第15話 ありがたき静謐! せいろ蕎麦王子



 三月も半ばに入り、冬の寒さが少しだけ和らいできたころ、わたしは城守さんの紹介で五人目の王子と面会をすることになった。


 城守さんは「うーん」と少し迷ったあげく「せいろ蕎麦王子!」と威勢よくコードネームをつけた。


「せいろ蕎麦ですか」


 一体どんな方なんだ……。焼肉と違って想像しにくい。


 城守さんは重ねて重々しく答えた。


「あいつはもり蕎麦でもざる蕎麦でもなく……せいろ蕎麦だ」

「せいろですか……」

「せいろだ」


 城守さんの名付けはだいたい雑なのでいつもぴったりまでは行かないがそこまでマトを外してもない。ますますわからなくなった。


 この、せいろ蕎麦王子は城守さんが直で仕事を教えた後輩らしく、年齢は二十四歳。無口なわりに相手の意図や場の空気を読むのがすごくうまかったのが決め手らしい。


 まじめで実直。もくもくと仕事をこなすさまは、饒舌な人間にありがちな口のうまさはないけれど、気がつくと自然に信頼を勝ち取っているタイプだという。


 お店の前で引き合わせてもらった彼はさっぱりとした短髪で、キリッとした顔は無駄なく造作が整っていた。顔立ちだけだとヤクザの鉄砲玉のようにも見えそうなのに、不思議と無口な僧侶のような静謐さも同居している。


 独特な雰囲気があると聞いてはいたが、確かに不思議な感じだった。どこか禁欲的なような、ありがたい感じがある。


 城守さんは「じゃあ俺、帰るね」と言って数歩行ってから振り返り、手招きしてわたしを呼んだ。


「……大丈夫そう?」


 城守さんが少し心配げな顔でわたしを覗き込む。


「はい。ありがとうございました」

「うまくいったら連絡して」

「はい」

「それから、うまくいかなくても連絡して」

「はい」

「なんかあったら」

「連絡します」


 思わず苦笑いしてそう言うと、城守さんは頷いて、帰っていった。



 食事をすることになったお店はお蕎麦屋さんだった。


「このお店は小鳩さんが選んだんですか?」

「いえ、城守さんです」

「ああ、そうですか……路地を一本外れただけで、静かで、よい店ですね」

「そうですね。城守さんらしいお店だと思います」

「……らしいとは」


 せいろ蕎麦王子が怪訝そうに首をひねる。

 言われてみれば、少し妙な表現だったかもしれない。


「らしいというのは……城守さんのお好きなお店は、チェーン店ではないけれど、有名店でもなくてですね……少し変わった外国のお菓子を置いているレストランだとか、本やレコードがたくさんあるカフェだとか、川辺にあって景色や雰囲気がいいとか、ひとつくらい、ちょっとうれしくなる要素がある、何気ないお店が多いです」


 せいろ蕎麦王子は「なるほど」と言って店内を見まわした。

 お店はお座敷で、華美な装飾はないが、お花がそっと置いてある。窓の外は庭になっていて小さな池があり、そこにもささやかな飾り付けがされていた。決して派手じゃないけれど居心地よく、不思議とまた来たくなる落ち着きがあるお店に感じた。


 席についてからも急いで話しだすことはなかった。

 ただ、彼は口数が少ないのに決して気詰まりな空気にはさせない雰囲気があった。


 むしろ、ペラペラしゃべるのを遠慮してしまう。


 やがて来たお蕎麦を食べた。小鉢と天ぷらがついているせいろ蕎麦だ。器や盛り付け方に品があって、食欲を増進させられる。薬味をつゆに入れて、お蕎麦を少量箸で摘まむ。口元に近づけると、お蕎麦のよい香りがふわっとした。


「お蕎麦、おいしいですね」

「そうですね。こんなにおいしいのだから、城守さんも食べていけばよかったのに……」


 思わずこぼした感想に、せいろ蕎麦王子はわたしのほうをちらりと見た。


「実は、不思議に思ったので、小鳩さんとお会いする前に城守さんに聞いたんです」

「何をでしょう?」

「そんなに推すのに、なぜ、城守さんは付き合わないのですかと」

「え、そんなことを聞いたんですか……?」

 胸のあたりがなぜだかざわっとした。

「あの人は愛想がよくても、根っこの部分がドライな人だと感じてまして……身内でもないのに他人の結婚に執着する理由がわからなかったんですよ」

「結構世話焼きで……暑苦しい方だと思いますが」

「逆に、小鳩さんはなぜ、城守さんに相談したのですか?」


 言われてみれば、わたしのようなタイプが、城守さんに相談をしていること自体が傍からは妙に見えるかもしれない。その気持ちは少しわかる。


「わたしは、少し事情があって……急ぎで結婚相手を見つけなければならなくて……」


 せいろ蕎麦王子の誘導に乗せられたのか、気がつくと本来婚活相手に言う予定ではなかった裏事情に言及してしまっていた。口がうまいというのは饒舌さではなく、こういう、つい口を滑らせてしまう雰囲気がある人のことを言うのかもしれない。


