第3話賭けの行方

 私を後ろから羽交い絞めにした大男が得意げな声を上げた。


「正面きっての攻撃は全て耐えきる、それが俺の美学よ。さあ次は何をする? ドンとこい!」


「ドンと行ってやるから、この手を離せ!」


「わっはっは、残念それはできねぇ!」



 足元に床がない、完全に抱え上げられてしまった。

 足をジタバタ動かして抵抗を試みる私は、後ろから羽を掴まれた鶏みたいなものだ。手の中に杖もなく、肉体的苦痛で集中が削がれて呪文も練れない。特に絞められた喉が苦しい、まさぐられる胸が痛い。

 ――って、えっ?



「ば、馬鹿もの! なにをしてる!?」


「なにって、ギャラリーにサービスをな」



 羽交い絞めのまま担ぎ上げられて狭くなった視界。そのギリギリ見える部分で、大きな手が蠢いていた。大男が私を拘束しながら器用に腕を伸ばし、衣服の上から胸を揉みしだいている。



「ふうむ、確かにナイスボディ、ベリーグラマラス」


「わーっ、こら! いい加減にしろ、この! このっ!」


「おいおい、はしたないぜ。そんなガニ股で足をジタバタさせて、ついでにスカートの中もギャラリーにサービスか?」


「――白」「いいぞ姐さんっ!」「頑張れ大男!」


「きっさまら~」



 下品な口笛で囃したてる奴らを一瞥。バーテン君が柱の陰から心配そうな視線を向けていた。



「ほれほれ、俺も揉みたいって奴は名乗りでろ。気前良くお裾分けだぜ!」



 場のノリで許されると勘違いしてそうな男どもが幾人か挙手をした。しかし私が「殺す、近づいたら絶対殺す」と念を込めながら個別に睨みつけることで、次々に手を下ろしてゆく。



「おいおーい、いいのかてめえら。こんないい乳、そうそう揉むチャンスねーぞぉ?」



 ふらり、と。

 そのときギャラリーの中から、身なりの良い長身の男が一歩前に踏み出した。



「……なんだ、おめえ?」



 と、怪訝そうな声で、大男。


 ジロリ睨みつける私。

 私たちの問いかけに、男はにっこり力強い笑みだけで返す。どこぞの貴族だろうか、口髭と顎髭に品があった。細く笑った目の奥で、その瞳の力が強い。煙草の煙にまみれた酒場なんぞには、およそ似つかわしくない中年色男だ。

 男は組んでいた腕をほどくと頭を掻いて、



「いや、揉みたいと名乗り出て良いか? とな」


「良いわけないだろう! あっちいけー!」



 ――撤回。

 あの髭は品のないスケベ髭で、にやけたツラは脂ぎった中年笑い。私はペッペと唾を吐いた。エンガチョ来るな、あっちへ行け――もがもが。



「ほれほれ、ちょっと黙れ」


「もがーもがー!」



 口を塞がれてしまった。くそう、悔しい。あのとき足さえ掴まれていなければ、捕まりなんてしなかったはずなのに!



「わはは、男前なツラはムカツクが、欲に正直な奴は好きだぜ! さあ存分に揉みまくれ!」


「ではありがたく」


「もがもがーっ!」



 髭男の手が伸びてきた。くそっ、ほんの少しでいい、隙があれば!

