第7話

「結局のところ、好きなものを好きなだけ食べるかどうかなんて、本人の自由だからねぇ……。生活に口出しする方も、される方も傷つくだけでさ、相手を制御したり、支配しようとするから嫌になってくし、簡単にとやかく言うべきじゃないと思うよ」

「……しかし、ユウ殿。我は友人の体が心配なのだ。どうしても」


 魔獣の主である魔王さまにはマジュルンの健康を守る義務があります。

 ごはんをいっぱい食べるマジュルンは幸せそうですが、昔のように軽やかに走り回る楽しさも味わってほしいなと考えています。それに今は大丈夫ですが将来、肥満が原因の病気で苦しむかもしれません。ダイエットだけで病気を防げるとは限りませんが少しでも確率を下げて、魔王さまと末永く愉快に暮らしてほしいのでした。


「そういう気持ちならわかるよ。私もたぶんマオさんと似た立場だったことがあるからね。自分のことも、周囲の人のことも、もっとたくさんのことを大切にしてほしくなるんだよな。優先順位で選んでもらえなくて残される側ってのは寂しいからね」

「もしや……誰かを病で亡くしたのか?」

「亡くした後に知識を求めても遅いんだけどね。……まぁ、何か口出しするにしろ、しないにしろ、あの時ああすればよかったってどうせ後悔するものだから」


 悪魔と違って人間はすぐ死ぬし、死んだら戻ってきません。

 どんなに気をつけていても病気になるし、何かの不幸に遭遇してしまうことでしょう。短い時間のちっぽけな弱い生にしがみつく人間は、悪魔よりもいっぱい、いろいろなことを考えて工夫しないと生きていけないはずです。魔王さまには想像もつかないことで、だからこそ教えを請わなければと思いました。


「ユウ殿、よかったら我にダイエットのことをもっと教えてくれないだろうか? 我は例え友人に嫌われようとも、提言をしようと思っている」

「そう? もしも役に立つならあの時の私が報われるかもねぇ。関係が悪化するかもしれない覚悟をマオさんしてるんなら、止める理由はなくなるしね」


 ユウはダイエット本の中から数冊手に取り、魔王さまに解説してくれました。


「美容を目的にすると目標がブレやすくそうだと思うけど、健康が主目的なら体重や筋力という数字で目標を作りやすいよ。基本は脂肪を落とすよりも筋肉量をアップして日々の代謝を増やすのが重要だね。食事量をいきなり変えると空腹感がつらくなるだろうし、内容も油ものや甘いものを控えたら味覚がついてこなくて、おいしく感じにくいと思う。低カロリーの料理を覚えるのも大変だよね。……とにかく慣れるまでの勝負で、自分の脳みそを説得できるかどうかって感じ?」

「ふむふむ。友人は食い意地が張っているから困難な道のりになりそうだ」


「お腹が減るのも、おいしいものをいっぱい食べたいのも自然なことだから、なかなか上手くいかなくても自己否定して落ち込まないように。なんなら欲求を感じる仕組みとか、体の消化器官についてとか、自分の体について勉強しておくと、理屈がわかって安心できるかもよ。……覚えといてほしいのは、いわゆる不摂生でも元気な人ってのは居て、健康的な暮らしを実践してても病弱な人も居て、マジでその人の状況や体質によるんだよね。逆に痩せてるのが悩みな人も居るし、理不尽が前提にある。あと根性論は捨てるように。根性でなんとかなることなんて世の中あんまり無いんだからさ」

「む。友人に根性論でどうにかしろとこの前言ってしまったな……」


「それは謝っといたほうがいいねぇ。……ちなみに健康法や栄養学は同じ体や環境を用意して長期間の実験は難しいから、まだわからないことが多いと思うんだよね。摂りすぎが体へのダメージになるのは本当だろうけども、かといって好きなものを我慢し続けるのって精神的に苦痛でしょ? 心理的影響も健康には重要な要素だと思うんだよね。健康について考えれば考えるほど、果たして健康とはそもそもなんぞやっていう気分になってきて、医療アクセスしやすくて、高価で安全な食材を使える金持ちだけのものなのかもなーってね」

