第5話
マジュルンのダイエットが決行されてから、数日が経過しました。
魔王さまの前には白髭の悪魔がふんぞり返っています。
「ぜんぜんダメダメダメじゃないですか、魔王さま」
「正直、我もそう思う」
マジュルンの体重はぜんぜん減っていませんでした。
いえ、それどころか増えていました。
魔王城の広大な中庭を占領するかのように、肥大しております。
危険でした。
このまま福々、ぶくぶくと太っていけばいつか体積と体重で魔王城を押し潰してしまうでしょう。それはいくらなんでも魔界の魔王でも困ります。
「……爺よ。ダイエットすると決めたはいいが上手くいかないのだ。愛さえあれば我は頑張れると思っていた。だが愛とは求めれば求めるほど遠くなるようだ。概念として身近でありながら、同時に計り知れないほどの深遠な謎がある。どうしてこんなにも上手くいかないのか、どうすればいいのかもうわからない。愛とは試練なのだろうか? なぜだか我の体重だけが減っていく日々だ……」
「むむむ、考えてみますと我々は悪魔ですから、欲望を抑えるなどという発想からございません。魔王さまの改革で悪魔たちの意識も変化はしてきていますが、まだまだ貪欲や暴食はステータスで自慢の一種ですし、体なんぞ消耗品。一回死んで肉体を再構築するのがはるかに楽ですからな」
「そうだ。魔界にはダイエットのノウハウがない」
魔界にはダイエットの専門家も有識者もカリスマも居ません。
魔獣医師でさえ、死んだら死んだでアンデッドで復活させればいいんじゃねという倫理観低めで雑な認識なのです。
「やむを得ない。ダイエットの本場に行って学ぶしかないだろう」
「魔王さま? まさか」
「そのまさかだ。ダイエットなどという概念を発明した人間界へ赴き、欲望に弱い人間共が無い知恵を絞って如何に抵抗しているのか、どのような方法を編み出しているのかを探って来る!」
「しかし……いえ、マジュルン殿を思う高潔な御心、お止めすることなどできないのでしょう。おいたわしや、魔王さま。人間界なんぞへ行かれるなんて! せめて魔剣をお持ちくださいませ。人間界は危険でございます」
「なに、悪魔狩りの時代は終わったから大丈夫なはずだ。それに爺よ、最近は銃刀法違反だとかで怪しまれてしまうらしいから、魔剣は持てない。変身の魔法だけでどうにかせねばな」
「ですが魔王さま、移ろいやすい人間界のことです。最近の若者と違うとか作法が違うなどと怪しまれて、悪魔祓いや異端審問官が来て火炙りにされてしまうのではないですか……? 聖水を掛けられるとか、お経を唱えられるとか、御札とか銀の武器を振り回された挙げ句、市中引き回しで木の杭を心臓に打ち込まれてしまうのでは? 奴らは敵だとみなせば例え同胞にも残酷な仕打ちをするでしょう……ああ、なんて恐ろしい! 人間は悪魔よりもよっぽど悪魔ですよ!!!」
白髭の悪魔は少々、心配性でした。
魔王さまは魔王ですから、火炙りにされたところでちょっと暑いかな、くらいで済みますし、他も同様です。それに悪魔もやられっぱなしではないので、そんな昔の弱点など対策済みでした。
なおも不安を募らせている白髭の悪魔をほっぽらかして、魔王さまはいそいそと身支度を開始しました。
人間界の通貨は魔界商会に換金して貰っているので、使えます。
問題は身分証明証がないことでしょうか。
なにかと提示を求められると商会の悪魔たちの噂で聞いています。持っていないとたちまち犯罪者扱いされるんだとか。魔王さまは悪魔たちを従えるための野蛮さには慣れていますが、人間界は魔界とはまた別種の野蛮さです。
かつての魔界よりも危険で荒廃した世界ですから、よくよく気をつけなければいけません。いざという時は無理をせず、すぐに逃げて魔界に引っ込むことにしましょう。人間の脳みそに直接魔法をかけて記憶操作や洗脳すれば、逃げることくらいはなんとかなるはずです。
魔界通販で人間界の最新ファッション雑誌を教材用に定期購読しているので、その中のコーデを魔法で複製し、変身するとします。ハイカラでナウでヤングで今売れている季節感のあるカジュアルな都合のいい装いが完成し、準備完了です。
魔法眼鏡を掛ければ人間界の文字も読めるようになるし、言葉もわかるようになります。魔法は便利です。
「では爺たちには今日一日、我の留守を頼むぞ」
「命が一つのくせに人間たちときたら……って、あ、お待ち下さい魔王さま!」
「なんだ? まだなにかあるのか、爺」
「お土産をお願いいたします。和菓子など」
「……吝かではない」
こうして魔王さまは、ダイエットの技法を求めて人間界へと旅立ちました。
◇
さぁ、魔王さまにとって久しぶりの人間界です。
相変わらず大気中に有害物質が浮遊していて臭いし、道端にはゴミが落ちていて汚いようです。ひっきりなしに人間が立てる音が方方からしてとてもうるさいです。あまり好きではないという昔と同じ印象を持ちました。
角張った建物の材質や高さ、密集度は変わっても、形の窮屈さやつまらなさは同じですし、人間たちの服装や乗り物も変わってはいますが、根本的に道をあくせく行き交う生き急ぎっぷりは魔界生まれ魔界育ちの魔王さまとはまったく合いません。
馴染めなさで魔王さまは早くも心細くなり、ホームシックを感じて魔界に帰りたくなってきました。けれども、マジュルンの健康のためになにかの成果がほしいところです。どうにかこうにか探索していきましょう。
