第9話月を手に

『お婆さまなんか嫌い!』



 お婆さまが譲ってくれた魔法の教本をベッドに叩きつけようとした私に、だめだよそんなことしちゃ、と父さまが頭を撫でてくれた。



『お婆さまはね、キミのことが心配なんだ。私やお婆さまは、母さんと違って魔法をあまり使えず苦労した。だからキミには、しっかりと魔法を使いこなして生きて欲しい、そう願ってるだけなんだよ』



 そう言って窓の外を見る父さまに、私も倣う。月に照らされた雲が、夜空に白い。窓から入る月灯りが父さまの顔を照らしていた。

 明るい夜。

 だから、厳しくなってしまうんだ、と。

 少しまぶしそうに目を細めたままの父さまが、笑っている。



『わかんない』


『まだ、わかんないかもね』


『わかんない』


『ルナリアには才能がある。キ族の血が色濃く出てるからね』



 キ族の血? ――と私は聞き返す。



『そうキ族の血。縦横無尽に魔法を操る古い支配者たちの血さ。いつか、空だって自由に飛べるようになるよ』



 私は窓の外に目を逸らした。

 そこにはさっきと変わらぬ月の光。雲だけがゆっくり動いている。

 父さまも外を見た。

 窓の外で、虫の声。



『……母さんが言ってたっけなぁ、月は小さく見えるけど、本当はとても大きいんだ、って』


『母さまが?』



 私は首をかしげた。

 胸に持っていた教本を月に掲げてみる。

 月は教本の影にすっぽり隠れてしまった。本の方が大きい。

 遠いから小さく見えてるんだよ、と父さま。



『遠いってどれくらい?』


『キミが生まれたときから毎日歩いてても、まだ半分にも届かないくらい』


『この本より、大きい?』


『その本より、この家より、この街より、この国より、この大陸より』



 私は、ふーん、と口を尖らせた。

 よくわからないかな? と父さまが笑う。

 その通り、私にはわからない。どれだけ遠いのか、どれだけ大きいのか。

 胸に抱えていた本をぎゅっと抱きしめる。

 お婆さまが譲ってくれたこの魔法の本さえも、私にはあまり読めない。

 私にはわからないことでいっぱいだ。そう思うと、どんどん口先が尖っていく。

 いずれわかるよ、と、父さまが頭を撫でてくれた。

 そうかなぁ、と私の声は機嫌が悪いのに、父さまは気にしてなさそう。



『キミにとってあの月はもう、空に浮かんでいるだけのモノじゃない。これからは、遠くにあって大きいかもしれないモノ』



 父さまが、月に向けてゆっくり手を伸ばす。



『キミの世界が広がれば広がっただけ、わかることは増えてゆくよ。この窓を越え、森を越え、海を越え空を越え、心の翼が休まぬ限り世界は広がってゆく。他のことも、全部同じさ』



 私は首をかしげた。



『魔法で空を飛べたら、お月さままで行ける?』


『いけるかもしれないね』



 私は手にした本をペラペラめくった。

 見開いた本のページが、なぜだろう窓の外の庭に見えた。月明かりに照らされた本の中で、文字たちが楽しそうに踊っている。



『父さま』


『んっ?』


『私ね、学校にいきたい。魔法の学校』



 ――知りたいことが、たくさんある。

 魔法を使えたら、火を熾せる、空を飛べる。お月さまにも手が届く?

 それらはすごく楽しそうで、だからとても素晴らしそう。



『そしていつか、私がお婆さまの先生になるわ。違うわお婆さま、そこはこうなのよ? ――なーんて言って、お婆さまを叱っちゃう』


『素敵な思いつきだね、応援するよ』



 そう、素敵な思いつき! そんなことが出来たら、まるで夢みたい!



 ――夢?

 パチンと、泡の弾ける音が頭の中に響き渡った。

 そうだ夢だ、確信出来る。

 何故なら私は、この先の顛末を知っているからだ。


 口から漏れる笑いに自嘲が混じる。

 アイソンに出てきての十年は、顛末というには錆びつき過ぎた時間だった。酒と紫煙にまみれただけの刹那の連鎖。私はもっと学校で学びたかった。そう、冒険者などではなく、魔法と科学の徒として世界の秘密に近づきたかったのだ。


 私は、フンと鼻を鳴らした。

 そして眉を潜める。なんなんだ、これは?


