第14話 癒しの風! ほうじ茶ラテ王子【後編】


 なにはともあれ無事に連絡先も交換し、デートの約束もできた。


 三月某日の土曜日。午前十一時十分前。待ち合わせ場所着。

 谷沢くんは五分前に現れた。

 挨拶を交わす。


「小鳩さん、普段からよく映画観るの?」

「はい」


 友達と出かけたりしないし、趣味がインドアなものばかりだから。


「家で観れるのでお薦めとかある?」

「それなら、たくさんありまして……」


 前回とばしてしまった映画の話題をスライドさせることに成功した。

 そして、話してみると彼もかなりの数、同じ映画を観ていることが判明した。


 谷沢くんはおしゃべりなほうではないので、会話が続かなくてすごく気まずくなったらどうしようと思っていたのは杞憂だった。


 そのほかにも谷沢くんは同じ本を読んでいることも多く、似たような頻度で自炊をしているので簡単な料理の話もすることができた。


 イケメンといっても威圧感がまるでないタイプなので、緊張感が薄かったのもある。

 なんとなく知ってはいたけれど、ちゃんと話してみてもやはりとてもいい人だと感じた。


 思いのほか会ってすぐ話し込んでしまって、映画の時間が近づいたので歩き出す。


 映画館に向かう道の途中、素敵なカフェが目に留まった。

 外装の緑の配置の仕方とか、壁の色とか、すごくいい感じだった。中はどんな感じで、どんなメニューを置いているのだろう。行きたい。


 わたしはいつものように思った。


 今度、ひとりで行こう。



 谷沢くんと、映画館でつつがなく映画を観賞した。

 映画デートのいいところは、メインの映画鑑賞はひとりだろうが二人だろうが変わらないところだ。観るだけなのでうまくできないということもない。


「小鳩さん、誘ってくれてありがとう。面白かったし、久しぶりに休みに外に出て、いい息抜きになったよ」

「谷沢くんは、わりと家にこもってしまうタイプなんですか?」

「うん。家でできる趣味ばっかりだから。いつも気がつくと休みが終わってるんだよね」

「そうなんですか」


 なんとなく、彼とは似たものを感じる。


「友達と遊びにとか、昔はたまに行ってたけど、僕はお酒の席が好きじゃないから、大人になってどんどん機会がなくなったんだよね。昔は誘い文句が遊ぼうだったのが、大人になると飲もうになるじゃない?」

「ああ……」

「自分から誘えばいいんだろうけど、それもしないから、こうやってただ遊びに出ること自体が減っちゃって……小鳩さんは?」

「わたしは遊びには、たまにひとりで出てますね」

「それはえらいよ」

「えらいですかね……」

「うん、やっぱ少しくらい外、出ないとねえ」


 話していたら、駅が近づいてしまった。


「お茶でもして帰りませんか?」


 このまま解散になりかねない流れに、慌てて誘うと彼は頷いてくれた。



 わたしと彼は目の前にあったフランチャイズチェーンのカフェに入り、それぞれお茶を買って、席に座った。


 店内には小さな音で音楽が鳴っている。


 わたしは困っていた。


 わたしはこの鈍感ほうじ茶ラテに、結婚を考えてもらわねばならない。

 しかし、なんだかそれを申し込むのは気が引けた。


 谷沢くんは一緒にいて楽だし、気負わない。いい人だ。けれど、だからこそ色恋を持ち込んで関係を壊したくないような気がする。


 今、彼はまったく警戒していない。でも、恋愛を匂わせた瞬間に気まずくなる予感があった。


 正直なところわたしはこの人に交際も結婚も申し込みたくない。

 そんなことをするのは申し訳ない。それをするのは裏切り行為のような感覚さえある。いい人過ぎて辛いという意味不明な状況だ。気は重くなるばかりだった。


 でもわたしは祖父を安心させたい。そのために、がんばりたい。映画に来てくれたということは、嫌いではないはずだ。


 しかし、わたしは色気のある雰囲気に持っていく方法がわからない。谷沢くんは鈍感力も高そうだし、自然な流れで意識させるのは難しいだろう。


 開き直って事務的に事実確認していくことにした。


「あの、谷沢くんは……結婚をしたいんですか?」

「えっ」

「この間、カフェで、ちょっと聞こえてしまって……少し意外だったから」

「あーうん……小鳩さんみたいな人だから言えるんだけど……」

「うん?」

「僕ね、ずっと……高校からの彼女と付き合ってたんだけど……」

「けど……?」


 その導入から先はなかなか出てこなかったけれど、結論としてはその彼女とは半年前に別れたということだった。恐ろしく元気のない声で教えてくれたが、正直その前の沈黙の長さで予想済みではあった。


「喧嘩別れで……すぐ謝ればよかったんだけど、最初は意地張ってて、グジグジしてるうちに時間が経っちゃって、こうなると向こうもう彼氏いるかもしれないしで、怖くて連絡できなくて……でも」


