第14話酔っ払いと勇者ちゃん
「ことが済んでよかったではないか」
私の隣でワインを飲んでいたハインマンが、そう締めくくった。
「そうですね、グレイグ殿にはお世話になりました」
「なあに、あれしきのこと」
例によってセドミアの酒場だ。
まだ日中、鐘三つが鳴った頃。夜酒にはだいぶ早いが、祝杯代わりの酒を飲んでいた私のところに、二人が連れ立ってやってきたのだった。
私とグレイグから経緯を聞いたハインマンは、自分のことのように喜びながら酒をあおった。
「でグレイグよ。遺跡の再探索とゴーレムの回収はどうする?」
「先遣隊はもう出しておるのか?」
「出してある」
「わしとしては、またルナリアたちに手伝って貰えたらな、と思っているのだがね。勝手を知っているだろうしゴーレムが多少残っているかも知れないのならガードの冒険者は必要だ」
「私一人ではお答えできませんが、たぶん大丈夫だと思いますよ」
酒を飲みながら、こうして次々と予定を立てていく。
次の仕事は遺跡からの回収作業だ、ゴーレムのパーツは大きいので人手が多くなる。その用心棒という位置に収まる形になりそうだった。
仕事の話がスイスイ決まっていくのは気持ちいい。
特に一度赴いた遺跡への回収作業となれば、概要もわかりやすい。気楽なものだ。
「これで聖堂庁派ほどではないにせよ、兵力を増強できる」
「貴族の派閥争いも大変なものよなハインマン。まずは兵力がないことには宮中の政治工作にも支障が出る」
「まったくだ」
私が横目で聞くになく聞いていると、察したのかハインマンが派閥の説明をしてきた。要するにロゼリア聖堂庁派というのは、神の教えを広げる為にもっと国も金を出すべきだ、という派閥で、ハインマンの派閥
は、それよりももっと魔法や科学の研究に金を出すべきだ、という派閥だとのことだった。
「神の教えを広げる為に金を出せと言われても、国も困るのではないですか?」
疑問に思ったので聞いてみる。するとハインマンの答えはこうだった。
「存外言葉をストレートに捉えてしまうのだなルナリアは」
つまりロゼリアと、国と国のよしみを強くしろ、ということらしい。ロゼリアは宗教国家で、その宗派は世界中に影響力を持つ。聖堂庁派には息子を司教にさせている貴族も多いそうだ。
ロゼリアとの繋がりが強くなれば、当然アイソン国での自分の立場も強くなる。
「なるほど、そういうものですか」
世界が違いすぎてピンとこなかったが、なるほど国の金を自分の有利になるよう使いたい同士の諍いであることは理解できた。
「面倒なものですね」
「そんな呆れ顔して肩をすくめるな。気持ちはわかるがな」
私の失礼な態度に苦笑で応えるハインマン。グレイグは大声で笑った。
「宮使いの苦労など、市民が知ったところで一銅貨の得にもならんからな。ルナリアの反応は正しい!」
「グレイグ殿は宮使いの苦労に乗じてお金を稼ぐのが仕事じゃないですか?」
「そうだぞグレイグ、今回のゴーレム発掘だって宮使い故だ。俺の気苦労で稼ぐお前のセリフじゃない」
「おっとこれは藪蛇だ」
私たちは笑って酒を再注文した。
バーテン君が「景気よさそうですねぇ」と愛想よくワインを持ってきてくれる。
「そういえば、勇者ちゃんの様子はどうなんだルナリア?」
「勇者ちゃん、ですか?」
さて、どうなのだろう。私はワインをちびちび考えた、
「さて。魔法の教本は渡しましたが、その先はまだ。なぜそんな話を?」
「いや最近宮中で噂が立っていてな。なんでも王直属の魔法使い殿が、国の危機となる預言をしたとかの話なのだ。二十年前の戦争のときのように、また勇者のチカラが必要になる、と」
「ほう」
