第23話勇者ちゃん

 何本目だろう、凝縮したエネルギーの火柱が立つ。杖を振るうたびに起こる爆発が、そいつを焼いていく。樹木で出来たウニのような塊のあいつだ。

 静かだった。頭の中が、シンと凍てついているようだ。先ほどまでの頭痛は、もうない。



「大爆発」



 そいつは床に張り巡らせた根を捨て、凄い勢いで上昇を始めた。

 逃がさん、と私が「跳躍」の魔法を唱え飛び上がる。

 縦穴の螺旋階段に着地し、「鈍足」の魔法を。そしてまた、大爆発。再び「跳躍」して、そいつより上に出て待ちうけた。


 枝の触手が伸びてくる。

 近づいてくる触手を全て、「セイバー」で切り裂いた。トゲの抜けたウニのようになったそいつの上昇が加速する。逃がさんぞ、と、三度「跳躍」を唱えようとした、そのとき。

 突然頭痛がした。なにかが聞こえてくる。

『護衛範囲外、警告』

 それはそう言った。『個体の逃亡を確認。護衛を優先』。


 意識がふっと途切れる。

 私は穴の底に落ちていった。



☆☆☆



 落ちていった私をキャッチしたのはエリンとストレングだった。

 そしていま、私はエリンに怒られている。あまり無茶をするな、と。

 正直なにをしていたのか、あまり覚えていない。

 逃げようとする記憶食いを追い掛けようとしたことは、なんとなく覚えているのだが、どうやって、どうしてそうしたのかが、よくわからない。


 私は座り込んだまま、ぼんやりと周囲を眺めた。

 床に這った木の根が燃えている、人が幾人も倒れていた。その中に一人、場違いに小さな人影。私は思わず立ち上がった。



「そうだ、勇者ちゃん! 勇者ちゃんは平気か!?」



 エリンが目を逸らす。

 ストレングが頭を掻いた。



「無事っちゃー、無事だけどよ……」



 勇者ちゃんを含め、記憶食いに眠らされた者は皆、声を掛けても身体をゆすっても起きないという。



「キャンプの奴らと同じだぜ」



 寝ている子分を担ぎ上げ、ストレングが首を振っている。私は勇者ちゃんの元に歩いていった。すやすやと、眠っている。思い出した、彼女は私を庇って睡眠攻撃を食らったのだった。

 エリンもフィーネ君に近づいていった。あちらも眠っている。他には先遣隊の皆が眠ってしまっている。壊滅と言ってもよい状態だった。



「……まだ寝たばかりだ。夢が深くなる前なら、起こすことも出来るかもしれない」



 レイモンド司祭が額の脂汗を拭きながら、こちらに近づいてきた。

 皆がレイモンド司祭に注目する。私もレイモンド司祭の次の言葉を待った。



「夢の中に入り込んで、引き戻してくればいい」


「夢の中に入り込む……?」


「うむ。ルナリア君なら聞いたこともあるのではないかね? 寝言と会話する、という奴だ」


「あ、なんか聞いたことある。そういやルナリアそんなこと言ってたな」



 エリンが顎に手を添えて小首を傾げている。

 確かにそういう話は知っているし、語ったこともあるかもしれない。だが、あくまで御伽噺としての知識だ。私はレイモンド司祭にそう言った。



「こういう特殊な睡眠は、寝ている者にとって自分の内と外界との境目があやふやなのだ。外からでも強く望めば、同調できる。寝言との会話は同調に向いた儀式の一つ、決してただの御伽噺ではないよ」



 言いながらレイモンド司祭は、懐から出した表面が荒い紙に羽ペンを走らせている。出来た、と我々に渡してきたのは、ルーンの混ざった護符だ。これで夢と外界の堺を越えられるかもしれない、と。

