第16話魔法学校
高い高い塔が、目の前にある。
石造りの、古く大きな円塔だ。石の表面には苔が生え、蔦も絡まっている。
見上げればまるで雲にも届きそうなその塔は、魔法学校の研究棟だった。
「はえ~、でっけぇ」
大きく仰け反って見上げているのはエリンだ。
勇者ちゃんを魔法学校に連れていくと言ったら何故か付いてきた彼女だった。
「エリンは魔法学校に来るの初めてだったか?」
「この塔、遠くからしか見たことなかったわ、いやでも近くで見るとすげーもんだな」
「そうだろう。この塔は、この国で魔法使いを志す者にとって一種の象徴だ。その筋の観光名所でもあるんだぞ」
塔の周りには雑多に人がいた。
魔法学校の敷地内なのに学士服を着たものはむしろ少数で、大部分は私服姿の一般人だ。塔の三階までは一般にも開放されており、入場料を払えば高い場所から街やそとの風景を見下ろすことができる。
魔法学校自体が街の高台にあることもあって、かなりの遠景を楽しむことができると好評だった。
「勇者ちゃんは来たことあるんだって?」
(こくこく)
頷いている勇者ちゃんは、塔に向かってひのきの棒を掲げ、片目を瞑って塔を見上げている。高さ比べでもしているのか、高さを測っているのか、小首を傾げたり頷いたりを繰り返していた。
塔の一階から三階までには、一般公開可能な魔法の品や資料、学校の歴史などが記された展示がある。
それは美しい宝石だったり古びた本だったり、奇怪な髑髏型の置物だったりと、人の目を飽きさせないものだった。
私たちは軽くそれらを見物したのち、一般人は立ち入れない四階へと登って行った。
「ニド先生に」
四階以降の出入りをチェックする門番にそう伝える。
しばらく待たされたのち、私たちは四階への入室を許可された。四階は小さな研究室がいくつもある階だ。そのうちの一室に、私は入っていこうとした。そのとき。
ボン! と爆発に似た音が部屋に響き渡った。
研究員が二人、ゲホゲホと咳込みながら研究室から走り出してくる。続いて、紫色をした煙がモクモクと。
エリンと勇者ちゃんが顔を合わせている。何事が起こったのか、という表情だ。
私は煙が薄くなるのを待つと、二人に気にせず部屋に入っていった。そして魔法帽を脱ぎ、
「お久しぶりです、先生」
「やあルナリアくん、久方ぶりだ。ゲホゲホ」
大きな鎧戸を開けて空気の入れ替えをしている初老の男性、彼は私が学校に通っている間お世話になっていた先生だ。
「また怪しげな魔法薬を作っていたのですか?」
「新しい筋力の増強剤を、ちょっとね」
顔に煤をつけたまま、先生は頭を掻く。不満顔なのは実験が思うような結果にならなかったからだろう。
「で、今日は何用かな? お連れさんもいるようだが」
私は勇者ちゃんとエリンを簡単に紹介し、魔力の判定球を使用したい旨を告げた。判定球とは直径こぶし二つ大ほどの大きさの水晶球で、ある種の魔法台に固定されたものだ。
上に手を置き集中すると、その者が持つ魔力の量に応じた輝きを見せる。
「なるほど、その子が勇者ちゃん」
「ご存知でしたか」
「有名だからね」
顔をタオルで拭いながら先生は言った。
「有名と言えばルナリアくん、君も今ちょっとした有名人じゃないか」
「は?」
「聞いたよ。なんでも大爆発を短時間のうちに連発したんだって?」
「いえそれは……!」
私はジロリとエリンの方を見た。
エリンが夜ごと酒場で先日の仕事を吹聴しているのは知っている。それがまさか、こんなところにまで噂として伝わっていたとは。
いかん、顔が熱い。
今私の顔は真っ赤になっているだろう。まともに魔法を学んでいる人ならわかるはずだ、「そんなこと無理だ」と。
「いや凄いね。人の潜在能力とは素晴らしい」
「え?」
「火事場の糞力と言うものだろう? それでも、研究しかしてこなかった私には到底無理な話だ。君の冒険生活の結実だ」
どうやらこれは、褒められているのだ。
だが自分でも覚えていないことなので、どうにも実感がない。それでも。
私は思わず魔法帽を被りなおした。
つばを手に取りトンガリ帽子を目深に。
「い、いえ、そんなことは」
「学業半ばに学校を離れてしまった君は、イマイチ自分に自信を持ちきれないようだったが……」
ニド先生が柔らかな笑顔をこちらに向けた。
「そろそろ、そこを卒業したまえ。君は今も昔も優秀だったよ」
胸の奥からなにかが涌いてくる。先生にこうして認めて貰えるのは嬉しい。
「お、ルナリアの奴、照れてやがる」
そう言ってエリンが私の背中を指でツンツン。
「う、うるさい!」
(つんつん)←勇者ちゃん
「こら勇者ちゃんまで! やめてくれ!」
いひひ、とエリンが笑う。先生も笑った。
私は強引に話を戻すため、経緯を説明した。勇者ちゃんに、父である勇者を探せという勅命が王から下っていること、そのために魔法を学ぼうとしていること。