「ところが当の勇者殿は現在旅立ってしまっており行方不明だ。このところ幾人もの使者が勇者殿を探すために旅立っているらしい」
「そうなのか、わしもそれは初耳だ」
「というわけで、勇者タカハシの二代目である勇者ちゃんも今注目されているのさ」
あっという間にワインを飲み干してしまったらしいハインマンが追加を注文しながら私を見た。
「……実はあの教本、いささか問題がありましてね」
私はワインをちびちび、ツマミのチーズを齧った。
「そこに勇者ちゃんが気づいたら……」
バタン、と酒場の木戸が開かれた。
そんな音、しょっちゅう響いているのだが、今回その音が妙に耳に響いたのは何故だろう。扉が開かれた直後、酒場の声が一瞬静り返ったからかもしれないし、たまたまかもしれないし、必然だったかもしれない。
私が酒場の入り口に目を向けると、そこには勇者ちゃんが立っていた。
勇者ちゃんは酒場に入ると、周りをキョロキョロ。
なにかを探している風だ。
私と目が合うと、にっぱり笑った。
なんのことはない、探していたのは私ということらしい。勇者ちゃんがトコトコと、私の方へとやってくる。
「どうしたね、勇者ちゃん」
私がカップを掲げると、勇者ちゃんは懐から本を取り出した。私が貸した魔法の教本だ。本のページをパラパラめくり、あるページで止めて私に本を渡してきた。
「――ここがよく、わからないと?」
(こくこく)
勇者ちゃんは大きく頷いた。
私はちょっと意地悪く笑った。
「よし。『わからない』とわかったんだね、勇者ちゃん」
勇者ちゃんが首を捻った。
ハインマンとグレイグも視線で疑問符を投げかけてくる。
私は勇者ちゃんに椅子を勧めながら、勇者ちゃんのミルクをバーテン君に注文した。
「実はこの魔法教本、落丁品なんだよ。大事なページが一ページ抜けているんだ」
「そんな本を渡していたのか!」
ハインマンが呆れ顔でこちらを見た。
「しかも偶然ながら抜けたページ前後の文脈繋がりに不自然さがないので、ながら読みしてると、なんとなく落丁ページをスルーしてその先も読み進められてしまう」
「だから、『わからない』が『わかった』という話か。なんと意地の悪い」
苦笑いしたグレイグが、ハインマンと顔を合わせる。
「すまんな勇者ちゃん、試すようなことをして」
勇者ちゃんは、顔をふるふると横に振った。
気にしてないよ? という意味だろうか。表情から感情を読み取りにくいのでちょっとわかりにくい。
「だがこれで、勇者ちゃんがそこのページまでをちゃんと読んで、理解もしていることはわかった。次の段階に行くとしよう」
勇者ちゃんが笑顔になる。私はテーブルの傍らに立てかけておいた魔法の杖を手に取ると、大袈裟に振ってみせた。
「まずな、魔法の基礎は発火の魔法なんだ」
多くの魔法のエッセンスが詰まった宝箱のような魔法、それが発火魔法。物体の振動や空気の圧縮、空間移動から停止まで、発火魔法を学ぶことで理解できる概念は多い。
ワインを一杯。追加で一杯。
こうして急遽、私の魔法講義が始まった。
テーブルの上のワインに発火を使ってみてアルコールに火を着けたり、薄暗い酒場の中に光の魔法を解き放ってキラキラと天井を輝かせてみたり、水の魔法を合わせて虹を作ってみたりと、講義なのか大道芸なのか、私本人にもわからないテンションだ。
酒場の中は大いに盛り上がった。
多くの客が木のカップでコン、コン、コン、コンとアンコールを促せば私も応えたし、奢りで送られてくる酒もガブガブと飲んだ。
ハインマンとグレイグも楽しそうに手を叩いている。勇者ちゃんはミルクだが、ハインマンたちに合わせて不器用にやっぱり手を叩く。