 ――。

 髭男の手が、私を素通りする。そのまま、私の背後まで伸び。



「――うほっ」



 と、声を上げた大男の動きが、一瞬止まった。

 私の身体を締め付ける力が緩み、口を塞いでいた手も外れる。なにがどうしたのか理解出来なかったが、私は夢中で行動した。



「痛ってぇーっ!」



 大男の指をかじり、次にカカトでスネを思いっきり蹴りつける。拘束を解き、ちらりと二人の方を見ると――。

 そこに広がっていたのは、髭男が大男の厚い胸板を揉みつける耽美な世界だった。



「なっ、なにしやがるてめえ!」


「なにって、胸を揉みしだかせて貰ったわけだが……」


「おおお、俺さまにそんな趣味はねえっ!」



 髭男の手を振り払う大男の怒声を背後に聞きながら、私は石床を転がるようにして距離を取った。

 私が立ち上がるのを見てから、髭男が豪快な笑い声を上げた。



「ははは! 俺にもない! まああれだ、少々歳を重ねてはいるが、それでも彼女は乙女だ。淑女にこんな真似をするのは感心しないな」



 顎髭を触りながら、たしなめるような声で髭の男。



「賭けのついた闘いにケチつける気かよ?」


「ケチというか、物言いをだな。俺の見立てでは、彼女はさっきの体当たりを避けれたはずだ。おまえさんの仲間が彼女の足を掴みさえしなければな」



 そうだそうだー、とギャラリーの声が続く。私に賭けた奴らの声だろう。



「ふん、そりゃー油断ってもんだろ」


「そうだ油断だ、闘いの最中に気を抜くなんて未熟さでしかない」



 髭の男がにやりと笑った。その指が大男を指している。



「つまり、今のおまえの事だ」


「ええい、ごちゃごちゃヤヤコシイ! 結局女を助けたかっただけじゃねーのかぁ!?」


「バレたか。いや小遣い全てを彼女に賭けてしまってね、おまえさんに勝たれたら困るのさ」



 今度は大男に賭けたギャラリーがブーブーと騒ぐ。

 二人の背後でギャラリー同士の言い合いが始まった。罵りあいが掴みあいにまで発展しそうになったそのとき、



「あっはっは、まあ許せ!」



 髭の男は酒場中に響き渡る豪快さで笑いながら、パンと大きく手を叩いた。



「どちらにせよ、このまま彼が勝っても物言いは出たさ。出なければ、俺が出した。終わったあと全てがパーになるほど詰まらん結果はないだろう?」



 強引な言い草でギャラリーの声を押し込め、パン、パン、パン、パンと手を叩き始める。



「さあリズムを刻め、おまえたち!」



 高らかな声と共に続く、力強い手拍子。



「手を叩け! 石床を踏み鳴らせ! 木皿を叩け! 仕切りなおしだ、盛り上げろ!」



 とまどっていたギャラリーが、釣られるように一人、また一人と音を合わせ始める。

 ドンと石床を踏みしめ、コンと木皿を小突き、パンと両手を鳴らす。髭の男の音頭と共に、酒場が再び闘技場になってゆく。



「……ふざけた奴だぜ」


「そう言うな。酔いも醒めてきただろう、真の力を示す機会に恵まれたわけさ。俺もぜひ見たいね、おまえさんの頑丈な肉体ってやつを」



 ふん、と鼻息で応える大男は、言われて満更でもなさそうにこちらへと視線を移した。



「よしきやがれ、敗者復活戦」


「誰が敗者だって? 油断したものだな、お・た・が・い・に!」



 私は杖を拾いあげ、髭の男を一瞥。



「感謝などせんぞ、スケベ髭」


「素直じゃないのは狭量と未熟さの表れだぞ?」


「ふん」



 私たちの再戦に場を譲るため、髭男が下がってくる。すれ違いざま髭男は目を細め、ニィと笑った。

 ――むにょり。

 不意に伸びた手が、私の胸を揉む。



「――なっ!」



 二回、三回と揉みつけ、素早くギャラリーの中に紛れ込む髭男。



「はっはっは、名乗り出た甲斐があった。どうせなら自身の主導で揉まんとな」


「なにをするーっ!」


「わっはっは! また油断だな、低級魔法使い」



 大男の声に、酒場がドッと沸く。



「うるさーい!」



 そう言って声を上げた私の顔は、たぶん歳に似合わず真っ赤だったろう。

 八つ当たり半分に、私はジロリと大男を睨んだ。



「正面からの攻撃は耐え切るそれが美学――、おまえは確かそういったな!」


「おうよ!」


「次はなにをするドンとこい、とも言った。どうだ、次の魔法に耐えきれたらおまえの勝ちというのは?」


「わかりやすいのは好きだぜ。だがてめえ、それだけじゃ勝っても俺にはなにも旨みがねーな」



