第29-2話ルナリア ――&エピローグ

 本が追ってくる。

 私がお婆さまと一緒に暖炉の前にいると、どこからともなく現れた本がふわふわと、私を追ってくる。

 あれは魔法の教本だ。あれに掴まったらいけない。掴まったら、せっかくのこの時間が壊れてしまうと、私は直感した。

 私は逃げた。

 お婆さまの後ろに隠れ、父さまを家中探し、ついには家の外まで出て、逃げ走った。


 本が追ってくる。

 私がお婆さまと食事を一緒に作っていると、どこからともなく現れた本が、ずるりずるりと地を這って私を追ってくる。

 決してネズミみたいに素早くはない。それでもその本は、確実に私の足元に寄ってくるので気持ち悪かった。

 私は逃げた。

 お婆さまの後ろに隠れ、台所に昇りテーブルの上に昇り、最後はお手伝いをほっぽりだして家の外にまで逃げ走った。


 本が追ってくる。

 私が湯あみをして、籠から着替えを取ろうとすると、着替えに混ざってそこに居た本が、ぴょんぴょんと私を追ってくる。

 私は着替えることも忘れてビショビショのまま逃げ出した。お婆さまを探して家中を走るがどこにもいない。仕方なく、私は外に逃げ出した。


 本が追ってくるのだ。

 どこに逃げても、どこに居ても。

 どうして追ってくるのだ、あの本さえ開かなければ、私は。

 あの本さえなければ、私は。


 どうして!




☆☆☆




「うひゃーっ!」



 ルナリアから火爆が飛んでくる。爆発が飛んでくる。大爆発が飛んでくる。それらをジグザグ蛇行で避けながら、エリンは声を上げた。



「とんでもねーあいつ!」


「火耐性ぼうぎょー!」



 ほわわーん、と、フィーネを中心に光が灯った。火から身を守る魔法だ。これで大爆発や爆発の熱から多少は身を守れる。なにせ大爆発級になると、近くに着弾しただけで熱で負傷する可能性がある。