 夢のくせに私は、なぜこんなにしっかり思考していられるのだ。

 それにさっきの夢、ただの夢にしては「本当」すぎる。

 あれでは「私の記憶」そのままだ。

 夢なんてものは、もっと混沌としていて然るべきだろう。


 そもそも私は目を瞑ってるまずなのに、なんでこんなに色々な物が視える?

 霞のような白い霧の中に、私は立っていた。

 霧の中には人の影が見える。私がいた。エリンがいた。フィーネ君がいた。一緒に戦っていた大男たちがいた。いやそれだけではない、気がつくとそこは、見知らぬ人の影だらけだった。

 大人から子供まで、性別にも人種にも関係なく、様々な人間がそこにいる。


 見渡す限りの人影が、アイソンの朝市よりもごった返しているように見えた。意識の集中の仕方で、見えてくる新しい人影があれば消えてゆく人影もある。

 彼らは霧の中でそれぞれ動いている。

 人と人が重なり合うこともあったが、影のように重なり合っても動きに乱れはなかった。互いが干渉しあうことなく、自分の時間に沿った動きを繰り返すだけの影。


 なんとなしに理解した。

 私は今、人の記憶の海を泳いでいる。

 この場所は、人の記憶が沈んでいく場所なのだ。

 ――あれ? と私は耳を澄ました。

 遠くからなにか聞こえる。


 声だ。

 この、瞼の裏の暗い世界に声が響いてきたのだ。

 それは記憶たちが奏でる音ではなく、熱を持ったチカラを伴って私を呼んでいる。名前を呼んでいる。

 そうだ、私は今、けっこう大変な目に遭っているんじゃなかったか?

 そう思った瞬間、身体に重みが戻ってきた。



☆☆☆



「目が覚めたか?」



 横になった私の隣に座り込んでいるエリンが、優しい声を掛けてきた。



「……ああ。いつつ、身体が痛いな。一体どうなったんだ私は? ゴーレムの砲弾を食らいそうになって勇者ちゃんに庇われたことまでは覚えてるのだが。そうだ勇者ちゃんは!?」


「大丈夫元気だよ、ほらあっち」



 示された方を見ると、勇者ちゃんがピョンピョンピョーンと跳ねている。パタパタと手を動かしているところを見ると、あれは魔法の練習だ。ルナリアはホッと胸を撫でおろした。