 私たちは担当を決めて夢に潜ることにした。

 エリンがフィーネ君、ストレングが子分を、子分たちは先遣隊の皆を。そして私が勇者ちゃんを、それぞれ担当する。レイモンド司祭は残って私たちの身体を見ておくとのことだった。



「夢の奥に入り込みすぎないよう注意したまえ」



 レイモンド司祭の言葉を受けながら、私たちはそれぞれの相手の前に座り込んだ。



☆☆☆



 横たわっている勇者ちゃんの顔を見ている。

 さて、どうしたものか。

 取っ掛かりがわからず、私は周囲を見渡した。

 横で座っていたエリンと目が合った。エリンもまた、フィーネ君を前にして、どうしたらいいのかわからずにいたのだろう、目が合うと、えへへ、と笑って頭を掻いていた。

 夢に入っていく。

 なんだか突飛な話すぎて、どことなく照れ臭い。

 まるで御伽噺の中に居るみたいな気がしてしまうのだ。


 こんな気持ちでは到底成功するとは思えない、どうにかして切り替えないと。

 切羽詰まった状況なはずなのに、そんな呑気さで居てしまう自分を呪う。もっと真剣にならなくては。不真面目だ。



「え、なんだって? お金?」



 フィーネ君の唇に向けて、エリンが耳を寄せた。



「むにゃむにゃ……、そうお金。お金がたくさん」


「ホントお金大好きだなフィーネ」


「銀貨一は軽い銀貨十もまだ軽い銀貨百はちょっと重いけど、代わりに足取りが軽くなる」


「なに言ってんだ?」


「銀貨千は凄く重いはずなのに、不思議と一銀貨よりも軽く感じるの、なぜなら心に羽が生えるから。心の翼が羽ばたくと、どんなものでも軽くなっちゃうこの世界、とっても不思議」


「おまえホントに寝てんのか!?」


「むにゃむにゃ」



 エリンが寝てるフィーネ君と小噺をしている。私はついクックと笑ってしまった。



「寝ててもフィーネ君はフィーネ君だな、エリン」



 思わずエリンに声を掛けた。が、エリンの反応はない。



「……エリン?」



 突然。

 横たわったフィーネ君に重なるように、エリンがうつ伏せた。

 んがー、んがー、と、エリンは寝ている。エリンの手にした護符が、淡く光っていた。

 夢の中に入ったのか? 本当に?


 私は勇者ちゃんの寝顔を見た。

 私に、あのようなことができるだろうか。

 エリンは誰に対しても壁がない。屈託なく誰とでも接していける。だからこそ、こういった場面でもすんなり相手と同化できたのではないだろうか。

 私にエリンのような真似ができるだろうか。

 私なんかが誰かと同調なんて出来るのだろうか。エリンであれ、フィーネ君であれ、たとえ勇者ちゃんとであれ。夢を、心を共有するなんて、私には自信がない。

 自信がないのだ。



「……どうしような、勇者ちゃん」



 思わず呟いた声に自嘲の色が乗っていた。

 こんなときなのに、誰かに相談したい気持ちだ。そしてその相談でさえきっと本気ではないのだ。私の本気とは、どこにあるのだろう。



(大丈夫だよ)



 と。

 きっとそれは空耳だ。だが、なにかが囁いてくれたような気がする。

 大丈夫かな? と私は問いかけた。



(大丈夫だよ)



 やっぱり囁き返してくれる。



(大丈夫さ)


(大丈夫ですわ)



