の魔王さまはそれを是としません。
特権階級だけが得をする先代から連綿と続いた愚かな慣習を改め、ガイドラインやマニュアル作りをしながら周知を徹底し、資料整理や設備を揃えるなど現場の負担を減らしてきました。労働時間の短縮や生活の余裕というものは平和と優しさを維持する要です。時に邪魔をしてくる古い考えの悪魔を魔王さま自らしょっぴきに行くなど、相手が協力してくれるまで魔王オーラで圧を掛け続けるなどなどをして、平和な生活を目指した大胆な改革を行ってきましたが、まだまだ魔王さまが作った計画表の道半ばです。
広い魔界の各地の悪魔たちからは要望という名の苦情が届きます。
特に数百歳を越える悪魔などは新しいことについていけないと怠惰にごねてきて、果たし状や不幸の手紙を送ってきますし、魔王さまは受け取るたびに赴いて説得したり、説明したり、叱ったり、なんか寂しいらしいので茶飲みに付き合ってみたり、挑戦者をしばいたりと、いろいろと柔軟な対応をしなければいけませんでした。
魔王で居るのは大変でしたが、穏やかな生活を過ごすという夢のために魔王さまは頑張っています。今日とてお仕事リストを倒すべく、魔王さまは各地へ飛び回っているのでした。
悪魔たちからのお願いリスト、つまりは魔王さまのお仕事リストによると、今日は土地の魔力溜まりの対処が主なようでした。
魔界と言うだけあって、魔界には魔法の素である魔力がたくさんあるのですが、いささか多すぎるのが困り物でして、ある地点に魔力が滞り、かちこちに固まって凝縮されたりする現象が起こってしまいます。凝縮した魔力自体は無害なものの、魔界生物や道具が誤って吸収したりすると巨大化や凶暴化など、予期せぬ魔法が発生します。もしくは強烈で邪悪な毒の瘴気を撒き散らす結晶に変化したりと、だいたいが危険です。
放置すると周囲へ甚大な被害を引き起こすため、できるだけ力の強い悪魔が魔力のバランスを修正して安定させる必要がありました。
さっそくもたらされた現地住民による情報提供を頼りに、魔王さまは灼熱平原に来ています。
「情報提供に感謝する。魔力溜まりはどこにある?」
「あっちですかねー? 近頃は魔法道具までうまく動かなくなっちゃいましてねー。魔王さまー、どうにかしてくださいー」
「あっちとはこの地図でどこだ?」
「これかなー? ちがうかなー? そっちだったようなー?」
「そっちとは」
「こっちー?」
「…………」
大丈夫です。住民の難解な要望に応える時には苦労を伴うものです。
魔王として全力を尽くします。
魔王さま的に灼熱荒地は、地面から吹き出る元気溌剌な熱気と蒸気と陽炎で視界が歪むし暑いし過ごしにくい地域だなと思っていますが、魔界の人気観光スポットですし、この地域にしかない物も多くあります。悪魔たちがよく集まり、魔法を乱発したりするせいか、魔力の配置が歪みやすく魔力溜まりができやすいので、他地域よりも注意しなけばいけませんでした。
仕事のできる魔王さまが地図の巡回チェックリストを順調に埋めていると、誰かの視線に気付きました。
魔王さまが恐る恐る振り返ってみても、燃え盛る灼熱岩石の群ればかりで誰も居ません。でも、それなのに熱っぽい視線を感じるのだから不気味な感じです。
でもでも、幽霊もいっぱい住んで居る魔界なので、よくあることだと思いました。
深く考えると怖いのでそう思い込むことにしましょう。
魔王さまは次の地点である吹雪剣山に行きました。
魔王さま的には氷山が険しくて雪が目に入ってくるひたすら寒い過ごしにくい地域だななんて思っていますが、ここで作られるかき氷は絶品ですし、長い氷柱は修学旅行で訪れた若い悪魔がちゃんばらごっこに使ったりと、陽気で愛された土地です。
ただいかんせん寒すぎて、猛吹雪の日などは雪だるまたちでさえ屋内へ避難するため、使われなかった魔力が果樹に取り憑き、野生化したりするので危険なのでした。
ここでも魔王さまは現地住民に聞き取り調査をします。
「情報提供に感謝する。魔力溜まりがどこにあるか知っているか?」
「わー、魔王さまだ! 握手してください!」
「本物だー! 角がカッケー!」
「サインくださーい!」
「……う、うむ。それで魔力溜まりは?」
「アレですよ、アレ」
「あれ? どこだ?」
「ソレじゃなくこっちのコレです」
「これか」
「いやですからアレです、アレ」
「…………」
魔王さまは困難を乗り越えて、吹き荒れる吹雪にもめげずに出発しました。
氷属性耐性のある魔王さまといえど、日暮れ前には終わらせるのが無難でしょう。
地図の巡回チェックリスト地点へ行き、魔力の流れを正常に戻してチェックを付けるという地道で地味な作業中のことでした。
魔王さまはまた、誰かの視線を感じました。
銀世界には違和感のある熱視線です。
魔王たる者、前回と同じ轍は踏みません。魔王にありがちな形態変化能力を使って魔王さまは背中に新しく目玉を作り、速やかに背後を確認しました。
すると吹雪に目を凝らすまでもなく、巨体のあの魔獣を発見しました。
どうやらひっそりと魔王城から魔王さまについて来ていたようですし、木の裏から巨体がはみ出ているくせに隠れているつもりみたいです。
魔王さまが背中の目でそのまま睨んでいると観念したのか、魔獣は木の裏から出てきて魔王さまの前にお座りをしました。
