第26話 婚活始めました。


 城守さんと、最初に行った会社の近くの洋食屋さんに入った。


「今日は……どうしたんですか」

「どうってこともないんだけど……ちょっと様子見っていうか、話したいと思ってさ……。迷惑だった?」

「そんなわけないです……うれしいです」


 世話焼きな彼らしい理由に胸が温かくなった。

 城守さんはわたしと違ってものすごく気負いなくそんなことをする。


 久しぶりだったので、わたしはここ最近、瞬間的に連絡をしたいと思ったときのことをいくつか話した。

 改めて顔を突き合わせるとそのほとんどはかなり陳腐でくだらない用事ではあったけれど、彼は以前と変わらず聞いてくれた。


 食事はやっぱりおいしくて、ゆっくりと食べたけれど、あっという間になくなっていくような感覚がした。


「小鳩さん、どうしてるかなと思ってたから、元気そうでよかったよ」


 実際はそんなに時間は経っていない。ひと月くらいだ。だけど彼も同じように思ってくれていたのがうれしくて頷く。


「城守さんも、お元気そうで安心しました」


 安否を確認しあったあと、なんだか少し、お別れみたいだなと思った。


 わたしと彼の関りはある日突然ぷつんと糸が切れたように終わったので、改めて最後の挨拶をしているように感じた。

 わたしと彼は、もしかしたら友達付き合いをするには違い過ぎる。だから何か理由がないと会うのは不自然なものなのかもしれない。


 だからその食事は気まずくはないし、楽しいものではあったけれど、どことなく焦ったような落ち着かなさが自分の中にあった。


「もう少し話してもいい?」


 笑いながらそう言われて食事のあと、お店の近くの公園に入る。


 わたしの感じていたお別れの挨拶の感じはそこで増してしまった。


 夜の公園は寒くもなく、ただ気持ちがよかった。


 わたしと彼は端のベンチに並んで腰掛けた。月と星が出ていたけれど、彼の実家で見たものよりは少し見えづらい。


 どことなく、少し、現実感が薄くなる。


「とりあえず、あの婚約者のこと……小鳩さんが正しかった。先に止めてあげられなくてごめんね」


 城守さんが思わぬことを気にしていたのでびっくりした。


「いえ、わたし、実はあの瞬間も……祖父が亡くなるまでは、見なかったことにしていようかって……迷ってしまってました」


 少しタイムラグはあったけど城守さんが壊してくれたのには違いない。


「それに、結婚が嫌だったのはあの人自身がどうとかではなかったです」


 わたしはそのときすでに、ほかに好きな人がいたわけだから、拒絶反応も出る。

 そこは誰が相手でもきっと同じだったろう。


 いつからだろうか。城守さんは人見知りなはずのわたしが気がついたら砕けた会話をできるようになっていて、自然に連絡をとりたい相手になっていた。


 婚活の命題がないからなのか、せっかく公園で延長戦になったというのに珍しいくらいに沈黙が流れていた。


 わたしと彼はふわふわとした夜の中、昔会った人と旧交を温めるようにそこにいた。


 そうして、その時間はおそらくもうすぐ幕を下ろす。


 このまま帰っても、今日はいい日だったと思うだろう。

 でも、次に会うのはいつだろう。

 社内のイベントなんて他部署をひっくるめたものはそうないので、だいぶ先になる。そこで会ったときには今より距離が空いていて、関係はよそよそしくなってしまうかもしれない。

