第8話 呪いの魔剣

 ある日。

 魔王さまが連続定時退勤を華麗に決めて、城門の近くまで出た時のことでした。


 のどかなはずの周囲の花壇や城壁から、殺気と怒りがブレンドされた不穏で凶悪な暴力の気配がしたのです。このまま進んだらばきっと、潜んでいる何者かが襲ってくるでしょう。やだなーこわいなーと思って魔王さまは悩みました。


 そして、このまま普通に進むことに決めました。


 なぜなら、今の魔王さまは変身の魔法で人間を装う練習中で、魔王らしいステータスが相当低めに抑えられている状態なのに、襲撃者の気配に気づけたからです。

 おそらくはたまたまマジュルンや警備隊の隙をついて侵入できただけの小物でしょう。バレバレの見え透いた襲撃者など恐るるに足らず、です。


 落ち着いた魔王さまは改めて自分のことに集中しました。

 人間っぽさを演じるため、側対歩にならないように気をつけながら、二足歩行を頑張っているところなのです。

 ユウ殿曰く、人間というのは姿勢が重要なんだそうで、もしも継続して悪い姿勢や歩き方をしていたら、各所に筋肉疲労や骨格が歪むなどして、苦しい症状が出やすくなってしまうと聞いています。仕事や趣味など何かに没頭していたら、無意識で変な姿勢になるものだし、変な癖がついてしまったら直していくのも大変なんだとか。


 重く肥大しただけでさして理性的に働くでもない脳の詰まった頭部を、数が少ない骨で如何に支えるか、姿勢を保てるかが人間の運命の分かれ道なのでしょう。

 こんなにもあれもこれも気にすることばかりだなんて、人間の健康への道とはなんと険しいことか。


 ですから魔王さまは真剣でした。

 たとえ一時の人間の姿だとしても真剣に歩いているのです。


 顎の位置。

 手の振り方。

 足の順番。

 重心の移動。

 呼吸まで考えながら歩きます。


 でも、当然と言えば当然なことに、襲撃者は魔王さまの都合なんて考えてくれませんでした。


「覚悟しろ! 魔王!」

「勝負だ勝負!」

「ニンゲンの姿なんかになりやがって!」

「……待て。我は今忙しいだから」

「お前が頼りにしている魔獣は我らが撒いた餌に釣られて、城の反対側だぞ!」

「軟弱な魔王など魔界には要らんのだ!」

「口周りにチョコをつけやがって! 美味しそう!」

「……待てと言うてるのに」


 魔王さまの静止は虚しく、三体の悪魔たちは手に手に持った武器で襲いかかって来ました。

 魔王さまは上から振り下ろされた金棒をひょいと右に避け、背後から鎖鎌が横薙ぎに迫ってきたので、先手をうって胴体を分離し通過させてやり過ごし、口元についていたらしいおやつのチョコレートを拭って、瞬間移動は疲れるのであまりやりたくなかったのですが、しつこく攻撃してきた大鎚は瞬間移動で左に逃れました。


「だから待てと言っているではないか。平和的解決を目指して話し合おう」

「何が平和だ! 残虐さが悪魔の代名詞であるべきだ!」

「そうだそうだ! お前なんか魔王に相応しくない!」

「お前が魔王だなんて認めないぞ!」

「……ふむ。では聞くが、お前たちの言う魔王らしい魔王とはどのような魔王だ?」

「えっ」


 魔王さまの質問に三体の悪魔たちは動揺しました。

 やたら勢いのいいことを言っていたわりに、自分たちの考えをきちんとまとめていなかったみたいです。


「ま、魔王とは悪事の限りを尽くすもので」

「……具体的にはどのような悪事だ?」

「夕飯前にたくさんお菓子を食べてしまうとか」

「利用規約を読まずに同意や送信ボタンを押しちゃうとか」

「誰彼構わずネタバレを吹聴するとか」

「……それがお前たちの考える悪事なのか?」

「くっ、う、うるさい! 悪ければそれでいいのだ!」

「とにかく暴力だ。暴力は普遍的な悪だ!」

「魔王は醜いニンゲンの姿になどならないんだ!」


 苦心して作り上げた人間の変身姿を侮辱されて、魔王さまはカチンときました。

 悪魔たちには甚だ不評なようですが、これは人間の友達のユウにファッションチェックをして貰い、”普段着にしては時代の先を行き過ぎているけど魔王のコスプレだと思えばいい感じじゃね”と、そこそこの高評価だったものです。

 これを侮辱されることは魔王さまにとって、チェックしてくれたユウをも侮辱されることでした。


 魔王さまは悪魔たちのあからさまに人間を見下す態度が気に入りません。

 いやまあ、魔王さまだって人間を見下してしまう偏見を抱えていますけれども、ここまで自己批判なしに表立って嘲笑ったりはしません。自分の抱えている偏見と向き合い、内側に封じ込めようとする努力をしています。