魔王さまを魔獣の主だとすることを諦めていないのでしょう。
「なんなのだ。我について来るな」
魔王さまは魔獣を追い払おうとしましたが、魔獣は立ち去りませんでした。
「……ふん。我の邪魔だけはするなよ!」
魔王さまは妥協しました。
そのうち疲れたり、追いつけなくなれば魔獣も諦めるでしょう。
ついてくる魔獣は無視することにして、魔王さまはいつも以上に急いで仕事をこなしていきました。
けれども、魔王さまが山二つ分の見回りを終えても、魔獣はまだ魔王さまについて来ていました。
魔王さまの無視を許可だと勘違いしたのか、じわじわと魔王さまに近づいてきているのです。これは根比べの勝負だと思い、魔王さまは無視し続け、けれども無視しきれないことになりました。魔獣は何を考えているのやら、魔王さまの行く手を阻むように走り回ったり、穴を掘って氷雪を撒き散らそうとしたりと、魔王さまの邪魔を繰り返すのです。
後ろを勝手について来るまでは許容できましたが、仕事の妨害は許せませんでした。ついに魔王さまは雷を背景にしながら、プンスカ怒りました。
「愚か者めッ! 我の邪魔をするなと言ったはずだ!」
「キュ、キューン……」
魔王さまの怒りにたいして、魔獣は意外と可愛らしい鳴き声で耳と尻尾を垂らし、すごすごと去って行きました。
雪が積もるほどの毛深い背中には哀愁が漂っていました。
しょんぼりがっかりを表しきった魔獣を見て、魔王さまはなんだか自分が悪いことをしたかのような気分になりました。
「じゃ、邪魔をする方が悪いのだぞ」
魔王さまはわざわざ声に出してまで自分に弁解してから、仕事に打ち込みました。
仕事はいつもどおりなのに、気分は違いました。
なぜだかずっともやもやした気分でした。
◇
今日の魔王の仕事はすべて完璧に終わらせました。
魔王たる者、残業なんてしません。
最適な業務量に調整して、合理的に処理するという手本を悪魔たちに示します。
労働は健康に悪いので、直帰して娯楽に興じて精神のバランスを保つことは大切なことです。
けれど、今日の魔王さまは終業ベルが鳴っても机に突っ伏したままでした。
業務後に食事や遊びや黒魔術儀式に行こうとしている悪魔たちの声は遠ざかっていくので、魔王さまはしじまの孤独を味わいました。
普段ですと、終業後に仕事でのことを思い出すなんて健康に悪いことはしませんが、今日はどうしても心に虚無い穴が空いていました。
それというのも、さっきの魔獣のことが気になっているからです。
魔獣の行動を思い返してみましょう。
あの魔獣は灼熱平原の時には、注意深く魔王さまの後ろをついて来るだけで、邪魔をしてきませんでした。白髭の悪魔が紹介していたように、きっとあの魔獣は賢いのでしょう。
では、それなのに吹雪剣山の時には、どうしてあんなことをしたのでしょうか。
あの時、魔王さまの行く手に魔獣が居て邪魔だと思いましたが、魔獣が居る場所には発見しにくい小さな魔力溜まりがありました。魔獣が居たから魔王さまは気づけたのです。
それに、穴掘りで氷雪を撒き散らしていたのは、魔獣が魔力溜まりを探していたからではないでしょうか。
もしかして、魔獣は魔王さまを手伝おうとしてくれていたのではないでしょうか。
魔王さまは目を閉じました。
仕事は終わったけれど、今日やるべきことがまだあります。
◇
魔王さまは上空を飛び続け、やっと魔獣を見つけました。
魔獣は一匹でとことこお散歩していました。
魔獣は遠い土地から魔王さまのために来てくれたのに、魔王さまの態度は敬意が足りていませんでした。
自分の非を詫びなければと思います。謝罪をしに行くには勇気が要るし、自分と向き合うことはもちろん、相手を傷つけたことについて考え続けなければいけません。
魔王さまは深呼吸をしてから、魔獣の前に降り立ちました。
突然、魔王さまが現れたことに魔獣がびっくりしているうちに、魔王さまは気合と勢いで深々と頭を下げ自分の考えた謝罪を口にしました。
「愚かなのは我のほうだった。すまなかった。……もしも、我を許してくれるのなら、一からやり直し、我の魔獣になってくれることを検討してほしい」
言い切って、魔王さまはこわごわ頭を上げて魔獣の反応を見ました。
魔獣の目は輝いていました。
魔獣は大喜びで魔王さまに飛びかかってきました。
これはもしや噛み殺されるのだろうかと魔王さまは一瞬だけ思いましたが、普通に魔獣の友好表現なようでした。ずっしりと重たい前脚を肩に受け、魔王さまは強靭な足腰で耐えます。
「……ぐ。う、うむ。まずは待ての練習が必要なようだな」
「キュン?」
「先に言っておくが我は厳しいぞ。お前も魔王の魔獣になるのだから、何事も完璧でなくてはならん。よいな!」
「キュワワー、オオンキュッキュ、ワンアォォン!」
「……何を言っているのかぜんぜんわからんが、とりあえず家に帰ろう」
「キュウォ!」
よだれが降り掛かってくることを除けば、魔獣はもふもふしていて毛づくろいのしがいがありそうでした。
この魔獣は姿こそ魔王さまの理想と違いましたが、優しくて賢くて素晴らしい魔獣です。もやもやした気分は晴れて、魔王さまは明るい気分になっていました。
魔王さまは魔獣と一緒にお家へ帰りました。
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