 エリンと、フィーネ君の声も聞こえた。

 ああ、これは夢だ。夢を見てる。なぜなら大丈夫な気がしてきたから。

 闇の中に落ちていくような感覚が心地良くて、全身から力が抜けてゆく。

 私は勇者ちゃんの夢の中に落ちていった。



☆☆☆



「おとうさんは嘘をついた」



 勇者ちゃんが目の前の男の人に、少し強い口調で言った。



「こんどおしえるから、あしたおしえるから、ちゃんと剣をおしえるから、いつもいつも嘘だった」



 口調は強めだが、その顔は無表情のままだ。

 言葉を受け取った男は旅装束。男は怒るでも謝るでもなく、傷だらけの顔の無精髭をツルリと撫でて笑った。



「おいシズク! コトネが声を荒げたぞ!?」



 頬を膨らませている勇者ちゃんに構いもなく、そう言ってハシャいでいる。



「おとうさんはフキンシン」


「フキンシン? きっとそれは用途が違うが、そうとも俺は不謹慎! だからなコトネ、俺のようになっちゃいかん!」


「もういい、おとうさんになんか頼らない。うそつきはキライ」



 勇者ちゃんが男にひのきの棒を投げつけ、そのままどこかに走り出す。



 ――。

 世界が真っ白になっていった。

 白濁していく私の意識の中に流れ込んでくるのは、その後の顛末だ。

 この日、勇者ちゃんのお父さん「勇者タカハシ」は長い長い旅に出た。「おとうさんはどこにいったの?」と聞く勇者ちゃんに、勇者ちゃんの母君は言う。



「あの人はね、これまでも王さまに頼まれた危険な仕事をずっとしてきたのさ」



 戦争で身体が不自由になった勇者ちゃんの母君の分も埋め合わせるように、一人でずっと。



「だからおまえには『勇者』なんかになって欲しくないんだ」



 それを聞いて勇者ちゃんは拳を握った。

 私の中に、勇者ちゃんの心が流れ込んでくる。それならそれで、と勇者ちゃんは憤っていたのだ。それならちゃんとそう言ってくれれば、と勇者ちゃんは苦々しく思った。別れ際にあんなひどいことを言わなかったのに、と。


 真っ白い世界のどこかで、勇者ちゃんがうずくまっている。

 私の心にお婆さまのことがよぎった。私もまたお婆さまに対して後悔を続けている者だ、だから勇者ちゃんに掛けられる言葉がない。手を差し伸べることができなかった。

 うずくまる勇者ちゃんの背中を眺めているだけの私。

 私が無力感に溺れていると、勇者ちゃんはすぐに立ち上がった。



「え……っ?」



 私は驚きの声を上げてしまった。

 勇者ちゃんは自己流でひのきの棒を振り回して、街の外に出ていったのだ。毎日リッカリスに負け続けて周りに笑われても気にせずに、とにかく立ち上がっていた。

 勇者ちゃんは決めたのだった、父を追い掛けると。会ってちゃんと話すと。謝りたいことは謝ると。

 私は勇者ちゃんの強さに、思わず目を逸らした。

 しかしそんなことは無駄と言うように、私の頭の中には勇者ちゃんが一人で頑張る姿が流れ込んでくる。


 やめてくれ、と思わず呟いていた。

 勇者ちゃんの頑張る姿を見せられれば見せられるほど、私の胸が苦しくなる。勇者ちゃんは頑張れる人だ。それに比べて、私は。


 耳を塞いでみても、勇者ちゃんの夢は続く。

 いつの話だろうか、勇者ちゃんのお父さんからお母さんに手紙が届いた。

 その手紙を勇者ちゃんは母に内緒でこっそり見た。

 封書の中に石のカケラが入っていた。移動魔法の目的地を覚えている石だという。

 いま勇者ちゃんのお父さんは、その場所にいるらしい。


 ポケットに石のカケラ。

 家から勝手に持ちだして、勇者ちゃんは飛び出した。これを使って移動の魔法をやって貰えれば、お父さんに会えるかもしれない!