 だから、考えなしな襲撃者の悪魔たちに怒っていました。


「愚か者め」


 そもそも、この悪魔たちは勘違いが多すぎます。

 マジュルンに魔王城の警備を担って貰っているのは事実ですが、これは魔王さまが弱くてマジュルンに頼りきりということではなく、マジュルンの警備すら突破できない者には魔王への挑戦権すらないという意味であり、適材適所な役割分担なのです。


 あと、この悪魔たちは潜んで待ち構えていたくせに、礼儀正しく名乗りを上げてから攻撃してきました。間違っても残虐な悪魔を目指している者がやることではないでしょう。ワルを目指しているけれど根が真面目なのか、自分の良心を裏切れていないようなので、いろんなものがブレて迷走している気配を感じます。


 魔王さまは失望による深いため息を吐きました。


「先例に習い、行儀良く悪行をすることがお前たちの言う悪魔なのか? ……まったく、悪魔がなんてざまだ。悪魔が悪魔らしい考えや行動に縛られているなんて、間違っていると思わないのか? 悪魔とは、何よりも自らの欲望を満たすために存在するべきで、そういったあるべきという神の創造や概念の束縛からも外れて、自由に在る存在なのだよ。ゆえに誰の許諾も必要としない。我は悪魔。我は魔王。我は我のしたいようにする。己の欲望を叶えてこそ、悪魔は悪魔なのだから」


 人間の姿に変身したままでも魔王さまの優位は揺るぎません。

 魔王さまは空中へ二段ジャンプして、闇のオーラを凝縮し纏わせた拳を地面へと叩き込みました。

 刹那、闇が衝撃となって大地を叩き割り、烈風は三体の悪魔たちの悲鳴ごと飲み込んで、彼方へとぶっ飛ばしました。


「やれやれ。プライベートでの挑戦は遠慮してほしいのだがな」


 魔王さまは仕事と私生活はきっちり分けたいタイプなのです。

 瞼を閉じてまたため息を吐きました。


 疲労感もですが、話し合いで解決できなかったことが残念でした。

 話し合いというものは双方が相手と意思疎通をしようと、問題を共有して解決しようとする努力なしには成立しない、難しいものでした。

 暴力で解決するのはこんなにも簡単ですのに。


 魔王さまの思い描く魔王業や平和はまだまだ遠いということでしょう。

 でもでも、この破砕音が鳴り終わればひとまずはいつもの平穏が戻っ――。




「……うーむ。これは」




 なんというDIYをしてしまったのでしょうか。

 魔王様の目の前には変わり果てた魔王城の――魔王城だったものの光景がありました。


 どうやら魔王さまの攻撃の威力が高すぎて、魔王城全体にまで攻撃が響き届いてしまい、城壁はひび割れて崩れ、揺れによって塔が崩れ、とにかくどんがらがっしゃんドミノの如く連鎖的に崩壊してしまったみたいです。


 魔王の一撃とはいえ、いくらなんでも魔王城の耐久性が低すぎました。

 原因を推察するに、建築年数が長いことと、悪魔たちがあんまり前を見ないで壁に頭突きをしたり、角を引っ掛けたりして壁に日々攻撃を加えていたことと、マジュルンの爪とぎや噛み噛みや侵入者と戯れる破壊活動によって大分、建物全体にガタがきていたのだと思われます。

 そして不幸にも今日、魔王さまの拳が最後のトドメを刺してしまったと。


 一応、みんなも魔王さまのように定時退勤していますし、仮に中に居たとしても悪魔と魔獣ですから無事なはずですがしかし、魔王城の被害はもはやどうしようもないものです。さっきまでは勇者が挑んで来るのにふさわしいラストダンジョンな威容だったのに、高く堅牢な城壁も、邪悪にせり出ていた塔も、怪しく禍々しい城もなくなってしまえば、全体へ光が差し込んで開放感溢れる清々しいほどのスカスカな印象の瓦礫MAPに様変わり。みんな大好きな魔王城の暗雲エフェクト漂う危険な雰囲気は、完全に失われてしまったのでした。


 こういう瓦礫の山だけのただ単に荒廃した雰囲気というのは、らくがきやゴミのポイ捨てなど、悪い行動を引き出すと聞きます。そうでなくとも悪魔たちは悪魔なので荒っぽいのですから、これは早急に改善すべきことでした。


「なるほど。そろそろ建て直しの時期か」


 魔王城は魔界の貴重な文化財であるだけでなく、マジュルンのお気に入りの隅っこや、魔王さまの秘密基地や、禁書の図書館、魔法の研究棟、闇に癒やされるサウナなど、地獄運動場、人面樹の憩いの庭園などなど、重要な施設が数多くある場所です。悪魔たちの遊園地もとい、大事な仕事場なのです。

 今こそ魔王の権力と財力を結集させ、インフラ整備をする時でした。


 終わりは寂しいものですが何かの始まりでもあります。

 破壊のあとには再生が、新しい創造が生まれる時でした。


 魔王さまは明日のタスクを決定したところで、仕事モードをオフにしました。

 今日の仕事は本当に終わったんで、取り寄せた人間界の映画鑑賞や読書などをしてまったりするとします。

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