第22話記憶の井戸

 結局あれからゴーレムを何機倒したか。

 侵入者撃退用のゴーレムを排除しながら、私たちは先に進んだ。

 

 やがてたどり着いたのは、広い自然窟の中にある大きな縦穴だった。穴の直径は三十メートルはあろうか、大きく深く、底が見えない。穴の内側側壁には、木と縄で作られた下り階段が螺旋状に続いている。



「ここは沈んだ記憶をエネルギーとして利用する為の古い魔法施設。ここから先は記憶の欠片に注意するのだ。自分をしっかり持たないと取り込まれてしまうかもしれない」



 レイモンド司祭は指輪を外すと、一人一人に精神強化の魔法を掛け始めた。敵対的魔力の影響を受けにくくする魔法だ。私もレイモンド司祭にならい、近くにいる者から順に精神強化を掛けていく。


 私たちは大穴に近づいた。

 ストレングが穴の淵から手ごろそうな小石を投げ込んだ。しかし小石は、音もなく闇の底に吸い込まれていくだけだった。



「こりゃあ深いな」


「底が見えないでやんすねぇ」



 ストレングと子分が大穴を覗き込みながら腕を組んでいる。



「どーするルナリア、皆の身体をロープででも結んでおくか?」



 と、バックパックからロープを取り出すエリン。



「いやそれだと何かに襲われたときに却って危険だ。私と勇者ちゃんの身体だけ結んでおいてくれないか?」


「あいよ」



 ストレングたちを先頭に、私たちは一列になって縦穴を下り始めた。

 縄で固定された板の階段に足を置くと、ギシリと音が鳴る。



「木がボロボロですわね……」



 フィーネ君が不安そうに言った。



「だが縄は頑丈そうだ。この材質、普通の縄じゃないな」



 光沢のある不思議な縄だった。ギシギシと音こそ不安になるが、見た目よりは丈夫な足場なのかもしれない。


 巨大な縦穴を、螺旋状の階段に沿ってくるくる下りていく。

 壁に左手を添えながらゆっくり下りていく。

 ふと気づいたが、壁にはギッシリとルーンが刻まれていた。なるほどレイモンド司祭の言う通り、この大穴は魔法施設なのだ。


 どれくらい下りたであろうか。

 やがて白い霧のようなものが出てきた。視界が薄っすら白くなる。白い世界の中に、ときおり雲のような濃い霞が浮かんでいた。



「きゃっ!」



 とフィーネ君が小さく飛び上がった。



「どうしたね? フィーネ君」


「い、いま横に誰か居たような……」


「なにを馬鹿なことを」



 そう言った私の視界の端に、一瞬人の影がよぎったような気がした。



「誰だてめえっ!」



 前の方でストレングが声を上げた。



「どうしたストレング!」


「ルナリアか!? 誰か居やがるぞここ!」


「落ち着きたまえ、人ではない」



 レイモンド司祭が落ち着いた調子で言った。



「君たちが見ているのは記憶の影だ」



 私の目の前に、人の影がよぎった。横に人の影がよぎった。気がつくと、頭上にも人の影がある。遠くにも、近くにも、そこかしこに人の影があった。

 万華鏡と呼ばれる玩具がある。

 筒の内部で鏡を組み合わせ幻想的な絵面を作り出す筒なのだが、丁度あんな感じに、人の影が現れては消えて、現れては消えてを繰り返していた。白い霧の中で、人と人の影が重なり合わさるように動いている。

 面白いことにそれらの影は、目を瞑っても瞼の裏で動いているのだ。

 集中してみるとアイソンの朝市のような雑踏にいるような音が、耳の奥から聞こえてくる。

 ざわざわと、忙しそうな、楽しそうな。

 私は雑踏を眺めながら、ひとりぼっちでリュックを背負っていた。

 学校へ行こう。

 お金が残っているうちに、入学の手続きを。住む場所を探すのはそれからだ。

 昨晩の雨が道端に水溜りを作っている。

 今朝は晴れていた。

 ロクでもない昨晩だったけど、気持ちを切り替えていこう。


 

「おいルナリア!」



 はっ、と。

 誰かに意識を呼び戻された。

 