 勇者ちゃんは王さまのところへと行った。

 王様はお父さんを探していたので、勇者ちゃんの話を聞き力を貸してくれた。だが。


 その石を使える魔法使いは、王宮に一人もいなかったのだ。

 魔法使いたちの話では『勇者の武具』同様、勇者の系譜にしか石のチカラを引き出せないのでは、とのことだった。

 とぼとぼと家に帰りついた勇者ちゃんは、お母さんに怒られた。

 石を取り上げられて、ご飯抜きになった。その夜はお母さんもご飯を抜いた。それがつらくて勇者ちゃんは謝った。ごめんなさいと謝った。


 それでも。

 勇者ちゃんは諦めない。今度は自分で魔法を覚えようと思った。勇者ちゃんは諦めない。後悔の心をエネルギーに変えて、前へ前へと歩こうとする。

 勇者ちゃんの強さが眩しくて、私は目を逸らした。私は諦めてしまったのに、と歯噛みしながら耳を塞いだ。

 勇者ちゃんは強い。私なんかよりも、よっぽど。



(そんなことないよ)



 頭のどこかに声が響いた。



 ――あ。

 目の前の光景に私はビックリした。私がいた。勇者ちゃんの前に、私がいた。

 酒場の中、銅貨を八枚。テーブルに広げている勇者ちゃんの姿があった。そこには私も一緒にいる。



(ちからを貸してくれたから)



 勇者ちゃんを大男、――ストレングから守る私の姿。

 一緒に遺跡探索をして魔法の教本を勇者ちゃんに渡す私の姿。

 ぴょんぴょん跳ねてる勇者ちゃんの横で酔っぱらってる私。



(おねえちゃんがいてくれたから)



 ――。

 勇者ちゃんの心が、もっともっと私の中に流れ込んでくる。



 本をかりた。

 かりた本を毎日開く。まいにち抱いて寝た。

 はじめての魔法のべんきょうは、とてもたのしい。しらなかったことが自分の中に入ってくるのは、たのしい。

 楽しい。たのしい。たのしくて、うれしい。


 ああそうだ、楽しいだろう?

 それはお婆さまが残した本だ、私が発火を覚えた本。

 勇者ちゃんの中のたのしさと、私の中の楽しさが、ないまぜになって溶けていく。どろりどろりと、抱き合って。時に背中合わせになって融けていく。

 勇者ちゃんが魔法の本を、宝物のように抱きしめて寝ていた。そうだ勇者ちゃん、いつでも本と一緒に暮らすんだ。魔法のことを考えて眠り、魔法のことを夢みて起きるんだ。


 ぴょん、ぴょん、とジャンプ。

 どうやって飛ぶのかな? とおもって跳んでみた。ぴょーん、と、とんでみてたら、ほめられた。ほめられたのでたかくとんでみたら、ころんじゃった。いたいけど、うれしかった。

 本にかいてあることがわからないと聞きにいったら、ほめられた。うれしかった。剣も教われることになってうれしかった。いっしょにぼうけんに連れていってくれてうれしかった。

 たのしい。まほうを教わるのも、剣を教わるのも。おねえちゃんたちと一緒にいるのが、たのしい。一緒にいられるのが、うれしい。



 ――いくらでも教えてあげるから、勇者ちゃん。

 

 私は手を伸ばした。私なんぞが勇者ちゃんに手を差し伸べてもいいのかな? と自問しながら、やっと伸ばせた手。

 だけど届かない、もうちょっとのところで勇者ちゃんには手が届かない。


 ――だから起きようよ勇者ちゃん。


 指の先まで伸ばして、勇者ちゃんの後ろ姿に追いすがる。 


 ――おねえちゃんは、どうなんだろう


 こちらを振り返らずに、勇者ちゃん。


 ――おねえちゃんは、たのしい?


 楽しいよ。魔法を教えるのが楽しいよ。笑顔を見るのが楽しいよ。一緒に食事をするのが楽しいよ。一緒に冒険するのが楽しいよ。一緒にいるのが楽しいよ。

 勇者ちゃんがこちらを振り返って笑った。



「おねえちゃんもたのしいなら、とてもうれしい」



 と。

 私は勇者ちゃんの手を引っ張った。

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