 谷沢くんは「忘れられないんだ」とはっきり言った。


 その言葉はなんだか彼には不似合いで、だからこそ生々しく響いた。


「……こんなことなら……結婚しておけばよかったって、思ってる」

「え」

「あのときは年齢的にまだ少し早いとか、余計なこと考えてたんだ」


 相手は、いないけど、いたらしい。


「新しい彼女とか……一度も考えなかったんですか?」

「……まさか。もともと彼女なんて、いなくてもかまわないし。わざわざ無理に作ろうとは思わないよ」


 その気持ちはすごくよくわかる。

 そして、だからこそ、彼にとって彼女が特別なこともわかった。


 以前、オムライス殿下に恋をする梶原さんを目の当たりにしたときは、彼女はいつも熱い恋愛をしている、自分とは違う人種なのだと思ってしまった。だから自分には無理だとさえ思った。


 でも、今はそんなふうに思えなかった。

 谷沢くんが自分と似たタイプなのもあるかもしれない。彼はたぶん、放っておけば何年もひとりで過ごしてしまうような人だ。


 そんな人がきちんとひとりを見つけて、ずっと想っている。

 わたしはそのことに、羨ましさを感じていた。

 彼はわたしのように誰でもいいから結婚したいのではなく、結婚したいたったひとりがいるのだ。


「がんばってみたらいいです」


 そこはかとなく物思いに沈んでいた谷沢くんがわたしの声に「えっ」と言って顔をあげる。


「連絡してみたらどうですか」

「いや……それはでも……」

「わたし、恋愛体質でなくて……たぶん谷沢くんもですよね」

「うん……まぁ、付き合ったのも……好きになったのも彼女だけだし、あまり惚れっぽくはないと思うけど」

「わたしは本当に、そういうのぜんぜんなくて……だからもしこの先の人生でそういう人と会えたら、心底貴重な相手だと思うんです」


 恋愛の機会が多い人と少ない人はいて、環境も起因するけれど、なにより性格の部分が大きい気がする。環境を作るのだって性格だ。


「谷沢くん、このままだと絶対後悔します」


 谷沢くんはわたしほどじゃないにしろ、マイペースなおひとりさま体質の片鱗を感じる。似たもの同士だからこそ、そんな素敵なものを手放すのはもったいないと感じるのだ。


 谷沢くんはカップの取っ手を指でウリウリ弄びながら、こちらを見た。


「で、でも……向こう、もう誰かいるかも……」

「いたとしても。このままだとどうせ消滅したままでしょう」

「……」

「ごめんなさい、人ごとだからと無責任なことを」

「いや、その通りだと思う……」


 短く言って、彼はスマホをテーブルにコトリと出した。


 それから眼鏡を外して拭き、息をふうと吐いた。


 そうして再度スマホを手に取りしゅしゅ、と指先で操作し、女の子の名前を表示させてこちらに見せてきた。


「え……今ですか?」

「うん……こういうの、勢いかなって」


 確かに、早いほうがいいかもしれない。家に帰ったらクールダウンしてしまうかもしれないし、見張りがいたほうがやれるかも。


 わたしは他人事ながら少しどきどきしてきた。拳を作りコクコクと頷いて動きを促す。


 しかし彼はスマホを数秒眺めてハァ、とため息を吐いて結局またテーブルに置いた。


「……」


 わたしの拳は握られたまま、なんともいえない沈黙が流れた。


 数秒後、谷沢くんはまたスマホをバッと構えた。


 自らの人差し指を中空にふわふわと彷徨わせる。


「谷沢くん……がんばって」

「……」


 しかし、彼はそれをまたテーブルに置いて眼鏡を眼鏡拭きでキュッキュッとした。

 もう眼鏡は一点の曇りもなくピカピカだった。


 彼の顔面には苦悶としかいいようのない表情が浮かんでいて、うっすら汗をかいている。事情を知らなければ「具合でも悪いの?」と聞いてしまいそうだ。

 まぁ確かに、かけた先でもう彼氏がいた場合や、そっけなくされたらと思うと怖いだろう。


「……ははっ」


 谷沢くんが意味のない乾いた笑いをもらし出したので、わたしはもう、この人は無理なんじゃないかと思った。この挑戦を止めないとおかしくなるんじゃないだろうか。


「谷沢くん、やはり……やめておいたほうが……」


 彼は青白くなった顔で呆然とスマホを見つめていたが、静かに首を横に振る。


 それからやにわに思い切った顔で、またスマホの画面をこちらに向けてきた。


「こっ、小鳩さんっ……」

「はい」

「お、押して! 通話のとこ、押して!」

「えぇ……」


 そんな重要な役割を突然任されても……なんだか怖いではないか。


「お、押してー!」

「わかりました。押します」


 覚悟を決めて人差し指をぴんと立てた。他人事だから覚悟が決まるのが早い。


 その瞬間谷沢くんがスマホをサッとテーブルに伏せた。