「おまえがゴーレムを大爆発の連発で全部片づけてくれたからだよ、凄かったぜ?」


「は? 大爆発を連発? できるわけないだろそんなこと」


「……覚えてないのかおまえ?」


「覚えてない」



 チャプン、チャプン、と水の音が聞こえていた。

 ここは地底湖のほとりだった。私の額の上に水に濡らした布が置かれていたことに気がついた。どうやら気を失っていたらしい。



「いい夢見てたみたいだな、笑ってたぞ」


「……覚えてない」



 覚えている。良い夢どころか忌々しい夢だ。思い出したくもない、過去の夢。

 私は立ち上がり、顔を洗うため地底湖のみぎわに歩いていった。



「ストレングたちは、塞がった洞窟の岩をどかせないか見に行ってるよ」


「ストレング?」


「ああ。あの大男のことだよ、ストレングって名前なんだと」


「そっか」



 顔を洗い、水面に映った自分の顔を見る。額のアザはまだ消える気配がない。ああ少し思い出した、確かあのとき額が妙に熱くなって……。



「エリンさーん」



 と、地底湖の「奥」の方から声がした。

 ギョッとして湖の方を見ると、魔法の明かりを灯したフィーネ君が、水面に浮かんでいた。



「フィ、フィーネ君……! ついに死んでしまったのか!?」


「なに馬鹿言ってんだ、生きてるよ」



 エリンも湖のみぎわにやってきた。私の隣でフィーネ君に手を振っている。



「幽霊じゃないのか!? 水に浮かんでいるぞ? 浮遊魔法か!?」


「どれもハズレです、失礼ですわね」



 水面を岸辺まで歩いてきたフィーネ君が、頬を膨らませる。私がその頬を人差し指でつつくと、口からポンと空気が漏れた。



「本当だ、触れる」



 フィーネ君が私に文句を言う。

 その調子を見て、どうやら彼女も五体満足無事だったことを悟った。よかった、と、心の中でホッと胸を撫で下ろす。



「で、どうだったんだフィーネ?」



 エリンの問いに、フィーネ君が答えた。



「ずっと先まで続いてますわね。行くならまとまった方が良さそうですわ」



 どうやらこの地底湖には仕掛けがあったらしい。

 細い道が水面下ギリギリのところにあって、それが先までずっと続いているというのだ。



「魔法の明かりで気づきましたの」



 言われて見てみると、浅い道の部分が魔法光に反射して、ぼんやり光っている。なるほど、これは気づかなかった。



「どうするルナリア。ストレングたちを待ってもいいけど」


「いや、気になるし調べてしまっておこう。フィーネ君、先導を頼めるか?」



☆☆☆



 暗い水面を杖の明かりでる一行は歩いていた。

 道を踏み外さないようにゆっくり、ゆっくりと。光を反射したうすら白い道が、暗闇の中へどこまで続いているのかは、わからない。

 ザブザブと水音を立てて、四人で歩く。勇者ちゃんは真ん中だった。


 どの程度歩いたのだろう?

 やがて、ぼんやりと水面全体が白くなってきた。

 まるで足元に白い霞が掛かったかのように、じんわりと、その光が広がっている。いや。

 霞じゃあない。

 足元の岩が、鉱石が、魔法の光に反応しているのだ。

 周囲の水深が浅くなり、ゆらゆら揺れる淡い光がまるで霞のように見えているのだった。

 淡い光が足元一面に広がってきた。



「なんか、すげえな……」



 エリンが呟いた。

 ルナリアも頷く。まるで淡く光る雲の上を歩いているようだった。

 先に進むほどに光量が上がっていくのは、「向こう岸」が近づいているからだろう。



「蛍石ですわね。魔法の光を吸収して、放つ特殊な鉱石」



 確か高価な石だ。

 蛍石の鉱脈とは、見つけものだった。



「よかったなフィーネ君、儲かるぞ」


「うふふ、お祝いしましょうか」



 フィーネ君は嬉しそうに笑い、突然魔法の明かりを消した。

 ――すると。


 魔法光を蓄光した蛍石が、足元で光っている。

 下からふんわり、一面の淡い光が私たちを持ち上げた。



 無論、光は物理的な力を持たない。

 持ち上げた物は、私の心だ。

 羽に風を受けたように、うずうずと心が動く。



「どうです綺麗でしょう勇者ちゃん?」



 薄闇の中、勇者ちゃんがパチャパチャと音を立てながら湖の上を歩く。水しぶきが下から光を受けて、それはとても幻想的な光景だった。私も思わず勇者ちゃんの真似をした、

バチャバチャと音を立てて勇者ちゃんの後ろを歩いていく。エリンも同じように付いてきた。


 私は笑う。勇者ちゃんも笑顔だった。エリンも、フィーネ君も一緒に笑い出す。

 大げさな歩き方のせいで、皺だらけのマントが、ふわり舞った。 



「……綺麗だな」



 同じ物を見て、同じように笑える相手がいる。

 それはたぶん、とても幸せなことなのだ。



☆☆☆



 結局行き着いた先は向こう岸ではなく、小さな小島だった。

 直径にして、二十メートル未満の小さな小島。

 ほのかに香る、草の匂い。

 小島の中央には草が生えていた。

 小さな花も咲いている。それらはとても申し訳なさそうにひっそりと、だがしぶとくそこに居た。



「おー、すげえ。頑張ってんなー」



 森などに自生している、普通の草花だった。

 ただし岩上なので土の養分が得られない。ここに居るのは、水分とわずかな養分で生きていける種なのだろう。


 その中心に小さな台座があり、杖が突き立っていた。

 どうやらこれが、目的の杖らしい。封印の杖だ。



「まさかこんな奥にあるとは……。どこまで封印を解かれたくなかったんだ」



 私は杖を、グイと引っ張る。

 残念ながら私の力ではビクともしなかった。

 フィーネ君も試すが、やっぱりビクともしない。私たちは一瞬顔を合わせて、その後同時にエリンの方を見た。



「へっへっへー、あたしの出番か?」



 ペロリと舌なめずりをしながら、エリンが右肩を大きく回す。腕を回し回し、杖の方に近づいてきた。まるで腕相撲でもやりにいくような顔だ。



「よっこいしょ、っと。……あれ?」



 片手で抜けないので両手を添えたエリン。



「ぐぬぬっ?」



 それでも抜けずに、今度は中腰になった。

 下肢を開いて、眉間に皺を寄せる。



「んぎーっ!」



 杖はよほど深く岩盤に突き刺さっているのか、まだ抜けない。

 エリンの顔がどんどん赤くなる。

 エリンは台座の上に乗っかって、大根でも引き抜くような恰好で杖を握りしめた。



「頑張ってエリンさん!」



 フィーネ君がこぶしを握りしめている。私もこぶしを握っていた。勇者ちゃんは両手をあげて応援している。



「ぐぎぎぎぎぎーっ!!」



 ――ビキッ!