「学べ勇者ちゃん。学べば学ぶだけ世界は広くなり、手が届く物も増えていく。私も手伝おう」
あっはっは、と笑いながら、私は魔法を唱え続けたのだった。
☆☆☆
――ぴょん、ぴょん、ぴょーん。
西日が作り出す長い影を従えて、勇者ちゃんが跳ねている。いつものように飛ぶ練習。
街の広場の端の端、茂みに囲まれたひと気のない一角が、どうやら勇者ちゃんの秘密練習場だった。
「あはは、いいぞいいぞ勇者ちゃん。まずはイメージだ」
ああ、夕日を肴に呑む酒は美味い。
この時間の酒はまた格別だ。なぜなら日が終わるから、無責任に飲んでいられる。人に迷惑をかける心配がない。疲れりゃそこで寝てしまえる季節というのも良い。
「私はお婆さまとは違う、優しく教えるぞ勇者ちゃん。だいたいお婆さまは、自分ではロクに魔法も使えない癖に口うるさかったったらないんだ。ひと言目には基本基本! いいじゃないか好きに学んでいけば!」
抱え込むくらいの大きさをした酒瓶から、そのまま口づけで酒をかっ食らう。
「私は早く一人前になりたかったのさ。さっさと魔法学校に通いたかった。基本基本で毎日過ごしてたら、いつになるかわからないじゃないか! だいたい、移動魔法だって、試してみたらホラできた。基本なんか多少すっとばしても問題ないさ!」
いい歳した女がこんな飲み方をしてるのは珍しいのか、時折遠巻きな視線を感じたが、ジロリと睨めば皆去って行く。
「見世モンじゃないっつーんだ。見たけりゃツマミでも差し入れやがれってんだよ。なあ?」
――ぴょん、ぴょん、ぴょーん。
「勇者ちゃん、聞いてるかー?」
ぴょ――ん! と勇者ちゃんがひと際高く跳んだ。
「よしよし、聞いてるねぇ。でも勇者ちゃんはちゃんと基本からな? 明日からしっかり発火の魔法を教えてやる」
ひひひ、と笑い、また酒を口に運んだ。ああ、本当に美味しいさね。
ぴぅ、と、よぎる風が火照った頬に気持ちよい。風が鳴らす茂みの音が、今日のツマミだ。
「んなワケないっての。ちゃんとツマミは用意して、あーりーまーすー!」
でも残り少ないので、一度に食べ過ぎないよういちいち胸元から取り出して、ゲソを噛む。
ゲソとはイカの足を日干しにした保存食、珍味だ。酒と非常によく合うのだが、エリンは食べたがらない。どうもイカの足は見た目が苦手らしい。
「知ってるか勇者ちゃん、エリンのやつ、触手系の魔物が苦手なんだぜ? あの類と出会うとてんで役に立たなくなっちまうの! あはは、なんだろうねーこんなに美味しいのにイカの足!」
よくわからない可笑しさが込み上げてきて、私は座ってる石垣のふちを叩いた。手が痛い。
「あはは、あはは! いた、いたい、いたい! ひひひ、ふふ、いてーっ! あはっ、あはっ、あはは……」
ああ。手が真っ赤。擦り切れて、血が出てる。
ドボドボと、傷に酒をかけた。染みる。
「あああ、もったいない」と、手を舐めながら、少し素に返る。私はいったいなにやってんだ。
「あーあ、……いってー」
酒を舐めながら、勇者ちゃんの方を見る。
ぴょんぴょんと、変わらず元気だ。その奥遠くで、街の城壁に陽が掛かり始めていた。
飛んでゆく黒鳥が影絵のようだった。
ここから暗くなるまではあっという間、真っ暗になるまでは「おっ」という間くらい。
「おっ?」
飛び跳ねた勇者ちゃんの影が、ついに私の足もとまで届いた。影の手が、私の足を掴もうと頑張っている。ああ、ずいぶん長く伸びたものだ。
私は腰を上げた。
――ふらりふらり、ぐらりぐらり。
視界も足も、揺れまくり。
ふらりが足で、ぐらりが視界だ。って、どうでもいいか。
跳ねる勇者ちゃんの近く、開いたままで置いてある魔法教書を、私は見下ろした。