「た、谷沢くん、逃げないでくださいよ」


 腕を伸ばして奪いにいくと今度は自分のスマホを高々と掲げて届かないようディフェンスしてくる。


「くっ、谷沢くん……」

「ここ小鳩さん、やっぱまだ早い! まだ早いんだよ!」

「半年経っててこれ以上早いもないです」


 ふん、てい、と鼻息荒く指を伸ばすが谷沢くんがひらり、ひらり、とスマホをかわしてくる。


「待って! 待って! よく考えよう!」

「先ほどよく考えた結果こうなっています」

「の、喉の調子が……」

「せやっ!」


 身を乗り出してプルプルする指で通話ボタンをタップする。


 届いた!


 谷沢くんはその瞬間「ヒェッ」と小さな声をあげてぱっと耳に当てた。


 それからすぐに「ヒィッ! もしもしもし!」と震える声を絞り出した。これはかなり早く出た気がする。


 何を言っているかまではわからないが、女の子の声がわずかに聞こえる。


 電話が繋がってから谷沢くんはずっと「うん……うん」と小さく相槌をうっていたが、やがて赤くなり、小さな声で「僕も……」と言って顔を隠すようにテーブルに伏せてしまった。


「え、今? 今……カフェだけど」


 彼が引きつった顔で焦ったようにバッと顔を上げた。


 わたしは立ち上がって自分のカップとトレイを持ち、帰ることをゼスチャーで伝えてさっと店を出た。


 足取りは軽く、ホンワカした気持ちでいっぱいだった。


 よかった。よかった……。


 素晴らしい瞬間に立ちあってしまった。頬がほころんで戻らない。あまりにご機嫌ですぐに城守さんに報告の電話をかけた。


 城守さんはすぐ電話に出た。


「城守さん、わたし、デートしてきました」

「うん、ご機嫌だね。なんかいいことあった?」

「はい。ありました。谷沢くん、本当に一途な方みたいなんですよ」

「それはいいね」

「あのですね、彼は別れた彼女がずっと忘れられなくて……応援したら連絡して、そうしたら向こうも会いたかったようで」

「…………は?」

「谷沢くんきっと、復縁できるのではないでしょうか」

「……えは何を……」

「……え?」

「……お前は何を喜んでいるんだ! 馬鹿野郎! 結婚! したかったんじゃないのか!」

「……あ」

「もういい。ミーティングだ。亜子、キサマ今すぐ出てこい!」


 出てくるも何もわたしはまだ外にいた。あまりにルンルンして帰宅する前に電話をかけたのだ。普段連絡不精なのに、よほど浮かれていたんだろう。


「あっ……わたし、行きたいお店があるんですけど、そこでもよろしいでしょうか」

「どこでもいい。その腐った性根を叩き直してやる」


 お店の場所と名前を伝えると「三十分後に集合」とだけ言われて切れた。


   *     *


 かくして、わたしは城守さんと素敵なカフェで向かい合っていた。


 城守さんは不機嫌な仏頂面だったけれど、わたしはこれでもかとご機嫌だった。


「城守さん、このお店、素敵ではないですか」

「……え?」

「さきほど谷沢くんと歩いてて、通りすがりに、すごくいいなと思ったんで、最初ひとりで行こうと思ったんですけど……城守さんにも教えたくなりました」


 城守さんは来たときからずっと阿吽像の吽のほうみたいにムスッとしていたけれど、言われて店内を見まわした。


「城守さんもこういうお店好きでしょう。最近城守さんの好みも少しわかってきたんです。うまく言えないんですけど、アンティークだけど甘すぎない大人っぽさがちょっと入ってるような感じといいますか」


 城守さんはわたしの顔をしみじみ見て、力の抜けたため息を吐いて怒りを鎮めた。


「……で、なんでそんなことになったの。まずは反省会から」

「はい。城守さん、わたし、愛を学びました」

「……はぁ?」

「谷沢くんを見ていたら、たったひとりの好きな人と結婚をしたいと思えるのは、すごく素敵なことだと思いました」

「……うん? やっとそこかよ」

「わたしも、もし合う人がいれば、いつか……」


 そこまで言いかけて、ふっと我に返った。


「……なんでもないです。今のは忘れてください」

「いやいや、なんでやめんの。好きな男見つけようよ」

「いえ。それをやろうとすると、やはり十年はかかると思うんです。だから……ただの憧れです」


 自分と似たところのある谷沢くんが、数多くの恋愛をするのではなく、ひとつの恋愛を大切にしている。そんな様子は思いのほかわたしの胸を打ち、素直に素敵だなと思わされた。


 もしかしたら自分にも、時間さえあればそんな恋ができるのではないかと、そんな憧れが芽生えてしまったのだ。


 でも、わたしにはそんな時間はなかった。


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