「うぅむ……。死なないように生きるのは大変なことなのだな」

「一番良い方法がわかっていても実行できるとは限らないしねぇ……。いやはや、ちゃんと生きようとすると面倒なことばっかだよね」


 魔王さまはユウに助言してもらいながら、たくさん悩み、よさそうに思った本をたくさん買いました。




 ◇




「マオさんて力持ちだねー。私の妹と同じくらいかも」

「これくらい余裕だぞ」


 魔王さまの背中のリュックサックには本がいっぱい詰め込まれていて、ユウのおかげで銘菓を売っているお店も発見できたため、膨らんだエコバッグという荷物も両手に持っていました。

 人間の姿に変身している時にこれはけっこうしんどいのですが、魔王としての矜持があります。デキる魔王たるもの、配下の悪魔へのお土産を忘れるわけにはいきませんから、筋肉を酷使してでも頑張っているのでした。


「ところでいまさらの質問だが、ユウ殿はなぜ今日会ったばかりの我に親切にしてくれるのだ?」

「うん。本当にいまさらな疑問だねぇ。……お、やったぜ。シークレットだ」


 自動販売機から購入したカプセルの中身を確認したユウは満足げです。

 これは商品に運試し要素を加えて客の射幸心を煽り、何度も買わせようとする販売戦略みたいです。人間は本当に悪魔よりも怖いことを考えつきます。


「さぁてねぇ……誰かに親切にするのは自分のためかな。自分が慣れない場所で騙されそうだったり、困っていたら、誰かに助けて貰いたいって思うんだよね。けど、助けるってのは体力とか知識とか余裕が要るから、助けてくれる人なんてさ、居ないものが現実でしょ。で、そういう人が居ないなら、まずは自分がなるしかないのかなって思っててね。この傘だって本当は邪魔なんだけど、護身用に使えるから持ってるんだ」

「善き心がけだな。我は大いに助かったぞ。人間は短期利益しか考える力がない刹那の快楽主義で極めて利己的な種族だと思っていたが、間違いだった」

「……間違いでもないかもと思うけど、ま、今度、誰かがマオさんの住んでる所で迷ってたら案内してあげてよね」

「どうだろう。昔のように人間が迷い込むことなどほぼないと思うが」

「は? 秘境にでも住んでるの?」

「そ、そんな感じだ」


 ごまかしつつも、悪魔が人間界に来られるのだから、人間が魔界にもう少し気楽に来てもいいような気がしました。大昔には地獄の門をくぐって訪れた人間が居たそうですし、魔法を工夫すれば案外、大丈夫になるかもしれません。

 魔王さまは魔界に帰ってやりたいことが増えました。


「ではユウ殿。今日は本当に助かった」

「次なんかあったら名刺の連絡先に送ってね。知り合いになったから割引しますよ」


 ユウは魔王さまに親切でしたが最後に営業を繰り出してきました。半分は冗談のようですが、半分くらい打算もあるのでしょう。魔王さまのように助けられた者はユウを好意的な印象で記憶するし、誰かに話したり、紹介するようになるかもしれません。口コミサイトのユウの評価は星5になっていそうです。強かで感心しました。

