第15話勇者ちゃんの家
「ん。……あー、なんだ? いてて、あたま痛い」
見上げると、見知らぬ天井。
気がつくと私は、硬いベッドの上に寝転がっていた。
「おや、起きたかい?」
声のした方に目を向けると、そこには黒髪黒目の女性がいた。半開きの鎧戸から入ってきた風が、テーブルの上の蝋燭の火を揺らしている。
小さな部屋の中だった。
「はいよ、迎え酒」
そう言って女性は、ワインの入った樫のカップを差し出してきた。私は上半身を起こし、それを受け取る。
「……ここは?」
女性が、クイッと顎を動かす。
促された場所は私の隣、横を見ると同じベッドの上で、勇者ちゃんが寝息を立てていた。
「もしかして、勇者ちゃんの……」
「そ。その子の家。そしてあたしゃその子の母親ってわけさね」
黒い目を躍らせて、女性が――勇者ちゃんの母君が、にんまりと笑う。
いやービックリしたよ、とワインを注ぎながら話す彼女の言うことには、酔い潰れた私を勇者ちゃんがズルズル背負って帰ってきたのだそうだ。
「こ、これはとんだことで……!」
しどろもどろになる私に、勇者ちゃんの母君はもう一度笑いかけてきた。
「あんたイケるクチなんだろ? ちょっと付き合いなよ」
口元でカップを傾けるような動作を、クイッ。
「あ、いえ。これ以上迷惑を掛けるわけには」
「気にしなさんな。最近客といえば役人ばかりでツマラなかったんだよ。たまには空気が変わっていいもんさ」
言いながら、テーブルにつく。
ほら? と促された。私はバツの悪い顔をしてたに違いない、促されるまま、椅子に座った。
勇者ちゃんの家は、ごく質素な一間造りの家らしく、ベッドやテーブルが一室に全て収まっていた。台所とトイレ以外の生活空間はこの部屋だけというわけだ。
上を見るとさして高くもない天井に、樫の木が組まれていた。木の骨組みが、テーブル上の蝋燭の明かりに照らされて揺れている。
勇者ちゃんがベッドで寝息を立てている。
テーブルに頬杖をついた勇者ちゃんの母君は、ワインが入った樫のカップを揺らしながら私の話を聞いていた。
話とは、私が勇者ちゃんに魔法を教えることになった経緯である。
「……なるほどねぇ。酒場に直接乗り込んだ、と」
「物凄く浮いてる『客』でしたよ」
あえて勇者ちゃんを客と強調した。
酒場にとっても、私にとっても、過去例がない客だったのは確かだ。
「あはは、銅貨八枚! あんたもなんでそんな仕事を受けたんだい?」
「なりゆき、ですかね」
ハインマンがパトロンになったというのも含めて、成り行きだ。まったく人生成り行き任せ。一事が万事とはこのことだった。
「まったく妙な仕事を頼んじまったもんだねぇ。せめて酒でも飲んでくれよ」
「おっとっと。こぼれますよ」
「こりゃ失礼」
私たちはしばし無言で酒を飲んだ。
母君が、チラ、と何度かこちらに視線を向けてくる。なにか言いたいことがあるようだ。私は待った。
「……で。あの子、魔法使えそうかい?」
「どうでしょう。今のところは、まだなんとも」
「そうかい」
私とは目を合わせずに、母君はワインを舐めている。そしてまた、口を開いた。
「……たぶん、無理だと思うんだ」
「え?」
「だから、あんたも諦めてくれていい」
「どういうことです?」
「言葉の通りさ。あの子は魔法を使えない、だから教えなくてもいい」
確かに魔法を使える人間というのは、少ない。
「魔力」というものは、誰でも持っている。だがその魔力を、自身の身体を通して「魔法」に転化できる者が少ないのだ。
だからといって、試しもせず諦めるなんて。
私はそう反論した。
「あたしらにゃ、魔力そのものがないんだ」
そんな馬鹿な、と、つい声が大きくなってしまう。
魔法が使えなかろうが、魔力は人と共にある。それは通説だし、魔法が使えない人間でも、魔力の量自体は調べることもできる。魔力そのものがない人間なんて私は見たことないし、聞いたこともない。
「あたしらは、魔力という物が存在しない世界から召喚されたのさ」