「話はわかったよ。それじゃあ魔法球のところに行こうか」
☆☆☆
薄暗い大部屋だ。
窓は小さなものが一つ、二つ。ほんのりと外の光が部屋に入ってきているだけ。
空気がひんやりしていた。
そんな大部屋の奥に、テーブル大の石台がある。
石台には様々な文様が刻まれており、台の上には直径こぶし二つ分くらいの水晶球が固定されていた。魔法球である。
先生が起動の呪文を唱えると、魔法球が一瞬淡く光った。
先生の手が魔法球に触れると魔法球が光る。手を離すと光が消える。この光り方の違いで、人の魔力を測れる魔法道具だった。
「よし」
と先生が頷いた、準備完了らしい。
私は勇者ちゃんを促した。
「触ってごらん勇者ちゃん」
トコトコと石台に近づいた勇者ちゃんが、ぴょん。ジャンピング。ぴょん、ぴょん、とジャンピング勇者ちゃん。勇者ちゃんには石台が少し高かったようだ。
「あはは。無理だろ勇者ちゃん」
エリンが後ろから勇者ちゃんを両手で抱えた。
「ほら、触ってみ?」
脇の下を支えられた勇者ちゃんはちょっと動きにくそうにモゾモゾしていたが、やがて魔法球に向かって手を伸ばす。
そして触れた。
――。
魔法球は、微塵も反応しなかった。
薄暗い部屋は薄暗いままで、窓からの光の中では埃が舞っているだけ。
「おや、おかしいね」
先生が、石台を確かめる。
勇者ちゃんが魔法球から手をどかし、先生が触れた。するとやはり、先ほどのように魔法球が淡く光る。
どれあたしも、と今度はエリンが触れた。先生のとき程ではないが、球は光る。私が触れても、
「おお、さすがルナリア君だな。一番明るい」
やはり光るのだ。それなのに勇者ちゃんが触ったときだけ、魔法球は反応しなかった。
「うーむ。魔力が極めて少ないのか全くないのか……。とにかくこんな反応は初めて見た」
先生が首を傾げている。
勇者ちゃんの母君が言っていたことは本当だったのだ。勇者ちゃんには「魔力」そのものがない。
勇者ちゃんと床におろして、エリンが先生に聞いた。
「これ、どういう意味なんだい先生? 勇者ちゃんてなんか特別なのか?」
「特別、というのかどうなのか。普通の人間は程度の差こそあれ魔力を持っているものなんだ。彼女には、それが一切ない」
「え。てーことは勇者ちゃんは魔法を……」
「使えないだろうな、魔力そのものがないんだ。それどころか、武具を使った戦闘でも困るはずだ。無意識にでも魔力を使えないと、人の戦闘能力は多くの動物に遠く及ばない」
なんだとー、とエリンが先生に詰め寄った。八つ当たりも甚だしい。私が止めに入るものの、エリンの剣幕は収まらない。先生は困ったように、だが、とか、しかし、とか、言っている。
ふと勇者ちゃんの方を見た。
勇者ちゃんはうつむき気味に、自分の広げた両手の平を見ていた。
やがてこぶしをぐっと握り。ぱっと開く。
ぐっと握り。ぱっと開く。
トコトコと再び石台の前に行くと、勇者ちゃんはぴょんぴょんぴょん。どうやら諦めきれないらしい。
「勇者ちゃん……」
私はしゃべくりあってる二人をそこに置き、勇者ちゃんの背後に行った。そして後ろから抱え上げる。
魔法が使えなくてもやれることはある、そんな言葉を飲み込んだ。今は勇者ちゃんのしたいがままに任せよう。
勇者ちゃんが、魔法球に手を伸ばす。
と。
一瞬、部屋の中が瞬いた。
光が炸裂し、日中よりなお明るい輝きが、白く部屋の中を照らし出す。
「わっ」エリンが叫んだ。
「なんですか!?」と先生が目を瞑った。
私はというと、言葉を失っていた。
勇者ちゃんが触っている魔法球から、光が水のようにコンコンと溢れ出でてくる。こんな反応は、見たことがない。
「すげえ! すげえよ勇者ちゃん!」
「こ、これは……いったい!」
エリンと先生が白濁した光の中で声を上げた。
☆☆☆
突然の光は、また突然に終わった。
魔法球にヒビが入ってしまったのだ。途端、部屋は真っ暗になり、あまりの明暗差に私たちはしばらく盲目状態になっていた。
魔法球のことは、先生が実験中の事故として処理をしてくれた。私たちが魔法学校を去る際、是非また勇者ちゃんを連れて来てくれ、と念を押されたのは、先生もさっきの現象に興味を持ったからだろう。
「勇者ちゃん、本格的に剣も教えてやろっか?」
帰り道、突然エリンが言い出した。
魔法を使うにしても体術は重要だ、悪い話じゃあない。勇者ちゃんがこちらを見て、「いいのかな?」と目で語っていたので、私は頷いた。
「教わるといいよ勇者ちゃん」
勇者ちゃんは無表情なままどこか嬉しそうに、こくこく、と頷いた。エリンにも頷いた。
ひのきの棒をブンブンと。
その日勇者ちゃんはいつまでも振り回していた。
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