「城守さんに相談したのは、たまたまだったのですが、きちんと話を聞いてくれて、もしかしたらわたし以上に真剣に向き合ってくれました。それに……わたしは恋愛のことがまったくわからなかったので、すごく、助けてもらってます」

「……まったくわからなかったんですか?」

「はい。そういう生き方をしていましたから……実は、恋愛経験ゼロなんです」

「片思いも?」

「ありません」


 蕎麦王子は一瞬目を細める。その表情は別に馬鹿にしているわけでもなく、珍しがる感じでもなく、ただ、観察するような感じだった。


 彼はまたしばらく手元のお蕎麦に集中するように、黙って食べた。


 だからわたしもお蕎麦を味わった。


 そうして綺麗に食べ終わったころ、再び彼が口を開いた。


「俺が高校生のころ、友人に恋愛音痴の人がいました」


 唐突な昔話に目を丸くして尋ねる。


「恋愛音痴、ですか」

「ええ。彼は好きな人がいるのに、本人が気づいていなかったんです」

「そんなこと……あるんでしょうか」

「あります」

「本人がそうでないと思っているなら、それは好きではないと判断してもいいのでは」

「やたらと視線を向けて、話しかけて、その子の話題がでると食いついて……少しでもネガティブに言われると怒るんです。俺は比較的目線や表情や物言いからそのあたりを察するのは得意なほうなんですが、そのときは、周りもみんな気づいてました」

「なるほど」

「そういう人は自分の感情に鈍いんですよね。なぜか、自分が恋愛するなんて思ってなかったりして、気づくのが遅いんです。また、想われてても、なかなか気づかない」


 なんの話だろうと思って顔を見ると、彼もわたしの顔をじっと見た。


「だから、そういう人には時間が必要なんです。小鳩さん」

「……はい?」

「小鳩さんは……事情があるようですけど、本当はじっくり時間をかけて婚活したほうがいいんじゃないですか。焦ると見えなくなるものはたくさんあるでしょう」


 歳下なのに、気がつくとすっかりお説教されていた。それも彼の声音だとありがたい説法を聞いているような気分になる。色々忘れて思わず拝みそうになった。


 食事を終えて、店を出た。


「今日、来ていただいて、ありがとうございます」


 お礼をいうと、ずっと無表情だった彼が、ふっとわずかに苦笑いを見せてくれた。


「俺は結婚願望が強いから、それを話したら城守さんが食いついたんです。結構な勢いでしたよ」


 なるほど。ぱっと見はとてもそんなふうに見えないから除外されていたのだろう。ここに来て彼が浮上した理由がわかった。


「まだお若いのに、結婚したいのですか?」

「俺はフラフラしてないで早めに結婚して身を固めて、生活を安定させたいんです」


 しっかりした口調で言い切る。彼には彼のビジョンがあるらしい。


「小鳩さんは、本当に結婚したいんですか?」


 せいろ蕎麦王子はこちらを見透かすような目でこちらをじっと見た。思わず視線を外してしまう。


「…………しなければと、思っています」


 したいと答えるべきだったろうか。

 それでも、わたしはこの、異様に察しのいい人に嘘をついても無駄だと感じてしまい、正直に打ち明けた。


「俺は……今日会って、もう少し時間を共にすれば小鳩さんのことを好きになれると感じましたし、よければお付き合いしたいと思いましたけど……」

「本当ですか」


 せいろ蕎麦王子はこちらをじっと見て黙った。

 そして冷静な瞳で山頂から沼へ叩き落とした。


「でも……俺ではないと思いました。申し訳ない。お力になれそうもないです」

「え……」

「小鳩さんは、結婚の前にきちんと好きな人と向き合ったほうがいいです。誰かと付き合ったあとで気づかれても面倒ごとにしかなりません」


 きっぱりとお断りを告げられ、深々と頭を下げた彼は振り向きもせず去っていった。


 そのまま立っていると、おでこにぽつりと水滴の感触を感じて、上を見ると雨が降ってきていた。


 少し……独特な振られ方をしてしまった。

 振られた理由もよくわからなかったけれど、彼はわたしに好意を持てそうだとは言ってくれていた。


 わたしは急いで結婚相手を探すあまり、相手を好きになろうという前向きな気持ちがなかった。話してみて、それを読み取られたのだろうと結論付けた。


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