 なにかに亀裂の入る音が、小さく響いた。こぶしを握りしめたフィーネ君が小躍りする。



「もう少しですよ! もう少し!」


「のりゃああっ!」



 ――ビキビキッ!!

 気合いの音波で亀裂を広げてゆく。私が思わず一歩あとずさったのは、別にその声に怯んだからではない。



「おっ、おい、なんか変ではないか、これ!?」



 ヒビの入った台座から、輝きが漏れていた。

 奥底から湧き出るその光が、まるで自由を得た籠の鳥のように、私たちの頭上へと伸びてゆく。

 見れば、足元の蛍石が鈍い光を放っていた。

 蛍石という蛍石が、まるで脈でも打つように鈍く明滅している。



「でやあぁぁあっ!」



 エリンの声が、洞窟内に大きく響き渡った。

 杖が台座から抜けた。「むぎゃっ!」反動で後ろに転がったエリンが頭を打つ。

 エリンの手から離れた杖が、宙に舞う。

 杖は槍を思わせる長さをしていた。埋まっていた部分の方が、長かったのだ。

 その長い杖が、ゆっくり回転しながら落ちてくる。

 フィーネ君が杖に飛びついた。



「やりましたわ! さすがエリンさん!」



 ――それは突然きた。

 高らかな勝利の声に重なったのは地響きだった。

 響きと同時に来たのは振動だ。



「うわわっ!?」「おわっ!」「きゃあっ!?」



 もの凄い縦揺れに、身体が一瞬浮いた。

 ――気がしただけかもしれない、しかし我々がその場で尻もちをつき、転んでしまったのは確かだった。



「地震か!?」



 私は右手で身体を支えながら、周囲を見た。

 草花の下で明滅している蛍石に、亀裂が入った。


「わわわっ」と。

 私たちはエリンがフライパンの上で転がすケイブリスの肉のように、巨大なチカラで右へ左へと翻弄される。



「おっ、おい、あれ……っ!」



 エリンが指差したのは、小島の外の地底湖だった。

 湖に、大きな渦が巻いていた。轟轟と、水の流れる音が響いている。

 ――ガゴーン! 闇の奥で響いたのは、たぶん岩が崩れた音。



「なにがどうなってるんだよルナリア!?」


「わからんっ! だが、ヤバい!」



 叫びながら、また転倒した。

 立ってられない。というか立つのを諦めた。

 ヒュッと、それまで私の頭が在った場所をなにかが通る。カツンと地に落ちて砕けたのは小さな石だ。

 上を見上げて、私はぞっとした。暗闇でなにも見えないほどの高さからの落石、小石とはいえ、もし頭に当たっていたら……!


 きゃああー、っと転がってしまうフィーネ君。しかし杖は手放さないのがある意味頼もしい。いつの間にか勇者ちゃんも杖に掴まっている。



「ここから逃げませんとルナリアさーんっ!」



 耳もとで怒鳴らなくたってわかってる。わかっているが、出来ることは転がることくらいだった。

 立てない、歩けない、逃げられない。

 うつ伏せになってしまった私は、地面に鼻をぶつけた。痛い。鼻血が出そうだ。


 ポタリと、――花に血が落ちた。



「……花?」



 呟いた。無意識に。

 また振動に転がされた。ドン、と台座に肩がぶつかった。台座の上には、草が茂っていた。



「……草」



 きゃああー、と転がりまわるフィーネ君。どうにかしろー、と、のたうちまわるエリン。



「そうか!」



 私は両手でフィーネ君と勇者ちゃんを捕まえた。

 そしてエリンに告げる。「エリン、私の腰に掴まれ!」エリンが転がりながらもしがみついてきた、それを確認して……!



