第14話 邪竜
俗世の喧騒から遠く離れた地。
山脈に囲まれたこの険しい場所で生きていける者は限られています。
この地に住む彼らはこの地にふさわしい強大な力を持つがゆえに、神秘や怪異などの畏怖に満ちた言葉で語られ、記されてきました。
誰かに語られることで存在が知られ、伝播していくことで彼らはさらに恐れられ、恐れられるほどに彼らは力を増しているらしいですが、それはそれとして置いといて、大樹の群れに埋もれるような地下深く、すごく深く、すんごい深くに掘られた穴に、とある竜は身を横たえていました。
地中に染み込んだ水を糧にしてよくわからない謎茸が生えてきて、お洒落な間接照明みたいに光り始めなければ、ここは闇から生まれし邪悪な者が住むのにふさわしい場所でした。
ぜんぜんさっぱりわからない謎茸が、胞子を盛大に飛ばしながらゆらゆらと踊り始めて増殖し始めなければ、穴の内部は適温かつ粘膜に優しい湿度にも保たれていて、運命も社会からの圧力も親の小言も届かない安寧の空間でした。
けれどそれらは過ぎ去った日のこと。
穴の中は順調に増えた粘菌族な茸一族に支配されつつあり、竜は自分で掘って作った場所にも関わらず、隅っこに追いやられていました。
茸の一族から家賃など貰ったこともないので茸連中には家主への敬意などなく、いや、ひょっとしたら寄生して吸い尽くすのが礼儀だと考えているのかもしれず、じわじわと接近してくる茸一族の支配に竜は怯えと無力感を混ぜ合わせながら、縮こまっていました。
そして、ついに今日という日には。
ついに茸の魔手が竜の尻尾に接触してきて、なんかビリビリしてめちゃくちゃ痛かったので竜は半泣きで飛び起き、ダッシュで逃げて穴から地上へと這い出るしかなかったのでした。
「あ。ジャリューさんちぃーッス!」
「どうしたンすか〜? まだ✝闇に囚われた暗黒騎士✝ごっこしてるンすか〜?」
久しぶりに浴びた魔界の真っ黒太陽の強烈な熱に竜――ジャリューがぐったりとしていたら、太陽よりも陽気で雲よりも軽薄な幼馴染竜たちに話しかけられました。
方やびちびちと尻尾を振って愛想よく、方や牙をぎらりと光らせていい笑顔です。
「オレらこれから魔王城に行くッスけど、ジャリューさんもどうッスか?」
「工事中で見るたびに変わってておもしろいンすよ〜!」
「……ふん。竜のプライドがない奴らっすね。悪魔に魂を売ったっす」
「え? 違うッスよ。魂は売らないッス」
「落ちた鱗とか〜、脱皮したての皮とか〜、うっかりもげた尻尾とかが魔王城で高く売れるンす〜。お小遣い稼ぎになるンすよ〜」
幼馴染竜からの返答はジャリューにとって最悪なものでした。
いつから竜は魔王と並び立つのではなく、尻尾を振って媚びるようになってしまったのだと嘆き、震えました。
「……所詮、金っすね。自分だけの利益を追求して周囲への責任を放棄してるっす。お昼寝の至福と崇高なる労働放棄義務を忘れた愚竜っす……」
「いやなにを言ってるッスか。ジャリューさんみたいに中途半端に逃げたり遊んでばっかりなのもどうかと思うッスよ。ずっとご両親が心配してるッス」
「この竜の鱗とかは漢方薬で〜、尻尾の肉は滋養強壮にきく完全栄養食になるらしいンす〜。どうせゴミで捨てるものなンすから誰かの役に立つほうがいいンす〜」
「……ふ、ふん。正しさは時に相手の心を一番傷つけて心を閉ざさせるっす……」
ジャリューは震えを強めました。
自分が現実逃避をしている間に幼馴染たちはさっさと成長して、社会貢献を実践しているという現実がありました。
「も〜、ジャリューさン。そンな半泣きになるくらいなら〜、さっさと魔王城の警備とかにコネ就職すればよかったじゃないすか〜。なンで断ったンすか〜? こういう時に利用しないなら〜、なンのためのエリート家系なンすか〜?」
「……だ、だって、竜は堂々と構えて、相手が何度もお願いに来て、しぶしぶ仕事を引き受けるのが伝統っす……」
「ジャリューさんは古いッス! 素直に自分を表現して、相手のことも認めるのが今風ッスよ? コミュニケーションは愛が基本ッス。例え愛されなくても相手を想うのが愛ッス」
「……あ、あんなぽよよんとした魔獣連れの魔王など……歌と踊りが大好きな陽気魔王と愉快な悪魔たち、上司にしたくないっすから……」
「魔獣が来たのは最近のことッス。そんなことを調べるくらい気になってる自分に素直になるッスよ! 無気力にグレるのはもうやめるッス! ツンツンしたドラゴンなんか、今に誰も相手にしてくれなくなるッスよ? ツンデレが通用するのは高度なコミュニケーション能力を有する相手との、極めて限定的な関係でだけッス。ツンドラ気取りはやめるッス!」
「……ちち、違うし。そういうレッテル貼りする、な、し……しし……し……」
そこでジャリューは震えながら気絶してしまいました。
呼吸も荒く瀕死という感じです。
「ジャリューさン? お〜い。ジャリューさン? なンかヤバい? いつもの対竜恐怖症かと思ってたけどこれは尋常じゃない震えだし〜、よく見たらなンか謎の蛍光色粘液がついてる〜! どうしてこうなるまで放っておいたンすか!? 後回しにして事態を悪化させるのはジャリューさンの悪い癖っすよ〜!」