 それに、それまでわたしは廊下ですれ違う瞬間を待ちながら数か月過ごすのだろうか。いかにもわたしらしくて呆れる。


 わたしは彼を好きになった。

 忘れていたわけではないけれど、思い出してしみじみ顔を盗み見る。


 やはり、間違いなく好きだった。


 せっかくこうして会えたのだから、彼がその機会を与えてくれたのだから、わたしもがんばらなければならない。

 わたしが初めて自分から作りたいと思った人間との関わり。


 谷沢くんに言ったことを思い出す。

 このままだとどうせきっと消えてしまう。誰かを好きになる、そんな機会はわたしの人生におそらくそうないのだ。


 今、何か言わなければ、おそらくわたしは何年もあとまで、あのとき何か言えばよかったと思い続けることになる。


 決心を固めようと、ごくりと唾を飲み込む。なぜだか喉がカラカラだった。


 やっぱりまた今度にしようと脳内のわたしがささやく。

 出直して、言う言葉だって先にシミュレーションして来たほうがいい。わたしはこういったアドリブには弱いのだ。

 でも、先のばしにすると今度は機会を作るところからになる。


 六月の夜の風が頬を撫でて、時間だけが経っていく。


 一秒一秒が貴重なものに思えて、あとどれくらい隣にいてくれるかを考えて焦る。

 一度だけ行ったデートのときも、こうやって黙って座っていたけれど、わたしはこんなに焦っていなかった。


 わたしは、のんびりとした顔で会話を急ごうとしない城守さんの横で、忙しく考えていた。


 何か言葉を吐こうとするたびに心臓がばくばくとうるさくなって、極端に弱気な自分がどんどん顔を出してくる。

 自分には恋愛は向いていないのだから、ひそかに想うだけでもいいんじゃないのか、おじけづいてそんな考えまで脳に浮かぶ。


 そこをいさめたのは脳内の城守さんだった。


「だーいじょうぶだよ。さっさと何か言え」


 呆れた顔でそんなことを言う彼が浮かんだ。


 わたしはもう何度も、弱気なときにこうやって、こともなげに背を押されてきていた。だからすんなり顔が浮かんでしまう。


 脳内の城守さんに背を押され、現実の城守さんのほうを向いた。


 何を言おう。

 以前は気軽に会えたけれど、今では本当に、会う機会はぐっと減ってしまった。だからまた会いたい、それだけなのだけれど、どう言葉にしていいのかわからない。


 わたしは婚活していたときのように、彼とまた会いたいし話したい。


 そう思ったときに口から言葉がするっと出てきた。


「あの……」


 黙って空を見上げてぼんやりしていた城守さんが、わたしの声に「うん、なに」と言って顔をこちらに向けた。


「城守さん、わたし、最後に……もう一度だけ、真剣に婚活してみることにしました。手伝っていただけませんか」

「え、えぇ?」


 思ったより微妙な顔をされてしまったが、そのまま続ける。


「相手は……たとえていうなら、ハンバーグ王子です」

「誰……」

「城守さんです」

「……俺、ハンバーグなの?」

「汎用性の高さと守備範囲の広さから、妥当ではないかと……」


 城守さんはしばらく面食らった顔をしていたけれど、やがてくすくす笑い出した。


「……いいよ。手伝ってあげる」


 城守さんがベンチに座ったままわたしの片方の手をぎゅっと握った。


「俺も話そうとしてたことがあってさ、いい?」

「はい、どうぞ」


 城守さんは前を向いて、はぁと大きく息を吐きだしてから話し始める。


「小鳩さんて、お嬢様だからかもしれないけど、こう、人の悪意に気にせず突っ込もうとする感じとか、見ててハラハラして……なんっか、放っておけなくてさ」

「はぁ」

「俺は頼まれてからずっと……小鳩さんをなんとか幸せにしなければ、どうしたら小鳩さんが幸せになるのかって四六時中考えてたんだよね」

「父親みたいですね」


 ふふ、と笑って言うと、彼も笑った。


「うんそう、それこそ父親みたいに……」

「はい」

「でもあるとき気づいたんだけど……」

「うん?」

「俺、小鳩さんの親類でもなんでもないじゃん?」

「そうですね」

「だったら俺が幸せにすればいいのかなーとか思ったりもしたんだけど……」


 どきりとして顔を見た。

 城守さんは空を見ていたけれど、わたしが見ているのに気づいて笑った。


「でも、俺から見て、俺、全然ふさわしくないじゃん?」


 確かに、城守さんの基準からはだいぶ……激しく外れる気がする。でも。


「わたしの基準だと、ふさわしくないということは……ないと思います。たとえば、城守さんと結婚して、よそに彼女を作ったとして……それでもわたしはほかの人と結婚するよりは幸せだと思います」


 城守さんは驚いた顔をした。けれど、すぐに眉根を寄せる。


「そういうところがほんと、零点なんだよね」

「………」

「それに、俺はそれじゃ嫌なんだよ。亜子には、優しくて誠実なやつとしか添わせたくない。もう俺の脳がそうなってんだよ。ずっと考えてきたのをいまさらぶち壊すなんて絶対ごめんだ」