「――移動魔法!」



☆☆☆



 頭上を見上げて、私は身震いした。

 暗闇が広がっている。

 移動魔法の上昇加速度を以って、この高さの岩盤に当たったら、打ち所によっては死にかねないだろう。

 しかしもう、我々はふわり浮いた。


 宙に飛び上がり振動から解放されたそこは、とても静かだった。

 いや、そんなはずはないのだ。

 音は激しく鳴っている。

 下を見れば、大渦が小島を殴りつけ、キャンプの焚き火が地割れから漏れた脈打つ光脈に呑みこまれている。


 だがそれでも。

 ――静かだった。聞こえるのは、自分の心臓の音。

 気がつけば私たちは杖を中心にして、寄りそうように四人で抱き合っていた。


 周囲に淡い光の粒が舞い始めた。それは外界から身体を守ってくれる光の壁、空気の壁。いま私たちを守るにはいささか頼りないが、我々はこれに依存するより術を持たない。


 昇る。昇る。まだ天井は見えない。

 高速度の上昇は、ただでさえ闇に呑まれている周囲を、さらに融かしてゆく。なにも見えない。

 見えないが気配でわかった。

 産道にも似た細い闇道を、私たちは突き進んでいる。赤子のように全てを委ね、原始の夢を見ながら。

 原始の夢、それは生きることへの渇望。



 エリンの声が眼下に広がる夜の森を指差した。

 眼下一杯に広がる暗い森から、ひとすじ天に向かって光が伸びている。フィーネ君が私のマントをぎゅっと掴んだ。



「まさか地底から地上まで続く、一直線の縦穴があったなんて……」



 三人が同時に私の顔を見た。それは説明を求める目だった。

 私は苦笑して、三人の希望に応える。



「あの花だよ」


「……花? 台座らへんのか?」


「普通に森で見かける種類だったろう? 彼らが生きるために必要な物は、なんだと思う?」


「まずは水に養分ですわね。あと二酸化炭素、それに……、あっ!?」


「そう、陽の光が必要なはずなんだ。太陽が中天付近に達した数十分間、届く光は本当にわずかかもしれない。だけど確実に降り注いでいるはずだ、彼らが生きるには光合成が必要不可欠なのだから」



 フィーネ君が頷いた。



「そっか。あの草花自体も、遥か地表の小さな穴から種が落ちてきて……」



 私はもう一度、苦笑した。



「あの長さの縦穴というのは突拍子なさすぎて、さすがに最初は気づけなかったがね」



 空に向かって穴から伸びる光が、まるで道のようだった。

 細い産道を抜けた人類は、いずれあの道を通って、空の壁をも突き抜けてゆくかもしれない。


 その先にはなにがあるのだろう。

 そのとき世界はどう広がるのだろう。


 一瞬楽しく夢想して、次の瞬間寂しくなった。

 たぶん私は、生きている間にそれを知ることが叶わない。魔法や化学は日々進化している。技術が進歩すれば観察出来る事象も増えてゆく。だがそれでも、まだまだ人間は小さすぎる。


 笑いが零れた。

 酒場で呑んだくれてるだけの身で、そんな途方もない空想に心酔わせてしまう自分が、堪らなく可笑しい。


 伸ばした手で、月を掴んだ。

 もちろん手の中には、なにもない。

 それが哀しくて、せめて、と私は月を見た。

 なにかに焦がれる。

 それくらいは許して欲しい。それは知性を得た生き物が持つ業――いや、特権なのだから。



「ストレングたち、大丈夫かな」



 エリンの声が、私を現実に引き戻した。



「わからん。だが――」



 あいつらなら、大丈夫な気がする。他の方法で、地下を抜けている。なんとなく、そんな気がした。それもそうだな、とエリンも笑って同意した。



「ちなみにコレ、どこに向かっての移動魔法なのですか?」


「どこだろう。咄嗟だったから……、もしかしたら、すんごい遠いところかもしれん」


「はあーっ!?」



 エリンが目を剥いた。



「ちょ、おまっ! どーせならアイソンにしとけよーっ!」


「また隊商でも居てくれるとよいのですけど……」


「済まないな。任せるよフィーネ君!」


「え?」


「そうだなフィーネに任せるよ」


「えええ?」



 あはは、とエリンが笑った。勇者ちゃんはコクコクと頷いている。その二人と顔を合わせたフィーネ君がクスリと笑う。



「仕方ありませんわねっ!」



 私も笑った。あっはっは、と笑った。

 現実は騒がしい。

 だがその騒がしさが今は心地好い。


 月が、羨ましそうにこちらを見ている気がした。

 自分の中に生まれた、そんな図々しい想像力が可笑しくて。



「おまえは、遠い世界に一人でいるがいい」


 私はまた笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る