「危ないぞ、ぼんやりしてるな!」



 エリンの声だった。



「あ、ああ。すまんすまん」



 気がつくと、勇者ちゃんが私の手を握っていた。



「ごめんな勇者ちゃん、心配かけてしまって。もう大丈夫だよ」


「勇者君、そのままルナリア君の手を握っていてくれたまえ、彼女はどうやらこの場に弱いようだ」



 後ろからレイモンド司祭が声を掛けてくる。

「別にそんなことは……」と反論しようとしたが、勇者ちゃんがキュッと手を握りなおしてきたので、途中でやめた。

 白い霧の中を眺める。

 相変わらず、人の姿が見えたり消えたり。ここは不思議な場所だ、胸の奥がざわつく。落ち着かない。

 先頭で階段を下りているストレングが、大きく腕を振り回した。



「ええい、影だかなんだか知らんが、煩わしいったらありゃしねえ!」



 ストレングがひとしきり騒いだあと、私たちは再び、黙々と螺旋の階段を下り始めた。

 ギシ、ギシ、と。

 足で木を踏みしめたときに鳴るロープの音だけが白い霧の中に溶けていく。

 どれだけ縦穴を下りてきたのだろうか、やがて私たちは穴の底についた。



「ひゃー、やっと底か。足元のふわふわした感触が抜けやしない」



 エリンが大きく伸びをする。

 ずいぶん長時間足元が不安定だったので、しっかり踏みしめられる足元が嬉しい。私も軽くトントンとジャンプした。



「霧も随分濃くなったな」



 勇者ちゃんと身体を結んだロープをいったん外しながら、周囲を眺めてみる。瞼にうつる人の影はだいぶ減っていた。ただ、霧自体がなにか粘質を持った素材のように、身体に纏わりついてくる。

 中央に台座があった。

 人が一人、寝られるくらいの大きさの台座だ。ルーンが彫られている。



「ここは沈んでいくエネルギーを活用するため、様々な実験が行われてきた実験場だ。記憶の操作や意識の探索といった精神的なものだけに限らず、肉体的、魔法的なエネルギー活用なども研究されていたらしい」


「けっ、小難しい話をしやがる」



 レイモンド司祭の話にストレングが唾を吐いた。

 レイモンド司祭は台座の上に自分の杖を置き、なにやら呪文を唱える。



「つまりこういうことだよ」



 と、杖を拾い上げるや否や、ストレングに向かって杖を振りかざした。ストレングが咄嗟に杖を斧で受ける。――が。



「うおおっ!?」



 ストレングの隆々とした筋肉に支えられた下半身が、カクンと砕けそうになった。大斧でレイモンド司祭の杖を受けたものの、力負けしているのだ。



「これは単純な、力としての活用。まだこの白い霧の中でしか効果がない程度のものだがね」



 研究が進めば面白い力になるだろうね、とレイモンド司祭は杖を持ちあげた。納得いかないという顔をしたストレングが、「もう一回だ!」と騒ぐ。レイモンド司祭が杖を下げた。「ぐおおっ!」とストレングがまたうめく。完全に力負けしていた。



「とまあ、時間も持たぬ程度の技だ。今のところ実用性は皆無だな」



 ストレングがレイモンド司祭の杖を弾き飛ばした。



「ここが遺跡の一番奥なのでしょうか?」



 飛ばされたレイモンド司祭の杖を拾いながら、フィーネ君が問い掛けた。

 レイモンド司祭はフィーネ君から杖を受け取ると、ゆっくり頷く。



「そうだ。ここが最奥、そして私たちの戦場だ」


「戦場ですか?」


「記憶食いの住処、と言えばわかりやすいかね?」



 白い霧が上空で渦巻いていた。

 霧が吸い込まれるように一点に集中し、濃い濃い乳白色の塊になっていく。

 乳白色の塊から稲光が走った。ピシャン! と音が弾ける。



「くるぞ。ルナリア君、フィーネ君、皆に武器強化の魔法を」


「は、はいっ!」



 固まっていく霧の中から放射状に、樹木の根のようなものが噴き出してきた。干からびたその根はグネグネと絡まり合い、無数の触手のように動き出す。

 空中に浮かんだそれは、樹木で出来た巨大なウニのような姿をしていた。

 