「はぁ」

「だからまぁ、やっぱ他のやつに任せるべきかなーとも思ってたんだけど……なんだかんだそれも嫌になってきてさ……」

「……」

「やっぱ俺が幸せにしたいから……俺がそうなるしかないかなって思った」

「……はい」

「だから、そういうつもりでがんばろうかなと思った……って話なんだけど、どう思う?」


 聞いてて少し、泣きそうになった。この人は本当に最後までわたしの婚活に真剣に向き合ってくれる。


 だからわたしは小さな声で「……よろしくお願いします」としか言えなかった。


「うん。俺は、俺の基準で思う、亜子にとって最高の男になってみるわ」

「わたしにとって最高ではなく?」

「亜子の最高はショボいからなー……」

「そんなことはないです。基準は変わりました」

「どうなったの?」

「ただ結婚してくれる人ではなく、わたしが、好きだと思える人です」

「おお……成長したな」

「切羽詰まった状況から解放されたのもありますけど……そんなに感心されると多少心外です」

「うん、いいんじゃない?」


 それから二人、少しの間、空を見ていた。


 月が出ていたけれど、風で動いていく雲に半分隠される。緊張から解放されたわたしは、ピントを合わせず視界の中でぼんやりとそれを見ていた。


「亜子が警戒したような顔で黙ってるから、びみょーに話しづらかったんだけど……話せてよかったよ」


 妙に黙っていると思ったらこちらはこちらで柄にもなく少し緊張してくれていたようだ。


「わたしは警戒ではなく……脳内シミュレーションしておりました」

「はい?」

「今日別れたら、もうしばらく会えない気がして……なんて言えばいいのか」

「ああ、そっか」


「婚活……付き合う前段階から始めてもいいでしょうか」

「えー、うーん……」


 思いのほかしぶられた。けれど、数秒後すぐに頷いてくれた。


「まぁ、いいよ。なんでも。合わせる。……でも」


 そう言って城守さんが座ったままわたしと半身を向かい合わせた。


「……でも? わっ……」


 もの字のあたりで城守さんが勢いよくわたしを胸に抱きこんだ。


「これくらいはまぁ……ちょっと先にさせて」


 思った以上に固くぎゅうぎゅうに抱きしめられて、少し息が苦しいのに、ドキドキした。


 密着した体温の温かさと、謎の幸福感が体にじわじわと広がっていき、わたしの周りの空間が同じように広がったような錯覚がした。


 ものすごく近寄らないとわからない程度に、微かに香水の匂いがする。


 スーツの生地の感触、夜の風の感触。風の音。遠くを走る、車の音。小鳥がガサガサと植え込みを小さく鳴らすような音まで。


 普段なら何も感じないような細かな情報が五感から入り込んでくる。


 好きになった人がこれ以上ないくらいにそばにいる。

 恋をしたことで生まれた、小さな飢えのような感覚が満たされていく。


 それから、思った以上にうるさい自分の心臓の音を感じていた。

 その腕は思っていたよりすぐ離れたけれど、強烈な中毒性に、わたしは名残惜しくしばらく捕まっていた。


「……で、どうやって始めよっか」


 城守さんが至近距離で笑みを浮かべてみせる。


「アドバイスは、いる?」

「いえ、わたしも、城守さんのおかげで多少レベルアップしたんで……そうですね、手始めに……」

「うん?」

「デートに誘ってもいいでしょうか?」


 城守さんは「いいに決まってるじゃん」と答えてくすくす笑った。


「そうしたら、あ……」

「どうした?」

「わたしが城守さんと行きたいところを調べてからでもいいですか」

「うわー、時間かかりそう……」

「たくさんありますし、早く行きたいから大丈夫です。絶対に、連絡しますね」

「……んー、じゃあ待ってようかな。でも、とりあえずはさ、今日家に帰ったら連絡してよ」

「はい。無事に帰りました。あなたのことを考えて寝ますって、送ります」

「本当成長したなー」

「成長もしましたが、これは成長ではないです。自然にそうしたいと思ってます」

「うん」

「城守さんは、婚活相手とアドバイザー、がんばってください」

「結局両方やるのかよ!」


 そうして、わたしの最後の、楽しい婚活が始まることとなった。

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