 大男が舐めるような目で私の全身を見回した。視線が意味するものはわかりやすい。



「私が負けたら一晩私を好きにするがいい」


「よし、のった!」



 締まりのない顔でこちらを見る大男から、距離を取る。

 くだらないお喋りのお陰で、魔力を練る時間は十分作ることができたのだ。



 次の魔法は大物だ。悪いなバーテン君、後片付けはきっと大変に違いない。いやそれ以前に。



「――運が悪ければ失業だ」



 たぶん今、私は笑っている。

 私も嫌いじゃないのだ、暴力が。

 大男は子供をからかうことでチカラを誇示した。私はそいつに魔法を使うことでチカラを確認する。

 立ち位置が一歩違うというだけで、私は大男となんら変わりない。チカラで他者を征服する。それは人間界における食物連鎖、本能が渇望する生の論理だ。


 腕力知力権力経済力。それらは人という個体が集まって形成する社会という密林で、互いに喰らいあう為のチカラだ。獣とは牙の形が違うだけの話。

 その中で私たちのような人間は、腕力という牙を研ぐことを選んだのだ。私の腕力は知識という名で、それは魔法と書いて暴力と読むこともある。

 ――ああ、だから今。

 私は笑っているはずなのだ。

 チカラの行使には快楽が伴う。なぜなら生き物としての強さを実感できるから。他者を飲み込み征服しようとするのが、生命だからだ。



「やべ、姐さんマジキレしてねぇ?」「おい、でかいぞ!?」「さがれさがれ!」


「ばかやろう、俺が耐えるって言ってんだろ、てめーら俺の背中に隠れてやがれ!」


「いいから逃げろって、意地張んな!」「か、勘弁してくださいよ魔法使いさーん!」



 ははは。騒げ、喚け、下がれ、散れ、好きにしろ。だが吹き飛べ。大魔法だ。大きな大きな破壊の塊。大爆発。



「だい、ばく、は……つ、だ!」


「あれはヤバい! 大魔法だぞ!」


「『うわああああ!?』」



 ――こつん、と。

 不意におでこを叩かれた。

 静寂が酒場に降りる。時が止まったかのように、誰も動かない。対峙した大男さえも、驚いたような顔のまま止まっている。

 私はパチクリと、目をしばたいてみた。

 視界に、棒。これはひのきの棒だ、小さな手が握っている。視界を下げると、そこには。



「……勇者、ちゃん?」



 背伸びして私の頭に棒を伸ばす小さな女の子が、私を見上げて口を開いた。



「――だめだよ?」



 と。

 初めて聞くその声が、意外にも落ち着いていたので。



「……うん、勇者ちゃん」



 思わず私は、頭を下げてしまったのだった。



☆☆☆



 ――。

 安堵の息が、酒場のあちこちで洩れる。

 私はというと、少ししょんぼりした気持ちで杖の先に付いた宝玉を弄っていた。

 祭りの収束を見てとった野次馬が、それぞれの席に戻っていく。音楽が流れはじめ、カードをテーブルに配る声や笑い声が戻ってきた中で一人、やり場のない怒りを口にする者がいた。



「なんだそりゃー! ふざけんなっつーの、賭けはどうした俺の怒りがマックスパワーボルテージ!」



 大男が斧を振りかざして、こちらに向かってくる。



「――あ」


「あ、じゃねー! くらえっ!」


「とぅりゃあーっ!」



 大男の倍の速度で走ってきたエリンの跳び蹴りが、大男の後頭部にめり込む。



「ぷぎゃっ」



 という悶絶の声は、今度こそ大男のものだ。



「よっしゃ、すっきり! 思い知ったか筋肉ダルマ!」



 倒れている大男の頭を気持ちよさそうに蹴たぐり、エリンがガッツポーズを決める。

 酒場に歓声が上がった。



 正面からじゃない、いわゆる不意打ちには美学を発揮する余地がないのだろうか。拍子抜けするほど大男は脆かった。

 にわかにまた集まりだしたギャラリーに笑顔で応えるエリン。ギャラリーの中にもガッツポーズをしている者がいた。彼は大穴のエリンで、さぞや儲けたに違いない。

 エリンが、こちらに笑顔を向ける。



「弱いものイジメなんてケチなことしてんじゃねえよ。――なぁ?」


「うん、ごめん」


「ん? どしたルナリア?」



 とエリンが首を傾げた。

 思いもかけず拗ねた声を出してしまった私は、慌てて口をつぐんだ。ともすれば尖ってしまう唇を気にしながら、目を逸らす。だって仕方ないじゃないか、なんてことをぼんやり考えながら逸らし続けた。

 いつまでも、どこまでも。

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