☆☆☆



 エリンとストレングが走り出した。

 魔法を帯びた剣と斧が、白い霧の中でぼんやり青白く光っている。

 根で出来た触手が二人に伸びる、エリンはかわした。ストレングは掴まった。

 かわしたエリンが記憶食いの本体へ向かい、ストレングはその場に残る。ストレングの子分たちが、ストレイグに絡まった触手へと斬りつける。

 遅れて、先遣隊の隊長たちも前へ出た。こちらは隊列を組みながら記憶食いの後方へと大きく回っていく。



「爆発!」



 私は後方から魔法を一発。

 樹木が燃えるが、燃えた分だけ新しく枝や根が伸びてくる。再生力が高いとでもいうのか、ダメージを受けているのかいないのか、見た目では判断できなかった。



「大丈夫だ、ダメージにはなっている」



 レイモンド司祭が小さな声で私に告げた。本体がダメージを受けると、自分の腕がチリチリ痛むのだと言う。



「ここより私は戦力にならない。君たちに全て任せる」



 そう言うレイモンド司祭の眉間には、深い皺が寄っていた。

 額に脂汗が浮いている。



「記憶食いの本体に呼ばれるのだ。だから私は、抵抗せねばならぬ」



 叫び声が響いた。

 後ろの回り込もうとしていた隊長部隊に、無数の枝触手が伸びていったのだ。避けきれぬ者が、一名。枝に巻き取られ、宙へと持ち上げられた。

 私は勇者ちゃんの手を握った。



「勇者ちゃん、あそこだ!」



 と、持ち上げられた彼を支える枝を指差して、杖を構える。勇者ちゃんも剣を構えながら集中する。

 パン! と勇者ちゃんの発火が炸裂した。ドン! と私の火爆も後を追う。

 千切れとんだ枝状の触手が、空中でウネウネと暴れる。

 持ち上げられていた彼は、そのまま床に落ちた。

 肩を打ったようだが、まだ平気そうだ。「助かる!」と立ち上がり、自身に巻き付いた枝を斬り払う。



「こんにゃろーっ!」



 エリンの剣が青白い軌跡を描いている。

 接近戦だ。本体の球状根塊に密着して、彼女は剣を振っていた。

 エリンに絡みつこうとする枝触手が、何本も何本も追いすがってくる。それら全てを避け、斬り、踏みつけ、時に足場にして、エリンは舞っていた。


 エリンが斬りつけた場所に向かって、勇者ちゃんと一緒に魔法を細かく連発する。

 炎が枝を焼いた。木の燃える匂いが充満する。

 記憶食いの背後から近づいていた隊長たちも、本体に斬りつけた。


 それぞれがそれぞれに頑張っている。フィーネ君は最高の大回復をタイミングよく展開するべく、ウロチョロ位置取りをしている。サボっているわけでは決してない。たぶん。



「大・回・復ー!」



 回復魔法が掛かると肉体が活性化され、動いていても呼吸が楽になる。エリンもストレングも隊長たちも、動き続ける為にフィーネ君の回復魔法は大事なのだ。


 余裕さえあるように思えた。

 少なくとも体制は整っている、このまま戦えばいずれ勝てるのではないかと。

 だからフィーネ君が突然床に転がったときは、また手を抜いているものだと思ってつい声を上げてしまった。「サボってるんじゃない、フィーネ君!」と。

 しかしフィーネ君はさぼっているわけではなかった。

 寝ていたのである。


 

☆☆☆



 隊長の部下が突然床に転がった。

 ストレングの子分が一人、やっぱり床に転がった。

「おいどうした!」とストレングが子分を支える。「寝てるでやんす!」

「起きろー!」他の子分たちが騒ぐ。



「どうなってやがんだルナリア!」



 ストレングがこちらを向いて叫ぶが、私にもわからない。



「雲だっ!」



 エリンが記憶食いからいったん距離を取って剣を構えなおした。



「霧に隠れてわかりにくいけど、なんか雲が飛んでる! それに触れたら眠っちまうぽいぞ!」


「う」



 と呟いて、先遣隊の隊長が転がる。

 確かに雲だ。白い霧の中にうっすらと、雲の塊のようなものが浮いていた。じっくり見ればわかる、といったものだ。身体を動かしている最中では、見えないに等しい。厄介だ。



「寝た者を端に移動させよう! エリン、援護頼む!」



 こちらの頭数が一気に減った。

 そのせいで襲ってくる枝触手の本数が増えたようだ、エリンが苦戦している。防戦一方になった。

 記憶食いの恐ろしさは物理的な攻撃ではなかったのだ。この睡眠攻撃は、かなり性質が悪い。何人いても気がつけば戦力は半減してしまうことだろう。

 私はリタイヤ要員を速やかに端へと移動させて、戦線に復帰しようとした。そのとき、ふと気がつく。

 いつの間にか、床に根が張っている。見れば、記憶食いの触手が床に伸びていた。知らぬ間に根を広げていたようだ。

 イヤな予感がして、背後に跳び下がろうとした。瞬間。



「あぐっ!」



 肉をえぐられた灼熱感で、視界が瞬く。

 床から鋭い根の束が針状に伸びあがり、肩をえぐっていった。



「大丈夫かルナリ、――うわっ!」



 エリンの叫び声。

 床からまた、鋭い根の束が伸びあがった。上から触手、下から鋭い根。私は咄嗟に転がった。転がりながら、火爆で根を吹き飛ばす。視界の端で、勇者ちゃんが光の剣で根を刈っていた。

 私は立ち上がった。

 勇者ちゃんに倣い、根を刈ろうと杖を構える。


 突然。

 ドン、と背中を押された。

 私は前のめりに、つんのめった。振り向くと、そこには勇者ちゃんがいた。勇者ちゃんが私を押したのだ。



「勇者ちゃ……?」



 白い雲が、勇者ちゃんに絡みつく。

 勇者ちゃんの膝が砕けた。手から剣が落ちる。まるで糸の切れた人形のように、勇者ちゃんの身体が床に向かって崩れ落ちていった。



「――!」



 頭が痛い。急な割れるような痛みに、思わず頭を手で抱え込んだ。

 なんだ? なにかが聞こえる。内からずくずくと、傷が広がるような痛みと共に何かが聞こえてくる。『――認識』と。

『護衛対象、認識』と。



「あ……っ、がっ! あああああっ!」



『敵性個体、発見』、と。

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