草の上にマントを敷いて、汚れないようにしてある。あー、この律儀さを、少しでいいからエリンやフィーネ君に分けてやって欲しいもんだ。
「うむ、勇者ちゃん。しっかり本を読みたまえ~」
私はしゃがみ込んで、本を手にした。
草の上に寝転がって、仰向けに本を開く。
ぺらり、ぺらり。ゆっくりページをめくった。魔法の基本から簡単な実践までの初級教本。
「暗くて読めまっ、せーん」
私は、あはは、と笑いながら寝ころびつつ足をぷらぷら動かした。スカートがバタつくと、風が起こる。
それが酒で火照った太ももに、気持ちいい。
ちらり、と下を見た。
「パンツ丸出し」
また笑いがこみ上げる。なにかがツボに入ってしまった、笑いが止まらない。かわりに止まったのは、本のページをめくっていた私の指だった。
「あは、あは、あはははは――、は……」
丸々一ページ、そこはページが抜けていた。落丁してるのだ。
「……ちぇっ」
本を閉じ、草の上に投げ捨てた。
この本を開くと、どうしても思い出してしまうことがある。
ああそれは、お婆さまをなじってしまったことだ。「落丁にすら気づけなった癖に!」と、私はお婆さまをなじった。
その時のお婆様の顔が、今でも忘れられない。
哀しいような、狼狽えたような、大人だったお婆さまの顔を揺らがしてしまった光景が、どうしても忘れられないのだ。
「……エリンが悪い」
私は唐突に言った。もちろんその頃にはまだエリンと出会ってもいない私だ。でもエリンが悪い。
「エリンがわるーい!」
大の字に寝転がったまま、声を上げてみた。
少し声を高めたら、叫びたい衝動が、どんどん内から膨らんできた。
もう止まらない。
「聞いてくれよ、勇者ちゃん! あいつ、いっつも好き放題。考えなきゃいけないことは全部私任せで、いっつも「ヘヘヘ」と笑ってるだけなんだ! 今回の仕事だってそうだぞ、私が眉間に皺寄せて考えごとしてるのに、横でいっつも楽しそうに遊んでる!」
ゴロゴロと草の上を転がりながら、ぴょんと跳ねてる勇者ちゃんの足もとまで移動する。
見上げてみた勇者ちゃんは、藍色に染まりつつある空を背にしていて――。
なんだかおっきく見えた。
「お婆さまもそうだ! なにもわかってないくせに! 魔法って自由なんだから! そうだろ勇者ちゃん、父さまだって言ってた、学べば学ぶほど世界は広がるって! イカの足はうまいんだ!」
くるくると、視界が回る。
空で星が回ってる。心配そうに私を見た勇者ちゃんの顔が、ぐいと近づいてきた。
「平気! 心配するな勇者ちゃん! 私はもう移動魔法なんかバッチリさ、編入試験なんか楽勝、見ててよ父さま、絶対私は学校に入学して……!」
――ちゅっ。
柔らかいものが、私のおでこに触れた。
火照った顔にひんやりと。だけどじわじわ、そこから温かさが広がった。
ぼんやりと、視界を探る。
勇者ちゃんが私を見つめていた。勇者ちゃんは喋らないが、なぜだろう、声が聞こえた。
――大丈夫だよ。と、どこかから。
たぶんそれは、幻聴だ。
なぜなら、やはり変わらず視界は揺れているから。くるくる、くるくると。星が回る、勇者ちゃんが回る。酒はいいな、気持ちがいいな、なにも考えないで済む、ただ酔いにまかせて回っていればいい。
目の前が真っ暗になってゆく。それが惜しくて、私は手を伸ばした。
誰かがその手を取ってくれたような気もしたが、よくわからない。
もうなにも知覚出来なかった。ただ心地よく、私は闇の中に沈んでいったのだ。
くるくる、くるくると。
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