「自暴自棄になるだけ、面接で落ちたことが悔しかったのかもしれないッスね。ご両親に改めて相談しといてあげようッス」
幼馴染竜たちは決して仲間を見捨てない心の持ち主でした。
ジャリューについた謎の粘液を洗浄するべく、湖を目指して引き摺って行きましたとさ。
◇
ある日。
魔王さまは暇だったので、魔王城の工事現場を見に行きました。
工事は安全第一です。
魔界最強である魔王さまは防御力が高いため、万が一事故に遭ったとしても無傷で済むのですが、他の者に示しがつかないという理由から、ヘルメットを装着するようにしています。ヘルメットは自分の角の形などに合わせてオーダーメイドしなければならず、手痛い出費でしたが、魔王専用ヘルメットのつけ心地は悪くなく、気分転換にはいい感じでした。
さらに悪魔というのは真っ黒い闇色の者が多くて、影に紛れてしまうほど視認性が低いので反射ベストも欠かせません。
魔王さまは現場監督の言いつけを守ってしっかりと両方身に着けました。
ついでに、作業員へのお茶菓子の差し入れもしておきました。
現場では堕落の象徴からイメージチェンジを果たした悪魔たちがきびきびと働いていて、丁寧に着実に完成していくので、見ていて楽しいものでした。
「おはようございます、魔王さま。作業は日程通りに進んでおります」
「うむ。ご苦労。素晴らしい働きだ」
魔王さまは骨の悪魔を労いつつ、新築魔王城の一画を眺めました。
発注の時に全体の雰囲気の指定はしましたが、部分的なデザインは現場の判断と気分に任せることにしていました。そのため、魔王さまの発想にはなかったものが新魔王城には溢れていて、面白くなっています。
中でも、眼球を模した窓がぎょろぎょろ動く不気味かわいい休憩室や、落ち込んだ時に話し相手になってくれる石像に、従来の品種と違って呻き声が爽やかな囀りの魔界人面樹の並木などは特に気に入りました。
「さぁ、魔王さま。あちらを是非、御覧ください。魔界の伝統建築である鋭利なトゲトゲに頼った邪悪さの演出だと、安定した印象にはなるのですが退屈さと紙一重です。さりとて、奇抜さだけでは陳腐。ならば、常識を逸脱しきらない程度に突出することでゆるやかな新しさを、というのがこの一画のコンセプトになっています。新入りの若い悪魔の発案を基礎に、熟練の悪魔が経験と技術で補い昇華することで、調和に満ちたものが出来たと自負しております」
「ふむふむ」
「例えばこのトゲですが、とにかく鋭く尖らせてシルエットを際立たせ、攻撃性を印象づけるのが伝統のデザインです。それを今回はトゲを撓ませることで、曲線という視覚的に馴染みのない要素を加えました。伝統を継承しつつも新しさを備え持つ、華やかさと攻撃性の両立を目指しました。加工方法も確立してありますから、低コストに抑えられていますよ」
「ふむ……」
「他社にも類似デザインはあるのですが、トゲの曲線の具合を調整することで従来のトゲと同等の耐久性を保てているのは弊社だけでございます。新開発した塗料は厳正な安全性基準を余裕でクリアした上で、防腐期間と発色の鮮やかさが向上していて、素材とデザインの自由度も高い。自画自賛のようですがこれは本当に、ぬるぬるのテカテカなスライム粘液一強の時代に風穴を空けた大発明だと思っていましてね。先達が素晴らしい知識と技術を残してくれたように、我々の世代でも新しい良いものを生み出せました。社命を、いえ魔界の発展に貢献できるという誇り、この興奮がおわかりになりますか、魔王さま」
「え、うん……」
骨の悪魔の語りは魔王さまにはよくわかりませんでしたが、なにやらすごいらしいというのはわかったので曖昧に頷いておきました。
「ところで魔王さま。警備体制はどうなさるおつもりで?」
「それなんだが、竜の一族からちょうど打診があってな。性格が内気で気難しいらしいが、戦闘能力は申し分ない竜が求職中なんだとか」
かなたから荒い息が聞こえてきました。
見れば、完成したばかりの城壁を魔獣のマジュルンが走っています。たぶん、魔王城の工事中の隙を狙って宝を盗もうとした侵入者を追いかけているのでしょう。
最近のマジュルンは忙しくしていました。
魔王城の魔法異空間を結合して整理してみたら、収納スペースどころじゃない余裕ができて、新魔王城は前の倍以上は広くなる予定です。マジュルンの運動量が増えるのはいいことだと魔王さまは最初思っていたのですが、ぜーはーぜーはーと息を切らして血走った目をしているマジュルンを見るに、マジュルンだけでは新魔王城を警備をするのは大変そうでした。
頑丈な悪魔でも魔獣でも働きすぎよいうのは健康に悪いので、解決策として、労働の担い手に竜を増やそうと魔王さまは考えています。
「いっそ魔法で拡張した空間を閉じてしまうという方法もあるが」
「せっかくの魔法を閉じるのは惜しいと感じますよね」
「しかし、マジュルンが竜と上手くやれるかどうか心配でな……なにせ繊細だから」
「きっと大丈夫ですよ」
道の往来で、疲れたからと腹を上に向けてすやすや寝るマジュルンのどこが繊細なのかと、骨の悪魔は疑問に感じましたが、魔王さまの魔獣バカを訂正するのは困難なのでスルーしておきました。
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