「さすがに勇者ちゃんには撃たないな」


「わたくしたち、こんな目に遭いながら近づく意味あるんでしょうかエリンさん?」



 どかぁん、と、二人の背後で大爆発が起こった。爆風で土埃が大量に舞い上がる。



「ある! 少しでもこっちに気を逸らせるなら、そんだけ勇者ちゃんが動きやすくなるに違いない! なあルナリアーっ!?」




☆☆☆




「なんでそんな逃げるんだよ」



 私が家の外を逃げていると、ライオンのような髪をした女の人が、剣で遊びながら呑気な声をかけてきた。



「だって、掴まったら終わっちゃうの!」


「なにが?」



 なにが? って、……なにが終わるんだろう。何を言っているのか、自分でもよくわからなかった。



「終わったら、どうなるんだ?」



 女の人が聞いてくる。わからない。わからないけど、怖いことが起こる気がした。



「怖いこと? 違う違う」



 悪戯な笑顔で女の人が笑った。



「終わったらな、次が始まるんだ」



 剣を振り回しながら、楽しそうに笑った。



「次ってのは未知ってことさ。おまえ、そういうの好きだろ?」




☆☆☆




「ルナリアさーん! ちょっと手加減してくださいましー!」



 フィーネが声を上げた。

 大爆発の数こそ減ったが火爆と爆発の弾幕はむしろ厚くなっている。質より量が効果的と、ルナリアに判断されたのだ。



「手加減してくれないと、ほんとに当たっちゃいますよー!?」



 当たっちゃったら痛いんですからー! と。

 フィーネもまた、真っ白な髪をなびかせてルナリアの為に走った。



☆☆☆




「ルナリアさん、好きでしょう? わけわからないこと」



 真っ白い髪をした女の人が、優し気な声を掛けてくる。



「わからないことは好き。でもこれは違うの、本を手にしたら悪いことが起こる。それがわかってるの」


「悪いことが起こるって、なにが起こるのかしら?」



 なにが……。なにが起こるか、って。

 そうだ、あの本さえ開かなければ、私はお婆さまに酷いことを言わずに済む。あの本さえなければ、こうしてお婆さまとずっと仲良く過ごせる。



「違うでしょう? それはもう、起こったこと。取り返しはつかないけど、既にあなたの一部」


「違わない! 私はこのままお婆さまと一緒に暮らすんだ! 魔法なんて覚えなければよかった!」




☆☆☆




 本が追ってくる。

 私がお婆さまと一緒に暖炉の前にいると、どこからともなく現れた本がふわふわと、私を追ってくる。


 本が追ってくる。

 私がお婆さまと食事を一緒に作っていると、どこからともなく現れた本が、ずるりずるりと地を這って私を追ってくる。


 本が追ってくる。

 私が湯あみをして、籠から着替えを取ろうとすると、着替えに混ざってそこに居た本が、ぴょんぴょんと私を追ってくる。


 何回もこれを繰り返している気がする。

 どこに逃げても本が追ってくる。家の外に出ても追ってくるので、やがて私は家に帰るのをやめた。


 アイソンの街で、日々を暮らす。

 酒場で酒に浸り愚痴を言い、ときたま大きな仕事をこなして悦に浸る。

 魔法なんか使えない。魔法なんか要らない。


 時折り実家に戻って、こんな冒険をしてきたよ、とお婆さまと父さまに報告する。お婆さまと父さまと、テーブルを囲んで一緒にお酒を飲んじゃったりして、ルナリアも大人になったと、二人に笑われる。そして次の日には街に帰るのだ、これで私も色々と忙しいんだ、とか言っちゃって。


 エリンという仲間が出来た。

 フィーネ君という仲間、もまあ出来た。

 割と楽しい毎日。だらだら続く日々。こんなものでいいのだろう、こんなものがいいのだろう。

 私は本から逃げ続けた。

 これでいいんだ。


 そう目を瞑った瞬間。



(だめだよ?)



 と、どこかから声が聞こえてきた。



「勇者ちゃんにはわからない!」



 反射的に私は声を荒げてしまう。



「勇者ちゃんはあんなに強い! 転んでも立ち上がる、挫けずにまっすぐ前を向く!」



 だからわかるわけないと。



「私はダメなんだ、なんでも引き摺ってしまう! お婆さまに悪口を言って泣かせてしまったことも、学校を放校になりクラスメートに後ろ指を指されたことも! ああ! 心が重くて重くて、潰されてしまいそうだ!」



(でも、おねえちゃんはわかってる)


「ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!」



 そう、わかっているんだ!

 お婆さまは私が魔法使いになることを、なによりも望んでいた。望んでいてくれた。だから「魔法を覚えない私」なんかが存在するわけない。

 これは夢だ。

 私が自分勝手に作りあげた、ずるい夢。

 お婆さまに酷いことを言ってしまったことを、お婆さまが死ぬ前に謝れなかった私が都合よく作り上げた、私の罪が存在しない夢。わかってる。

 魔法さえ学ばなければ、と。

 ありえもしない話を作り上げて、逃げ出した夢。



「私は、私は……!」



 涙が止まらない。逃げて逃げて逃げて。酒に逃げて、仕事に逃げて、夢の中にまで逃げてきたのに。逃げたつもりだったのに、気がつけば追い詰められている。



「私にどうしろってんだ、勇者ちゃん!」



 怒鳴って蹴散らした。近づいてくる勇者ちゃんを威嚇するように、吠えたて、腕を振りかざし、歯を食いしばって睨みつけた。

 それなのに彼女は近づいてくる。

 優しく微笑んでくる。

 手を伸ばしてくる。

 勇者ちゃんの手が私に触れようとした。

 私の身体が硬直する。



「や……っ! やめてっ!」



 思わず目を瞑ってしまった、そのとき。



(手を繋ごう?)



 私の手を勇者ちゃんが取っていった。引っ張られる。

 目を瞑っているはずの私の中に、突然の夜空が広がった。


 勇者ちゃんの発火魔法が、星空の中に大きく大きく炸裂している。

 それはまるで丸く花が咲くような美しさで。

 ドーン、ドーン、と幾つも幾つも打ち上がる。

 私はぼんやりとその光景を見つめていた。目を瞑ったまま見つめていた。



(そういえば勇者ちゃんの魔法はケタ違いなんだっけ)



 なんでそんなことが起こるのだろう? 本人だけでは魔法力ゼロでなにも使えないのに、私と手を繋ぐとケタ外れに強力な魔法が使えるのだ。なんとなしに、心の中に巻き起こってしまう疑問の数々。不思議だなぁと、私は小首を傾げて考えてしまった。

 勇者ちゃんが笑った。



(それが、おねえちゃん)


「え?」


(おねえちゃんは考えずにはいられない人だから。良いことも、悪いことも、不思議なことも、なんでもかんでも)


「……」


(だから手を繋ごう? 一緒に楽しいことを考えるために、一緒に不思議なことをみつけるために。そうしたら、少しは心が軽くなるとおもう!)