 久しぶりの人間界は魔王さまに強い印象を残しました。




 ◇




 魔界に帰った魔王さまはテキパキとお土産を各部署に配ったあと、購入してきた本を熟読しました。


 あまりにも健康状態が悪い場合だと急激な減量が必要とされますが、マジュルンは体が丈夫なので、時間を掛けてゆっくりダイエットをすることにしました。


 最初の目標は当初の考えと同じく、マジュルンの健康を第一とします。

 そしておいおい、肥満によって体の機能を損なわない平均体重を目指しながら、マジュルンにとってのちょうどいい筋肉や脂肪の具合を探す予定にしました。


 魔王さまは魔王城を訪れる悪魔たちに御触れを出し、マジュルンにおやつを与える時間を指定しました。与えるとしても、料理長特製の低カロリーおやつにと厳命しました。

 そして徐々にマジュルンの普段の食事内容も変化させていきました。

 マジュルンは脂質と糖質の割合が高い原始的な味覚を満足させてくれるごはんを食べたがりましたが、後天的習慣で獲得する繊細な味を覚えるまでは辛抱です。

 しかし、健康というのはもちろん、心の健康も含みます。

 今までの慣れた食事や習慣を変えていくのは大きなストレスになるため、簡単にできなくて当たり前だという気構えで挑む緩さも必要でした。

 マジュルンがやる気をなくした時に、ちょっとだけ特別なおやつを食べさせ、元気を補給してやりました。こういう時の好きな食事ができないというストレスを、運動への欲求として昇華できるようになれば、マジュルンダイエット計画はほぼ達成できたと言えるでしょう。


 新しい生活習慣に疲れ、慣れ、平気になった頃にはマジュルンの体型がじわじわと球体から四足歩行に戻りました。


 魔王さまはさらなるダイエットのために、マジュルンを魔法で運んで幽霊海岸に行きました。

 体重が重い状態で運動をすると、関節などに大きな負担が掛かってしまい、怪我をする原因になったり、つらい思いをすることでさらに運動に苦手意識がついてしまうそうです。だから最初は、負担が軽減される水中の運動から始めるのがいいと勉強していました。


 魔王さまは夕日が溶け込んだ赤い海へボールを投げました。

 マジュルンは視線で追いこそしましたが、動いてはくれませんでした。

 ざざーんと波の音が虚しく響くばかり。


「……ま、まぁ、初日だからな。外出や海に慣れるだけでもいいだろう」


 魔王さまはそういうことにしておきました。

 ダイエットというか、体のことを考えるのは毎日のことで、これからも続くのです。頑張り過ぎたら疲れてしまいます。自分の体を守るためにやることですから、のんびりと気楽にやるのが持続のコツだと本にも書いてありました。


 時々、幽霊が体をすり抜けて行くとひんやりして、夕涼みできていい感じでしたし、魔王さまとマジュルンはご機嫌に海を眺めていました。




 ◇




 マジュルンはみるみる健康を取り戻していきました。

 前のように魔王城に侵入してくる不届き者を追いかけ回して遊んだり、料理長の包丁さばきを俊敏に逃れてつまみ食いをする元気さでいっぱいです。

 マジュルンはまだ平均体重よりは太めなのですが、筋力は身についたので日常生活に支障はもうありません。きっと丸みのあるこれくらいの体型がマジュルンにとって、ちょうどいい体型なのでしょう。




 そんな今日、魔王さまの前には白髭の悪魔が仁王立ちしていました。

 魔王さまは睨んでくる目を逸らしつつ、雑談に応じます。


「では魔王さま、その人間とはまだ交流が?」

「うむ。念力でメールを開通させることに成功したから、文通をしているぞ」

「大昔に聖剣に突かれて痛かった以来、人間嫌いでしたのに大きな変化ですなぁ」

「ふ。あの頃の我とは違うのだよ」

「マジュルン殿もすっかり元気になって、城の備品を壊して走り回るので爺は困っておりますが、活気があるのはなによりなことです」

「爺やユウ、皆のおかげだ」


 魔王さまは周囲の悪魔たちの協力に深く感謝し、大切さを改めて知りました。

 独りでは難しいことでも、周囲の支えがあれば乗り越えられることもあるのでしょう。いい感じにそうまとめたいところでしたけども、白髭の悪魔は鋭く追求してきました。


「……で? どうして魔王さまが太っているんですか?」

「こ、これはその……人間界のお菓子もよくてだな」


 魔王さまは変身前のラスボスっぽい球体になっていました。

 少々、人間界のお菓子が珍しくておいしくて食べすぎてしまったようです。

 不健康極まりないのですが、精神的には充足感がありました。ユウの言っていた通り、健康を念頭に置いた選択を実行し続けるのは難しいことだと納得しました。


 体を一回殺して作り直すほうが魔王さま的には簡単なのですが、マジュルンに厳しくしたのですから、その厳しさは自分にも適用しなければいけないでしょう。

 健康のため、みんなと楽しく暮らすため、魔王さまはダイエットに挑みます。


 明日から。



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