魔王さまはひとまず、空気の悪さ対策にマスクをつけました。
通行人たちもマスクをしていますし、これが最近の人間の作法なのでしょう。
時々、通過していく人間たちから魔王さまは視線を感じましたが、見咎められている雰囲気ではありません。通報されないのなら、変身の魔法で人間の真似ができているということです。多分、大丈夫でしょう。
固い地面をぞろぞろと歩く人間たちの流れに、魔王さまはついて行きました。
人間たちは前方の棒についた光る部分が赤色の時には動きを停止し、青色に光っている時には早足で歩きだしました。地面の白い棒線にもなんらかの意味があるのかもしれません。奇妙な習性だと思いました。
人間たちは魔界の幽霊やアンデッドたちよりも生気を感じないうえに、なんだか昔の悪魔たちみたいに殺気立ってもいます。魔界で感じる鋭い気迫とは違う、終始どんよりねっとりとした暗い雰囲気でした。
こういう通行人に道やダイエットについて尋ねてみても、無視されて失敗しそうな気がしたので、魔王さまはやめておいて本屋さんを探すことにしました。
人間は文字で知識を遺したり、共有したりする習性があります。
ダイエットが一子相伝の秘伝だったり、入門して修める奥義だったらば本屋さんにはないかもしれませんが、何かしら新しい人間についての知識は得られると考えたおです。
たまに危険な速度で乗り物が通過していくので、魔法を使わずに二足歩行で移動するのはなかなか疲れます。足が檻に閉じ込められているかのような人間の靴に辟易しつつも、魔王さまは人間の街を歩いていきました。
しかし、行けども行けども似た色で、似た建物で、似たような道が続きました。
人口が多い場所の方が物が揃っていると思ったのですが、街の選択を誤ったのでしょうか。それでも魔王さまはマジュルンを思って頑張って歩いて行きました。
諦めそうになった頃にやっと違う様子の看板が複数見えてきました。
店長イチオシメニューとして描かれている絵から推測しますと、獣や魚の死体を調理して提供する飲食店のようです。営業時間短縮中というシールが上に貼ってありましたが、元々の時間は25時30分だと書かれていました。
なんと魔王さまの知らぬ間に、人間界の時間は24時間よりも長く伸びていたようです。早速、新たな学びがありました。
こういう看板や人波を辿って行けば、いずれ本屋さんを見つけられるでしょう。
魔王さまは気を良くして、さらに歩いて行きました。
道すがら、なにやら人間に声を掛けられて紙を渡されたりしました。
紙にはお店の案内が書いてありました。
手渡しで客引きをするのは非効率そうですが、人間には有効なのでしょうか。
人間研究用に一応持っておくことにして、魔王さまは紙を丁寧に折りたたんでポケットにしまいました。
道を進んで、トンネルをくぐったり、階段を上ったり。
道を曲がったり、坂を下ったりするなどしまして。
「そこのあなた、なにかお探しですか?」
突然、二人組の人間にはっきりと話しかけられました。
魔王さまは身構えましたが、悪魔だとバレたわけではなさそうです。
「……本屋を探しているのだが」
「わかります。とても大切なものをお探しなのでは?」
「! なぜわかった?」
魔王さまの目的は本屋そのものではなくダイエットの方法です。
どうしてバレたのでしょうか。
二人組は妙に穏やかな表情で力強く頷いていました。
「その迷っている様子を見ればわかりますとも」
「あちらでゆっくりお話をしませんか?」
「え、我は急いでいて」
「大丈夫ですよ。大丈夫ですから。不安なんてなくなりますから」
「とてもいいお話が聞けますからね」
押しの強い二人組に挟まれて、魔王さまは近くにある謎の店に誘導されました。
よくわかりませんがこの人間たちと親交を深めたら、ダイエットの方法を教えて貰えるかもしれません。
魔王さまが促されるまま、数歩進んだ時でした。
「ちょ、待って、待ってください!」
新たな人間が登場して、魔王さまは呼び止められました。
悪魔と比べると人間は角も尻尾も羽もなくて、手足や目や鼻や口も似たような形なので、魔王さまにはさっぱり見分けがつきませんが、魔法眼鏡が情報を補ってくれたおかげでちょっとだけ違いを識別することができました。
それに、新たな人間は雲の少ない天気のいい日なのにビニール傘を持っています。魔王さまは傘を目印に覚えることにしました。
傘持ち人間は二人組を牽制するようにぐいぐい近寄ってきて、魔王さまの手を取り、話を合わせるように耳元で囁いてきて、強引さでいえば傘持ち人間のほうが上でした。魔王さまは強引なほうに合わせることにしました。
「待ち合わせ場所に居ないから探したんだよ」
「割り込んできてなんですか急に」
「あなたもご一緒にお話をします?」
「この人、待ち合わせ場所を間違えてただけなんで、私たち急いますし! ……ほら、行くよ!」
さっきから魔王さまには本当によくわからないのですけれど、二人組の人間から開放されて、違う人間に捕まったような気がしました。
魔王さまは困惑しつつも、傘持ち人間に腕を引っ張られるまま移動しました。
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