☆☆☆



 気がつくと私は酒場の中に戻っていた。

 酒場のざわめきの中で、私は酒を飲む。

 忘れたいことを忘れる為に、酒を飲む。

 考えたくないことを考えないようにする為に、酒を飲む。


 こつん、と。


 不意におでこを叩かれた。

 静寂が酒場を支配していた。時が止まったかのように、誰も動かない。私も動けない。

 私はパチクリと、目をしばたいてみた。

 視界に本がある。これはあの本だ。私をずっと追いかけてきていた、落丁がある魔法の教本。それを小さな手が握っている。視界を下げると、そこには。

 背伸びして私のおでこに本を伸ばす小さな女の子がいた。

 女の子はその本で、もう一度私のおでこをコツン。そして私を見上げると口を開く。



(もっと魔法、教えて欲しいな)



 と、小声で。

 久しぶりに聞いたような気がするその声が耳の中に沁みていく。

 周囲の風景が、ピースを崩したパズルのように欠けていった。酒場だったはずのそこは、誰もいない真っ白な空間になったのだった。



「そうだね。約束だったな」



 私は本を手に取った。

 途端、真っ白だった世界に色が戻ってくる。朱色から藍色に変わりかけた空が戻ってくる。

 ごう、と熱い風が吹いていた。

 周囲の大地が燃え盛る炎で一杯だ。記憶食いの巨体から炎が立ち上り、空の雲を赤く赤く染めていた。



「夢を見ちゃってたよ、勇者ちゃん。結構幸せな夢だったんだ」



 勇者ちゃんから魔法の教本を手渡されながら、私はどことなく寂しい気持ちで笑ってしまった。それはきっと、夢の名残の寂しさだ。夢の残滓を振り払うように、私は改めて笑顔を作る。



「でもダメなんだな、嘘の世界は都合よすぎる。都合のよさに溺れてしまい、なにも新しい発想が出てこない。発見がない」



 だからこれからもよろしく、勇者ちゃん。

 と、私は手を差し出した。

 勇者ちゃんの小さな手が、私の手を握ってくれる。あったかい手だった。



「お婆さまには、墓参りにでも行って謝るよ。色々ごめんなさい、ってね」



 そしてありがとう、と。

 魔法を覚える切欠をくれてありがとう。魔法を教えてくれてありがとう。可能性をくれてありがとう。今いる私を作ってくれてありがとう。伝えきれないくらいの感謝を。

 今まで一度も伝えに行かなかった分の、大量の報告を持って、墓前に。


 エリンとフィーネ君が走ってきた。

 やあ、なんか迷惑掛けたみたいだ、と片手を上げたら、その手を引っぱたかれた。そのままの勢いで、二人が私に抱きついてきた。ああ、と私は胸が一杯になった。



「……ただいま」



 とだけ言って、私たちはしばし泣いた。



☆☆☆



「あれが、タカハシの子の『従者』か……」



 暮れ行く藍色の空の下、松明を灯した従者たちを従えて、アイソンの王が呟いた。



「なかなか凄い魔法力だったでしょう? 陛下」



 松明を持った中の一人の男が、横から王に話しかける。



「ああ、確かにそなたから聞いていた通りだった」


「おかげで、あの遺跡を開発する一番の難題はクリア出来ました。研究のご裁可が欲しいものです」


「これだけの損害を出して飄々と。わしにはおまえがわからぬよ、ハインマン」


「すべてアイソンの為です、とは言いません。ですが『科学』の進歩は間違いなく人の為になるはずですよ」


「弟が甥のお前に権力を渡さなかったわけが、今ならなんとなくわかる。お前は怖い男だ」


「誉め言葉と受け取っておきます。で、研究の方ですが」


「……認可しよう。アイソンは、もっと強くならねばならん」



 ありがとうございます、と、ハインマンはこうべを垂れた。



☆☆☆



 一夜明けて、騒動は収束へと向かっていた。

 記憶食いに寝かされた人は、一部を除いてほとんど夜のうちに目を覚ました。まだ寝ている者も、根源がいなくなったことでそのうち起きるのではないか、というのが魔法学校の見解だった。