「召喚? あたしら、というと?」
「勇者召喚、って知ってるだろ?」
「ええ。勇者ちゃんの父君、勇者タカハシをこの世界に召喚した大魔法ですよね」
「そう。だけど、召喚されたのは圭史……いやタカハシだけじゃないんだ。あたしも一緒に召喚されたのさ。詳しい話は省くけど、あたしも勇者の片割れだ」
初耳だった。
勇者というのはタカハシ一人だと思っていたのだ。いや殆どの人がそう認知しているはずである。
「鳩が豆鉄砲食らったような顔をすんなって」
母君が、にしし、と笑う。
「勇者の『武具』を使って戦争で活躍したのはタカハシさ。あたしゃサポート役、そういう意味で、勇者がタカハシってのは間違えちゃいない。召喚されたのがあたしらセットだったというだけさね」
驚いてる私が無言でいると、母君は懐かしそうな顔でもとの世界の話を始めた。そこは魔力というものが存在せず、代わりに科学がとても発達した世界だったという。
城よりも塔よりも高い「ビル」と呼ばれる建物が幾つも乱立し、科学の動力で動く鉄の馬車が所狭しと走り回る。同じく科学で作られた鉄の竜が空を飛び、人はそれらに乗って世界中を移動できたという。
魔物もおらず、いわゆる「冒険者」も存在しない世界。
それが勇者タカハシたちが住んでいた、「元の世界」なのだそうだ。
そこの学生だった勇者タカハシと母君は、ある日突然こちらの世界に召喚されてしまったらしい。
「学生だったのですか。お二人は優秀だったのですね」
私が言うと、母君は笑った。
なんとあちらの世界では、殆どの子供が学校に行って学ぶのだと言う。無論、誰でも文字が読める、書ける。にわかには信じられない話だった。
だから優秀でもなんでもなかったよ? と謙遜するが――。
「勇者ちゃんが文字を読めるのは――」
「ま、あたしが教えたんだけどね」
こちらの文字をしっかり習得して娘に教えているのだ。優秀でないはずはなかった。
「王さまにも困ったもんだ。タカハシ探しにあの子までかつぎ出すなんて」
ワインをカップに継ぎ足しながら、母君が自嘲気味に笑う。
「いや、あたしの身体がボロボロなのが悪いのか」
先の戦争で、母君の身体は戦えない物になってしまったとのことだった。だから娘に剣を教えることすらできなかった、とカップを揺らす。当然、勇者としての能力もまともに使いこなせないのだという。
勇者としての能力とはなにかと私は尋ねる。
それは、強力な従者を生み出すことと、勇者しか使えない武具を使いこなすことだそうだ。
「強力な、従者……?」
「ま、ロクな力じゃないさね」
なぜか苦々しそうな口調で、母君。私がじっと見ていることに気がついたのか、母君は不意に苦笑した。
「まーあれだ、この上あの子が魔法まで使えたら、本当にいい様に使い倒されてしまう。あたしゃそれが怖くてね」
これ以上問うのは憚られる雰囲気だったので、私は話題を替えた。
「母君、明日勇者ちゃんを魔法学校に連れていっても構いませんか?」
「そりゃ構わないけど、なぜだい?」
「あそこなら、勇者ちゃんの魔力を測定できますので」
「あー、私の話を信じてないんだね。まあいいよ、好きにするさ」
信じていないわけではないが、私は検証と確認を尊ぶ科学の徒でありたいのだ。それに、勇者ちゃんはしっかり私の言いつけを守った。今度は私が責任を果たす番だ。
だがもし、本当に勇者ちゃんが魔力を全く持たない存在だとしたなら――。
「ん。どうしたらいいか、全く思い浮かばない」
ワインを舐めながら、私は独りごちた。
気がつくと、母君はテーブルに突っ伏して寝息を立てている。私はベッドから毛布を取り寄せ、母君の肩に掛けた。
テーブルの蝋燭を、そっと吹き消す。
鎧戸からこぼれる月明かりを頼りに、私は暗くなった部屋を後にした。
外は虫の声。虫の声。虫の声。
まあ明日の話は明日の話だ。
そのときになって考えればよい。
私は、そう頷いた。
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