 王はルナリアたちを城へと招き、感謝の式典を開いた。

 三人には特別な武具が与えられ、アイソンが身分を保証する証の紋章が授与された。

 その席で、アイソン王は勇者ちゃんに、正式に勇者タカハシ探しを依頼した。王から新勇者への、初めての依頼だった。勇者ちゃんは、こくり、と頷いてその任を拝命した。


 プレイジディアムは、街の外に放置されたままだ。

 動きを止めた機体を技術主任たちが修理することになる。アドバイザーとして勇者ちゃんの母が、作業場に詰める。機体に書かれた文字など、まだまだ勇者ちゃんの母にしか読めない文字も多いのだった。勇者ちゃんの母は、その言語のことを「英語、日本語」と呼んでいた。


 森のキャンプがどうなったかというと、こちらもまたほとんどの人間が目を覚ましていた。グレイグはレイモンド司祭との約束通り、遺跡を放棄して街に戻ると宣言した。ストレングあたりが文句でも言い始めるかと思われたが、案外すんなりとその命令を聞く。彼らは独自にお宝をゲットしていたのだ、夜な夜なにんまりと、テントの中でお宝を開いて楽しんでいる。なぜなら彼らは盗賊だ。

 グレイグもそのことを知っていたが、「盗賊を雇う方が悪い、なぜなら物を盗むのが盗賊の仕事なのだから」と他人事のように笑っていたらしい。


 レイモンド司祭は、最後に友ともう一度握手をしてそのまま姿を消した。

 彼が歴史の表舞台に出てくるまで、まだしばしの時間が必要だった。束縛から解放された魔物の賢者は、初めての旅に出た。遠く遠く、まだ見ぬ世界の秘密を求めて。


 姿を消した、といえば、ルナリアもその姿を消していた。

 どこに行ったのか、ようとして知れない。エリンもフィーネも何も聞いておらず、舞い込む仕事の扱いに手をこまねいていた。

 そのうち勇者ちゃんが勇者タカハシ探しの旅に出ることになって送別会が開かれたり、キャンプから帰ってきたグレイグやストレングがルナリアの顔を見に来たりしたのだが、結局会えた者はいなかった。



 こうして一か月ほど経った、ある日。



☆☆☆



「ええぇー? もうこの街に居ない!?」



 故郷からアイソンに帰ってきた私は、着の身着のままバックサックを抱えて呆然とした。



「いやいや早すぎるだろ、もう旅に出ちゃったというのか!」


「わたくし思うに、ルナリアさんがどこに行くのか誰にも伝えず、姿を消してしまったのが悪いのではないかと」


「誰にも伝えず!?」



 私はビックリした。エリンに伝えていたはずだったからだ、一度故郷に帰って墓参りをしてくる、と。あいつ酒でも飲んでいたか、寝起きで頭がカラッポだったか。



「わたくしにそんなことを言われましても……」



 と困った顔をしているのはフィーネ君だ。



「というかキミ、一緒に行ってなかったのか」



 エリンは勇者ちゃんに付いていったという。勇者ちゃんに付いていけば、また勇者の武具やお宝に巡り会える可能性は高いだろう。そんなチャンスをフィーネ君が見逃すはずはないと思ったのだが。



「わたくしも一緒に行ってましてよ? 何日かに一度、アイソンに戻っていただけで」


「……? アイソンに戻ってた? なんで? どうやって?」



 フィーネ君はクスクスと笑うと、どことなく胸を張って答えた。



「あとからルナリアさんを拾う為に、移動魔法で、ですわ?」



 移動魔法? 確かフィーネ君は使えなかったはずだが、いつの間に?

 そう思って尋ねると、フィーネ君はこう答えた。



「勇者ちゃんに、教わりましたの」



 私は思わず口をあんぐり。

 勇者ちゃんが、いつの間にか他人に魔法を教えるまでになっていた。その事実に驚愕した。勇者ちゃん自身は私がいないと魔法を使えないが、理論はしっかり覚えている。それでも、いやまさかこんなに早く、他人に教えるまでになってしまうとは。



「……私たちも、うかうかしてられないな」



 ですわねぇ、とフィーネ君は相槌を打ちながら、私の手を取った。



「ん?」



 私はフィーネ君の顔を見た。フィーネ君は満面の笑顔で、



「ではさっそく!」



 と私の手を取ったまま両手を広げる。 



「え、おいまて! それならちょっと準備してから、私は旅から帰ったばかりで着の身着のままで、こら聞いてるのかフィーネ君! おいフィーネ!」


「移動魔法!」



 私は空に落ちた。



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おしまい。お付き合いありがとうございました。

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魔法使いと勇者ちゃん ちくでん @chickden

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